米国のF1チーム「USF1」の目論見(パート2)

 2010年からのF1参戦を目指す「USF1チーム」だが、本拠地をヨーロッパではなくアメリカに置くという。ヨーロッパにも施設を選択中だが、それはシーズン中の移動のための前進基地でしかなく、車両開発や経営といった中枢機能はすべて、ノースカロライナ州シャーロットに置くとしている。

 これはF1の常識を大きく覆すものだし、レース界の常識をもひっくり返すことになる。

モータースポーツの最先端はシャーロットに
 現在参戦中のF1チームのうち、ヨーロッパ大陸に本拠地を置くのはフェラーリ(イタリア)、トロロッソ(イタリア)、トヨタ(ドイツ)のみ。あとのF1チームはすべてイギリスに本拠地を置いている。IRL(インディカー)のシャーシーメーカーであるダラーラはイタリアだが、部品の多くをイギリス製に依存している。かつてのGフォース、ペンスキーなどは、インディカーを設計製作するためにイギリスに本拠地を設置したほど。

 イギリスは、モータースポーツに特化した産業が盛んで、産業革命が起こったミッドランド地方から、オックスフォード周辺を経て、ロンドン南西部に到る一帯は、モータースポーツのための高度な製品を多品種少量生産できる企業がたくさんある。このエリアをコンピューター産業で世界をリードするアメリカのシリコンヴァレーになぞらえて「モータースポーツシリコンヴァレー」と呼ぶようになり、最近では「モータースポーツヴァレー」とも呼ばれている。

 こうしたスペシャリスト企業の大部分が、MIA(英国モータースポーツ産業会)という団体に属しており、イギリスのモータースポーツ産業は英国政府も重視する重要輸出産業であり、外貨獲得と雇用創出の柱にもなっている。

 ここまでイギリスがモータースポーツ産業とテクノロジーをリードできたのは、第2次大戦後、それまで世界のトップを行っていた航空機産業が急速に衰退し、F1を中心としたモータースポーツ界がその優れた人材と下請け企業の受け皿になったからだ。

 一方、アメリカでのモータースポーツ技術と産業をリードしてきたのは、1911年からの伝統を誇るインディ500があるインディカーだ。そのため、モータースポーツ産業の中心はインディカーチームが集まるインディアナ州(とくにインディアナポリス周辺)かテキサス州とされてきた。また、参戦チームを支援する関係から、自動車メーカー3社が集まるミシガン州デトロイト周辺も中心地とされてきた。

ストックカーで競われるNASCAR(写真提供:Toyota Motosports)

 ところが、近年ではNASCAR(ストックカー)レースのほうが全米の人気を集めるようになり、アメリカのモータースポーツ産業の中心がノースカロライナ州シャーロットに大きくシフトした。シャーロットには、NASCARのスプリントカップ、ネイションワイドシリーズというトップシリーズに参戦する全チームの本拠が集まっている。これは、ある歴史的な出来事と密接にかかわっていた。

 1920~30年代のアメリカには酒類の製造と販売を禁じた禁酒法があった。そのため、アメリカ南部では密造酒作りが盛んになった。

 その密造酒を運ぶための特殊な車両を作る技術も発達した。外見は普通の自動車でも、中身は密造酒を隠せるスペースがあり、しかも警察の追っ手が来たら、州境まで逃げ切れるだけの高性能も秘めたものだった。こうした密造酒運搬車両メーカーが集まっていたのがシャーロットだった。そのため、見た目は一般車ながら中身は高性能車というストックカーを作る技術的土壌があった。

 現代のNASCARのトップカテゴリーでは、激しい競争の中で高度な技術がふんだんに使われている。15年ほど前からシャーシーフレームの剛性とロードホールディングの両立を図るために、スーパーコンピューターによる応力解析も行なっていた。冷却水やオイルの圧送によるエンジンのパワーロスを減らすために、やはりスーパーコンピューターを利用してCFD(コンピューターによる流体力学)で、エンジン内部の冷却水路とオイルの流路を最適化する技術開発も行なっていた。これは、F1よりも先行した技術だった。

 最近のNASCARの上位チームでは、F1チーム並みの風洞実験や、シャーシーシミュレーションも行うところも増えている。これに呼応して、こうした技術を支えるハイテク産業がシャーロットに集まっている。その上、周辺の大学には、風洞やシャーシーテスト装置など、自動車メーカーやF1チームと同等の設備を備えているところも増えた。アメリカがバブルだったときに潤沢な資金をもとに研究設備を充実化し、研究内容もモータースポーツや自動車技術のより高度で実践的なものを扱うという大学も多い。

 NASCARチームと同様に、USF1も大掛かりな研究開発設備を作らなくとも、大学の研究設備をレンタルしたり、共同研究もできたりするはず。すると、低コストで、スカンクワークスのように効率の良い小型な組織が実現できるだろう。

環境志向時代のモータースポーツ技術はアメリカから
 USF1にとってアメリカは、有望な人材も得やすいところだ。

 アメリカに本部を持つ乗り物に関する技術学会であるSAE(Society of Automotive Engineers)は、1978年から大学生に小型のフォーミュラカーを設計製造させる競技「フォーミュラSAE(FSAE)」を開催している。この競技は、設計開発能力を競うもので、現在はミシガン、カリフォリニア、ヴァージニアで競技を行い、200校ほどが参戦し、多くの優秀な人材を自動車メーカーや、F1、IRL、NASCARに送り出している。

 この競技に参加する学生の最高の憧れはF1であり、自動車業界に元気がない今のアメリカにF1チームができれば、そこに優秀な学生が殺到するはずで、チームはよりよい人材を選べるだろう。また、FSAEから派生したフォーミュラ・ハイブリッドという競技もあり、そこにはF1に必要なKERS(運動エネルギー回生システム)の開発にも大きな貢献ができる学生や大学がいる。

 SAEもシャーロットを重視し、2008年からモータースポーツ技術学会(MSEC)の会場をデトロイトからシャーロットに移した。

FSAEの参加車両。オールドファッションなマシンもあれば、空力を追求した最先端マシンもある名門MITのチームもFSAEに参戦しているが、まだ優勝していないFSAEではコンピューター駆使は当たり前。F1がトラクションコントロールを禁じていた時代にも、FSAEではフルトラクションコントロールマシンがいっぱいいた
2008年のモータースポーツ技術学会の主要メンバー。前列中央がスピードTVのキャスターだるボブ・ヴァーシャ。その右が元クライスラー・ランボルギーニF1テクニカル・ディレクターで、現FSAEルール委員長のマイケル・ロイス。後列右端はHANSを発明したボブ・ハバード博士

 MSECは1994年以来、1年おきに開催され、FIA(国際自動車連盟)、IRL、NASCAR、NHRA、ル・マンといったモータースポーツ統括団体や、大学、公的研究機関などが世界中から集まる。そこでは、モータースポーツに関する技術革新が促進され、とくに安全性向上については技術交流の中心となっている。これにより世界中の自動車レースの安全性能が高まり、その成果をもとに市販車の安全性能も高まっている。また、ドライバーの頭と首と神経系を保護するHANS(Head And Neck Support)が発表され、世界的に広めたのも、このMSECだった。

 最近のMSECでは、環境技術というもう1つの柱ができた。当初はモータースポーツと環境対策技術との共存共栄の可能性を探っていたのだが、3年前のMSECでは「モータースポーツが環境対策技術開発の中心になる」という認識が広まった。

 2008年12月のMSECでは具体的な実例が報告される一方で、近未来への方向性も示された。具体的な実例とは、アメリカン・ル・マンシリーズで、より環境対策技術を導入したメーカーやチームを表彰する制度を設け、バイオ燃料など多様な燃料を導入したことだ。

 ここではSAE、EPA(環境保護庁)、参戦自動車メーカーらが集まって「Green Racing Working Group」が結成され、環境対策技術の発展とモータースポーツの競技としての楽しさを両立するための科学的な方策「Green Racing Protocol」も決定実施されている。

 FIAは2013年のF1のエンジンルール案の基礎にもこのGreen Racing Protocolを応用している。燃料をガソリン、ディーゼル、バイオディーゼル、バイオエタノールなど自由とする一方、それぞれの燃料のエネルギー量を元に、一定時間にエンジンに流れ込むエネルギー量で規制をするというもの。結果、よりエネルギー効率のよいエンジンを生み出すための技術競争の場となるというもので、排気量も上限枠は設けても、あとはターボ、スーパーチャージャー、ターボコンパウンド(排気ガスの勢いから動力をとりだす装置)など自由にするというものが検討されている。これも、MSECでFIAが発表していた。

技術と人材では有利
 SAEは、MSECは今後もシャーロットで開催する。MSECは世界中のモータースポーツ関係者や大学や研究機関が集まる学会だが、F1チームからの参加はごくわずか。USF1は、地元で最先端の技術情報が得られるという、地の利も手に入れているのだ。

 このほか、アメリカにはボーイング、ロッキード・マーティン、ノースロップ・グラマンといった世界をリードする航空宇宙産業があり、最先端技術を研究開発して一般公開もするNASA(国立航空宇宙局)があり、最先端の技術情報も、人材も得やすい。

 実際、モータースポーツ界は、航空宇宙産業界と技術的に密接な関係にあり、安全技術ではアメリカ空軍の研究機関と、IRLやFIAの研究機関がMSECで技術情報を交換しあっている。逆に、NASAはスペースシャトルの空中分解事故の報告書の中で、激しい衝撃から乗員の生存性を向上させるために、モータースポーツ界のHANSの技術を導入すべきとも記載しているほどだ。

 コンピューター技術についてはカリフォリニアにシリコンヴァレーもある。

 アメリカ人にとって、F1は遠い存在だったが、今それが現実に近づいている。技術と人材についての心配はない。唯一の心配は大不況の震源地でスポンサーを確保しなければならないことだけだろう。

※当初、「USF1」というチーム名が発表されていたが、「F1」「フォーミュラワン」はF1の興行団体であるフォーミュラワン・グループが所有する商標のため、チーム名を「US Grand Prix Engineering」とするようだ。ただし本稿では、現時点でもっとも周知されている「USF1」で記述している。

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

(Text:小倉茂徳)
2009年3月9日