特別企画

【特別企画】もの作り対談 トヨタ「86」開発者 多田哲哉& ニコン「Df」開発者 後藤哲朗

世界的な製品を作り上げた日本の開発者2人が語る

日本を代表する製品開発者2人による対談をお届けする。左がトヨタ「86」開発者 多田哲哉氏、右がニコン「Df」開発者 後藤哲朗氏。86は後藤氏の愛車だ

 トヨタ自動車がスバル(富士重工業)と共同開発し、2012年に発売した小型FRスポーツカーが「86(ハチロク)」だ。主に企画などはトヨタが、製造はスバルが行い、途中の開発過程では両社の開発陣が協力して作り上げたクルマだ。トヨタからは86として、スバルからは「BRZ」として発売され、スポーツカーとして世界的な人気車種となっている。その86の開発を主導してきたのがトヨタ自動車の多田哲哉氏。多田氏は86の開発に成功し、現在は86のほか、G'sやレクサス“Fスポーツ”などスポーツ系車両をまとめる立場にある。

 その86に惚れ込み、購入に至ったのがニコンの後藤哲朗氏。ニコンのプロ向け銀塩フィルムカメラであるFシリーズでは「F3」から「F6」まで開発に携わり、プロ向けデジタルカメラは「D1」から「D3」までを担当。ニコン F3の発売は1980年なので、35年にわたりニコンの顔といえるフラグシップカメラを作り上げてきた。2009年、ニコン社内に後藤研究室を立ち上げ、新しいカメラや技術の研究に取り組んでいる。その第1弾として2013年に製品化されたのがニコン「Df」。メカニカルダイヤルを操作系に大胆に採り入れ、クールなガジェットといえるデジタルカメラではなく、触感や音といったぬくもりのある写真機といえる製品を作り上げ、多くのユーザーの心をとらえるとともに、カメラ・オブ・ザ・イヤーであるカメラグランプリ2014の「大賞」および「あなたが選ぶベストカメラ賞」の2冠を獲得した。

 その後藤氏と、多田氏。日本を代表する製品を作り上げた2人の対談をここにお届けする。対談は「GAZOO Racing 86/BRZ Race」を開催中の富士スピードウェイ(静岡県駿東郡小山町)で行った。


──最初に現在のお2人の仕事内容を教えていただければと思います。後藤さんは僚誌「デジカメWatch」では何度も登場されていますが、Car Watchは初登場となるため、後藤さんからお願いします。
後藤氏:ニコンの後藤です。開発者としてのもとをたどれば1980年発売のニコンF3です。ニコンD3まで開発指揮に携わりましたので、「3」から「3」までニコンのフラグシップを手掛けたことになります。現在の後藤研究室を立ち上げたきっかけは、ニコンで執行役員を5年ほど経た時点で当時の社長から、「研究室を作るからニコンのDNAを維持向上させる研究をするように」といわれたことです。後藤研究室のミッションには、新しい製品を研究するというのもありますし、ルーチンの技術開発部門に口を挟み、新しい技術を手掛けさせるというのもあります。トヨタ自動車の豊田章男社長が「自動車メーカーが作るのは『愛車』。これに対し、IT企業が作るのは『i車』という違いがあるというこだわりを持っていきたい」とおっしゃっていましたが、カメラも同様に“i機”ではなく“愛機”を作っていきたいと考え、それを実行するのが後藤研究室の重要な役割の一つです。

後藤研究室最初の製品となるニコン Df。発売から多数のバックオーダーをかかえてしまったほか、先頃カメラグランプリ2014の「大賞」を獲得するなど、その新コンセプトが一般ユーザーや、プロカメラマンに支持された
Dfには多数のメカニカルダイヤルが採り入れられ、味わいのある操作系を作り上げている。実用面においても、一目でカメラの設定が分かるなど、撮影者の負担を減らしてくれる

多田氏:「ラウム」「bB」「ラクティス」を手がけ、86を担当しました。現在は86専従ではなくなり、トヨタのスポーツカー全体を見ています。レクサスについても、“F SPORT”などのスポーツ系車両は開発を担当しています。

Car Watchでは説明不要といえるほど登場している86。久々に登場した小型FRスポーツカー。先頃一部改良を行い。6月2日から発売されている

──この対談は、後藤さんがトヨタ「86」を購入され、そのクルマ作りの哲学が後藤さんのもの作りの哲学と共鳴していることが企画のスタートとなっています。後藤さんが86を購入しようと思ったきっかけは、どのようなことだったのでしょうか?
後藤氏:4年くらい前の話になりますが、トヨタ自動車の社内報に載せていただいたことがありました。そのときは「セリカ」に乗っており、次のクルマをそろそろ検討していた時期でした。トヨタ社内報でのそんなやりとりの後、ちょっと会ってほしい人がいるといわれ、すぐその1カ月後に多田氏と会う機会があったのです。

多田氏:その頃はまだ86は影も形もないころで、後藤さんと話している際に“カメラとクルマ作りは共通点があるのではないか?”というテーマで話が盛り上がりました。

ニコン 後藤研究室室長 後藤哲朗氏

後藤氏:確かそのあとに86のコンセプトカーである「FT-86」が発表され、(2009年の)東京モーターショーの招待券をいただいて、FT-86を見させていただきました。多田さん的にはそこで1台売れたなと思われたのではないでしょうか。

──後藤さんは86に乗られているわけですが、多田さんはデジタルカメラは使われているのですか?
多田氏:はい。後藤さんといろいろ相談して、ニコン「D90」を購入しました。ただ、そのときに後藤さんに「同じ値段のカメラでニコンとキヤノンのスペックを比べると、キヤノンのほうがなんかいいような気がする」ということをいいました。すると後藤さんが「カメラ屋さんに行ってシャッターを切ってみてください。そのときの指に伝わる感触とか音を聞いてみれば、どっちがよいか分かるはずだ」といわれ、実際に行ってみて「確かになぁ、なるほどなぁ」と思ったのを覚えています。結局、「軽いのください」とカメラ屋さんに伝えてD90になりました。

後藤氏:D90は私の担当した機種の一つでいまだに販売(日本国内での販売は終了)をしていて、ベストセラーカメラになっています。全世界の出荷台数は何百万台を超えているのではないでしょうか。

──実際に86を購入されて、気に入った点などはありますか?
後藤氏:セリカの次として、もっと馬力があって、ある程度の横幅、車高は低く、縦寸法は短くて、できるだけ小さいクルマが欲しかったのです。2人乗りではなく、しかもあまり街中で見かけないものを考えていたことが86でかないました。ここまでであれば、例えばポルシェなどもあるのですが、かなり高すぎてムリだ考えていたところ、多田さんから「あなたにちょうどよいクルマがある」と86を勧められました。“ちょうどよい”というのに少し引っかかったのですが(笑)。結局色は赤、グレードはGTにしました。リアウイングなどはカスタマイズ用品で選びたかったからです。

 4月に一部改良の発表がありましたが、オーナーとしてはホッとするレベルの変更でよかったです。確かボルトを変更されたんですよね。

多田氏:はい、ボルトを変更しました。ただ、その発表後ボルトだけの注文が相次いで大変なことになっています。また、ザックスのショックアブソーバーも新たにオプションとして7万5000円で用意しており、ボルトとセットで変更していただくと大幅に走りがよくなります。工賃などを含めると15万円程度で可能かと思いますが。

後藤氏:15万円ほどは高いな(笑)。あのフランジの厚いボルトの変更だけでも素人にも分かるものなのですか?

多田氏:分かります。乗り心地がすっきりします。

後藤氏:多田さんに最初に勧められたカスタム部品がドアのスタビライザーなんですよ。1万5000円。確かにあれは効きましたね。

多田氏:あとはスタビライジングフィンですね。あれも効きます。

──多田さんから見て、後藤さんの手がけられたDfをどう思いますか?

トヨタ自動車 スポーツ車両統括部 部長 多田哲哉氏

多田氏:まさにマニュアル感覚というか、86に通じるものがある製品だなと思いました。なぜそのように思ったかというと、86を作り上げる際に運転に関する楽しさについてたくさん研究をしました。その結果分かったことが、誰がやっても同じ結果が得られるものはつまらないということです。とくに趣味でやることはその傾向があります。しかし、どんなに頑張ってもできないことは、それはそれでつまらないのです。

 ちょっと練習するとできるという目標を見据えて頑張っているときが一番楽しいということがだんだん分かってきて、86はそういうクルマにしようと決めました。それまでのクルマ作りは、“誰が運転してもクルマを安心して走らせることができる”ということを基本としていました。そのため、運転そのものが(さまざまな電子アシスト機能によって)容易になって、かえって運転に集中しないようなことも起きています。実は86は、最初はそのような“だれが運転してもクルマを安心して走らせることができる”クルマとして作っていました。データを取るとちゃんと走っているクルマでした。

 しかしながら、社内のテストドライバーが運転したコメントを効くと「なんか違うんだよね」というものが多い。そこで大きく方向転換して“下手くそが乗るとまともに走らないクルマで結構”という宣言をしました。その代わり“一所懸命手をかけて走ると思いどおりに走る”というコンセプトにしました。その結果社内では「メーカーがそんな無責任なことでよいのか?」という議論が巻き起こりました。Dfを見ると、そのような議論が巻き起こったことを思い出しました。

後藤氏:(社内で反対の多い)そのようなコンセプトを誰が支えてくれましたか?

多田氏:それは豊田章男社長です。86がある程度仕上がって、性能的にはよいところに来ているときに社長にサーキットで乗ってもらいました。すると、厳しい顔をして86から降りてきて「このクルマとオレは会話できない!!」と一言いって帰ってしまいました。

後藤氏:それはショックですね(笑)。

多田氏:ええ。えらいこっちゃ、これは怒ってるぞ、大変なことしたぞと。会話ができないとはどういうこっちゃと開発チームのみんなと議論が始まってたどり着いたのが、“キャッチボールができるクルマ”です。どんなインプットが入っても結果が同じ、これでは会話ではないと。そこで先ほどのように大きく方向転換をして、最終的に社長にドイツのニュルブルクリンク近くのコースで乗ってもらって、「おお、ちゃんと会話するようになったな」と満面の笑みでいわれたのが、発売の半年前のことでしたね。やっと、これで発売できるかなと思いました。

後藤氏:どこを変えたのですか?

多田氏:もう、いろいろなところを変えました。クルマ作りの基礎となる前提条件から変えました。

後藤氏:メカニカルな部分も変えたのですか? 発売のそんなに直前で?

多田氏:ロールセンターの軸から変えました。生産部門に無理をいって変えてもらいました。そのほか、エンジンの音を積極的に聞いてもらおうと思って導入した「サウンドクリエーター」も、ちょうどこの時期にあれこれ調整しました。

後藤氏:富士スピードウェイにはうちのスタッフと一緒に私の86で来たのですが、ちょうどサウンドクリエーターの話をしました。「86はエンジン音に関する細工がしてあるんだぞ」と。アクセルを踏み込んで音の変化を聞かせると感心していましたね。

多田氏:普通のクルマはエンジンの音が聞こえないよう遮音するのですけど、わざわざ穴を開けたりして、あれこれ工夫しました。パイプを通すことが決まったのは発売直前です。「今頃こんなことするんですか」といわれて大騒動になりました。

後藤氏:今度、サウンドクリエーターのパイプの種類を自分で変更してみて、音を変えてみようかなと思っていたところです。

──86はサウンドクリエーターなどで音に対するこだわりが具現化されていますが、Dfもメカニカルダイヤルを多数装備しており、見るからにこだわりが感じられるカメラです。あれは意図的にそうされているのですか?

後藤氏:現在のデジタル一眼レフはすべてLCD方式でおもしろくありませんので、メカダイヤルで独創性を出そうと。そもそもカメラというのはダイヤルで操作するのが昔の作法でした。メカダイヤルにはお手本があるのです。かつての日本製カメラだけではなくて、たとえば現在でもスタイルを守っているライカだとか。それらをお手本にして、こうでもない、ああでもないと。やり直しを何回もしました。

 単にいい写真を撮れるだけではほかのカメラとまったく同じなので、撮影前や撮影途中の、ある意味面倒くさい手続き、操作を覚えなければいけないものにしたかった。「撮影に必要なそれぞれの設定に専用ダイヤルがあるから、まず覚えてください」と。撮影過程で育てるというのでしょうか、撮影者がカメラとともに育っていくようなものを目指したわけです。ちょうど多田さんと初めて会ったころには、Dfの仕込みをしていましたので、多田さんの語るクルマ像に「これだ、これだ。考え方はカメラだけではないんだ」と思いました。

多田氏:カメラ、クルマ、時計ですか。男の子の王道って気がしますね。

後藤氏:そのとおりですね。これに楽器が入ってくると、ちょっと深くなりすぎて分かりにくくなるのですが。86とDfの共通点というのは、目的地に着くあるいはよい写真を得るという結果だけではなく、その間の手続きであるとか、プロセスとかにあると思うのです。撮影を終わった後にホコリを払うとか。クルマでも乗り終えた後、キレイにしてからカバーをかけてあげたいという、ものを大事にしたいという気持ちでしょうか。

──86とDfに共通点があることはなるほどと思う点がありました。では逆に、クルマとカメラが製品としてここが違うぞという点はありますでしょうか?
多田氏:これはカメラとか時計とかの違いではなく、クルマがほかの工業製品と一番異なるのは人の命にかかわっている部分があるということです。クルマを作っていく上で、安全性の確保というハードルはあります。

後藤氏:確かにクルマにはそういう部分があり、端から見ていて大変だなと思っています。ただ、カメラもときにへぼなカメラを出してしまって写真家生命にかかわる場合もあるので、それはそれで気をつけないと(笑)。

多田氏:実はうちの親父がカメラが好きで、「ニコン以外はカメラじゃない」とかいったりしていました。ドイツにはライカの故郷のウェッツラーという街があり、「ウェッツラーに連れて行け」と親父にいわれたので、わざわざ一緒にドイツまで行って博物館巡りをしたこともありました。私はぜんぜん写真とか詳しくないのですが、子供の頃に現像とか手伝わされたこともあって。なんか、暗い部屋に入れられて、ものすごいネガティブな記憶しかないのですが(笑)。くさいじゃないですが、あれ。

後藤氏:停止液の酢酸のにおいですね。写真部だった私もあれは大嫌いでした(笑)。

──近年は、クルマもカメラも電子技術によるデジタル化が進んでいます。デジタル時代となって、もの作りとして変化した部分はありますか?
後藤氏:ラクというか個人的につまらないのは、メカニズムが相当減ったことですね。フィルム巻き上げ・巻き戻しの部分です。フィルムは複数のメーカーから当時発売されていて、それぞれメーカーごとに物理的な特性があり、まさに生き物とも呼べるものでした。さらに、暑い寒いでご機嫌も違うし、それを高速で巻き上げたり、巻き戻したり、正しい位置に止めたりと。フィルムを扱うその面倒な機構がなくなったのが一安心ではありますが、逆の見方をすれば、その機構はメーカーの基本的な力が分かる大変大きな要素でした。Dfにはフィルム巻き上げのレバーは当然のようにありませんが、「巻き上げレバー欲しいよね」という人が結構いますね。あのカタチではそこにレバーがあるのが自然だと。雰囲気が出ないようです(笑)。

多田氏:クルマの電子化で一番違ってきたのは、エンジン始動でしょうか。エンジンを始動する難しさは今の人は誰も気にしていないのですが、昔はチョークをどれだけ引くとか、アクセルをどれだけ開けるとかというコツが必要でした。「今日はエンジンが一発でかかっていい日になるな」とか思ったのですが。今は電子燃料噴射装置の導入で、誰もがすぐにエンジンをかけることができ、どんどんクルマも普通の道具になってきたなと。楽しみを見い出す部分が、逆にどんとん減っていったのかなと思います。若いエンジニアと話していても、「キャブレターのジェットってなんですか?」みたいな会話があります。

後藤氏:免許取り立てのときにはとても苦労した記憶があります。いつの間にかチョークの心配もいらない、そんな時代になっていますね。ありがたいと思う一方、ちょっと寂しいです。その分、何か新しくチャレンジできることなどに期待したいですね。ところで86を買って思ったのは、今はアクセルのペダルが単なる入力装置なのです。電子ボリュームになっているそうで。ああ、これはカメラと同じだなと思いました。Dfもダイヤルをカチカチやるのですが、その下にはメカニズムではなくブラシがあって、電子基板の接点を切り替えている構造です。

多田氏:(アクセルペダルに関しては)もうあのような形でないと、排出ガス規制をクリアできないのです。86を開発する上で最初に決めたのは、“使うコンピュータを極力減らそう”ということでした。どこまで減らせるかやってみようと。ただ、どうしても減らせない部分はありました。普通のクルマだと20以上のプロセッサを搭載しており、86でも10以上のプロセッサを搭載しています。

──もの作りを行う上で一番大切にしているものはなんですか
多田氏:クルマ作りは一般的にいろいろあるのですが、スポーツカーはちょっと普通のクルマ作りと違うと思っています。とくに一番違うのは、趣味のものだということです。ほとんどのクルマというのは世の中の役に立っている。人を運んだり、荷物を運んだり、急になくなったら困るものです。ところが趣味のクルマというのは、極端な話をすると86が明日世の中からすべてなくなっても、役に立つという意味で困る人は誰もいない。スポーツカーはそういう感覚で作らないと世の中の人が振り向いてくれるクルマにはならない。そのぐらい突き抜けて“遊べるクルマ”にしないといけない。

 クルマを作っていく上では、「このような構造でないと乗り降りがしづらい」ということを考えるのですが、そういうこととはまったく異なるのがスポーツカーです。「乗り降りが難しいのが楽しいんだ」「乗り降りのコツを掴むのが楽しいんだ」、そういうことを楽しむために買うのがスポーツカーなので、単に乗りやすいクルマは作ってはいけない、そんな難しさがあります。

後藤氏:ニコンで一番大切にしているのは信頼性です。もともとニコンのカメラがプロ写真家用として始まったことにあります。過酷な現場で使用されるプロ写真家に鍛えられて自然と信頼性のある製品を作る会社になっていきました。この信頼性がなくなると、ニコンの独自性、存在価値がなくなってしまうと思っています。ただ、信頼性だけを追求するとどんどん特殊な高価なものになり、一般にも販売できるような製品ではなくなってしまいます。信頼性を確保しつつ、一般にも販売できるような製品としてどのようにまとめていくのか、その案配が大切ですね。

 後藤研究室を立ち上げる前の2007年まで、ニコンのカメラ・レンズ製品の開発をすべて統括していました。今のカメラは、液晶表示とダイヤル・ボタン操作の組み合わせでさまざまな設定ができますが、内心それではおもしろくないと思っていました。確かに便利は便利なんですが……カメラに使われているような感じがして。このような操作系は、実はキヤノンさんが「T90」で最初に手がけたものなのです。その後多少の差こそあれ、ニコンも含めてほとんどのカメラがその操作性を踏襲しているのです。

 Dfを企画する際に考えたのは、どうせカメラ操作をしなければならないなら、はるか昔の操作系を真似してしまえ、です。ダイヤルだけであれこれ設定するのは、本当に100年以上昔からあった操作方法ですし、しかもこの頃は少なくなった操作系なのでかえってそのほうがおもしろいかなと。一方ダイヤルを増やすのは直接コストに跳ね返ってくるのですが、多少コストが上がってもいいではないかと思いました。実はDfは会社のためではなく、研究室のメンバーが先ずは自分たちが楽しめるために作った趣味性の高いものだったのです。

多田氏:確かに。86は自分が開発にたずさわったのですが、初めて会社のためではなく、自分のために作ろうと思ったクルマです。これまでいろいろなクルマを会社のために苦労して作ってきましたが、このクルマ(86)くらいは自分のために作ってもバチは当たらないだろうと勝手に思っていて。まあ、いいやと。

後藤氏:Dfは自分自身には“終(つい)のカメラ”として作りました。正確に申しますと執行役員になるとき、さらにそれを退任するときと、2回ニコンを卒業しており、それ以来1年ごとに契約を結んでいる身なのです。ですから、いつ契約が結べなくなってもよいように早く作ってしまおうと。そうしたら思いの外4年もかかってしまいまして(笑)。

 企画当初は現役のフラグシップであったD3の撮像素子を想定していましたが、数年の間に代替わりし、後継のフラグシップであるD4の撮像素子を使うことになりました。ところでトヨタさんでは、クルマによっては開発期間がとても短いものがあると聞いていますので、うちも頑張らなければならないと思っています。

多田氏:短いので2年くらいのものもあったかな。ただ、86に関しては「おまえ、いつまでもやってろ」と豊田社長にいわれていました。このいつまでもやってろというのは“おまえが納得いかなければ発売時期が来ても売る必要がない”ということです。「え、本当にそんなことしていいんですか?」と聞き返した覚えがあります。

 86は、2007年1月に“スポーツカーを作る”という方針が決まったことがきっかけで生まれました。その当時の問題は、世の中の人の興味がクルマからどんどん離れて行っていることにありました。トヨタとしてもいろいろなことをやったのですが、一向にその傾向が改善しなかったのです。最初はその傾向は日本だけだったのですが、海外でもそのような傾向が見られるようになりました。クルマは生活必需品でもあるので、お客さまは買ってくれるのですが、こだわって買っているわけではないと。とにかく安くて壊れなければよいのだと。この流れは大変なことだと。このままではスーパーマーケットにクルマが並べられてしまうと。そこで「bB」など若者向けの製品を作ってみたのですが、一瞬振り向いてくれるだけなのです。なにを出しても一瞬振り向いてくれるだけなのです。

 そこで2007年の1月に役員会が開かれ、「クルマ好きの王道はスポーツカーである。それを儲かるとか儲からないとか、そのような理由でトヨタとして製品発売していないことに根源的な問題がある」となったのです。豊田社長は、当時営業担当の役員だったのですが、「技術部門が本当にいいスポーツカーを作ってくれるのであれば、儲かる儲からないはさておき、トヨタの営業部門としては万難を排して受け止めてしっかり売ります」と宣言してくれたのです。それで急にスポーツカーを作ろうとなって、“量販でみんなが購入できるスポーツカー”という部分だけが決まったのです。後は何も決まっていなかったのです。

 そのとき自分はミニバン「ウィッシュ」の開発担当だったのですが、役員室に呼ばれ「とにかくスポーツカーを作ることになったから。なんにも決まってないけど、とにかくおまえ作れ」ということになったのです。それで、2007年3月からもう一人の若いスタッフである今井と、「何を作るんだ」という部分から検討を始めました。たとえば「スープラ」みたいな大排気量のスポーツカーを作るとか、いやいやもっと小さなスポーツカーでいいんだとか、トヨタが作るんだからハイブリッドじゃなきゃいけないんだとか。

後藤氏:どうして今の86になったのですか?

多田氏:それは、もう一人の若いスタッフである今井が、「トヨタに入社して以来、AE86の中古車しか乗ったことがない。それ以外興味がありません。ほかのトヨタ車にはまったく興味がないです」「トヨタがスポーツカーを作るのであれば、AE86を現代のテクノロジーで復活させるしかありません」と言い続けた部分があります。自分は「何いってんだおまえ、今さらそういうの作ってどうすんだ」といいながら、いろいろ2人でスポーツカーを研究していました。

 世界中でいろいろなユーザーの調査を行ったのですが、もともとスポーツカーを作ろうとなったのは、先ほども話したように「クルマの興味が失われつつある」ということにあります。AE86はもとは大した性能はないのだけれど、世界中のユーザーが育ててくれたクルマです。そういう意味では、根源的な問題意識を考えると、理想的なモデルでもあるわけです。僕自身はAE86のリバイバルを作るつもりはまったくなかったのですが、AE86のように育っていくクルマを作ろうと。ソフトウェアというか、AE86のように遊んでもらえるクルマを絶対作ろうというのは最初に決めました。

 「凄いクルマができたから、何もいわずに乗ってみなさい」というようなメーカーから一方的に発信するようなスポーツカーが当時多かったけど、これはまったく間違っていると。この真逆でいこうと。ユーザーと一緒に考えて、一緒にちょっとずつ進化していくクルマがないから、クルマがつまらなくなったのではないかなと。

後藤氏:ありがとうございます(笑)。私が86を買ったのは、2012年の10月でした。6月か7月に注文を入れたのですが、試乗にも苦労しましたね。トヨタのディーラーに行ったらMTが置いてなかったので、スバルのディーラーに行ってMTのBRZを試乗してみたり。BRZは社内のスバル好きが購入するだろうと思っていましたし、私は多田さんに直接お会いして話したこともあったので、迷わず86を購入しました。フロントバンパーまわりのデザインも86のほうが好みだったので。

多田氏:最初は、フロントバンパーのデザインも、86とBRZで共通化しようとしていました。やはり開発コストの問題もあったので、バッヂだけで差別化しようと。ただ、やはりブランドイメージなどもあるので、両社のディーラーでしっかり異なるクルマと見えるように、発売の1年ほど前に異なるデザインになりました。

──デザインといえば、ニコンF3は、クルマのデザイナーとしても著名なジウジアーロ氏が手がけていますが。
後藤氏:確かにニコンF3からD3までは、ジウジアーロ氏が基本デザインを行っています。実はジウジアーロ氏とニコンをつないだのは、モータージャーナリストでもありカメラマンでもある三本和彦氏なのです。ジウジアーロ氏のデザインは素晴らしいものがありますが、一方でボタンやレバーなど操作系を小さくデザインすることもあり、操作系を大きくして試作品を作ると「こうじゃない」と叱られるなど、そのせめぎ合いがいろいろありましたね。今のD4シリーズには、モチーフを引き継いでいる部分もありますが、ニコンオリジナルデザインとなっています。

 Dfはダイヤルを搭載した形のほかに細部にまでこだわって作っています。とくにダイヤルを回す音と手応えです。正直に申しますと、自分的にはもう一歩と思える部分があり、ライカなどに少し及ばない個所もあると思います。ライカM3などの昔のカメラも今のカメラもお手本にしたのですが、そちらのほうがよい点がありますね、残念ながら。

 今回のカメラを作っていく上では、昔のカメラも分解してメカニズムを確認したのですが、同じメカニズムで再現しても同じような感触にはなりません。はっきりした原因が分からないのです。多分、今はよいと思っているそのカメラの感触は、最初からよかったわけではないのかも知れません。何度もダイヤルを回して使い込まれる間に、経年変化によってよい感触になったのかも知れないと考えています。図面を見ても、測定して再現しても、同じようにはなりません。きっと微妙な摩耗がよい感触をだしているのではないかと思っておりますが、まだ突き止めることができていません。

多田氏:なるほど。僕たちはポルシェを参考にしています。実はポルシェは新車時はがっかりしてしまう部分もあります。ところが走行距離が5000kmくらい過ぎると「おおおおおおっ」というぐらいによくなる。それが2万kmくらいまで続く。どんどんよくなる。2万kmくらいからは安定するのです。ポルシェ好きの方の中には毎年新車を買われる方がいて、毎年高年式のクルマが中古車市場に出てくる。その高年式の中古車を毎年買われる方もいて、そのような重層的なユーザー層がポルシェにはあるのです。

後藤氏:なるほどね、通じるところがありますね。

──多田さんが、86のクルマ作りで細部にこだわったところはありますか。最後まで調整を繰り返したような場所とか。
多田氏:トヨタのクルマ作りというのは、最初にありとあらゆるところまで細かい性能の目標を決めていく部分があります。たとえば、燃費とか、あれとか、これとか。開発の途中に何回もチェックゲートがあって、どこまでそれらの数値が達成できているのか進捗確認するのです。このチェックを全部クリアしないと発売ができないのです。だけど、86はそういう数字による評価は捨てて作った部分があります。後藤さんがもの作りに関しておっしゃったように、音とか、さわった感じとかを重視しています。

 トヨタのクルマ作りにおいては、たとえば外観デザインでは役員によるデザイン審査などがあり、これを通過すると鉄板をプレスするための型を作ることができるようになります。86は、一旦形が決まった後も、リアまわりのデザインを作り直したり、ハンドルの形もデザイン審査で役員が承認した後に全部作り替えてしまいました。「なんか違う」「こんなハンドルいやだ」とかいって。主に握り具合とか微妙な点を変更しています。ハンドルだけ握っていると「いいなぁ」と思うのものができ上がってきたのですが、インテリア全体ができて一緒にさわっていると「なんか、これは違うな」と思ったのです。ドライバーがとくに触れるところは大切に作っていきたかったのです。

 先ほども話したとおり、エンジン音を室内に持ってくるサウンドクリエーターに関しても、本当に発売間近に導入することを決定したのです。それまではそのようなデバイスがなくてもなんとかよい音が出せると思っていたのです。ただ、いろいろな騒音規制、クルマに課せられた規制を満足させながらクルマを作り上げていくと、どうしても解決しないということが最後の最後に分かってきて導入しました。

2人楽しく、86車内で開発者談義

後藤氏:サウンドクリエーターは、最後に導入したのに、よくボンネット内に収まりましたね。だから変なところについているのですね(笑)

多田氏:あと、触れる部分でいえば、86のドアハンドルは「クラウン」などと同じものを使っています。スポーツカーにおいてドアを開けるためのドアハンドルはこだわって作るのが当たり前なのですが、あえてトヨタの標準品を使っています。そしてこのトヨタ標準のドアハンドルを使って、かっこいいデザインを作り上げるというのを目標にしました。極端な話、「このドアハンドルを使ってかっこいいデザインを作れないデザイナーはいらない」というほどの勢いで。

 なぜ、トヨタ標準のドアハンドルにこだわったかというと、86を作り上げる前にいろいろなスポーツカーを乗ってみたのですが、変にドアハンドルにこだわってものすごい使いにくい。なんか、Bピラーの付け根についていたりとか、妙に細かったりとか。クルマは毎日毎日乗ってほしいじゃないですか。せっかく作ったクルマをガレージにしまっておくのはイヤだと。毎日乗ってほしいのに、一番最初に自分の愛車とコンタクトする場所が使いにくいのはおかしいと。スポーツカーがドアハンドルにこだわって使いにくいのは間違っていると。ドアハンドルについては、トヨタのノウハウが一杯詰まった最高に人間工学的に洗練されたものにして、もっとほかの部分にこだわって作り上げました。

 86は9割が専用部品という現代のクルマではあり得ないほど共用部品が少ないクルマですが、あのドアハンドルは86において数少ない共用部品なのです。ルームミラーも専用にデザインしたりしました。

──そういえば後藤さんの愛車の86のルームミラーの裏が、通常の黒ではなく赤くなっていましたが……
後藤氏:あれは自分なりに赤にこだわってみました。なんとなくデザイン的に寂しかったので、赤いシートを買ってきて凹みの部に貼ってみました。ちょっと寸法が合っていなくて不本意なので、またやり直してみようと思っています。そのほか、センターコンソールの小物置き場などもコインが滑らないよう、しかもやる気がでるように赤い革を敷いています。ドリンクホルダーの底部にも同じ革をあしらってみました。

 リアスポイラーはモデリスタのを取り付けています。シャークアンテナもモデリスタです。今回一部改良された86では、ボルトのフランジ厚が変わっているので、これも変更してみたいと思っています。おもしろそうなので。(後日談:多田さんのお勧めもあってボルトを変更。安上がりなのに確かにグレードアップして嬉しいです。後藤)

 現在のカメラの場合はボルトのフランジ厚を変更するなど専用化はせず、なるべく標準のビスで作り上げるようにしています。その代わり、(ダイキャストボディーなど)ビスを受ける部分に工夫が必要ですが。昔のカメラは本当にビスが多く、しかもさまざまなビスを使い分けていました。ニコンのカメラは伝統的にビスが多く、最適化という観点ではそれがよい面もありました。ただ、時代が変わり、効率化のために今はできるだけ同じビスを使うようにしています。理論の裏付けのない私の勝手な持論ですが、「部品は多ければ多いほど、よい操作音の機械ができあがる」というのがあります。とくに一体化を進め過ぎた樹脂製品を使うと、音だけでなく振動の感触もわるくなりますね。そういったことを考えると、ビスぐらいたくさん使ってもよいのではと思うのですが、それは許されなくなっています。

多田氏:なるほど。クルマでも共通部品をなるべく使うようにというのがあります。ただ部品を共通化できるということは、ほんのちょとずつ部品そのものが妥協していることでもあります。専用部品にすると、どうしても高価になってしまうので。しかしながら86ではルームミラーを専用品にするなど新規開発の専用部品を奢った部分があります。これは通常のクルマのミラーの3倍くらいする部品なのですが、ミラーはそもそもの価格が安価なので、クルマ全体の価格から考えると大きな影響は出にくいのです。そういうメリハリをつけて専用部品を導入していけば、とんでもなく高価なクルマにならずに作り上げることができます。

 あと、フランジを厚くしたボルトですが、あれは一番最初に86を買ってくれたお客さんも喜んでもらえる一部改良とはなんだろうと考えた結果導入したものです。一部改良した結果、一番最初に86を認めてくれたお客さんが悲しむのではなく、一部改良を一緒に喜んでもらうために設定しました。部品単位で取り寄せることができるので注文が殺到してしまい、お待たせしてしまっているのは申し訳ないと思っています。

後藤氏:オーナーとしてはとても有難いです。この時代にボルト一つで盛り上がれるのはいいですね。あのボルトはいつ頃から導入しようと思ったのですが?

多田氏:実はあのボルトは10年くらい研究した結果できたものです。さまざまな形状をテストしたり、ボルトの研究だけで博士号を取っている社員もトヨタにはいます。2013年11月からの生産車には採り入れていますが、従来のお客さんでも効果を体感できることから、一部改良の発表時に広く知ってもらおうと思いました。

──ボルト話やカスタマイズ話など話題はつきませんが、最後に日本を代表する製品開発者としてもの作りを目指す人へ向けてのメッセージをお願いします。
後藤氏:新人の研修などで毎回いっている言葉に「初心忘るべからず、写真忘るべからず」があります。ただのだじゃれですが(笑)。これは、あなたは何しにこの会社に入ってきたのかということを問うている言葉です。折角夢を描いて会社に入ってきたのに、その初心を忘れてしまう場合があるのです。

 さらにニコンで仕事をするのであれば写真の仕事をしてほしいと思ってのことです。単なる電気的な画像ではなく、「写真」を考えてほしいと。それを理解していないと、ニコンのDNAである筈のもの作りの根幹が揺るいでしまいますから。

 もう1ついいますと、「写真は楽しんでなんぼ」が重要です。写真家の方は仕事なので苦しんでいるときもありますが(笑)。ニコンの仕事は、写真やカメラを楽しもうというお客様に対してもの作りをしているのですから、自分たち自身が写真やカメラを楽しまなければ本当によいものはできません。

多田氏:86を発売して一番びっくりしたのは、中学生が自転車に乗って86のカタログをディーラーにもらいにくるということをディーラースタッフに聞いたことです。そんなことは今までなかったと。そして、日本だけではなく世界中の子供から「どうやったら86のようなクルマを作ることができますか?」という問い合わせもあったりします。もちろん、子供だけでなく、その親から問い合わせがくることがあります。そのこと自体はとてもうれしいのですが、そのような問い合わせのあったときにいっているのは、子供の親に対しては「クルマだけではなくて、もの作り全般に興味を持っていただいて、ものとかかわることで人生が豊かになったり、ものと一緒に楽しむことを経験させてほしい」ということです。本人(子供)に対しては「クルマだけ見ていてはダメだ。いろいろなもの作りからクルマにフィードバックできることは一杯ある。あなたの年齢だったらいろいろなことをまだまだやってみて、これは楽しいと思えることを自分でも経験しろ。それがクルマ作りの一番の勝負のポイントだ」ということです。

 自分が乗ったり触ったりして、何がおもしろいかを感じられるセンスを磨くことがクルマ作りのすべてです。計算がすぐにできるということも大事なのですが、それ以上に、なにが楽しいのかということを感じられることが一番大事だと思っています。

 実は自分は、スポーツカーが作りたくてトヨタに入ったのですが最初に担当したのが「ラウム」でした。配属された部署の上司が「スープラ」を作った都築さんで、スポーツカーを作れると思ったらまったくそんなことはなくて、室内空間の広さや使い勝手にこだわったクルマを作れと。なので、「こんなクルマは作りたくない。自分はスポーツカーを作りたいんだ」といったら、都築さんから「おまえはバカか! おまえがスポーツカーを作るなんて100年早い」といわれてしまいました。「スープラもラウムもクルマ作りの思想は同じだ」といわれたのですが、当時の自分はそれがまったく理解できなくて。ただ、自分もクルマ作りの経験を積み、86を手がけて分かったことは「クルマ作りの常識に常に疑問を持って考えろ」ということだったのだと最近は思っています。

 たとえば「クルマのハンドルはなぜ丸いのか。どのメーカーが最初に丸くしたんだ」ということをトヨタのエンジニアに聞いても9割方分からない。「そんなの当たり前」とか「昔からそうだったから」という答えが返ってくる。実は、ラウムのハンドルは乗降性を考慮した結果丸くないハンドルを採用しているのですが、そのように「クルマの根本的な機能を突き詰めることが大切だ」と都築さんはいいたかったのかなと思っています。

対談の際に後藤氏が「ほらっ」と楽しげに見せてくれた、Dfとその交換レンズ「Zoom-NIKKOR Auto 43-86mm F3.5」。ニコンの一眼レフカメラはニコン Fのデビュー以来Fマウントを採用しており、このようなオールドレンズを最新のデジタル一眼レフに一部機能制限は生じるものの装着できる(機能制限はカメラとレンズの組み合わせによって異なり、Dfは写真のようにAiに対応した後期43-86mm F3.5であればフル機能を使えるよう設計されている)。このレンズは「ヨンサンハチロク」と呼ばれるレンズで、後藤氏がいかに86を溺愛しているか分かる

(編集部:谷川 潔/Photo:高橋 学)