「“START SUZUKA”OPENING THANKS DAY F1キックオフパーティー」開催 リニューアルされた鈴鹿サーキットの初イベント |
快晴の中開催された「“START SUZUKA”OPENING THANKS DAY F1キックオフパーティー」。ピットの中まで入れる時間帯も設けられ、多くの観客がリニューアルされた鈴鹿サーキットを楽しんだ |
2009年4月12日開催
生まれ変わった鈴鹿サーキットで4月12日、改修後の一般公開イベントとなる「“START SUZUKA”OPENING THANKS DAY F1キックオフパーティー」が開催された。快晴に恵まれた鈴鹿サーキットには多くの観客が集まり、普段は入ることのできないコントロールタワーの見学に長蛇の列ができるなど、ピットやスタンドは終日観衆で賑わっていた。
オープニングセレモニーには鈴鹿サーキットを運営する、モビリティランドの土橋社長や地元鈴鹿市の川岸市長をはじめ、モータースポーツで活躍する多くの関係者が参加した。土橋社長、川岸市長の挨拶に続き、2輪ライダーを代表して伊藤真一選手、4輪ドライバーを代表して松田次生選手が壇上に立った。また、FIA、国際自動車連盟会長のマックス・モズレー氏、FOM代表のバーニー・エクレストン氏からのお祝いのメッセージも大型ビジョンで紹介された。最後に参加者全員が快晴の空に向かって風船を放ってオープニングセレモニーは終了した。
オープニング後は、「第1回日本グランプリ再現パレード」。これは、Car Watchでも「オグたん式『F1の読み方』」でおなじみの小倉茂徳氏が、鈴鹿サーキットがオープンした1962年の翌年、63年に開催された第1回日本グランプリのメインレース、国際スポーツカーレースのウィナー、ピーター・ウォー氏の「もう一度、ロータス23で鈴鹿を走りたい」という希望を受けて発案したもので、それをモビリティランドと自動車クラブ「フィオレンティナー470クラブ」が、「再現パレード」にまで企画発展させたもの。ピーター・ウォー氏がドライブするロータス23やフェラーリ250SWB(当時と同型車)、ポルシェ356A(当時レースを走った車両そのもの)などによるパレード走行を行う。
筆者がピーター・ウォー氏と聞いて最初に思い出したのは、コーリン・チャップマン亡き後、黒いJPSロータスに乗るセナの横にいたピーター・ウォー氏で、レーサーだったとは知らなかった。小倉氏によると「ウォーさんというと、87、88年にキャメル・ロータスF1のチーム監督として知られていますが、69年からチーム・ロータスのチームマネージャーでした。そして、その前はレーサーとしてかなり速かったそうです。63年の第1回日本グランプリでは、ロータス23の運動性のよさが効いたようで、3位までをロータス23が独占し、ほかを2周から3周周回遅れにしました。さらに当時のウォーさんのロータス23には、コスワースが開発中だった1650ccの試作エンジンが搭載されていて、このトルクレンジの広い特性が鈴鹿のコースにあっていたのも強みになったそうです。ちなみにこの試作エンジンは、すぐにロータス製DOHCエンジンにとって変わられ、鈴鹿での優勝が唯一の勝利だったそうです。ウォーさんは翌年我が国初のフォーミュラカーによるレースで行われた第2回日本グランプリでも2位に入賞しています」とのこと。
ピーター・ウォー氏が駆るロータス23を先頭にピットから出たマシンは1周してグランドスタンド前に停止し、ウォー氏のインタビューの後、再度一斉にスタートした。東コースを2周してチェッカーが振られ、ピットに戻ったウォー氏はうれしそうに小倉氏と握手をしていた。ちなみに、ウォー氏が今回使用していたヘルメットやレーシングシューズは第1回日本クランプリで使用していたもので、レーシングスーツも当時のものとほぼ同じものだそうだ
新装鈴鹿サーキットのオープニングレースとなるのは、今週末の4月18日、19日に開催される「ケーヒン鈴鹿2&4レース」だ。2輪の全日本ロードレースと、4輪のSUPER GTが同時開催される初のイベントとなる。このレースに参加する日本を代表するレーサーとドライバーのトークバトルがポディウム(表彰台)で行われた。参加した2輪ライダーは伊藤選手、中須賀克行選手、柳川明選手、酒井大作選手、4輪ドライバーは脇阪寿一選手、立川祐路選手、本山哲選手、伊沢拓也選手。
「2輪、4輪それぞれかなわないことは?」の質問に伊藤選手は「レースクィーンの数はかないません」と回答。「来週のレースのライバルは?」の質問に、3月の雨の岡山開幕戦でタイヤ選択に失敗した立川選手は「天気」と回答し、まわりを笑わせていた。今回参加した選手の多くが初戦では出遅れたため、「来週(4月18日、19日)の鈴鹿が開幕戦」とのコメントが多く、ケーヒン鈴鹿2&4レースでは白熱したバトルが期待できそうだ。
トークバトルはライダー4人、ドライバー4人が参加。左から酒井選手、柳川選手、中須賀選手、伊藤選手、脇阪選手、立川選手、本山選手、伊沢選手 | 2輪選手には「4輪レースに適わないことは?」の質問が出された | 「18日、19日に開催される2&4のライバルは?」の質問に答える |
ピットで準備が行われるRA272とFW11。タイヤウォーマーまで使用されていた |
午後には往年のF1マシンのスペシャルランが行われた。ホンダF1参戦第1期を代表するマシンRA272とエンジンサプライヤーとして参戦した第2期のウィリアムズ・ホンダFW11の2台によるデモランだ。これらのマシンはホンダコレクションが所有し、実際に実動可能なようにメンテナンスが行われている。
RA272は、1964年に国産初のF1マシンとして参戦したRA271を改良したマシンで、1965年の最終戦メキシコグランプリで初優勝した。当時のF1の排気量は1500ccで、翌年から3000ccに変更されたため、1500ccエンジンの最後の優勝マシンとなった。当時のホンダはオートバイメーカーとしての地位は確立していたが、自動車メーカーとしてはまだスタートを切ったばかりだった。
RA272もオートバイの構造をそのままに、横置きのエンジンを搭載するなど異色の存在だった。12気筒のエンジンは当時ライバルであったフェラーリの6気筒、BRM、クライマックスの8気筒を気筒数で大きく上回っていたし、最高回転数もフェラーリの8000rpmに対し1万2000rpmと圧倒的な高回転エンジンだった。そのエンジン音の高さからホンダミュージックと呼ばれていた。
ホンダコレクションホールのスタッフによってピットからコースへ向かうFW11 | 続いてRA272もコースへ | RA272の横置きエンジンは当時としても異色だった。エンジンに直付けされた足まわりの整備性は悪かった。 |
高回転域から絞り出すエンジンパワーは当時のF1でも最強だったが、エンジンの重さも一番だった |
当時200馬力を越えたのはホンダエンジンだけだと言われ、今で言う「直線番長」のマシンだったらしい。馬力は1位だが、重さも1位で決して優秀なエンジンではなかったようだ。更に横置きエンジンのため、オートバイと同じくトランスミッションがエンジンと一体で、さらにリアサスペンションがエンジン自体にマウントされる構造になっていた。コースにあわせギヤ比を変えようとするとサスを分解し、エンジンを分解しないとギヤ一つ交換することができなかった。ほかのチームが1~2時間で行う作業に1日を要するメンテナンス性の悪さに苦しめられたらしい。それでも参戦2年目の優勝は快挙だったと思われる。また、ホンダと同じく1964年からF1に参戦したグッドイヤーにとってもRA272による優勝が1勝目で、その後1998年の撤退までに368勝することになる。
もう1台のFW11は、ちょうど日本でF1の当日放送が始まったころのマシンなのでなじみのある方も多いであろう。1986年シーズンに投入されたFW11はネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルによって9勝を挙げコンストラクターズチャンピオンを獲得した。マクラーレンのアラン・プロストを含め3人が最終戦でドライバーズチャンピオンを争うことになり、マンセルのタイヤバーストでプロストがチャンピオンを獲得することになる。翌87年、改良型のFW11Bでネルソン・ピケがドライバーズチャンピオンを獲得する。コンストラクターズチャンピオンも2年連続で獲得し、80年代後半を代表するF1マシンと言えよう。エンジンは1500cc V6ターボで1000馬力を越えていたと言われる。
この歴史に残るF1マシンを中嶋悟氏と鈴木氏のドライブでスペシャルランが行われた。中嶋氏がドライブするRA272が先行してストレートを加速する。少し間を空けて鈴木氏がドライブするFW11が追走する形だ。甲高いRA272と図太い音のFW11は東コースを2周してチェッカーとなった。
マシンを降りた中嶋悟氏は「空力のパーツがないから、直線でもひやひやする」と語り、ターボ時代を経験していない鈴木氏は「こんな凄いエンジンでよくレースやってたねえ。こんな車でレースしなかったことを神に感謝したい」と笑顔で語っていた。
RA272に乗り込みスタートを待つ中嶋悟氏 | FW11に乗り込みスタートを待つ鈴木氏 | 中嶋悟氏が駆るRA272が先行してスタート |
少し間を空けて鈴木氏が駆るFW11が追走する | デモ走行を終えグランドスタンド前に置かれたRA272 | FW11もグランドスタンド前に止められた |
F1の解説者としておなじみの今宮純氏と感想を語り合う両氏 |
2人のトークに、オープンカーで現れ参加したのが、中嶋悟氏の息子で、現在ウィリアムズ・トヨタでF1に参戦する中嶋一貴選手だ。F1の中継のインタビューとは異なり、笑顔で談笑する様子は微笑ましく感じられるほどだった。初戦は4位走行中にクラッシュ、第2戦も不本意な結果に終わった。今シーズンは戦闘力のあるマシンを手に入れたので、今後の巻き返しに期待したい。
現役F1ドライバー中嶋一貴選手が登場し、F1ドライバー3氏によるトークショーとなった | トークショーの後半は中嶋一貴選手が中心 | 終始なごやかな雰囲気で進められた |
3選手の笑顔をアップで。まずは鈴木氏 | 中嶋一貴選手 | 中嶋悟氏 |
最後はスタンドの観客に手を振ってトークショーは終了した |
先日の改修工事完了の見学会では、新設されたスタンドをコースからしか見ることができなかったので、今回は実際にDスタンドに足を運んでみた。まず、逆バンク方面に抜けるトンネルの様子を報告したい。最終コーナー側から入ると、短いトンネルを抜けてパドック横の吹き抜け部分に出ることができる。そこから逆バンク方面へは、再びトンネルに入る。トンネルはどちらも2本でそれぞれ一方通行となっている。トンネルは途中でゆるやかに曲がっていて、逆バンク方面へスロープで出ることになる。従来はトンネルを抜けると急な階段だったので、かなりスムーズな人の流れが期待できそうだ。
トンネルを出た右側はまだ工事中で、Eスタンドには入ることができなかった。S字から逆バンクまで続くDスタンドはS字一つ目が分離された区域になっている。従来のGスタンド付近から逆バンクまでが一体になった横長のスタンドだ。現在。コンクリートの階段状になっているが、指定席の番号が振ってないので、おそらく秋のF1までには、ベンチシートが設置されると思われる。まだ、この席は完売になっていないので、コースの見え具合は掲載した写真を参考にしていただきたい。
吹き抜け部分から最終コーナー方面。 | 逆バンク方面へも一方通行の二つのトンネルが用意された | 地下道はそこそこ広くなり明るくなった。やや左に曲がって逆バンク側へ出る |
出口は階段からスロープに変更された | 逆バンク側からトンネルの入口を見る | 逆バンクのDスタンドの様子。席番が振られていないので最終的にはベンチタイプのシートが用意されるのだろう |
DスタンドのS字一つ目からパノラマ撮影。 |
DスタンドのS字二つ目。旧Gスタンド付近。目の前のコースがストレートに見えるのはパノラマ撮影のせい。実際にはぐるっと回り込んでいる。 |
Dスタンドの逆バンクの真ん中からパノラマ撮影。カメラマンは従来通り左端に集中していた |
いよいよ今週末はオープニングレースのケーヒン鈴鹿2&4レースが開催される。初戦を終えて、出遅れたチームは巻き返しの体制を整えて参戦するので、より高次元のバトルが期待できる。2輪、4輪のトップチームが参戦するレースを1日で見られるお得なイベントだ。加えて、生まれ変わった鈴鹿サーキットも見られるので、一粒で三度美味しいレースだ。筆者もまだ見ぬ西コースの様子を取材し報告したいと思っている。
ピットでは往年のホンダF1マシンも展示 | ピットに設置されたF1シミュレーターは大人気 | 1/1トミカもピットで展示されていた |
鈴鹿サーキットクッキーに新たに缶入りが登場 | GPエントランスの販売コーナーで見かけた「シロモチくん」。鈴鹿サーキットのある三重県の県庁所在地、津市のゆるキャラ |
(奥川浩彦)
2009年 4月 15日