車載Networkの話(6)「DSI/PSI-5」
まだ車載Networkの話が続くのか、という読者も居られようが、今回で一段落。今回ご紹介するのは、エアバッグシステム専用のNetworkである。「なんでエアバッグにNetwork?」という向きも居られようが、これはエアバッグシステム自身の進化に関係している。
最初のエアバッグシステムは、概ね図1のような構造である。車体前面に衝撃センサーを設置、そこからやや奥まった場所にECUが配され、センサーが衝突を検知したら直ちにエアバッグにFireing Powerを送る。
図1 |
ご存知かと思うがエアバッグは内部に少量の火薬が内蔵されており、ここに電気式の点火プラグが取り付けられている。Fireing Power、つまり着火に必要な電力が供給されると、火薬が爆発、その勢いでエアが放出されてエアバッグが膨らむという仕組みである。
実を言うと、初期のエアバッグユニットの中には、自身で加速度センサーを内蔵しており、一定以上の加速度がかかったら自動的にエアバッグを展開するなんてものもあったのだが、後述するように最近はエアバッグに求められる要件が複雑になってきたことと、価格低減などの目的で、センサーは別になっていることが多い。
さて、ここから段々話は複雑になってゆく。最初は正面衝突だけを考えればよかったのだが、斜めとか側面の衝突への対応、あるいは単に上半身だけではなく足の保護なども要件として追加されるようになってきた。この結果として、例えば運転席と助手席には上半身用のエアバッグ以外にニー用エアバッグ(助手席の足元から展開する)、サイドエアバッグ(左右ドアから展開する)、カーテンエアバッグ(ドアのピラー、もしくは天井から展開する)などが追加され、斜めとか側面からの衝突にも対応できるように配慮されている。
加えて言うならば、エアバッグ自体に求められる機能も変化してきている。かつては、とにかく衝突を検知した瞬間というのは既に衝突が始まっている状況なので、エアバッグには「とにかく早く展開する」ことが求められた。ただ早く展開するということは、エアバッグを受ける人体側への影響も大きいという話である。
例えば腕を交差させた状態でステアリングを握っている時にエアバッグが作動すると腕が折れるとか、ベビーシートを後ろ向きに付けて赤ちゃんを乗せている状態でエアバッグが作動すると、ベビーシートが折れて赤ちゃんにダメージが及ぶ危険性がある、なんてのがこの「早く展開すること」の弊害で、ただそれでもエアバッグなしよりもずっとマシだからということでこのあたりは運用でカバーする(ステアリングは腕を交差させて握らない、ベビーシートはちゃんと前向きに装着する、etc……)という形でこれまでは利用されてきていた。
ただ、もし展開までの時間がもう少し取れるのであれば、もう少しゆっくり展開させることも可能だし、また複数のエアバッグが装備されてくると、「どのエアバッグをどの順に展開するか」などの配慮も必要である。さらに、衝突方向が正面なのか側面なのか斜め前なのか、などによっても展開順序が変わってくる。このため、単純に「衝撃を受けたら展開」というだけでは要件を満たさなくなっている。
幸いに、車体安全装備の機能向上がこれをサポートしている。まだ高級車の一部に留まっているが、プリクラッシュ(衝突が実際に起きる前にこれを検知し、可能な限り被害を減らす仕組み)に対応した車種では、衝突が実際に起きる前にエアバッグを展開させることも可能となっている。この場合、実際の衝突までには時間があるから、展開速度をやや下げることも可能である。勿論エアバッグは基本的にすぐ空気が抜けるから、2秒も3秒も前に展開していたら肝心な時には空気が抜けて使い物にならない。せいぜいが0.2秒の展開を0.4秒にするとかその程度のオーダーで、まだ1秒前までは行ってなかったと記憶している。
また、やはりプリクラッシュの機能の中には可能な限り車速を落とす(自動でブレーキングする)とか、乗員へのダメージの少ない(=車体が衝撃を吸収しやすい)角度で衝突するようにするといった機能を持ち合わせているものもあり、こうしたケースでは「どの角度から衝撃がくるか」を事前に判断できる。
勿論、全ての場合で確実にプリクラッシュが可能、というわけではない。例えば追突されたとか、見通しの悪い交差点で出会い頭に衝突、なんてケースでは今のところプリクラッシュもへったくれもないので、この場合はやはり衝撃センサーに頼る必要がある。という訳で、最近のエアバッグシステムは図2のように複雑なものになっている。実を言うと、実際にはこれに加えてさらにシートベルトの制御(エアバッグが展開する前にシートベルトを締めることで乗員を椅子に沿わせる)もあるのだが、図が複雑になりすぎるだけなのでここでは割愛した。
図2 |
ここからNetworkの説明……をする前に、もう少し寄り道して背景を少し紹介したい。Photo01~04はちょっと古いが、2011年6月にFreescaleがFTF 2011というイベントの「Safety for Everyone」というテクニカルセッションで公開したプレゼンテーションからの抜粋である。
そもそも何でここまで安全方向を強化するか? といえば、自動車事故による死者が割と洒落にならないと推定されているからである(Photo01)。で、2009年における国別の事故率や死者の率、あるいは死亡率の増減をまとめたのがこちら(Photo02)である。先進国(アメリカ・ドイツ・日本)と途上国(中国・インド・ブラジル)を比較した場合、死亡率の傾向も明確に違うし、死亡率そのものがだいぶ異なっているのが判る。
では先進国はどうして死亡率が下がっているか、といえばこれは安全装備の差である。Photo03はヨーロッパ全体の路上事故における死者数をまとめたものだが、1995年あたりにエアバッグが普及し切ったことでまず死者を2万人ほど減らし、そこからESP(横滑り防止装置)の搭載が進んだことでさらに2万人弱の減少が実現した。この先はACCやADASといったさらに先進的な安全装備によって、2020年には1万人強まで死者を減らせる、という推定が出ている。
要するに、安全装備を充実させれば(事故は起きても)死者は減らせるし、さらに事故そのものも減らせればさらに死者が減るという話で、先進国ではこれが広範に実現されているからこそ死者が少なくなっている、ということだ。
で、こうした安全装備の国別の普及率は? というのがPhoto04である。途上国は中国しかないのであれだが、先進国だととにかくエアバッグはほぼ100%近い普及率なのに中国は2011年でも8割を切っている程度。またESPはヨーロッパやアメリカではかなり普及しており、日本もまもなく単なるABSから車体全体を総合的に制御するESPが主流になるというのに、中国では引き続きABSがメインということが示されている。
要するに途上国ではこうした安全装備にコストがかけられず、それが高い死亡率に繋がっているというのがメーカーの認識であり、このため安全装備の性能を落とさずにコストをいかに落とすか、が特にこうした途上国向け装備における主要なテーマになってきている。
ということでやっと本題のエアバッグ用のNetworkである。図1のようにエアバッグユニットそのものがごくわずか、というケースではともかく、ある程度の個数が配されるようになると、ECUからそれぞれに直接配線を行うよりも、Networkにして繋げたほうが管理も楽である。
同様にエアバッグを起動するための衝撃センサー(実際は複数の加速度センサーを組み合わせて構成される)も、やはりNetworkの形で繋ぐ方が楽である。こちらは全方位からの衝撃に対応するため、車体全周にわたって配置されるから、これまた個別に配線をするよりもNetworkにした方が配線を簡素化できる。
さて、このエアバッグ用のNetworkには大きく2種類の規格がある。ひとつが欧米で主流の「PSI5」(Peripheral Sensor Interface 5)、もうひとつが日本で普及している「DSI」(Distributed System Interface)である。
PSI5はPSI5 organizatioが仕様を策定するもので、スウェーデンのAutoliv、ドイツのRobert Bosch GmbHとContinental Automotive GmbHがSteering Committee(運営委員会)を勤める。
一方DSIはDSI Consortiumが仕様を策定しており、こちらは米TRWと米Freescale、それに日本のデンソーがFounding Members(創立メンバー)となっている。
Photo05:これは2008年9月に開催されたFreescale Technology Forum 2008 Japanにおけるセッション資料からの抜粋。この翌年にDSI Consortiumが設立された |
ただ、両者は対立しているか? というとそうでもなく、例えばPSI5 organizationのAssociated MembersにはTRWとFreescaleが名前を連ねており、一方DSI ConsortiumのAdaptersにBoschの名前があるなど、メンバーには結構重複がある。Freescaleに至ってはPSI5とDSIの両方の製品をリリースしているほどだ。Photo05は両方のバスを比較したものだが、最大値はともかくとして基本的には大きな差はない、と考えてよいだろう。ではなぜ両者が一本化されないか?というと、これは技術的以外な要因が大きい。未だに世界の道路で右側通行と左側通行が混在しているようなものである。
さて差異はともかく、どちらの規格においても基本的な構成は変わらない。信号は2線式で、細い撚り対線で構成される。複数のエアバッグユニットをディジーチェーン式に繋ぐことができるので、配線の簡素化も図れる。
通信速度は概ね125Kbps前後といったところでかなり遅いが、エアバッグの動作に求められるのは0.1~0.2秒程度の間に展開できることであり、100Kbpsあれば0.1秒の間に各エアバッグユニットに対してそれぞれ300Byteほどの命令を送ることができるので、これで十分である。むしろスピードを遅くしたため、ノイズなどへの耐性を高めることができたとしている(誤動作は命取りになりかねないだけに、これは重要である)。
Photo05には「点火バス」という言葉が出てくるが、これはエアバッグユニットの点火プラグへの電源供給の意味である。PSI5では配線とは別に点火用の電源が必要で、実はDSIもこれは同じ(拡張は技術的には可能だが、その分配線が太くなってしまい得策ではない)である。現在のエアバッグユニットでは、点火の一瞬にかなりの大電流が流れるため、これと信号は分離したほうが無難、という判断だそうだ。どっちみち点火に利用できる12Vラインは車の中全体に配線されているから、点火用電源はそちらから採ることにして、PSI5なりDSIは点火の管理そのものに専念する、という訳だ。
純粋に技術的に見れば、PSI5もDSIも、1本の配線にもっと沢山のエアバッグユニットをぶら下げたり、もっと高速に通信をさせることも可能であるが、それをすると配線のコストや部品のコストが上がり、途上国向けでの採用が進みにくくなる。ぎりぎり必要な性能に絞り込むことでなるべくコストを抑え、その分広く採用が進むようにする、というのがエアバッグ向けNetworkの最大の特徴と言ってよいだろう。
■カーエレWatch バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/cew/
(大原雄介 )
2012年 7月 4日