チームオーダーが揺るがすF1の未来
ドイツGPについて、「釈然としないレース」だと筆者はテレビ中継の中で言った。なぜ、どのように「釈然としないレース」だったのか、放送時間の関係で説明もできなかった。
今回は、F1におけるチームオーダーについてと、なぜ筆者が「釈然としない」のかを説明したい。
■事のなりゆき
ことの始まりはすでに様々なところで報じられているので、ここでは簡単に記しておくだけにしたい。
スタートでトップに立ったマッサは、26周目には2番手のアロンソに3.014秒の差をつけた。ピットのマッサ担当エンジニア、ロブ・スメドリーから、「3秒差だ、この調子で行け。集中しろ。勝てるぞ」とマッサに激励の無線が飛んだ。
ここから、ほぼ毎ラップ、マッサとアロンソのファステストラップの更新合戦となった。36周目にはマッサとアロンソだけが1分17秒台に入り、フェラーリが別格の速さを見せた。
そこから互いに1分17秒台を連発するがアロンソがわずかに速く、3秒あったマッサとの差を1秒以内まで徐々に詰めてきていた。
そして、48周目あたりにスメドリーからの無線がマッサに飛ぶ。「アロンソの方が速いぞ。このメッセージを理解したか確認しろ(行為で示せ)」と。
すると、マッサは49周目にスローダウンし、アロンソを先行させた。この周に1分19秒台にまでタイムを落としたマッサだが、その後は元のペースに戻っていた。スメドリーから「よくやった。このままでいろ。ごめんよ」とマッサへ無線連絡された。
■なぜ処罰されたのか
レース後フェラーリに10万ドルの罰金と、モータースポーツの最高決議機関であるワールドモータースポーツカウンシルでの審議対象になることが決定された(スチュワード決定41)。
このスチュワード決定41には、フェラーリの違反事由として、F1スポーティングレギュレーション39.1および国際モータースポーツ競技規則151.c)の違反と記されていた。該当する条文は次のとおり。
・F1スポーティングレギュレーション
39 レース
39.1 レース結果に影響を及ぼすチームオーダーは禁止される。
・国際モータースポーツ競技規則
151条 規則違反
c) 競技の公正または自動車スポーツの利益を阻害する性質を有する詐欺行為または不正行為。
つまり、スチュワードたちは、この無線交信内容と、マッサの動きとラップタイムから、フェラーリがアロンソに勝たせるためにレース結果に影響を及ぼすチームオーダーをやり、競技の公正または自動車スポーツの利益を阻害する性質を有する詐欺行為または不正行為を働いたと判断した。
この決定について、フェラーリは不服とせず提訴しないことを見ても、この判断は正当だったといえるだろう。
■F1でのチームオーダー禁止の理由
F1でチームオーダーが禁止されたのは、2001年のオーストリアGPでフェラーリがトップ走行中のバリチェロに対して、シューマッハーに先行させる(トップを譲る)ように命令、シューマッハーが優勝したことに世界中のF1ファンから多くの抗議の声が上がり、翌2003年のF1スポーティングレギュレーションから、チームオーダーを禁止する内容が明文化され、これが現在も39.1として残っている。
チームオーダーは、スポーツエンターテインメントとしては、大きなマイナスがある。今回のマッサも、2003年のバリチェロも、勝つために必死で戦っていた努力を、すべてぶち壊されている。これは、見ていて、不愉快にさせるもので、選手の頑張りが勝利の栄光に結びつくことで感動とカタルシスを提供するスポーツの素晴らしさも、ぶち壊しにする。
2001年の日本GPでのケースもあった。それは、スタートで1コーナーに先に入ったものが優勝する、という決まりをセナとベルガーが結び、最終ラップの最終コーナーでセナが大幅なスローダウンをして、ベルガーに優勝を譲ったというものだった。会見でこそ、さし障りのない発言に徹したベルガーだったが、セナの「勝ちを譲ってやる」という見え見えのやりかたに、怒りまくっていた。
筆者は、当時チームの日本語版リリース作りを手伝っていたが、マクラーレンの広報が「たいへんだ、ゲルハルト(・ベルガー)が怒りまくっている!」と筆者たちの部屋に入ってきた。そして、当時のホンダの広報担当も「ベルガーが荒れていて、明日予定していた試乗会も、鈴鹿から東京までの直行ヘリコプターを用意しないなら参加しないと言い出した」と困惑顔でやってきた。
実際、ゴールシーンを見た瞬間に、筆者もセナのみえすいたやり方に嫌な気分になり、おそらくゲルハルトは荒れるだろうと思っていた。序盤にマンセルがリタイヤしたことでセナのチャンピオンは確定していたので、セナは途中ベルガーを抜いてトップに立つ必要もなかったし、トップ譲るなら、もっと早い段階で周囲に分からないように徐々にスローダウンすればよいと思ったからだ。
当時の日本はセナが神格化されたセナブームで、この行為も「セナとベルガーの友情」として日本のメディアには美化された。だが、海外のメディアとファンからは非難が多かった。
余談ながら、筆者にとってセナ本人はとても敬愛する存在である。その想いは1987年に初めてともに仕事をした時から今も続いている。ただ、レース中の執拗なブロック行為や、上記の日本GPでの一件のような個々の行為や出来事には「だめだ」と思い、それを率直に表現するようにしている。なぜなら、セナは生前「僕は偶像ではない」と言い、神格化された偶像ではなく、1人の人間として扱われることを望んでいたからだ。だからこそ、お互いに仲たがいもしたし、彼が他界する少し前には多少なりとも関係修復もできたと思っている。
話を戻すと、F1は世界的に多くの観戦者とファンを持つ国際スポーツイベントに成長した。そこではスポーツエンターテインメント性が重要である。結果、人気に水をさすチームオーダーは大きな批判を呼び、禁止した方がよいということになったのである。
ディ・モンテゼモロ会長 |
■F1が抱える矛盾 1:チームオーダーにも歴史あり
今回のフェラーリのチームオーダーに対する処罰と非難に対して、フェラーリのルカ・ディ・モンテゼモロ会長はチームオーダー禁止規定自体を「偽善だ」として、チームの決定と行為を擁護した。これにも、一理があるのだ。F1にはチームオーダーが伝統的に根付いていたからだ。
1950年代には、エースドライバーがリタイヤしたり、マシントラブルになったりすれば、チームメイトがピットに呼び戻され、エースが乗り替わってレースを続行できた。もちろん、チームメイトはそこでレースは終わりである。この場合、ポイントはエースとマシンを与えたドライバーと分け合う規定だった。
この最たる例が、1956年のイタリアGPだった。フェラーリは、エースでチャンピオン候補だったホアン・マヌエル・ファンジオにステアリングトラブルが発生。同じチームのピーター・コリンズがピットに戻され、マシンをファンジオに差し出すことになった。だが、コリンズ自身もチャンピオン獲得の可能性があったのに、この瞬間にその夢をあきらめることになっていた。
1960年代のブラバムチームでは、ジャック・ブラバムがチャンピオンを獲得する半面、デニス・ハルムは1967年のチャンピオン獲得だけにとどまった。「ボスのジャックは、絶対に前に出るな!と命令したので、俺がどんなに速くても、彼にトラブルが出たか、ストップした時しか、勝たせてもらなかったんだよ」生前ハルムは筆者に話してくれた。
1978年には、チーム・ロータスがタイプ79で、まるで今季前半のレッドブルのような圧倒的な速さと強さを見せた。だが、チームに出戻ったロニー・ピーターソンは、決してマリオ・アンドレッティの前に出ることなく、アンドレッティにトラブルがあったときしか、勝つことができなかった(許されなかった)。
1979年イタリアGPで、ジョディ・シェクターがフェラーリでワールドチャンピオンを獲得したとき、ジル・ヴィルヌーヴは1-2体制の2位になって、シェクターのチャンピオン獲得を脅かすジャック・ラフィを抑えた。「ジル、次は君の番だ」とのエンツォ・フェラーリとの約束を信じたヴィルヌーヴだっただけに、1982年サンマリノGPでのディディエ・ピローニのチームオーダー無視による優勝に憤った。そして、その激しい怒りと対抗意識が悲劇的な結末へと向かわせたといえるだろう。
チームにとって、チームオーダーは有効な手段となる。より確実に好結果を出し、チームに成功と栄冠をもたらすことになる。また、ドライバー間の対抗意識を抑えることで、チーム間でのクラッシュなど、もっと非生産的で破滅的にもなる結末も避けやすくなる。F1はその前身であるグランプリレースから、ヨーロッパの貴族を中心としたスポーツであったため、チームオーダーという特権階級を生む制度は当然であり、激しい否定もされないできた、という歴史と伝統にそった側面もあった。
こうした階層的で特権的な側面は、ヨーロッパの他のスポーツにも見られる。たとえば、今たけなわのツール・ド・フランスもそうだ。エースの選手を勝たせるために、チームは他の選手の犠牲を求める。そのため、まだ序盤の日程なのに泣き崩れる選手もいた。エース争いに敗れ、残りは犠牲になることが確定したからだ。
他のモータースポーツでもこうした制度はある。ル・マン24時間でも、エースカーがストップすると、エースドライバーたちをセカンドカーに乗せてレース続行させた例があった。ダカールラリーでのワークスチームは、エースカーにトラブルがあれば、セカンドカーの部品を提供し、エースカーに競技続行させる。セカンドカーはサードカーから部品をとり、競技に復帰。サードカーは部品を乗せたカミオン(トラック)が到着するまでずっと待ち、そこで修理して、間に合えば競技復帰となる。
ヨーロッパでは、チームオーダーは容認され、よりよい結果のためには必要ともされてきていたのだ。F1には、歴史と伝統に裏打ちされた価値がある。それは、フェラーリとモナコGPの人気の高さに象徴される。
■F1が抱える矛盾 2:ドライバーの戦い優先にも歴史あり
半面、F1は、究極的にはドライバー間の個人競技であるという考えもある。それは、もともとF1は世界ドライバーズ選手権というタイトルが争われ、最高のドライバーを決める競技であったところにも表れている。
当初、FIAはF1について、マシンの性能をほぼ均等にして、ドライバーの操縦技量の差で勝負させることを理想としていた。つまり、現代のGP2やフォーミュラ・ニッポンのようなほぼワンメイクにしたかったといえる。
だが、F1が考えられた1940年代終わりのヨーロッパでは、全車共通とするためにレーシングカーを量産することなど不可能だった。そこで、レギュレーションで縛って、なるべく均質の車両にさせようとした。F1はテクニカルレギュレーションで細部まで規制され、似通ったものになるのは、こうした経緯による部分もある。
このように、F1はドライバー間の戦いが優先され、その考えにもとづけばチームオーダーは否定されるべきものにもなる。
チームプレーを重視し、ドライバーに忠実な行動を求めるのは、本来チームを最優先とするメイクス(メーカー)選手権だった。だが、メイクス選手権は一時的に隆盛になるものの衰退。結果、F1が事実上ドライバーズ選手権とメイクス選手権の両方のステイタスを備えるようになり、自動車メーカーと大手スポンサーがより進出するようになった。これで、個人競技の要素よりも、チームプレーが重視されるようになった。
だが、ドライバーとそのパートナーであるエンジニアの心の底には、自分たちが勝つ、自分たちがチャンピオンになるという、強い思いがある。だからこそ、ベッテルとウェバーは互いに衝突した。チームプレーを重視した立場なら馬鹿げた行為となり、個人競技を重視すれば熱くなった結果で、残念だが仕方ないとなる。
エンジニアも、チームから見れば「従業員」の立場であるが、実際はドライバーのパートナーであり、その心は担当のドライバーとともに一心同体で、走り、戦っている。すると、チームよりもドライバーとともに戦うことを優先するケースも出てくる。1992年にナイジェル・マンセルがチャンピオンになったが、その担当エンジニアのデビッド・ブラウンはマンセルと共謀して、チームのミーティングでことごとく虚偽の報告をした。こうして、リカルド・パトレーゼ側に有利な情報を明かさず、不利に追い込んでいたという。すると、スメドリーのように、チームの命令に従ったものの、ドライバーに「ごめんよ」と言ってしまうのも当然と言える。
現在F1は、極東太平洋圏、中東、アメリカ大陸へ広がり、今後はロシアやインドなどにも進出しようとしている。F1が世界的に広がりを見せる中で、F1とヨーロッパの歴史と伝統にもとづいたチームオーダーを容認する考えは、世界的な判断基準と軋轢をまねくことになった。アメリカや数多くの国は、こうした階層的な考えはF1のようなスポーツにふさわしくないと考え、たとえ同じチームでも、個人競技であれば戦うべきという思いが強いからだ。その一例がインディカーで、同じチームでもバトルをし、クラッシュも起きてしまう。
こうして、F1は、歴史と伝統による考え方と、世界共通に容認される考え方との間で、矛盾を内包しているのである。
レギュレーションで禁止を決めたチームオーダーを、今回あえてやったことに、筆者はこのF1が抱えた矛盾を感じ、1つめの釈然としない思いを抱いた。内心には、伝統にもとづいてチームオーダーで整然とした最良の結果を得る方が賢いというのと、最後まで戦ってより頑張った方が勝つというスポーツの魅力を出すのと、どちらがよいのだろう?という葛藤があった。
■法と精神とのせめぎあい
同時に、2つめの釈然としない思いは、露骨にチームオーダーを出してしまったフェラーリとスメドリーへの一部の避難だった。それらは、無線交信内容が公開されるのは規定の事だったのだから、外部にはわからない無線表現とやりかたでチームオーダーをすべきだったというものだ。
レギュレーション違反という罰則とそしりをさけて、チームとして最善の結果を得るにはこれはしごく正当な意見である。しかし、スポーティングレギュレーションでチームオーダーを明確に禁じている以上、こうした主張にも釈然としなかった。
とくにスポーティングレギュレーションは、競技をスポーツとして成立させるために必要な決まりことであり、その根底にはスポーツ競技すべてにおいてもっとも重要な「スポーツマンシップ」が重要となるはず。すると、表現上はレギュレーションには抵触しないものであっても、チームオーダーを実現したなら、それはチームオーダーである。
チームオーダーを茶番劇などと否定する人にとっては、これとて茶番劇になるだろう。そして、チームオーダーを実現するための行為であれば、それは法で罰せられなくとも「スポーツマンシップ」と「法の精神」に反すると思える。これではF1はスポーツとしての側面を自ら否定していることにならないのか? 禁止したなら、しっかり禁止を遵守すべきではないのか。
一方、テクニカルレギュレーションは技術的な決まりごとであり、スポーツマンシップも重要だが、技術規則の網をくぐることが新たな技術や面白さを生む側面もあり、脱法的な行為は全てを否定できないとも思う。
フェラーリのチームオーダー行為に対して、規定に抵触しない表現とやりかたで行うべきだったという非難の声には、実社会の法と道徳のように、レギュレーション、スポーツマンシップについても様々な葛藤と釈然としない思いが筆者の中をめぐっていた。
■F1は本当にファンのためのものなのか?
3つめの、そして、もっとも大きな釈然としない思いは、「F1は本当にファンのためのものなのか?」というものだった。
ちょうど1年前、F1ではFOTAとFIAによる政治的な論争が起きていた。FOTAは、フェラーリのルカ・ディ・モンテゼモロ会長がリーダーを務め、FIAとマックス・モズレー前会長によるF1についての方針を激しく非難した。そして、FOTA独自によるF1を分離開催するとまで迫った。FOTAはその主張の中に「ファンのために」という表現をひんぱんに用い、その正当性のよりどころにしていた。だが、筆者にはFOTAが「ファンのために」という言葉を使えば使うほど、その主張が白々しく聞こえて、内容に懐疑的になっていた。
結局、FOTAとFIAは合意点を見出し、FOTAの主張に従いモズレー会長は次の任期を務めないで退陣することになり、FIAによるコスト抑制策はレギュレーションから削除された。結果、コスト抑制策を前提にエントリーした新規参入チームは、他の原因もあるが苦戦している。
「ファンのために」と声高に主張してきたFOTAと、その代表だったディ・モンテゼモロFOTA前会長。今回のフェラーリのレギュレーションとスポーツマンシップを犯してのチームオーダーは、「ファンのために」という主張とは大きくかけ離れているどころか、相反するように思えてならなかった。そして、やはり昨年のFOTAの主張はその場だけのご都合主義だったのかと納得すると同時に、昨年のFOTAの主張にふたたび釈然とせず、その偽善性に腹立たしくもなった。
■結論
まだまだ書きたい想いはあるが、文字数が大幅に予定を超えてしまったので、そろそろここで結論に急ごうと思う。
チームオーダー自体は、F1には伝統的な側面として消せない。確かに、頑張った人が勝てないという不条理がある。半面、チームにとってドライバー間の共倒れを防ぎ、大目標である勝利とチャンピオン獲得には重要な方法でもある。
F1をスポーツたらしめるレギュレーションの中にチームオーダー禁止があるならば、たとえチームにとって都合の悪いものであっても、それは守らなければF1はスポーツでなくなってしまう。「悪法もまた法なり」である。
半面、現実的にチームオーダー禁止がどうしても守れないなら、そのレギュレーションは削除すべきではないか? これはディ・モンテゼモロ氏もこう主張する。確かに、脱法行為でチームオーダーをこそこそとやられるよりも、すっきりするはずだ。これで離反するファンもいるはずだが、これがF1とヨーロッパの伝統だと納得する人も出てくるだろう。
F1が世界に広がったことで、さまざまな異なる文化や考え方とも接するようになった。その歴史、伝統、文化を守るのか、新たな文化的側面に対応してとりいれるのか、今のF1はその過渡期なのだろう。過渡期はとても不安定で、この時期のかじ取りを誤ると大きな失敗と損失につながりかねない。
スチュワード決定によると、今回のフェラーリの行為はワールドモータースポーツカウンシルでも審議される。FIA、FOTAは、過去数年間、Web上でファンの意識調査を行ってきた。今回のチームオーダーについても、カウンシルで審議に入る前に、広く世界中のファンの声を聞いてみてはどうだろう。できれは、時期をずらして、同じ主題を2度調査してもよいかもしれない。出来事の直後は、感情的な冷静でない反応が多くなりがちだからだ。カウンシルの英知が世界中のファンの声をもとに判断することで、よりよい方法と、策が見いだせるかもしれない。
いずれにせよ、今回のフェラーリの行為は、F1の未来へのかじ取りにとって重要な一石を投じたと思う。皮肉っぽく言えば、あのチームオーダーも長期的に見れば、F1をよりよくして世界でより広く愛されるものにするための「ファンのための」行為だったのだろうか?
■URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/
■バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/
(Text:小倉茂徳)
2010年 7月 30日