伝統の一戦、「第56回マカオグランプリ」リポート |
コースのまわりにはマンションやホテルが多く建ち並ぶ。これらの建物の中からはレースが見られるが、周囲の道路や歩道橋などは立ち入り禁止だったり、仮設の壁などに隔たれたりしていて、観客席以外からのレース観戦はできない |
2009年11月19日~11月22日開催
■草レースがルーツのマカオグランプリとは
今年で56回目を数える「マカオグランプリ」が、中国のマカオで開催された。マカオは中国大陸の南側に張り出した半島と、いくつかの島で構成される地域で、半島と島は3本の立派な橋でつながれている。街中は大航海時代に建てられた歴史的な建造物と、近代的なビルが並んで建つ独特の雰囲気。マカオの主要産業は観光で、中でもカジノは本場ラスベガスを凌ぐほどの隆盛を極める。
1999年に中国に返還されるまで、マカオはポルトガル領だった。マカオグランプリ(以下マカオGP)が始まったのは、そうしたポルトガル統治時代の1954年で、当時の住人が、自分たちが楽しむためにレースを始めたもの。世界的に有名な耐久レース「ル・マン24時間」がそうであるように、マカオGPもまた、草レースがそのルーツにある。
グランプリとは、その国や地域で開催される最上級カテゴリーのレースを指す。日本ではF1が開催されるので、日本グランプリといえばF1レースのことになるが、マカオの場合はF3レースがグランプリとなる。
F3は世界中でほぼ同一のレギュレーションで行われている。マカオのF3は各国のチャンピオンや上位入賞者が一同に介し、雌雄を決する。マカオGPを制して、F1にステップアップしていくドライバーは多く、ここで勝てばF1のシートに手が掛かるとも言われている。
グランプリレースがF3となったのは、1983年のこと。F3の初代チャンピオンはアイルトン・セナ、1990年がミハエル・シューマッハ、1991年がデビッド・クルサードと、優勝者にはビッグネームがひしめく。そして日本人初の優勝を遂げたのが、2001年の佐藤琢磨選手。そして2008年には国本京佑選手が優勝している。
■コースアウトがクラッシュに直結するコースレイアウト
コースは公道を閉鎖したトリッキーなレイアウトとなる。一瞬のミスがコースアウトに繋がり、コースアウト=クラッシュとなることがほとんどだ。
ここで軽くコースを紹介しておこう。公道を閉鎖して作られるマカオGPのコースは“ギアサーキット”と呼ばれる。全長は約6.2kmだ。ピットは香港からのフェリーが到着するターミナルの真正面にあり、スタートしてすぐに左にゆるいコーナー、その先の旧マンダリン・オリエンタル・マカオの前で今度は右に緩く曲がる。そこからがギアサーキット最長となる、約800mのストレートに入り、ストレートを過ぎるとその先に右に直角に曲がるコーナーが待ちかまえる。このコーナーがマカオ名物の「リスボア・ベント」で、最高速に達したマシンが一気に減速し、広かったストレートの道幅が一気に絞られることもあり、毎年何台ものマシンがここでクラッシュする。
リスボア・ベントの先にある右コーナーを曲がると、「松山」と呼ばれる山の東側を一気に登るレイアウト。大小のコーナーが入り交じるテクニカルセクションとなる。途中、いったん下ってからふたたび上り、その上りの最後にあるのが「メルコヘアピン」。ここは進入から脱出までの一定区間が追い越し禁止となっている。メルコヘアピンを過ぎると次のフィッシャーマンズベントまでは下りだ。右・直角コーナーのフィッシャーマンズベントを過ぎるとコースはフラットになる。海を左側に見ながら約500mストレートがあり、ふたたび直角の右コーナーを抜けるとスタートラインに戻る。
フィッシャーマンズベントからリスボア・ベントの次の右コーナーまでが海側、それ以外を山側と呼ぶのが一般的だ。
■メインレースのF3【予選~決勝】
11月19日~22日のスケジュールで開催されたマカオGP。メインのグランプリレースはF3だが、そのほかにもさまざまなレースが行われた。まず、大きなところではWTCC(世界ツーリングカー選手権)の最終戦。マカオGPでは昔からツーリングカーのレースが行われており、このレースは「ギア・レース」という名前が付けられ、フォーミュラカーのレースとともに人気が高い。現在ではWTCCがこのギア・レースとなっている。FIAの世界選手権がかかる競技はF1、WRC、そしてこのWTCCの3カテゴリーのみだ。
また、そのほかにも地元参加型のプロダクションカーレースや、アジアの富裕層が多く参戦するGTカー(スーパーカー)レース、さまざまなスポーツカーが参加するロードスポーツチャレンジ、フォーミュラBMWパシフィックなども併催。また、バイクのレースも開催され、こちらもグランプリの名が冠されている。
F3に参戦した日本人ドライバーは井口卓人選手(2009全日本F3選手権/Cクラス2位)、国本雄資選手(2009全日本F3選手権/Cクラス3位)、嵯峨宏紀選手(2009全日本F3選手権/Cクラス6位)の3名。また、全日本F3選手権・参戦ドライバーとしては、マーカス・エリクソン選手(2009全日本F3選手権/Cクラス1位)、ケイ・コッツォリーノ選手(2009全日本F3選手権/Cクラス4位)、アレキサンドラ・インペラトーリ選手(2009全日本F3選手権/Nクラス3位)などが参戦した。
木曜日に行われた練習走行では、エリクソン選手がトップタイムをマーク。エリクソン選手はトムスからの参戦となる。トムスは一昨年、昨年と2年連続でマカオを制しており、今回も3連覇を狙って盤石の体制でレースに臨んだ。
金曜日のスケジュールは午前中が練習走行、午後が予選となる。予選トップをマークしたのは、やはりエリクソン選手。続く2位にはユーロF3ランキング5位のジャン・カリ・ベルネー選手、3位にはユーロF3ランキング2位のエドアルド・モルタラ選手がつけた。井口選手は11位、国本選手は16位、コッツォリーノ選手は23位、嵯峨選手は24位、インペラトーリ選手は26位。インペラトーリ選手とトップの差は約4秒となった。
F3第1レースのスタートシーン。リスボア・ベントに向かい、トップポジションの奪い合いが演じられる |
マカオのF3は日本のレースとはスケジュールが異なる。全日本F3選手権は土曜日、日曜日と2レースが開催され、それぞれに順位を争うが、マカオの場合は土曜日のレースは予選レース。つまり、日曜日に行われるレースのグリッドを決めるためのレースとなる。
その土曜日の予選レース。ポールポジションからスタートしたエリクソン選手は、スタートからレースをリードした。しかし、後方のマシンがクラッシュ。セーフティカーが導入される。
再スタート後。旧マンダリン・オリエンタル・マカオ前を過ぎたところで、ベルネー選手がエリクソン選手をパスしトップを奪う。しかし、次の周回にリスボア・ベント前のストレートで後方のマシンが宙を舞い、クラッシュ。ふたたびセーフティカーが導入される。
2回目の再スタート後も大きく順位は変わらず、ベルネー選手がトップでチェッカーを受け、エリクソン選手が2位、3位にはモルタラ選手が入り、日曜日の決勝を迎えることとなった。
F3第1レースのリスタート後。ゼッケン12のウェイニー・ボイド選手のマシンが先行するマシンと接触。宙を飛び大きくクラッシュした。ドライバーは無事だった |
日曜日。ポールポジションはベルネー選手。2番手にエリクソン選手、3番手にモルタラ選手。スタート直後、リスボア・ベントで2台がクラッシュし、さらにその先で7台がクラッシュ。レースは赤旗で中断となった。リスタートはグリッドからではなく、セーフティカー先導によるローリングスタートとなった。その後、ふたたびクラッシュが発生。2度のセーフティカー導入により、レースは硬直状態になった。結局、レースを制したのは3位スタートのモルタラ選手。2位にベルネー選手、3位には7番グリッドからスタートしたサム・バード選手(ユーロF3、8位)が入った。
エリクソン選手は4位となり、残念ながらトムスは3連覇を成し遂げることができなかった。そのほかの日本人選手は井口選手が6位、国本選手が9位、嵯峨選手が14位。コッツォリーノ選手、インペラトーリ選手はともに完走ならずだった。
WTCC第1レースのスタートシーン。ローリングスタートなので、比較的スタート直後のアクシデントは少ない |
■ドライバー、マニファクチャラーズともに最終戦までもつれ込んだWTCC
F3レースは単独開催だが、WTCCはヨーロッパを中心に1年をかけて世界中を転戦するシリーズ。1開催で2レースが行われ、最終戦のマカオまでに11会場、22戦が行われた。このうち、第20戦、第21戦は11月1日に日本の岡山国際サーキットで開催された。岡山でのレースを終えてもドライバー、マニファクチャラーズともにシリーズチャンピオンは決まらず、マカオでのレースでシリーズポイントが争われた。
F1は開幕戦から最終戦まで、ほとんど同じドライバーでレースが行われるが、WTCCはスポット参戦も積極的に行われる。日本人ドライバーでレギュラーメンバーの参戦はないものの、このマカオGPには谷口信輝選手、青木孝行選手の2名がBMWで参戦。また、SUPER GTに出場中で、日本でもおなじみのマカオ人ドライバー、アンドレ・クート選手もセアトで参戦した。
WTCCに参戦するメーカーはセアト、BMW、シボレー、ラーダの4メーカー。岡山終了時でセアトが289P、BMWが286Pと僅差の戦い。一方、ドライバーのチャンピオンシップは、イタリアのガブリエル・タルキーニ選手(セアト)が115Pでトップ、続く2位に昨年チャンピオンのイバン・ミューラー選手(フランス、セアト)が113P、3位にアウグスト・ファルファス選手(ドイツ、BMW)が102Pでつけていた。
WTCCの予選は荒れに荒れた。イバン・ミューラー選手やタルキーニ選手など有力選手が次々とクラッシュ。そうした中、ロバート・ハフ選手がトップタイムを出しポールポジションを獲得。クート選手は16番手、谷口選手は21番手、青木選手は23番手からのスタートとなった。
WTCCは1日で2レースを行う。第1レースは金曜日の予選結果をもとに、グリッドからのスタート。第2レースは第1レースの結果をもとに、トップから8番手までの順位を逆にするリバースグリッドを採用している。つまり、第1レースでトップになったドライバーは8番グリッド、逆に8番手となったドライバーがポールポジションとなる仕組みだ。
第1レースはセーフティカー先導によるローリングスタート。レースは比較的スムーズに進行したが、最終ラップのメルコヘアピンでマシンがスピンしたことをきっかけに、イエローフラッグが提示された。
第1レースを制したのはハフ選手、2位がタルキーニ選手、3位にはホルディ・ジェネ選手が入った。WTCCではワークス以外のプライベートチームの最上位選手を表彰する、インデペンデントクラスが設定されており、第1レースではかつて日本のレースで戦っていたトム・コロネルが対象となった。なお、谷口選手は18位、青木選手は19位。
WTCC第2レースのスタートシーン。第1レースで8位となったマシンがポールポジションとなり、さらにグリッドスタートとなる |
15分のメンテナンスタイムを挟み、第2レースのグリッドにマシンが向かう。第2レースは停止状態から発進するグリッドスタート。ポールポジションは第1レースで8位だったファルファス。スタートはきれいに切ったものの、レース中盤で大きなクラッシュがあり、セーフティカーが導入された。
リスタート後もレースは荒れた。リスボア・ベントで2台がクラッシュ。その後、最終コーナーでもクラッシュがあり、レースは赤旗中断。そのまま終了となってしまった。
第2レースを制したのはポールポジションからスタートしたファルファス選手、2位にヨルグ・ミューラー選手、3位にイバン・ミューラー選手が入った。インデペンデントクラスの表彰対象は総合15位の谷口選手。青木選手は16位という結果に終わった。
(諸星陽一)
2009年 11月 25日