アルファロメオ、100周年記念イベントを開催
公称3000台超が参加した巨大イベント

2010年6月24日~27日(現地時間)
イタリア ミラノ市



 フランス車「ダラック」のノックダウン生産に端を発し、ミラノの企業家グループが1910年6月24日から「ALFA(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili:ロンバルダ自動車製造会社)」のブランド名を掲げて、初のオリジナルモデル「24HP」の生産をスタートさせた。それが、自動車史に冠たる名門アルファロメオの起源である。つまり、今年2010年は、アルファロメオにとって記念すべき100周年なのだ。

アルファが環状道路を埋め尽くした
 そして、ALFAとしての起業からちょうど100年目を迎えた2010年6月24日、ある壮大なワンメイク・イベントの幕が切って落とされることになった。その名も「ALFA ROMEO 1910-2010」。名門アルファロメオの栄光と挫折、そして不屈のバイオグラフィーをそのまま体現した巨大セレモニーである。

 今回のイベント初日となる6月24日の朝は、現在ではミラノ市庁舎として使用されているセンピオーネ公園のマリーノ宮殿で、開会宣言とプレスコンファレンスを行ったのち、F1イタリアGPでも有名なアルファの聖地モンツァ・サーキットにて、開会式典を兼ねたサーキット走行イベントを開催。

 また同じく24日と翌25日には、1960年代初頭以来アルファロメオの工場が置かれてきたもうひとつの聖地、ミラノ近郊アレーゼにある「ムゼオ(ミュージアム)・アルファロメオ」の開館時間が深夜まで延長されたうえに、世界各国から集まるイベント参加者のために多数の言語によるガイド付き見学ツアーが挙行され、同館に展示される珠玉のアルファロメオ車の数々を見学することができた。

 しかし今回のメインイベントとなったのは、なんと言っても26日と27日の2日間にわたって開催されたラリー形式の巨大パレードラン。中間発表段階でもすでに2300台以上ものアルファロメオ車とそのオーナーたちがエントリー申し込みを済ませ、大会当日に至っては実に3000台のアルファロメオが集結したという、恐るべき大ミーティングである。

 まずは26日朝。アレーゼの隣町ローにある大規模見本市会場「フィエラ・ミラノ・ロー」に、おびただしい数のアルファロメオたちが続々と集まってきた。

 その内訳は、1世紀に及ぶ歴史そのもの。旧くは1920年代のヴィンテージ初期に製作された「RL」シリーズに端を発し、第2次大戦前の傑作「6C」シリーズや、戦後の「1900」シリーズ、「ジュリエッタ」、「ジュリア」、「アルフェッタ」、フィアット・グループの傘下入り以後に製作された「164」や「155」、そして今世紀に入って製作された「156」や「147」、そして最新の「159」「ブレラ」や「ミト」など、この100年間に製作されたほぼすべてのアルファ・ストラダーレの姿を見ることができた。さらにはつい先日公開されたばかりの新型「ジュリエッタ」も、メーカーやディーラーから大挙貸し出され、様々なステージで活躍することとなったのだ。

メイン会場&パレードの起点であるフィエラ・ローに、世界中から続々と集結してくるアルファロメオたちこれら第2次大戦前後の6Cシリーズなど、歴史的価値の高い文化財的なアルファロメオが大量に参加した日本では希少車と称される75ターボ・エヴォルツィオーネは、実に10台以上がズラリと並ぶことになった
フィエラ館内のアルファロメオブースには、現在話題沸騰中のTZ3コルサが登場。大人気を博していたアルファ100周年を記念して、地元のコーヒー会社が、エンブレム入りのエスプレッソを発売していたいかにもイタリアらしく、正式エントラントには、素晴らしいイタリアンのブッフェランチが振る舞われた
イタリア国内のオーナーズクラブ会員たちは、100周年ロゴ入りのポロシャツをお揃いで仕立てて参加こちらは特製「Alfa Bambini(=アルファキッズ)」の真っ赤なTシャツでバッチリ決めた可愛いお嬢ちゃん犬までアルファエンブレム入りのバンダナをつけて、愛するアルファロメオの100周年を祝賀していた?

 これら多彩な参加車両とそのオーナーたちは、フィエラ・ローで本格的なブッフェランチとアルファ談義を楽しんだのち、ミラノ市中心部を回るパレードに向けて雪崩の如く大移動。パレードの巨大な車列は、ドゥオーモやスカラ座と並ぶミラノ市内の歴史的名所として知られるスフォルツェスコ城へと集結することになった。

 ここでは、全参加車両中から選抜された100台の歴史的アルファロメオによる“レビュー”を開催。今回のイベントのギャラリーに一般のミラノ市民や観光客も交えた、まさに黒山の観衆の中で、ミラノのもうひとつの象徴たるアルファロメオの100周年が祝賀されるに至ったのである。

会場では、イタリアを代表する人気FMラジオ局「RTL102.5」によるDJショーが開催。そのロゴを掲げた新型ジュリエッタが展示されていたアルファによる名門クラシックカー・レーシングチーム「スクーデリア・ポルテッロ」は、専用の大型トレーラーにマシンを満載しての登場今後フィエラ・ローに常設されることになる記念碑は、アルファの名作ディスコ・ヴォランテを象ったもの。この日、大々的に除幕された
日本はもちろん、今やイタリア国内でもめったに見られない、1970年代のアルファスッド・ワゴン。この日は少なくとも3台が確認された1960年台のレーシングGTの傑作、ジュリアTZの試作モデル。ただしこの個体は、超希少なTZを改造して製作したレプリカとのことであったこちらはアルファロメオ2000をベースとして1960年に一品製作、あるいは数台のみが手作りされたと目される、ヴィニャーレ製のクーペ
ミラノきっての観光名所、スフォルツェスコ城に集結したアルファたち。こちらはデビュー直後ながら大量に参加していた新型ジュリエッタたとえ熱心なアルファロメオ・ファンではなくとも、8Cコンペティツィオーネとその排気音には、すぐに黒山の人だかりができてしまう「100台のエポックメイキングなアルファロメオ」と銘打たれたレビューにて、満場の喝采の中ゆっくりと走りぬける1300GTAジュニア

 そして一夜明けた翌27日の午前中には、今回のイベントのクライマックスを迎えることになった。ミラノ市の周囲を回るタンジェンツィアーレ(環状道路)において、隊列を組んで走行するエキジビションが行われた。

 事前に噂されたごとく、天下の公道であるタンジェンツィアーレを完全貸切するまでにはいかなかったものの、片側3車線のタンジェンツィアーレの1車線、ないしは2車線をアルファロメオが埋め尽くして進む様は、まさに圧巻の一言。ヘリコプターからの空撮も行われ、この日のTVや新聞を賑わすことになった。

 そしてパレードランの参加車両たちは、これもミラノ近郊の町、ノヴェグロのフィエラ(見本市会場)で6月19~27日まで開催されていた素晴らしいアルファロメオの展覧会「Alfaromeo 100×100」会場に再び大集結。4日間に及んだ巨大な100周年記念イベントは、ここに感動の大団円を迎えるに至ったのである。

2日目の目玉、タンジェンツィアーレのパレード走行で颯爽と駆け抜ける156。ドイツからの参加車である大パレード走行中、満面の笑顔で手を振ってくれたのは、イギリスから参加した2000GTVの熟年夫妻一面見渡す限りアルファ、アルファの大車列。ミラノの動脈、環状道路はアルファロメオの独壇場となった
チェックポイントのサービスエリアにハコ乗りで入ってくるのは、東欧チェコから参加した156Q4こちらもハコ乗りでやって来た156は、ポーランドからのエントリー車。ちょっとお祭りが過ぎる感も……イエローの2台を先頭に、スパイダー軍団が続々と進入。チェックポイント通過には数時間を要したという

市井のファンに寄り添ったイベント
 古今東西の自動車ブランドの中でもエモーショナルなものとして知られるアルファロメオは、自動車史上最も偉大なブランドの1つでもある。

 わが国では身近な存在として過度に認識されてしまったイメージもあるが、第2次大戦前まで遡ってみれば、現代のフェラーリにも相当するレーシングカーコンストラクター兼超高級スポーツカーメーカーとして、現代のF1GPに相当するグランプリレースや、ル・マンやミッレミリアなどのスポーツカーレースも完全制覇。まさに世界の頂点に君臨する存在だったのだ。

 しかし、1954年に名作ジュリエッタが誕生して以降のアルファロメオは、量産車メーカーへと転身を果たすことになった。それまで富裕層限定だったアルファロメオだが、一般市民にも愛されるブランドとなってからも、実に半世紀以上の時が経過したことになる。

 一方、今なお「Cuore Sportiva(スポーツ魂)」を社是とするように、常にモータースポーツとともにあり、モータースポーツをレゾン・デートル(存在理由)としてきたアルファロメオだが、今回の100周年記念ミーティングでは、例えばアルファロメオ本社から出品される戦前・戦後の珠玉のレーシングカーに、往年のワークスドライバーが登場してイベント会場をデモ走行するような、派手なエキシビションなどは見られなかった。また、新型車のコンセプトモデルが発表されるようなサプライズが無かったのも、いささか残念なところではある。

 しかし、それに代わって余りあったのが世界中から集結したアルファロメオ・ファンたちの熱い想いである。これは、アルファロメオというメーカーの見識ゆえのことかもしれない。アルファロメオの100年間を地道に支えてきた市井のファンたちに寄り添う姿勢の表れと思われるのだ。

このイベントと並行し、ミラノ近郊ノヴェグロにて開催された「アルファ100×100」展。100年の歴史が一堂に会した素晴らしい展示であったイタリアの旧車専門誌「ルオーテクラシケ」の展示コーナーには、ヴィンテージイタリアンの至宝、6C1750グランスポルトが展示されていたムゼオ・アルファロメオから出品されたディスコ・ヴォランテとRLコルサ。ともにイタリアの国宝とも称される、素晴らしいモデルたちだ
こちらも国宝級の至宝、1960年代のレーシングGTたるジュリアTZシリーズは、わずか数台しか存在しないTZ2(手前)も展示されていた今年4月のヴィラ・デステ・コンクールに出品されたばかりの2600ピニンファリーナ・スペチアーレ。この展覧会のレベルの高さを伺わせる後方にジュリエッタSZ(ちなみにこちらも大変な希少車)を搭載したトラックは、実は1950~60年代にアルファロメオが生産していたものだ
イタリア警察とカラビニエリ(軍警察)の展示コーナー。高性能車であるアルファロメオは、歴代パトカーとしても大量配備されていたのだなぜここにルノーが?と思われるかもしれないが、実はアルファは、1950~60年代の短期間、ルノーの生産を行っていた。これも超希少車だアルファロメオだがイタリア車ではないこの車は、1970年代にブラジルで生産された2300というモデル。筆者も本物を見るのは初めてだった

アルファロメオのワールドカップ
 また約3000台分のエントラントのうち、イタリア国内からの参加はわずか2割程度に過ぎず、残りの8割は外国からの参加。その内訳は近隣のスイス、オーストリア、フランスやドイツは言うに及ばず、イギリス、オランダ、ベルギー、クロアチア、スロベニア、ロシア、さらにはオーストラリアやニュージーランドからの参加も見られた。実は日本からも、ミトや最新モデル ジュリエッタ(!)のレンタカーを借りて参加するエントラントが4組ほど確認されたほか、台湾や中国からの参加者も見られた。

 そして会場ではイタリア語や英語に加え、ドイツ語にフランス語、スペイン語、ポルトガル語、さらには筆者にはどの国の言語かも聞き取れない言葉による大声援がこだまし、このイベントのグローバルぶりを実感させたのだ。

 この週末は、時あたかもFIFAワールドカップ南アフリカ大会の真っ最中。前回の覇者であるイタリアは、1次リーグで脱落するという番狂わせに意気消沈していたが、その一方でミラノのアルファファンたちは驚異的な盛り上がりを見せていた。それぞれが自作して持ち込んだ国旗やアルファロメオのフラッグにファンファーレ代わりのホーン。さらには流行りのブブゼラの騒々しい音まで鳴り響く賑やかさ。まさに、世界中のアルファロメオ愛好家によるワールドカップの様相を呈していたのだ。

 そしてもうひとつ特筆したいのは、参加車両たちのコンディションの美しさである。ジュリエッタ&ジュリアに代表されるヒストリックモデルはもちろんのこと、わが国では格安の中古車として冷遇されがちなアルフェッタやアルファスッド、75なども本当にグッドコンディションで、これらのクルマたちと比べてしまうと、日本国内に生息するアルファたちが少々みすぼらしくさえ感じられてしまったほど。ここにも、今回世界中から集まったエントラントたちの「アルファ愛」がひしひしと感じられたのである。

 かくのごとく、おそらく世界で最も愛されている自動車ブランドの1つであるアルファロメオ。その記念すべき100年の節目は、素晴らしいヒストリーとエモーショナルなキャラクターに相応しい、エンスージアスト精神に溢れたものとなったのである。

(武田公実)
2010年 7月 7日