メルセデス・ベンツ、「マイバッハ」をフェイスリフト、オープンモデルを追加
「マイバッハは単なる車名でなく、最高のものを提供するという“約束”」

マイバッハ62と、ダイムラーAGのパトリック・マリノフ氏(右)、メルセデス・ベンツ日本の上野金太郎副社長

2010年7月22日発売



 メルセデス・ベンツ日本は、「マイバッハ」フェイスリフト版を発表した。またオープンモデル「ランドレー」を追加した。

 マイバッハは、1909年までダイムラーのチーフエンジニアを務めたヴィルヘルム・マイバッハが設立したブランド。ダイムラー退社後にマイバッハ・モトーレンバウを設立し、飛行船ツェッペリン号のエンジンや、超高級車を製造したが、その後ダイムラー・ベンツ傘下に入り、2002年にメルセデス・ベンツよりも高級なブランドの名前として復活した。

左が創業者のヴィルヘルム、右がその息子で共同創業者のカールマイバッハ・モトーレンバウはツェッペリン飛行船のエンジンを製造した超高級車も製作

 ランドレーは、後席のルーフをソフトトップとして、開閉可能にしたモデル。価格は1億4200万円。左右ハンドルが選べるが、右ハンドルは150万円のオプションとなる。

 ベース車両はロングボディーのハイパワーモデルである「62S」の、フェイスリフト前のモデル。ルーフ開放部の前端には、オープン時に70km/h以上になると、自動的に立ち上がって風の巻き込みを防ぐウインドディフレクターが装備される。

 このほかはマイバッハ62Sと同様。展示車両は後席が白、前席が黒の本革仕様だったが、内装や装備はカスタマイズできる。ボディーサイズは6165×1980×1573mm(全長×全幅×全高)、ホイールベース3827mm。重量は2855kg。エンジンはV型12気筒SOHC6リッターツインターボで、最高出力450kw(612PS)/4800-5100rpm、最大トルク1000Nm(102kgm)/2000-4000rpmを発生する。

マイバッハ・ランドレー
前席と後席を隔てるコンパートメントのガラスには、好みのモチーフを刻印できる
展示車は後席と前席では内装色が異なる座っているのは東京コンクール・デレガンスの特別審査委員長レオナルド・フィオラバンティ氏

 フェイスリフトされたマイバッハは、従来通りショートホイールベースの「57」とロングホイールベースの「62」、それにそれぞれの高出力版である「57S」「62S」が用意される。価格は次のとおりだが、いずれも右ハンドル仕様は150万円高となる。

モデル価格
574850万円
57S5470万円
625550万円
62S6310万円

 外観は、ラジエターグリルが大型化され、ボンネットのエッジの位置を高め、フロントバンパーは幅広感を強調するデザインになった。このほかドアミラーの形状などが変更されている。

 内装では、新たに「フラコンパフュームアトマイザー」が装備された。これは香水の芳香を車内に広げるもので、特別仕様車「マイバッハ・ツェッペリン」に装備されていたものが、標準装備となったもの。

 57、57Sのボディーサイズは5734×1980×1557mm(全長×全幅×全高)、ホイールベース3390mm、重量は2735kg。62、62Sは6171×1980×1573mm(全長×全幅×全高)、ホイールベース3827mm、重量は2855kg。

 エンジンはいずれもV型12気筒SOHC6リッターツインターボで、57と62は最高出力405kW(550PS)/5250rpm、最大トルク900Nm(91.8kgm)/2200-3000rpm。57Sと62Sは463kW(630PS)/4800-5100rpm、1000Nm(102kgm)/2000-4000rpm。いずれも5速ATを組み合わせる。

展示されたのはロングホイールベースのマイバッハ62
後席はオットマン付きのリクライニングシートが標準。ルーフには液晶膜で調光できるパノラミックガラスルーフが着く
左右の9.5インチディスプレイに加え、中央の19インチディスプレイを追加できる後席用のメータークラスターマルチフォーマットDVDプレーヤーは後席中央に
フラコンパフュームアトマイザーフラコンパフュームアトマイザー用の香水専用セールスセンターは東京のみ、サポートセンターは6カ所に設けられている

 メルセデス・ベンツ日本は7月22日、東京コンクール・デレガンス会場近くのホテルで、発表会を開催。独ダイムラーAGのグローバル・ブランド・マネージャーであるパトリック・マリノフ氏が登場し、「マイバッハのモットーは“最高のものから最高のものを作り出す”。マイバッハは、ただの車名でなく、最高のものを提供するという約束であり、フェイスリフトは当然の帰結だ。200万通りのカスタマイズが可能で、1台として同じマイバッハはない」と述べた。

(編集部:田中真一郎)
2010年 7月 23日