【ドイツGP】
低温のニュルブルクリンク
レッドブルとブロウンGPが激突
近年は、ドイツGPというとホッケンハイムとされ、ニュルブルクリンクはヨーロッパGPや、ルクセンブルクGPとほかのタイトルでF1を開催していた。
今回のニュルブルクリンクでのドイツGP開催は、1985年以来のこととなる。また、「旧コース」の大半を利用した1周22kmあまりの「ノルトシュライフェ」(北サーキット)は日産GT-Rやポルシェ911など高性能スポーツカーのテストコースとしても知られ、そのタイムが性能比較の指標とされるほど。
■ドイツGPがニュルブルクリンクに戻ってきた!
歴史をさかのぼると、ニュルブルクリンクこそがドイツGPの開催地であることが分かる。ドイツGPは1926年に第1回が開催されており、これは、ベルリンにある高速テストコースAVUS(アヴス)で行われた。しかし、第2回以降、途中第2次大戦による中断(1940年~1949年)と1959年(AVUS開催)以外、1976年までドイツGPはすべてニュルブルクリンクで行われていた。
1976年にニキ・ラウダが重度の熱傷をともなう重傷事故にあったことから、F1の開催コースの安全体制を高める運動が起こり、旧コースでのF1開催はなくなり、ドイツGPはホッケンハイムに移った。ニュルブルクリンクは、旧コースの一部だった「ズュードシュライフェ」(南サーキット)を改修し、1983年に現代のF1が開催されるニュルブルリンクになった。
もう少し昔の事を続けると、1964年に日本初のF1チームとしてホンダがデビューしたのも、ニュルブルクリンクでのドイツGPだった。また、第2次大戦前のドイツGPではメルセデス・ベンツが大活躍。それに対抗したアルファロメオのレースチームが、スクーデリア・フェラーリだった。
また、メルセデス・ベンツに対抗したもうひとつのシルバーアロー、アウトウニオン(現アウディ)は、ポルシェ博士が設計した革新的なマシン「Pヴァーゲン」を投入。フロントエンジンが主流の時代にミッドシップのマシンは乗り手を選んだ。そのため、アウトウニオンチームは、若手の育成に力を入れた。
その育成の場所がこのニュルブルクリンクであり、この若手育成プログラムは、のちに「ジュニア・ドライバー」というプログラムとして、BMW、ポルシェ、メルセデス・ベンツなどでも応用されるようになり、ミハエル・シューマッハーらの優れたドライバーを生むようになった。
■思わぬ展開を演出する、ニュルブルクリンクの不安定な天候
1930年代のベンツのエースだったルドルフ・カラッチオラは、1931年から1939年の間にニュルブルクリンクでのドイツGPを4度制した。カラチオラは、レースの王者という意味の「レンネン・マイスター」と呼ばれ、同時に「レーゲン・マイスター」とも呼ばれた。レーゲン・マイスターとは、「雨の王者」という意味で、ニュルブルクリンクがいかに雨が多いサーキットかを物語るニックネームでもある。
ニュルブルクリンクは、ミネラルウォーターの「ゲロルシュタイナー」で知られる、ドイツ西部のアイフェル高地にある。ここはベルギーのスパ・フランコルシャンとも近く、高地特有の不安定な天候となる。晴れの日の暑さから、雨と霧に、夏でも東京の冬のような寒さになるなど、急激に状況が変化する。
そのため、レースでは思わぬ展開や名シーンを演出することにもなる。記憶にごく新しいところでは、2007年のヨーロッパGPでは、地元のマーカス・ヴィンケルホックが、スタート時の雨にいち早く対応。豪雨による赤旗中断をはさんで、スポット参戦だったヴィンケルホックがデビュー戦でリードラップを記録した。
雨、低温、晴れの強い日差しで高まる路面温度とすぐ乾く路面。往年のカラッチオラと同様に、ニュルブルクリンクでは、めまぐるしく変化する状況に幅広く対応できるマシンとドライビングが求められるのは現在も変わらない。そして、今年も例外ではなかった。
今年のドイツGPは低温になった。イギリスで投入された大改修型レッドブルは、このニュルブルクリンクでも速かった。ブロウンGPはとくにバトンがタイヤの発熱に苦しんだ。そこに、ときどき来る雨。予選と決勝の展開はとても読みにくくなった。
■アタックのタイミングをうまく捕らえたバリチェロとスーティル
予選Q1は地元のグロック(トヨタ)がアタックに失敗。19番手に沈んだ。
Q2は軽いウェットコンディションで始まったが、終盤バリチェロ(ブロウンGP)と担当エンジニアのジョック・クレアはスーパーソフトタイヤに変更。この判断が決まり、バリチェロがトップタイム。他もこれに追従した。
一方、急変する状況にアタックタイミングを上手くつかめなかったウィリアムズ勢(中嶋とロズベルク)は、トップ10に行ける速さをもちながら、Q2敗退になってしまった。
この状況を上手くつかんだもう1人が、ドイツ人ドライバーのスーティル(フォースインディア)。Q2を4番手につけ、Q3でも7番手につけた。しかも、予選後に発表された重量は、トップ10中最大の678.5kg。スーティルの実力の高さを示すとともに、フォースインディア VJM01の性能が向上していることも実証した。
昼夜兼行で新たな空力部品を1台分完成させたマクラーレンは、これを装着したハミルトンが5番手、新部品が間に合わなかったコバライネンも6番手につけた。
だが、前2列は、ウェバー(レッドブル)、バリチェロ、バトン(ブロウンGP)、ベッテル(レッドブル)のトップ2チームで占められた。
タイヤ変更が奏功したバリチェロ | 地元で意気上がるグロックだったが…… |
1コーナーでウェバーとバリチェロは接触したものの、バリチェロのリードでレースは開幕 |
■3ストップ作戦に賭けたバリチェロを不運が襲う
決勝は比較的よい天気に恵まれた。
ニュルブルクリンクの1コーナーは、イン側の高低差と、その後のコースの形を考えると、進入時のライン取りが難しい。イン側に寄り過ぎるのも、アウト側を大まわりするのもよいとはいえない。いくつかあるラインが複雑に交錯する。
スタートでアウト側から加速したウェバーは、コース中央に寄り、好スタートのバリチェロに並びかける。この瞬間、ウェバーはバリチェロに接触。大事故にはならなかったが、バリチェロのBGP001には、ウェバーのタイヤ跡が残った。
さらに、5番手スタートのハミルトンが、KERSを使ってフル加速でトップに。ところが、1コーナーを回りきれず、ややコースアウト。2コーナーでも混乱し、ハミルトンと中嶋は大きく順位を落とした。
これでバリチェロ、ウェバー、コバライネン、マッサ、バトン、ベッテルという順位になった。バトンとベッテルには、コバライネン、マッサという抜きにくいKERS搭載車2台が前に入り、厳しい展開になった。ニュルブルクリンクには、登りでの中低速からの加速区間があり、KERSのモーターによる加速アシスト効果が出やすいからだ。
トップを行くバリチェロは、ただひとり3ストップの作戦をとっていた。高低差のある中で加速が求められるニュルブルクリンクは、燃料の搭載重量を軽くしたほうが速く走れる。しかもスーパーソフトタイヤの性能持続力を考えても、燃料搭載量が軽いほうがよい。トップに立ったことで、バリチェロは計算上ではきわめて有利な状況になった。
ここでウェバーに、スタートでの接触に対するドライブスルー・ペナルティが出た。
バリチェロは3ストップ作戦を採った |
14周目、バリチェロは予定どおりピットストップを済ませた。ここでバリチェロは再びスーパーソフトを装着した。ウェバーは同時にドライブスルー・ペナルティを実行。ウェバーはまたすぐにピットストップが必要になる。バリチェロは、ここで飛ばせばウェバーがピットストップする間にさらに有利にできる。
バリチェロにとって唯一のマイナス要因は、ウェバーが2番手でコースに復帰できたことだ。3番手のコバライネンのペースが悪く、4番手のバトン以下を抑え込んだことで、トップ2台との間に大きな空間ができていたからだった。
バリチェロにはさらなる不運が待っていた。バリチェロの前にはマッサがいた。これでバリチェロは短命だが速く走れるスーパーソフトのよさを出せなくなってしまった。マッサはKERSの加速力によって、ピットストップする25周目までバリチェロをしっかり抑えた。
マッサがピットに入った直後、エンジニアのクレアは前が開けたバリチェロに「全力で行け!」と激励した。だが、この時点でスーパーソフトタイヤは、ベストな性能が出せなくなっていた。そして、32周目にバリチェロは2回目のピットストップを迎えた。
この1回目と2回目のピットストップまでの第2スティントでの遅い周回によって、バリチェロの3ストップによる勝算が瓦解した。悪い事に、この2回目のピットストップで燃料補給の失敗もあり、バリチェロは5番手に転落。さらに不利になった。バリチェロは3回目のピットストップでミディアムタイヤを選択。これは、直前に同じタイヤでアロンソがファステストを記録したことでも、大正解の選択だった。しかし、時すでに遅しだった。
3回ストップの戦略は、計算上では有効だった。しかし、他の2回ストップ勢のペースに巻き込まれてしまうと上手く行かなかった。勝てるはずのレースを失ったバリチェロは、「負け戦の典型例だ!」と怒りを爆発させながらレースを総括した。
運も味方にしたウェバー |
■すべてがウェバーの味方に
不運なのはスーティルも同様だった。途中3番手に上がり上位入賞が期待できた。27周目に1回目のピットストップを終えてコースに戻ったスーティルは、1コーナーでライコネンと接触。走行ラインが交錯するニュルブルクリンクの1コーナーゆえのレーシング・アクシデントだった。この接触で壊れたノーズ交換のために、スーティルは再度ピットストップ。これでスーティルの地元入賞の夢は消えた。
一方、ウェバーは快調だった。1回目のピットストップでミディアムタイヤを装着。RB5はこの硬めのタイヤでも充分にタイムを出せる上、マシンの性能のよさが長持ちするタイヤの特長を引き出していた。
コバライネンがスローペースで後続を抑えたことで、ペナルティのダメージを軽減でき、次はマッサがバリチェロの3ストップの優位性を封じこめてくれた。ウェバーにはすべてが味方してくれた。
イギリスGPの終了後、「ライコネンに妨害されて予選アタックがダメになったのが、決勝に響いた」と、ウェバーは2位でも不満でいっぱいだった。「次は勝とうぜ!」と声をかけると、ウェバーは「そうするよ」と笑顔を作って見せた。
その言葉をウェバーは実現した。F1での130回目のスタートで掴んだ初優勝だった。オーストラリア人の優勝は、1981年最終戦ラスベガスGPでのアラン・ジョーンズ(ウィリアムズ)以来の快挙でもあった。
2位は4番手スタートのベッテルだった。2年前の日本GPでの追突で、「ウェバーの初優勝をつぶしてしまった」と自ら公言するベッテルも、ウェバーの初優勝を祝福した。
130戦目の初優勝 | フェラーリとウィリアムズも健闘した |
■次戦、ハンガリーはブロウン、フェラーリ、マクラーレンが有利?
1-2のレッドブル勢は、激しく、大きく変化する路面状況の中で、速さを見せつけた。ブロウンGP勢は、決勝では路面温度が上ってきたにもかかわらず、バトン5位、バリチェロ6位に沈んだ。戦略のミスと誤算の結果だった。
3位にはマッサ、4位にロズベルクが入り、フェラーリとウィリアムズの健闘ぶりも見えた。
イギリスの低温、ドイツのめまぐるしく変わるコンディション。ややイレギュラーな要素が強い2戦だったが、次のハンガリーは、真夏の暑さの中での開催が多く、ブロウンGPには優位を取り戻すチャンス。レッドブルは、リアタイヤに厳しい曲がりくねったコースでも、タイヤを上手く使って、速さを維持できるかが試されることになる。
同様なコース特性のモナコではフェラーリが好調だった。復調傾向のフェラーリにはまたチャンスになるか? 低速のコーナーが多い分マシンの空力性能差が小さくなり、マクラーレンには有利になるかもしれない。さらに好調なウィリアムズとフォースインディアは?昨年ハンガロリンクで初入賞したトヨタのグロックは?など、熱く激しい戦いが期待される。
■URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/
■バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/
2009年7月24日