新たな試みが見られた「JAF GP」のサポートイベント |
グリッドに整列したフォーミュラ・ニッポンとSUPER GTマシン |
11月12日~14日に富士スピードウェイ(静岡県駿東郡小山町)で開催された「JAF Grand prix SUPER GT & Formula NIPPON FUJI SPRINT CUP 2010」。レースそのものの模様は別掲記事のとおり。ここでは、JAF GPで行われたフォーミュラ・ニッポンとSUPER GTの決勝レース以外のサポートイベントを紹介していく。
20年ぶりにJAF GPの名称が冠されたレース開催もあってか、歴史を踏まえたイベントなどが行われていたのが印象的だった。
■F2マシンやグループCカーなども展示された歴代レーシングカー展示
グランドスタンド裏の特設テントでは、「歴代レーシングカー展示」と呼ばれたミニ展示会が行われており、日本のフォーミュラレース、スポーツカーレースなどでチャンピオンを獲得したマシンが多数展示され観客を集めていた。
フォーミュラカーでは、1986年に中嶋悟選手(当時、現ナカジマレーシング代表)が全日本F2選手権(現在のフォーミュラ・ニッポンの前身)でタイトルを獲得したマシンである「マーチホンダ 86J(マーチ86J/ホンダ)」が展示された。当時エプソンのスポンサードによるブルーに塗られたこのマシンは、8戦して5勝を挙げ見事にチャンピオンに輝いた。
その前年まで全日本F2選手権では、少数の選手にだけ供給されていたホンダエンジンユーザーの独壇場になっていたのだが、この年からヤマハが強力なエンジンを市販し、開幕戦ではそのヤマハエンジンユーザーである松本恵二選手が優勝するなどして競争が激化していた。ホンダエンジンユーザーの中嶋選手のアドバンテージは減っており、しかも中嶋選手は、ヨーロッパで開催されているF3000選手権にも掛け持ちで参戦している中での、全日本F2選手権3連覇で、このタイトルを置き土産に、よく1987年よりF1へとステップアップしていった。
このほかにも、星野一義選手(当時、現インパル代表)の1989年の愛機である「T89 無限 CABIN(ローラT89/50/無限MF308)」、ダンディライアンチームが走らせていた「FN06 LOLA B06/51」、チーム・インパルの「FN03 LOLA B351」などが展示されていた。
スポーツカーでは、80年代後半に大いに盛り上がったJSPC(全日本スポーツプロトタイプカー選手権)を走っていた、「ニッサン R90CP」「ミノルタトヨタ90C-V」などが展示されていた。いずれも1990年のJSPCを走っていたマシンで、特にミノルタトヨタ90C-Vは、今回のイベントの前に最後にJAF GPのタイトルがかけられた1990年の全日本富士500kmレース(1990年3月11日決勝)で、現トムスチーム監督である関谷正徳氏と今は亡き小河等氏が優勝を飾ったマシンだ。当時1980年代後半は、国内のメーカーがポルシェのグループCカーであるポルシェ 962Cに追いつけ追い越せで盛んに開発を続けており、JSPCは空前絶後の盛り上がりを見せていたのだった。
このほか「ザナビー・シルビア」「A'PEX MR-2、ペンズオイル ニスモ GTR」「ARTX NSX」「au CERUMO SUPRA」など、SUPER GTのタイトルを獲得したマシンなどが展示された。
■各カテゴリーのチャンピオンが登場したトークショー
土曜日に行われたトークショーには、フォーミュラ・ニッポン、SUPER GT(GT500/GT300)の各カテゴリーのチャンピオンが登場し、それぞれ今シーズンを振り返った。
グランドスタンド裏に設置されたステージで各種のイベントが行われた。写真は、GT300のチャンピオン、TOMICA Zの星野一樹選手(左)と柳田真孝選手(右) |
SUPER GTのGT300クラスチャンピオンとして登壇したのは、TOMICA Zの星野一樹選手と柳田真孝選手の2人。偉大なドライバーを父に持つ2世ドライバーとしても知られる2人だが、GT300のタイトルは今年で2回目。すでに実績を十分に残す成熟したドライバーとして認知されており、今シーズンは勝てないものの着実にポイントを積み重ね、最終戦のもてぎラウンドで見事に勝利を収め、タイトルを獲得した。
仲良しコンビとして知られる2人だが、このJAF GPの直前に行われた「モータースポーツタウンミーティング ROUND3」のトークショーで「一人で走るのは寂しいから相方の写真を貼ろうかな」(星野選手)と言ってみたところ、「気を利かせたメカニックが、相方だけでなくチーム全員の写真を貼ってくれた」(星野選手)とのことで、本当に張られた写真を見ながらの走行となったと明かすと、会場からは大きな笑いが起こった。
GT500のチャンピオン、ウイダー HSV-010の小暮卓史選手(左)とロイク・デュバル選手(右) |
GT500クラスのチャンピンとして登場したのが、ウイダー HSV-010の小暮卓史選手とロイック・デュバル選手。この2人のトークショーでは、最終戦でのウイダー HSV-010とPETRONAS TOM'S SC430の首位争いに関する話題が中心となった。2位でもチャンピオンを取れる状況だった中、それでも小暮選手が首位を奪取すべく、脇坂寿一選手が操るPETRONAS TOM'S SC430を抜きに行ったシーンは、誰もが驚いた瞬間だったろう。
司会がデュバル選手にどんな気持ちだったのかを聞くと「本当に心臓が止まりそうでしたよ、2位でもチャンピオンなんだから大事に行ってぇ~と思ってました。でもファンにとってはエキサイティングなレースになったのでよかったと思っています」と実際に何も起こらなかった今となっては余裕の発言。しかし、司会がクラッシュしてたらどうしてました?とちょっと意地悪な質問をすると「レースだからどんな結果でも受け入れますけど、でもクラッシュしないで~と思ってました」と本当にドキドキな展開だったと強調した。
その小暮選手は「監督からは2番手でいいよとは言われてなくて、無理せず行けと言われてました。チャンピオンがかかっていることは分かってましたので、大事に行きつつバトルができた」と、乗っている本人は非常に冷静に戦うことができていたと強調していた。
なお、小暮選手はこのJAF GPの前週に行われたフォーミュラ・ニッポン最終戦で、エンジンストールして3位に終わってしまったことで「ちょっと緊張の糸が切れちゃいました」とJAF GPの予選結果があまりふるわない理由を説明していたのだが、日曜日に行われたGT500の決勝では目が覚めるようなオーバーテイクを連発し、最終的には見事3位に入賞したのだから、さすがである……。天然キャラの小暮選手の面目躍如というところだろうか。
■往年の名ドライバー、ジェフ・リース氏も登壇
このほか、ステージでは、「レジェンドカップ」に出場した往年のドライバーによるトークショーやレースクィーンによるステージなどが行われた。
レジェンドカップは、名前のとおり伝説の名ドライバーによる特別レースで、土曜日と日曜日に開催。マツダ ロードスターによるイコールコンディションのレースが開催された。
レジェンドカップ ドライバートークショーに登場した往年の名ドライバー。左の通訳の女性の隣から順に、ジェフ・リース氏、関谷正徳氏、影山正彦氏、黒沢琢也氏 | レジェンドカップの1シーン。全員が同じマシンに乗るため、誰が乗っているのか非常に分かりにくかった。ドライバーが主役のレースなので次回は要改善か |
レジェンドカップに出場したドライバーによるトークショーでは、往年の“ガイジンドライバー”の代表格ともいえるジェフ・リース氏が登壇した。リース氏は過去にはF1GPへ参戦経験もあるほか、1983年の全日本F2選手権のチャンピオンで、富士スピードウェイで行われていたGC(富士グランチャンピオンレース)では1986年、1988年、1989年と3度もチャンピオンになっており、日本をベースに活動している外国人ドライバーの代表格とも言える存在だった。
リース氏は、今回久々に日本でレースできることを楽しんでいると語り、往年のファンを懐かしがらせた。なお、日曜日に行われたレジェンドカップの第2レースでは、リース氏が優勝し、総合でも3位になる活躍を見せてくれた。
レースクィーンによるステージでは、おそらく史上初めて、フォーミュラ・ニッポンのレースクィーンとSUPER GTのレースクィーンが同時に同じステージに登壇した。ただし、それぞれのチームが順送りで登場する形になっており、全員での登壇がなかったのがちょっと惜しい感じだったが、レースクィーンファンにとっては楽しめるステージになったのではないだろうか。
■そのほかのイベント
グランドスタンド裏では、チームやメーカー、富士スピードウェイによる出店のほか、11月25日に発売が予定されているプレイステーション 3用ソフトウェア「グランツーリスモ 5」(以下、GT5)の体験コーナーが設けられていた。GT5では、3Dによるゲームが行えることが1つのウリとなっており、試遊台では3Dテレビを用いてのゲームプレイができるようになっていた。
SUPER GTとフォーミュラ・ニッポンが共催となったJAF GPでは、土曜日の決勝レース前に、両マシンを整列されてのオールグリッドウォークが開催された。普段は同時に見ることのできないマシンが整然と並ぶ姿は新鮮で、オールグリッドウォークに参加したファンは各ドライバーとの触れ合いを楽しんでいた。
初の試みとなったJAF GP。レース内容も非常に激しいものがあり、チャンピオンがかかっていないレースとはいえ、緊張感のある内容となっていた。関連イベントのレジェンドカップは、ドライバーがよく分からないなどの問題はあったものの、随所で激しい戦いが繰り広げられていた。
JAF GPの開催はシーズン中途で決まったものだけに、レース内容や位置づけが今ひとつ分かりにくい部分があったが、第1回の開催が行われたことで、今後はJAF GPの理解が進んでいくものと思われる。
(笠原一輝)
2010年 11月 19日