T型フォード運転講習会に参加してみた
カー・オブ・ザ・センチュリーの理由を体感



 一般のドライバーが「T型フォード」を運転するチャンスを、トヨタ博物館(愛知県長久手町)が提供している。同館の収蔵品であるT型フォードを運転できる「T型フォード運転講習会」だ。

 T型フォード(Ford Model T)とは、言わずと知れたヘンリー・フォードの手になる名車。1908年に発売され、生産を終了したのが1927年。約1500万台も生産されたとはいえ、最も新しいものでもすでに車齢80年以上、紛れもなく貴重なヒストリックカーだ。

 それを運転できるチャンスなどそうはない。この講習会を、Car Watchも受けてみた。

MTが運転できればOK
 講習会の参加資格は「MTの普通自動車以上の運転免許を取得してから3年以上が経過し、日常的に運転をしている」こと。

 博物館の資料を普通の人が触る機会は、一般的にあまりない。クルマのように高価で複雑なものを扱う博物館ならなおさら。それを、特に資格審査もなく運転させてしまうというのは、トヨタ博物館にとっては相当なリスクであるように思えるが、同館の與語美紀子学芸員は「一般の方が展示車に触れる機会があまりないからこそ」T型フォード運転講習会を開催するのだと言う。

 T型フォードは長期間生産されたために、現在も走行可能な台数が多く、パーツも手に入る。トヨタ博物館にもボディー形状の異なる5台が収蔵されているから、こうしたイベントが可能になるとも言える。

 ただし、開催は年に2回、2日ずつ。1日に2回の講習会があり、定員は1回につき2名。つまり、年に16名しか運転できない。狭き門ではある。

コースで参加者を待つ2台のT型フォード。左がクーペ、中央がセンタードア・セダン

現代のクルマとは異なる操作方法
 講習会当日の午後、トヨタ博物館 新館の裏にある走行コースには、2台のT型フォードが引き出されていた。黒の1915年式センタードア・セダンと、緑の1927年式クーペだ。現代のクルマよりも背が高いため、大きく見える。実車に対面して、筆者は身震いがした。「はたしてちゃんと動かせるのだろうか……」。

 講習に先立って、参加者にはT型フォードの運転方法を解説した教材が送られてくる。これで、イメージトレーニングしてから講習に臨むことになっているのだ。

 資料には「T型フォードは、ハンドルとハンドル下に付いた2本のレバー、そして、フロアの3つのペダルを操作して運転します」とある。現代のクルマだって、アクセル、ブレーキ、クラッチの3つのペダルとハンドルで運転するし、シフトレバーもステアリング・コラムから生えていることがある。

 だが、その機能はT型フォードでは大きく異なる。T型フォードのペダルは左からクラッチ、リバース、ブレーキの順で並んでいて、アクセルはステアリング・コラムから右側に生えたレバーを上下させることで操作するのだ。もう1本、左側のレバーは点火時期調整のためにあって、これは講習では使わない、と資料にある。クラッチペダルの説明をよく読むと、シフト操作もこのペダル1本でやるようだ。

 上司や同僚の好奇の目をよそに、編集部のイスに座って、指示通どおにペダルやレバーを動かすように手足を動かしてイメージトレーニングをしてみたのだが、現代のクルマの操作方法との違和感が、募っていくばかりだった。

イメージトレーニング用の教材。T型フォードの概要と、運転方法を説明したイメージトレーニング用のCD-ROM、その内容をプリントアウトしたものなどCD-ROMの中にはパワーポイントのスライドショーが入っており、運転方法を独習できるようになっている
T型フォードのペダル。左からクラッチ(シフトチェンジ)、リバース、ブレーキT型フォードのステアリング。2本のレバーが見えるコースに出る前に、博物館の会議室で運転方法のビデオを見る。文字や図版だけだったイメージトレーニングよりも、よりT型フォードの運転が実感できる

 

講師は車両整備室のお二人、山田晴康さん(左)と井谷幸雄さん。。普段はトヨタ博物館の収蔵車のレストアや整備をしている

見晴らしのよい運転席
 まずはセンタードア・セダンの運転席に“よじ登る”。ファブリックのシートに座ってみると、ズブズブと体が沈み込む。シートというよりはソファーという趣きだ。

 背の高い外観から想像できるとおり、ドライビング・ポジションはアップライトだ。ガラスの面積が大きく、極端に言えば腰から上が露出しているような感覚になる。目の前に計器類はなく、車高が高いこともあって見晴らしは非常によい。助手席には、エンジンの非常停止スイッチと、やはり非常用のブレーキレバーが増設されている。

 現代の車なら、シートの位置をあわせて、ミラーを調整して、となるが、T型フォードではどちらも不要だ。直径45cmはあろうかという大きなステアリングホイールを握ると、グリップが想像よりも太く、ステアリングの重さを感じさせる。

 すでに外部スターターで始動されたガソリン・エンジンの音は、いかにも大排気量・低回転エンジンといった風情で、ディーゼル・エンジンのようだ。

まず始めに乗ったセンタードア・セダン。コストダウンのためにドアは車体中央左右に1枚ずつあるだけだが、これで前席にも後席にも乗り降りできるというのがセンタードアの心。シートは見るからにフカフカ
ルーミーきわまりないコクピット。計器の類は一切見あたらない。助手席前に非常停止スイッチとブレーキレバーが増設されているセンタードア・セダンの後ろ姿。背負ったスペアタイヤが白いことに注目。これがセンタードア・セダン・オリジナルのライン装着タイヤ。強度を上げるためにカーボンを配合してタイヤが黒くなるのはこれより後のことセンタードア・セダンのエンジン。水冷直列4気筒サイドバルブ、2.9リッター。最高出力は20HP(15kW)/1600rpm

 

参加者に先だって、お手本の運転を見せてくれる井谷さん

T型フォード、発進
 右端のブレーキペダルを踏み込み、左手で床から生えているハンドレバーを前に倒す。ハンドレバーは、一番手前に引くとパーキングブレーキ、中間がニュートラル、前に倒すとトランスミッションがギアにエンゲージできるようになる。ペダルやレバー類は、想像よりも軽い。

 そして、左端のクラッチペダルを、ストロークの中間まで踏み込む。クラッチペダルは、中間位置がニュートラル、一番奥まで踏み込んでローギア、離すとハイギアだ。ブレーキペダルから右足を離し、左足でクラッチペダルを一番奥までおそるおそる踏み込むとむずがることなくローギアに入り、センタードア・セダンはゆっくりと前進を始めた。

 アクセルはステアリング・コラム右に生えたレバーで、下に下げるとスロットルを開け、上に上げると閉じる。レバーは動かすとその位置で固定されるタイプで、手を離しても全閉位置に戻ったりはしないから、常に右手の指を添えて操作することになる。レバーを少し下げると、一拍置いてエンジンの回転音が高くなる。現代のクルマのようなアクセルレスポンスはない。

 十分加速したら、シフトアップだ。スロットルレバーを少し閉じて、クラッチペダルの左足からゆっくり力を抜き、離してハイギアに入れる。間髪を入れずにスロットルレバーを開け、加速する。

左端のクラッチペダルを中間まで踏むとニュートラル、奥までいっぱいに踏み込むとローギア。離すとハイギアに入る。つまりT型フォードは2速セミATということになる。クラッチペダルの左に見えるハンドレバーは、手前に引くとパーキングブレーキ、真ん中がニュートラルで、一番前に倒すとギア接続可能になる。ハンドレバーをニュートラルに入れて、中央のペダルを踏み込んでいくとリバースギアが入る

 

スロットルレバーの操作。下に下げるとスロットル開、上げると閉

 コースは150m×20mほどのスペースを周回するもので、ストレートはすぐに終わる。スロットルを少し閉じてエンジンブレーキをかけて減速し、ステアリングを回す。こちらは想像どおりすこし重い。

 スロットルを閉じ、ブレーキを踏み、クラッチペダルを踏んで停止。クラッチペダルとブレーキペダルの間にあるリバースペダルを踏んで後退。とりあえず、どれもイメージトレーニングどおりに運転できた。ステアリング以外の操作系はさほど重くない。

イージードライブがT型躍進の秘密
 助手席の講師、井谷さんが「意外と簡単でしょ」と話しかける。案ずるより産むが易しとはこのことだ。T型フォードはおおざっぱを持ってなる記者の運転にも不平を言うことなく、順調に30~40km/h程度でコースを周回している。ちょっと気を抜くと、アクセルペダルのつもりで右端にあるブレーキペダルを踏み込んでしまいそうになるが、記者は意外にもあまり戸惑うことなくT型を走らせることができた。それもこれも、T型フォードの操作が簡単にできているからこそだ。

 T型フォードがヒットし、長きにわたって作られた理由は、価格や頑丈さなどいくつかあるが、この運転の簡単さもその1つだ。

 この当時のクルマはMTがほとんどだったが、現代のようにシンクロメッシュなどないので、ダブルクラッチでエンジンの回転数をあわせながらシフトチェンジしなければならなかった。倍力装置なしの重いペダルやレバーを操作するのだから、余計に大変だ。

 T型フォードはプラネタリーギアによる巧妙なトランスミッションを採用して、シフトチェンジの手間を大幅に軽減した。これによって、誰でも運転できるようになり、不可欠な移動手段として自動車が定着することになったのだ。

T型フォードのトランスミッションの模型T型フォードのマニュアルにあるトランスミッションの説明図

 

クーペ。医者の往診によく使われたので「ドクターズクーペ」とも。長らく黒しか選べなかったT型フォードも、この頃になるとライバルに対抗するためにカラーバリエーションが用意された

T型フォードの魅力を実感
 しばらくセンタードア・セダンを運転してから、クーペに乗り換えてみる。こちらはセンタードア・セダンよりも12年も年式が新しい(1つのモデルで12年も年式に開きがあるというのがまたすごい)。当初は黒しかなかったT型フォードも、この頃になると緑などのカラーバリエーションが用意される。

 センタードア・セダンの始動は手動のクランクだが、クーペにはスターターモーターが付いている。センタードア・セダンのヘッドライトはアセチレン・ランプだが、クーペは電球だ。各部の操作もセンタードア・セダンより軽い。同じモデルでも、12年の間にさまざまな改良が加えられていったことがよく分かる。

クーペの室内。基本的な操作系のレイアウトはセンタードア・セダンと変らないが、ステアリングホイール右側、インパネ中央にイグニッションキーと電流計があるのに注目クーペのドライバーの足下にあるこのスイッチが電気スタータークーペのエンジンルーム。エンジンのスペックもセンタードア・セダンと同じだが、オルタネーターやホーンが増えているのが見える
センタードア・セダンには電気スターターがないので、フロントに突き出したクランクで始動する。が、2.9リッターもあるとケッチン(クランク始動に失敗したときに食らう反動。ケガをすることもある)が怖い。というわけでトヨタ博物館では写真のような外部スターターモーターを作ったセンタードア・セダンのヘッドランプはアセチレン・ランプ(左)だが、クーペは電気ライトになった
ホイールの違い。左がセンタードア・セダン、右がクーペクーペのスペアタイヤはカバーされていて分からないが、黒い

 センタードア・セダンとクーペでコースを約10周ずつ周り、カフェでの休憩を挟んでまたセンタードア・セダンを運転する。この講習の素晴らしいところは、運転する時間がたっぷりととられていることで、心ゆくまでコースを周回したり、停止や後退を試したりできる。最後のほうになると、コースでは飽きたらず、公道に出ていきたくなった。現代の公道でも、速度の出ない都市部ならT型フォードは立派に通用してしまいそうに思えたのだ。

 
T型フォードの走行シーン。右は車内で撮影したもの

 T型フォードは、“フォーディズム”と呼ばれる大量生産・大量消費の一要素として語られることが多い。なるほど、量産の容易さ、機構の簡便さがT型フォードの大量生産を可能にしたというのは確かなことだ。

 だが、実際に運転してみると、T型フォードそれ自体が、クルマとして非常に魅力的なものだったことがよくわかる。最低限の努力で、自動車による移動の楽しみを味わえるのだ。

 次回のT型フォード運転講習会は、9月10日、17日、10月1日に予定されている。申込み締め切りは各開催日の20日前だ。平日開催で、参加料の5000円のほかに名古屋までの交通費がかかるが、クルマ好きなら仕事を休んで行く価値は大いにあると思う。

講習が終了すると、修了証書と「フォード必携」がもらえる。「フォード必携」は、日本でノックダウン生産されたT型フォード用の日本語マニュアルをコピーしたもの。写真右はその内部

(編集部:田中真一郎)
2009年 8月 18日