ジャガー キャッスル・ブロムウィッチ工場見学記

ジャガー キャッスル・ブロムウィッチ工場入口のビジターセンター



 「ジャガー」と言えば押しも押されもせぬ英国のプレミアム・ブランドだが、近年では、フォードやタタによる買収、Dセグメントへの進出と撤退(Xタイプ)といった話題が聞かれるように、経済環境の世界的な激しい変化と無縁ではいられない。一方で、長年培ってきたブランドの力を利して、どんな変化の中でも泰然自若として、“ジャガー流”の車作りを続けているようにも見える。

 そんなジャガーが英国 中西部のバーミンガム郊外に構えるキャッスル・ブロムウィッチ工場と、ブラウンズ・レーンの資料館を見学する機会に恵まれた。ジャガーの秘密の一端にでも触れることができるだろうか。

元は戦闘機工場
 キャッスル・ブロムウィッチ工場の面積は130エーカー(約52万6000m2)。東京ドームの11倍以上ある広さの敷地に2500人の従業員が働く。

 設立は1938年。もともとはスピットファイア戦闘機とランカスター爆撃機を製造するための工場だったのだが、戦後は自動車の車体製造工場に転換され、ジャガーの手に渡った。

 今でもキャッスル・ブロムウィッチが担当しているのは、ボディーのプレス成形と塗装、内装と最終組み立てだ。最終組み立て工程では、フォードから調達したパワートレーンと、キャッスル・ブロムウィッチで作ったボディーが結合される。フォードがジャガーの持ち主だった時代には、1000万ポンドを投じて貨物列車の引き込み線とプラットフォームを整備した。パワートレーンを運び込み、組み上がった車両を搬出するためだ。

 ここで現在製造しているのは「XK」(コードネームX150)「XF」(X250)「XJ」(X350)の3シリーズで、ジャガーの代表車種を手がける中核工場といえる。7月9日に発表された新型XJ(X351)もここで製造することになり、Car Watchが訪れた7月6日はまさにX351製造の準備中。「(X351を)先週20台作った」とのことだった。

ジャガーの英国内の拠点。キャッスル・ブロムウィッチとヘイルウッドが製品の工場で、あとはマーケティングや開発の拠点となっているキャッスル・ブロムウィッチ工場の歴史キャッスル・ブロムウィッチ工場の隣のラウンドアバウト(交差点)は「スピットファイア・アイランド」と名付けられており、スピットファイア戦闘機の巨大なモニュメントが置かれている
キャッスル・ブロムウィッチ工場の概要キャッスル・ブロムウィッチ工場の見取り図。主な敷地の大きさは800×600mほど

ジャガーならではのアルミボディーを成型する
 前述のように、キャッスル・ブロムウィッチ工場が担当する工程は、ボディーのプレス成形、塗装、最終組み立てだ。

 敷地内にはいくつかの建物があるが、まずはXFとXJのボディーを成型するプレス工場を訪れた。

 XK、XF、XJの3シリーズは、アルミ・モノコックボディーを持つという共通点がある。つまり、キャッスル・ブロムウィッチ工場は、これらのボディーのように大きなアルミ素材を扱う能力があるということだ。ここで生産するパーツの70%がアルミで、スチールは30%だ。

工場内に置かれたXKのカットモデル。白銀の部分がアルミ。フロアパネルを含むモノコックがアルミで作られている
XFのドアはスチールで9.3kgの重さ、XJのドアはアルミで5.2kg。両方を持ち上げて、アルミの軽さを実感できるキャッスル・ブロムウィッチ工場のアルミ加工の概要。アルミとスチールは100%リサイクルされるプレス工場の見取り図

 プレス棟に入ると、巨大なアルミの油圧プレスマシンに出迎えられる。プレスマシンはA、B、Cの3ラインがある。プレスマシンはどれも独シューラー製のもので、1000トン、800トンのマシンがボディーのスキンを作るために使われ、より小さなもののために600トン、400トンといったマシンが据え付けられている。アルミボディーというと、アウディが思い起こされるが、アウディがスペースフレームを採用するのに対し、ジャガーはモノコックをアルミで作っている。当然モノコックのほうが大きくなるわけで、プレスマシンやボディーを運ぶロボットもそれに合わせたサイズとなる。

 プレスマシンの発する音は相当なもので、この建物に入るには蛍光色のベストと耳栓の着用が必要になる。

 プレスマシンには成型したい車種やパーツによって異なった型を組み込む必要がある。車体を成型するだけに非常に大きな型だが、型の交換にかかる時間は15分だという。工場内には紫色の型と緑色の型が置かれていたが、前者がXF用、後者がXJ用ということだった。

 成型されたパーツはロボットで次の工程に送られ、組み立てられる。ジャガーのアルミボディーは、溶接ではなく、リベットと接着剤で組み立てられる。溶接の熱でパーツの組み付け精度が下がるのを防ぐためだ。

ラインAのアルミプレスマシン。モノコック用の大型パーツを成型できるラインBのプレスマシン。プレスしたパーツへの穴開けも行う成型されたパーツ
これがプレス用の型。写真右の奥にちらっと見えるのが新型XJ用の型
スチールは磁石で吸着して運搬できるが、アルミはできないので、吸盤で吸着する。吸着用のアタッチメントも、新型XJ用(写真右の奥)のものは小型化され、扱いやすくなっている成型したアルミパーツを加工するロボット。モノコックのような巨大なアルミ成型品を軽々と持ち上げて次の工程に運ぶ様子は壮観

 

Jaguarもカイゼン
 次に訪れたのは、XKの内装と最終組み立ての工場だ。実はプレス工場の次に塗装工程があるのだが、時間の関係でここの見学は省略となり、内装と最終組み立てに来た。

 プレス、塗装、組み立ての各工場間は「ギャングウェイ」と呼ばれる屋根付の通路で結ばれており、このギャングウェイの中を、車体がパレットに乗せられて移動するようになっている。

 塗装されたボディーが内装工程に入ってくると、まずボディーに組み付けられていたドアが外される。そして防音材や各種配線、ダッシュボードなどが組み付けられていく。この後、パワートレーンと車体の結合、最終チェックが行われて、車が完成する。

塗装工場からギャングウェイを通ってボディーがやってくる
組み付けてあったドアをいったん外し、電装や内装を取り付ける。ボディーを載せる台の高さを調節できるようになっている
パワートレーンの結合

 この工程はすべて、ラインを流れてくる車に人が取り付いて、作業をする。ロボットが車体を流すプレス工場よりも、ずっと高級車の工場らしい雰囲気になる。キャッスル・ブロムウィッチ全体の工程で見ると、手作業が占める割合は40%にも上る。

 しかし、高級車といえど、効率化とは無縁ではいられない。車体の乗ったパレットにはすべてリフトが付いていて、車体を作業しやすい高さにして、効率を上げている。工場のそこかしこの掲示板には「KAIZEN」「KAMISHIBI」という文字が書かれた書類が貼られている。前者は「改善」、後者は「紙芝居」で、どちらもトヨタ式の生産効率を上げる手法だ。こうした現代の効率化手法は、フォードの時代にもたらされたという。

最終チェックへ向かうリアハッチとボディーがきっちり合っているかどうかをチェックし、修正する
完成車
「KAIZEN」「KAMISHIBI」の掲示が随所にある

 

ブラウンズ・レーンの資料館

発祥の地から飛び立つジャガー
 工場を後にして、ブラウンズ・レーンの資料館を訪れた。

 ブラウンズ・レーンはキャッスル・ブロムウィッチから車で30分ほど、ゴダイヴァ夫人の伝説(領主である夫の横暴を防ぐため、街中を裸で行進した)で知られるコヴェントリー近郊にあり、ジャガー発祥の地である。

 ジャガーの資料館を運営しているのは、ジャガー・カーズではなく、ジャガー・デイムラー・ヘリテイジ・トラストという独立した団体だ。トラストは1983年に設立され、1998年にここブラウンズ・レーンに資料館を構えた。

 以前は工場の一角だったが、現在は工場の敷地は売却されており、資料館もいずれはどこかに移動する運命にあるという。トラストはジャガーの歴史的車両を120~130台持っているが、ここに展示されているのは20~30台。移転先でより大きな展示スペースを得られる日を願わずにはいられない。

 代表的な展示車両を写真で紹介する。

資料館の内部ジャガーの創設者、サー・ウィリアム・ライオンズの肖像
ジャガーの前身は「スワロー・サイドカー」というサイドカーメーカーだった。ちなみに写真のサイドカーが付けられているバイクは「2輪のロールス・ロイス」と呼ばれる「ブラフ・スーペリア」サイドカーから4輪のボディー架装に乗り出す。これは大ヒット車オースチン・セブンにアルミの流麗なボディを載せた「オースチン・セブン・スワロー・2シーター」(1928年)
オースチン・スワローが成功し、ボディー架装に本格的に乗り出す。社名をスワロー・サイドカーから「スワロー・コーチビルディング」に変更し、オースチン以外のメーカーのクルマも扱い始めた。写真は「ウーズレイ・ホーネット・スワロー・4シーター」(1932年)初のオリジナル・シャシーのクルマ「SS1 16hp クーペ」(1932年)社名を「SSカーズ」に変更した
ボディー、シャシーからついにエンジンもオリジナルとし、「ジャガー」の名を冠した「SS ジャガー 2 1/2リッター・サルーン」(1937年)社名を「ジャガー・カーズ」に変更。安価な高性能スポーツカーとして成功した「XK120」(1948年)は、DOHCエンジンを搭載する
XK120をル・マン24時間レース用とした「Cタイプ」(1951年)は、初のディスクブレーキを装備XKをベースとしたサルーン「マークII」(1955年)「デイムラー グラフトン フェートン」(1897年)。1960年には高級車メーカーのデイムラーを買収した。綴りは独ダイムラーと同じだが、まったく別の会社
ヨーロッパのツーリングカーレースを荒らし回った「XJ-S TWR」(1983年)時速350kmに挑戦したスーパーカー「XJ220」(1991年)イアン・カラム・デザインの時代の幕開け「C-XFコンセプト」(2007年)
左からDOHCエンジン、V12エンジン、ディスクブレーキ。こうしたハイ・メカニズムを、スタイリッシュなボディーに載せて比較的安価に提供してきたのがジャガー
資料館の裏側の空地は工場だったところ。すでに売却され、再開発されることになっている

(編集部:田中真一郎)
2009年 8月 3日