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Moto2 第8戦オランダGPで優勝した中上貴晶選手が帰国記者会見

第8戦オランダGPで優勝したMoto2ライダーの中上貴晶選手が抱負を語った

 ロードレース世界選手権のMoto2クラスにおいて、第8戦オランダGPで初優勝を飾った日本人ライダー中上貴晶選手が8月5日、都内で会見を開いた。IDEMITSU Honda Team Asiaに所属して3年目の24歳。紆余曲折がありながらも、ここへきていよいよ手応えをつかみはじめ、チャンピオン争いにも加われるチャンスが訪れた。その先には最高峰クラスMotoGPへの道筋も見え始めている。

 その一方で、7月28日~31日に開催された鈴鹿8耐では、Satu HATI. Honda Team Asiaのライダーとして事前テストに参加したこともあり、2017年の鈴鹿8耐への参戦にも期待が高まる。ここでは、これまでの歩みを振り返り、今後のチャンピオンシップに向けての意気込み、MotoGPへの思い、そして鈴鹿8耐参戦の可能性など、中上選手が会見で語った内容をお届けする。


日本で敵なしの状態から世界に挑戦し、初めての挫折

 オートバイに乗り始めたきっかけは、自分が4歳の誕生日に両親からポケバイを与えられたこと。その時の記憶はありません。写真を見てそんなのあったなと。

24歳にして、オートバイに乗り始めて20年になるという中上貴晶選手

 全日本ロードレース選手権に参戦したのが13歳。14歳で全戦全勝し、全日本チャンピオンを獲得した。その当時、(参戦していた中では)一番年齢が若く、それくらいから世界を見据えて世界に戦いの場を移したいと思っていましたが、身体は14歳ということで、身長が低くて苦労したのを覚えています。

 当時は名門チームのハルクプロに所属して、かなりバックアップしていただいた。その当時自分は走るのが好きで、楽しく、速く走りたいという単純な思いだけでやっていて、全日本チャンピオンを獲得できたんですけど、その後の海外、スペイン選手権に活動の場を移した時にまったく歯が立たなかった。

 英語が全然しゃべれなかったので、まず言葉の壁から始まって、ライダーのスキル的にも(厳しかった)。(マルク・)マルケス、(ステファン・)ブラドル、(スコット・)レディングら、今MotoGPのパドックにいるライダーとちょうどタイミング的に同じ時にスペイン選手権に参戦していて、黄金自体というか厳しい時代にスペイン選手権を戦ったので、かなりレベルが高かったのかなと今では思いますし、強いライダーたちと一緒に走れていた時代だったんだなと思っています。

 2008年と2009年はGP125クラス(現在のMoto3)に参戦した。GPではさらに選ばれた選手しかいないですし、チームも決してトップ争いできるバイクじゃなくて、ワークスとそうでないものの差がすごくあった。自分はカタ落ちのバイクで厳しいパッケージだったけれど、今と比べると英語もまだできなかったので、まずコミュニケーションを取るのが自分としては大きな壁だった。スペイン選手権で少しはできるようになったかなと思ったんですけど、世界で戦うようになって、よりコミュニケーションの大切さを味わった。ただ、今思うのは、その時苦労した分、誰とでも打ち解けられるようになったのかなと。

屈辱の全日本再参戦。そのなかでも常に世界を考えていた

 2010年と2011年は世界GPへの挑戦を中断し、日本に戻った。2008~2009年をGP125クラスで戦って、ただ2年間とも自分の思うような成績を全然残せず、チームから必要とされなくなって結果的にシートがなかったので、全日本に戻ることを決断して、正直にいうとかなりくやしかった。というか、まさかたった2年でシートがなくなるとは思わなかった。

 でも、自分としては2009年頃から身体が大きくなってきて、成績は残らなかったけれど、翌2010年から新しくMoto2が始まるということもあって、Moto2に少し興味が出てきたのはたしかです。GP125は成績が振るわなかったのと、物足りなさがあって、もうちょっとパワーを感じたい、125ccは乗りたくないなという気持ちがあった。

 いろいろ条件が合わずに世界GPは無理ということになって、実際に全日本に戻ってきた時は、もう一度世界GPに戻れるか不安だったし、いったん日本に戻って再び世界GPに戻れた前例はなかったから、周りからも「全日本に戻ったら終わりだよ」とも言われてはいた。すごく不安で、屈辱的ではあったけれど、気持ちは前向きで、その1人目になってやろうという気持ちになっていた。

 2010年は市販車ベースのST600で戦っていたんですけど、トラブルが多かったり、自分がバイクに対応しきれなかったのもあった。翌年も同じ600ccで、自分が求めていたMoto2により近いレーサーバイクのJ-GP2クラスに転向した。

 その時から本格的に「この年が最後の年だろうな」と思っていたし、結果を残せばもしかしたら世界GPにまた戻れるだろうな、という気持ちがあった。なので、とにかく全日本のレースというよりも、Moto2の研究というか、世界GPに戻るためには何が必要なのかを考えていた。

(Moto2とJ-GP2が開催される共通のサーキットが)ツインリンクもてぎしかなかったので、もてぎでのタイムを全部確認して、とにかくMoto2に近いタイムを目標にした。バイクは違えど、Moto2ならこれくらい出るかなというのを予想して、全日本のレベルじゃなくて、それより一歩抜けた世界GPを考えていた。

 常に戻りたい、戻りたいという気持ちが強かったので、それがうまく結果にも表れたし(2011年のJ-GP2は全戦全勝)、本当に奇跡的なタイミングでその年の日本GPのMoto2ワイルドカードで代役参戦できた。

せっかくのワンチャンスで最悪のクラッシュ。「終わった」と思った

 (2011年、東日本大震災の影響で)何人か日本GPに来たくないという情報が入っていたんですけど、実際にイタルトランスチームのメインライダーが正式に日本に来ないということになって、ドルナと僕のマネージャーを交えて、もうこの1シートしかない、本当にワンチャンスなんだと。こんなチャンスはないということで、無理矢理押し込んでもらって出ることになった。

(レースウィークの)木曜日にMoto2のバイク見て、またがって夜遅くまでポジション合わせにかかり、大丈夫かなと思った。正直乗りづらかったんですけど、このチャンスをものにしたいという気持ちが強かったので、とにかくがむしゃらに一生懸命走った。ただ、日曜日のウォームアップ走行で一番やってはいけない転倒をしてしまって、左肩甲骨を骨折した。「ああ終わったな」と。

 けれど、(そのレースウィーク中の)金曜日、土曜日のセッション中には何回か上位に顔を出すことができていて、本当に運よくチームマネージャーが「なんなんだこいつは」と、けっこういい印象をもってくれていた。日曜日のウォームアップが終わって医務室でうなだれている時に、チームマネージャーが来てくれて、「ごめんなさい」という話をしていたら、びっくりなことに「11月からウィンターテストがあるので、それに参加してほしい」と。

 もてぎは走り慣れているのでポテンシャルがはっきり分からないとも言われて、バレンシアのテストに参加してくれというオファーをいただいた時は、もう終わったと思っていたので、本当にびっくりした。医務室で契約書にサインして、テストに参加することが決まって、そのテストでまずまずのタイムが出て、とんとん拍子で翌年2012年からイタルトランスのチームから参戦することが決まった。

 2012年から世界GPに戻ることができてすごくうれしかった。本当は1年で(日本から世界へ)帰るつもりではいたんですけど、2年かかったとはいえ、戻れたこと自体前例がなかったので、ここから再出発だなという気持ちがありました。

Moto2で世界GPに再参戦。チャンピオン候補に名前が挙がるも……

 イタルトランスから参戦した2012年。Moto2初めてのシーズンで、久々の世界GPながら4戦連続で2位を獲得するなど、何回かいいレースはありましたし、すぐに翌年2013年に向けて継続参戦することが決まった。

 その2013年は浮き沈みはあったんですけど、表彰台を獲得したり、ポールを獲得したり、いいシーズンを送れた。2014年から今所属しているIDEMITSU Honda Team Asiaに移籍することが決まって、2012年、2013年といい成績だったので、周りからもチャンピオン候補として名前を挙げていただいた。しかし、ものすごく大苦戦して、2014年はシングルフィニッシュはなかったですし、ポールもなかったので、レース人生のなかでもすごく悩んだ時期でした。

 前年がよかったので、チャンピオン候補として名前が挙がっていたので、一体どうしたんだという感じで見られましたし、自分としても全然うまく走れず成績が振るわなかったので、どうしたらいいのかというのがありましたね。

 2015年は2014年よりはよくなってきたんですけど、望んでいた成績を残せなかった。結構悩んだ2年間だった。解決策がなかなか見つからず、レースをこなしていくだけで、成績は少し上がるけど歯車がかみあわなくて、またわるくなって、と。自分も24歳になって、そろそろきちっとMotoGPに向けて、という風に考えるようにもなってきた。

 身体もMotoGPを見据えて作っています。その前はどちらかというとMoto2に合わせていたんですけど、いつでもMotoGPに上がれるように、そういうチャンスがいつ来るか分からないので、準備はしています。MotoGPに向けて気持ちと身体の準備は整っている状態です。

オランダGPで初優勝。その要因は?

 初優勝できた今シーズン、まず前年から大きく変わったのがチーフメカニックが日本人からスペイン人に変わったこと。そのメカニックはもともとサスペンションにかかわっていた方で多くの情報、経験がある。Moto2はエンジンやタイヤが一緒で、シャーシもほぼカレックス製が占めているので、差を付けるとなるとサスペンションしかない。

 そのなかでチーフメーカニックの経験が活きている。今シーズンに関してはオフシーズンのテストからの好調を維持して、過去を含めて一番ポイントを取っていて、ランキングも5位につけている。後半に向けてまだ8戦あるので、まだまだ逆転の可能性はあるし、ここへきて世界GP通算111戦目にオランダで初優勝できた。ものすごく時間はかかったし、本当に長かったという気持ちではあるんですけど、苦労した分やっと手に入れたものなので、自分にとって重みのある1勝です。

 それにプラスしてうれしかったのは、全員が祝福してくれたこと。パドックのスタッフ以外にも、ドルナ、メディア関係の方々など、みんなが気にしてくれていた、待っていたんだなというのが分かって、みんなが支えてくれていたんだと改めて思ったオランダGPだった。伝統のダッチTTで優勝できたのを誇りに思うし、ヨーロッパラウンドで優勝できたのは、日本GPに向けてすごくプラスになりますね。

 日本GPでは、日の丸を母国のポディウムの真ん中に揚げて日本国歌を流したい、優勝したいという気持ちが毎年どんどん大きくなっている。今年に関しては、自分もそうですけど、周りがもう優勝しか答えを求めていない状況には来ている。ヨーロッパで勝ったおかげで、その分日本のファンがものすごく期待してくれているのは伝わってきている。特別な感情はたぶん出てきてしまうだろうけれど、それをうまく結果につなげたい。

 他のGPに比べて、日本GPは楽しみにしている分あっという間に終わってしまうように思っているんですけど、今年は結果を残している年でもあるので、とにかく日本GPでは優勝しか考えていません。

2016年の最も大きな変化とは? 鈴鹿8耐への参戦は?

 最も大きな変化は、メカニックが変わったこともあるんですけど、(第6戦の)ムジェロあたりから久々に(予選で)フロントローに並ぶことができて、レースでも絶対に勝てるな、っていう気持ちになったところ。今までだと勝ちたい、勝つにはどうすればいいか、という流れで考えていたのが、「これはもう勝てるな」と。勝ちたいというより勝てる、という風に現実的に思えるようになってきた。

 あまり調子がよくなくてもアジャストできて、どんなにわるくてもトップ5、6には入っている。ぱっと乗ってトップ3やトップを取れるようになったので、そこが自分にとってすごく気持ち的に変わったなと。それがあるので、落ち着いて、無理しなくなった。一歩引いて見られる時もあるし、今回は行った方がいいな、と言う時は状況をちゃんと判断しながら(勝ちに行けるようになった)。

 鈴鹿8耐については、毎年出たい気持ちはあります。今年に関してはもともとテストだけのオファーで、ちょうどレースとレースの間だったので、トレーニングを含めて参加したかった、乗りたかったから。ただ、レースについては今年はMoto2に専念したいという気持ちがあった。来年は、けっこう高い確率で(鈴鹿8耐本戦に)出ることになると思います。たぶん90%くらい。今年はテストに参加したのにレースには出ないということで、どっちなんだと言われたんですけど。来年もし出るんなら、テストもしっかりやって、出るからには優勝を狙いたい。

残り8戦、Moto2チャンピオン争いに向けて

 来週は初開催のオーストリアGP。自分も初めて走るけれど、ちょっと残念だったのはチームがテストに参加できなかったこと。(Moto2はマシンに)差がないクラスなので、どちらかというと出遅れた感はあるとは思うんですけど、そこはもうレースに向けて集中するしかない。

 コースレイアウトを見る限りはそこまで難しくはなさそうですし、コーナーも8個しかなくて、コース攻略に時間がかかる感じじゃなさそうなので、前向きに考えたい。あとは短い夏休みでしたけどリフレッシュできたと思いますし、前戦のドイツ決勝は残念な結果になりましたが、調子は上がってきて好調をキープしているので、初開催でテストに参加できなかった、というのはあまり(ネガティブには)考えていない。いつも通り、始まったら集中して、調子のよさをアピールしつつ、表彰台を狙いつつ優勝争いに加われれば。

 ドイツGPが終わった後、2日間のプライベートテストをチェコ・ブルノで行なって、主にオーリンズサスペンションの比較テストをしてけっこうよかったので、それをとにかく活かしつつ、オーストリアとチェコの2連戦で2連勝したい。

 残り8戦ありますけど、(ヨハン・)ザルコと(アレックス・)リンスは、レースを落とす可能性の少ないクレバーなライダーなので、それを考えると8戦しかないとも言える。とにかく彼らの前でゴールしないとチャンピオン争いに加わるのは厳しくなる。今はポイント差がちょっと離れているんですけど、彼らはポイントを落とさないと思うので、日本GPまでにちゃんとしたチャンピオン争いに加わりたい、頭を使ってその数戦でポイント差を詰めたいですね。

 ほとんどの上位ライダーが来季のMotoGP参戦が決まって、MotoGPで頭が一杯だと思う。その隙を狙って、じゃないですけど、2人を徹底的にマークしつつ負かしたいですね。自分はまだ来季の体制が決まってないので、体制も大事ですけど、今重要なのはチャンピオンシップなので、その2人を負かして表彰台に上がりたいと思っています。