レーシングマシンとミュージシャンの競演「DREAM DRIVE DREAM LIVE 2009」 中村あゆみさんらが熱唱し、レクサス「LF-A」などが疾走 |
東京 お台場地区にあるメガウェブで開催された「DREAM DRIVE DREAM LIVE 2009」。今年はレクサス「LF-A」のニュルブルクリンク24時間耐久レース参戦車などが走行した |
2009年9月22日開催
入場無料
シルバーウィークの4日目となる9月22日に、トヨタ自動車のアミューズメント施設メガウェブ(東京都江東区青海)で、「DREAM DRIVE DREAM LIVE 2009」が開催された。このイベントは、アーティストのミュージックライブとレーシングカーの100km/hを超すデモランが一度に楽しめるものだ。今年は6人のアーティストがそれぞれ3~4曲ずつ披露した。
■今年は単独開催で5000人の来場者
DREAM DRIVE DREAM LIVEは、昨年まではトヨタのF1イベントと連続開催され、F1日本グランプリの1週間前に行われていた。また開催日に歩いて10分ほどの距離にある青海臨時駐車場で日本最大級の無料モータースポーツイベント「モータースポーツジャパン」も開催されているなど、ファンが集まりやすい状況だったが、今年は完全に単独のイベントに。それでも昨年より500人ほど多い5000人の来場者を集めた。
デモランのコースは、普段はトヨタの市販車の試乗に使われているライドワンを使用。ライドワンの乗降エリアをピットとし、そこに1960年代から最新のものまで全11台のレーシングマシンが並ぶ。デモランは、ピットを出たら左に直進し、ヒストリーガレージ前の噴水の周囲をグルリと回って折り返す。その後ピット前を再び通過し(この辺りで最高速が出る。マシンによっては150km/hオーバーに)、ユニバーサルデザインショウケース(UDS)方面に。通常のライドワンでは、クネクネとしたインフィールドセクションに入るのだが、そこへは入らず、特別ルートで折り返すと、再びピット前に。各マシン3周するという流れだ。
普段は一般の人が入れないライドワンのコースを囲む芝生エリアが観戦用に開放され、10mあるかないかの目の前を、レーシングマシンが高速で爆音と共に駆け抜けて行くという強烈さである。初めて生でレーシングマシンが走るのを見たという人も多かったようで、なかにはシフトダウン時のエンジン音の大きさに悲鳴を上げている人もいた。
■アーティストのトップバッターは当日発表の隠し球
DREAM DRIVE DREAM LIVEは、アーティストによるミニライブが行われた後、レーシングマシンがデモランを行うというスケジュール。アーティストのトップバッターは、メタルバンドのメガデスにかつて所属していたギタリストのマーティー・フリードマン氏だ。フリードマン氏の出演は、事前予告が行われておらずサプライズゲストとしてメタル調の「君が代」が演奏され、会場のテンションを高めていた。
この時、同時に「セリカ GT-FOUR(ST185)」(1993年製)が走行。WRC(世界ラリー選手権)などのラリー競技で、競技開始前にコースの安全性の最終確認を行う「ゼロカー」を模して走ったようだ。ステアリングを握ったのは、往年のラリーストで1995年に当時WRCの1戦だったサファリラリーで日本人初優勝を果たした藤本吉郎選手。セリカ GT-FOURは、後ほど3周のデモランを行ったが、トップバッターとして1周走った。
ライブステージはライドワンのピットの右側(有明側)に設けられた | ライブステージにあわせて発進するトヨタ セリカ GT-FOUR(ST185) |
トップバッターは、メタルバンドのメガデスの元ギタリスト、マーティー・フリードマン氏 |
続いて、ヨタハチことトヨタ初のコンパクトスポーツカー「スポーツ800」(1965年製)が登場。スポーツ800は過去の同イベントで何度も走っているが、今年登場したのは、若くして事故死してしまった伝説の天才レーサー・浮谷東次郎氏がかつてレースで使用した車両のレプリカ車だ。首都圏唯一のサーキットだった船橋サーキットにおいて、1965年に開催された第1回全日本自動車クラブ選手権レース(船橋CCCレース)で、2位に20秒近い大差をつけて優勝したときの20号車を再現している。
今回ドライブを担当したのは、1960年代から1980年代初頭にかけてトヨタのトップドライバーの1人として活躍した鮒子田寛選手。なお、この日は浮谷氏の実のお姉さんもゲストとして来場し、鮒子田選手や、この後に「2000GT」をドライブする細谷四方洋選手、トヨタ7をドライブする見崎清志選手の4人で、浮谷東次郎仕様車を前にして記念撮影が行われた。なお同車両は、メガウェブ内のヒストリーガレージ1階の常設展示「伝説の天才レーサー浮谷東次朗展」で見ることが可能だ。
スポーツ800浮谷東次郎仕様車。四半世紀前のレースでブッチギリの優勝を決めたマシンのレプリカ | 浮谷氏のお姉さんを囲んで往年の名選手が記念撮影。左から細谷選手、浮谷氏のお姉さん、見崎選手、鮒子田選手 |
スタートを待つ鮒子田選手。左は、元トヨタ特殊開発部所属で、現在はヒストリーガレージのレストアピット所属の斉藤忠夫氏。メカニック歴約45年の匠の中の匠 | 鮒子田選手の手で疾走するスポーツ800 |
続いても1960年代のトヨタスポーツカーの名車で、「2000GT」(1966年製)。ただし市販タイプの2000GTではなく、茨城県筑波市(現つくば市)にかつてあった谷田部自動車高速試験場のテストコースで、1966年10月に行われたスピードトライアルに挑んだ特別仕様車である。同トライアルにおいて、この2000GTスピードトライアル仕様車は3つの世界記録と13の国際記録を打ち立て、その名とトヨタの社名を一躍世界に轟かせることとなった。
2000GTは白のボディーカラーのイメージが強いが、スピードトライアル仕様車は黄とボンネット部の濃緑という特別なカラーリングが施されている。また、市販の2000GTにはないボンネットの穴も特徴的だ。ステアリングを握ったのは細谷四方洋選手。当時のレース活動でトヨタチームのキャプテンを務め、開発も受け持っていた人物である。トヨタのワークスドライバーを牽引する立場であったというわけだ。スピードトライアルの際もキャプテンを努め、ドライバーチームを率いた。このマシンも、ヒストリーガレージに所蔵されている。
2000GTスピードトライアル仕様 | 同車両を正面から。ボンネットに市販の2000GTにはない排熱用と思われる穴が開けられている |
1966年当時、実際にステアリングを握って世界記録を打ち立てた1人である細谷選手が今回のドライブを担当 | 疾走する2000GTの勇姿。流れるようなデザインが今でも魅力的だ |
■女性アーディストのライブの後は、日本のフォーミュラカーが登場
ここでデモランは一段落となり、続いてはライブ。今年4月に「逢いたい…」でソロデビューし、「レコチョク着うたフル」の週間ランキングで2位を記録した女性アーティストのYU-A(ゆあ)さんが登場した。その「逢いたい…」など4曲を披露。ちなみに、YU-Aさんは高校卒業後からずっとクルマの免許を取りたかったそうだが、現在に至っても実現できておらず、次回またこのイベントに呼んでもらったときのためにできるだけ早く取りに行くと宣言していた。
YU-Aさん。10月7日に1stアルバム「You Are My Love」をリリース予定。歌唱力もさることながら、トークもなかなかで、来場者とコミュニケーションを楽しんでいた |
YU-Aさんのライブの後は、小学生レーサー3名による、キッズカートのデモラン。カートというと、遊園地のゴーカートを想像してしまう人もいるかもしれないが、れっきとしたモータースポーツの入門マシンであり、速いマシンになると100km/hぐらい軽く出る性能を有している。今回のデモランもかなり速度の出るカートだ。そんな高性能なカートを、小学生レーサーたちは手足のように操り、曲芸乗りのような走りをピット前で3人で連携して披露。そのままライドワンのコースに沿って全開走行を開始し、ピット前のストレートに戻ってきたときは、2台がかなりの近距離で並走しているという、初めて見た人ならヒヤヒヤするような迫力ある走りを披露していた。
キッズカートで使用された3台の車両 | ピット前では曲芸乗りのような走りも披露し、3台が連なって走っていった |
次は、F1と同じ4輪がむき出しの構造をした、F3(フォーミュラ3)マシンの登場。F3は、F1の下位クラスとなるGP2シリーズ(欧州やアジアで国際的に行われているレース)や日本最高峰のフォーミュラ・ニッポンの下に位置するカテゴリーで、世界統一レギュレーションの下、日本を含めてモータースポーツの盛んな国や地域で多数の選手権が開催されている。ミハエル・シューマッハや故アイルトン・セナなど、F1で頂点に上り詰めた選手たちも若い頃に腕を磨いたカテゴリーで、ここで頭角を現してF1にステップアップしていった。
今回走行した「レクリス トムス F307」(シャシーは伊ダラーラ製)は、そんな世界中のF3選手権の強豪選手たちが一堂に会して世界一決定戦として行うマカオGPの2007年大会(第54回大会)で、オリバー・ジャービス選手が駆って優勝したマシン。ジャービス選手は同年トムスチームから全日本F3選手権に参戦し、マカオGPにも同チームと共に挑戦した。その際、大きな武器になったのが、チームがチューニングしたトヨタ製エンジン「1AZ-FE」(直列4気筒2000cc、210馬力以上)。トヨタエンジンを載せているので、レクリス トムス F307は、トヨタのレーシングカーの1台というわけである。ちなみに、トムスはフォーミュラ・ニッポンやSUPER GTにも参戦する名門チームで、全日本F3ではカテゴリーそのものを牽引している存在だ。監督を務めるのは、後ほど登場する「カストロール トムス スープラ」をドライブする往年の名ドライバー関谷正徳選手。2008年には同チームからマカオGPに参戦した国本京佑選手が、日本人では佐藤琢磨選手に次いで2人目、全日本F3所属日本人選手としては初のウィナーとなっている(チームとしては2年連続)。その京佑選手の実弟の国本雄資選手が、今回、レクリス トムス F307をドライブするというわけだ。雄資選手は、今年は全16ラウンド(1サーキットで土日に1レースずつ計2レース行われる)が開催される全日本F3に参戦しており、現在ランキング3位。逆転王座獲得の可能性があり、今週末の9月26日、27日には15戦、16戦(最終戦)がスポーツランドSUGOで開催される。
続いて走行した車両は、日本最高峰のカテゴリーであるフォーミュラ・ニッポンにおいて、今年から使用されている新型マシン「FN09トヨタ」のテストカーだ。フォーミュラ・ニッポンはF1のすぐ下のクラスとして、かつて存在した全日本F2選手権、その後の全日本F3000選手権の流れを汲むカテゴリーで、今年も全8戦で日本最速の座をかけて争われている(9月26日、27日に最終第8戦がスポーツランドSUGOで開催)。F1直下のカテゴリーといわれるGP2シリーズとほぼ同等の位置づけで(レギュレーションは同じではない)、先ほど走ったF3の上位クラスにあたる。最高速は300km/hオーバーで、今回集まったマシンの中では間違いなく最速。フォーミュラ・ニッポンでは、今年から新コンセプトのもとに米スウィフト・エンジニアリングが独自に開発した新型車両のFN09を利用しており(F1のようにチームごとに独自のマシンではなく、全チーム同一車両で戦う)、昨年からテストを行っていた1台がこのカーボン地むき出しのFN09トヨタだったのである。FN09の後ろにトヨタとつくのは、トヨタエンジン「RV8K」が搭載されているから。エンジンも今年から新開発され、V型8気筒3400ccのRV8Kは、600馬力以上を絞り出す。トヨタ製のほかにはホンダ製の「HR09E」もある。今回のドライブを担当したのは、トヨタ陣営の1人である立川祐路選手。立川選手はフォーミュラ・ニッポンでは現役最古参の選手で、今週末の最終戦では参戦100戦目に到達する。元祖イケメンドライバーと言われており、女性人気の高い選手だ。
FN09トヨタのテスト車両。フロントウイングも特徴的で、前走車の後方乱流の影響を受けにくい形状となっている | FN09トヨタを正面から。サイドポンツーンやリアウイングの形状にも特徴がある |
今回集まったマシンの中では、最速を誇るFN09トヨタ。ピット前ストレートの通過速度も速い | ドライブしたのは立川祐路選手。いつもファンに囲まれていた |
■アコースティックライブに続いたのはトヨタ往年のレーシングマシン
ここでデモランは一区切り、再びライブに。3人目のアーティストは、福井舞さん。昨年、ドラマ「恋空」の主題歌「アイのうた」でデビューし、150万ダウンロードを突破し、日本レコード大賞ほかで新人賞を総なめにした女性アーティストだ。福井さんはギタリストと一緒にステージに登場し、アコースティックギターの調べに乗って「アイのうた」などを熱唱した。
2008年の日本レコード大賞などで新人賞を受賞した福井舞さん。1stアルバム「MY SONG FOR YOU」が発売中 | ステージ上の男性ギタリストの奏でるアコースティックサウンドに乗せて福井さんは歌った |
福井さんのライブが終わると、再びトヨタのレーシングマシンのデモラン。今度は、トヨタ初の本格プロトタイプレーシングカー「トヨタ7」だ。トヨタ7は複数のマシンがあり、1968年に実戦投入されたV型8気筒3000cc車が最初のマシン。今回走行した車両はその改良型で排気量が5000ccにアップされており、1969年に登場した。同年の日本Cam-Amという大きなレースで優勝を飾っている。今回ステアリングを握ったのは、1960年代からレース生活をスタートさせ、2000年にはスーパー耐久シリーズに参戦していたという非常に長いキャリアを持つ見崎清志選手。かつて、実際にトヨタ7のステアリングを握ったこともあり、映画「ヘアピン・サーカス」に出演したこともある。
トヨタ7。1969年製のトヨタ初のプロトタイプレーシングカーだ | トヨタ7を正面から。サイズ的にはそれほど変わらないはずだが、そのデザインのためか、ほかのマシンよりずっと大きく見える |
疾走するトヨタ7。40年前のレーシングカーが快調に走れることは驚異的といっていい | ドライブしたのは見崎清志選手。ジェットヘルにゴーグルというスタイルは今のレースでは見られない |
次は1990年代のマシン。かつて存在したカテゴリーであるSWC(スポーツカー世界選手権)の1992年開幕戦モンツァ(イタリア)で、小河等氏とジェフ・リース選手がコンビを組んで優勝を果たした「トヨタ TS010 デンソー」だ。残念なことに小河氏は、その後の5月にフォーミュラ・ニッポンの前身である全日本F3000選手権のレースにおいて事故で他界してしまう。
1カ月後に行われたル・マン24時間耐久レースでは、トヨタは3台のTS010を参戦させ、カシオカラー(水色と白)に塗られた36号車が2位を獲得。ピエル・アンリ・ラファネル選手、ケニー・アチソン選手とトリオを組んだ関谷正徳選手が、日本人で初めてル・マンの表彰台に立つという快挙を成し遂げた。そして、亡き小河氏の遺影と共に表彰台に上がったという逸話は有名である。今回走るのは、そのときに参戦した7号車で、実際にその7号車をドライブした片山右京選手がステアリングを握った。片山選手は元F1ドライバーということもあり、今回登場したドライバーの中でも特に人気が高く、パドックウォーク時はサインを求めるファンが鈴なりとなっていた。
トヨタカラーの赤と白に塗られたTS010 デンソー。15年以上前のマシンとは思えないほど美しいデザイン | TS010 デンソーを正面から。そのスタイルから、「貴婦人」とも呼ばれた |
ピット前を駆け抜けるTS010 デンソー | 実際にTS010 デンソーでル・マンを戦った片山選手がステアリングを握った |
TS010 デンソーの後は、オープニングで1周だけ藤本吉郎選手が走らせた、セリカ GT-FOUR(ST185)。今度はほかのマシンと同様に3周だ。ST185は1992年のWRC世界ラリー選手権の開幕戦モンテカルロラリー(モナコ)でデビューし、翌年は同カテゴリーで8勝を挙げ、トヨタは日本メーカーとしては初のマニファクチャラーズ(チーム)チャンピオンを獲得した。しかも同時に、今回走行する6号車に乗ったユハ・カンクネン選手がドライバーズチャンピオンも獲得し、ダブルタイトルに輝いたという実績がある。ちなみに藤本選手は、毎年このイベントでST185か、ひとつ前のST165を走らせているのだが、ラリーストの本能ともいえる(?)ドーナツターンを必ずピット前で行う。路面にタイヤ痕の円を何重にも描きまくってファンサービスをするのだ。しかし、駆動系に負担がかかるため、今回はメカニックから厳しく禁止令を言い渡された模様。フィナーレ時の一言コメントでは、「とあることをできなかったので、フラストレーションが溜まっています(笑)」とコメントしていた。
セリカ GT-FOUR(ST185)。6号車はユハ・カンクネン選手が搭乗した1台 | ST185を正面から。今年は走行時刻が早く、あまり暗くならなかったためにライト点灯はなかった |
ST185をドライブする藤本選手。自身が乗った3号車はヒストリーガレージ1階の噴水前テラスで展示中 | いつもは、ピットへ戻る個所でグルグルとスピンターンを行う。残念ながら今年はなかった |
1990年代マシンの中で最後を飾るのは、「カストロール トムス スープラ」。現在、日本で最も人気のあるカテゴリーであるSUPER GTの前身の全日本GT選手権で、1997年にチャンピオンマシンとなった1台だ。すでに生産が終了してしまったが、かつてトヨタのラインアップに存在したスポーツモデルの「スープラ」をベースにしたGT仕様のレースマシンである。実際に1997年に36号車をドライブしたのは、ミハエル・クルム選手と、ペドロ・デ・ラ・ロサ選手の2人。今回のイベントでステアリングを握った関谷正徳選手は、鈴木利男選手と組んで37号車を担当し、1997年のランキング3位となった。関谷選手は、デモランでかなり入念にブレーキとタイヤを暖めており、1回目のピット前通過の際には、スピードを抑えているだけでなく、数回ブレーキを踏んで白煙を上げるということを繰り返していた。ちなみに、関谷選手はトヨタ系のレーシングスクールのフォーミュラトヨタの校長も務めており、F3マシンを走らせた国本雄資選手も教え子の1人である。
カストロール トムス スープラ。セリカ GT-FOURと同じ白地に赤と緑のラインのカストロールカラーだ | スープラを正面から |
ピット前のストレートを駆け抜けるスープラ | 関谷正徳選手(左)と片山右京選手のツーショット |
続いてはSUPER GTに参戦しているGT500クラスの6号車「ENEOS SC430」。SUPER GTは、基本として2ドアの市販車をベースに改造を施したレーシングカーで争われており、国内で最も人気のあるレースカテゴリー。今シーズンは海外1戦を含む全9戦のスケジュールだ。GT500とGT300と、馬力の違いで2クラスに分けられており、性能の異なるマシンが混走する点も特徴となっている(順位はクラスそれぞれ別)。とくにGT500クラスは、トヨタ(今年は「レクサス」ブランドで参戦)、日産、ホンダの3大メーカーがワークス体制で争っており、その点も人気のポイントとなっている。トヨタは、レクサスの2ドアクーペ「SC430」をベースにしたGT500仕様のレーシングカーでここ数年は参戦中だ。
今年はレギュレーションが大幅に改正されたことから、2009年型のSC430は、2008年型からかなり外見が変わった。ワイド&ローになり、より低重心で迫力が増した形だ。また、エンジンもフォーミュラ・ニッポンのRV8Kの改良型の「RV8KG」を新たに搭載している。SC430は、今年は5台が参戦しており、ENEOS SC430もその中の1台として、「LEXUS TEAM LeMans ENEOS」が走らせている。今回のイベントでENEOS SC430をドライブしたのは、伊藤大輔選手。伊藤選手はLEXUS TEAM LeMans ENEOSの一員として、ビヨン・ビルドハイム選手とコンビを組んで2009年のGT500クラスに参戦中だ。現役のGTドライバーが、自らが乗るその年のマシンで走ってしまうところが、このイベントのすごいところの1つだ。SUPER GTはあと2戦を残しており、王座争いもいよいよ大詰め。次回第8戦は大分県オートポリスで10月17日、18日に、最終戦の第9戦は栃木県ツインリンクもてぎで11月7日、8日に開催だ。
2009年シーズン用のENEOS SC430。ENEOSカラーのオレンジが目立つ1台だ | 今シーズンのSC430は昨年のマシンと比べると、横幅が広がり、そして低重心化がなされ、印象が若干変わった |
ストレートを駆け抜けるENEOS SC430。フォーミュラ・ニッポンと遜色のないスピードを出していた | デモラン終了後にコックピットから出てきてファンに手を振る伊藤大輔選手 |
■新ジャンル・ポップオペラの藤澤ノリマサ氏の歌に送り出されたのはレクサス LF-A
いよいよライブもデモランも共に終盤。ENEOS SC430の後にステージ上に立ったのは、オペラの歌をポップの曲に乗せて歌うという、両ジャンルを融合させた「ポップオペラ」という新機軸を切り開いた藤澤ノリマサ氏。圧倒的な声量のヴォーカルでオペラらしさを有しながら、曲はアップテンポなポップという、文章だけの説明だとミスマッチ感があるが、これが予想外に“手軽に聞ける、ノリのいいオペラ”という感じで相性がよい。このDREAM DRIVE DREAM LIVEは往年の名車が走るため、荘厳な雰囲気のオペラは非常にイメージとしてあっており、毎年オペラ系のアーティストが参加しているのだが、今年の藤澤氏も間違いなくよい雰囲気だった。
11月4日に発売するニューシングル「Dommani~明日をつかまえて~」も歌った藤澤ノリマサ氏。非常に熱心なファンが詰めかけていたようで、ここまでの登場アーティスト中では最も声援が飛んでいた |
藤澤氏は、自分の歌声とレーシングカーのエンジンを絡めたいという要望を出していたそうで、最後の曲の終盤には、この日の本命マシン「レクサス LF-A」の2009年ニュルブルクリンク24時間耐久レース出場車両がエンジンスタート。TS010 デンソーなども高回転型エンジンのため、エキゾーストノートが楽器のようにも聞こえるほどだが、LF-Aもかなりエンジンが高回転まで回るようで、曲にマッチしていた。LF-Aは2005年のデトロイトモーターショーで発表され、現在も開発中のプレミアム2シータースポーツカー。非常にスタイリッシュで高級感あふれる1台である。しかし開発中にもかかわらず、昨年はカーボン地にカーナンバーを貼った程度のステルス風スタイリングで、突如ニュル24時間レースに出場して周囲を驚かせた。しかも、チームの中には「モリゾウ」選手こと現トヨタ自動車社長の豊田章男氏もドライバーとして加わっており(当時は副社長)、そのことも話題に。今年のニュル24時間ではカラーリングが施され、レーシングカーらしくなったのがポイントだ(リア側は相変わらずマットブラック)。ちなみに、今年もモリゾウ選手はチームの一員としてステアリングを握っている。この日のLF-Aは、実際にドライバーの1人としてニュル24時間を戦った、モータージャーナリスト兼レーシングドライバーの木下隆之選手がドライブを担当。LF-Aに関しては、エンジン音や走行シーンを映像でも収録したのでご覧いただきたい。
レクサス LF-Aのニュルブルクリンク24時間耐久レース2009仕様のエンジン音 |
デモランを行うLF-A |
■最後は大物アーティストが2連続でライブ
今回の目玉であるLF-Aのデモランが終わった後は、ピット前が一般来場者にも開放され、ステージ前でライブを見られる状態に。ステージ前には、LF-AとF1マシンを展示した。
登場したのは、レゲエミュージシャンのTELA-C氏のユニットINFINITY16。TELA-C氏は、2007年3月にニューヨーク開催された、世界ナンバー1決定戦のサウンドクラッシュ(レゲエミュージシャンたちがスタートさせた、ユニットとユニットが音楽で勝負するという一種のコンテスト)の「GARRISON SHOWDOW」に日本代表として出場し、見事に優勝を果たしたという、ワールドクラスのレゲエミュージシャンである。曲は、8月末に発売したばかりの、若旦那 from 湘南乃風&JAY'EDを迎えたコラボレーションソング「伝えたい事がこんなにあるのに」などが披露された。
LF-Aの走行が終わった後は、ピット前を開放し、ライブ会場状態に | INFINITY16のTELA-C氏。日本人ながらワールドクラスの実力を持つレゲエミュージシャン | TELA-C氏は一段高いステージで演奏した |
そしてライブの大トリは、母親として、ミュージシャンとしてがんばっているアラフォーアーティストの中村あゆみさん。1985年に「翼の折れたエンジェル」が大ヒットし、その後、結婚、出産を経て2004年から再始動した女性ヴォーカリストだ。もちろん、「翼の折れたエンジェル」などを熱唱した。なお、愛車は「トヨタ ヴェルファイア」だそうで、トヨタファンだそうだ。シングルマザーとしてのたくましさか、「トヨタ車のCMに出たいです!」と強烈なアピールもしていた。ちなみに、片山右京選手は、いつもは次の仕事が忙しいために自分の出番が終わった後は会場を後にしてしまうことが多いのだが、今回は中村あゆみさんの歌を聞きたかったそうで、「いつもはすぐ帰っちゃうんですけど(笑)、今日は中村さんの歌を聞きたくて最後まで残っちゃいました」とコメントしていた。
DREAM DRIVE DREAM LIVE 2009の大トリとして登場した中村あゆみさん | ステージ前を開放したことで、ステージ前で観客が大盛り上がり | トヨタのCMに出たいという中村さん。愛車はヴェルファイア |
そしてフィナーレは、この日ドライバーを努めた全選手と、別のイベントに参加するためにメガウェブを後にしたINFINITY16のTELA-C氏を除いた全アーティストがステージ上に集合して一言コメントを述べ、記念撮影。片山選手と関谷選手が、中村さんのすぐ隣をゲットするべく激しいポジション争いをしているようにも見えたが、両脇に収まって大団円となった。
ドライバーがステージに集合。今年は最後まで全選手が残っていた | ドライバーとアーティストが一緒に記念撮影。右下の関谷選手、中村さん、片山選手の辺りでバタバタが |
メガウェブでは、10月4日に、今回も走ったスポーツ800に同乗試乗できる「ヨタハチ同乗試乗会」が開催される。13時30分から16時30分まで15分置きにスタートし、受付(乗車)場所はトヨタシティショウケース2階メガビジョン下と、ヒストリーガレージ1階入口の2カ所。予約が必要で、前半の6回分(13時30分~15時)は当日11時から、後半の5回(15時15分~16時30分)は当日14時30分から受付開始となる。試乗は有料で1人300円。12台のスポーツ800が揃えられる予定だ。
(デイビー日高)
2009年 9月 25日