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【祝!! 佐藤琢磨優勝】琢磨選手はインディ500優勝で、記憶から記録に残るドライバーに
現在ランキング3位、次なるチャレンジはシリーズチャンピオン
2017年6月5日 20:52
佐藤琢磨選手がインディ500で日本人として初めて優勝した。筆者はレーシングドライバーには2種類の人がいると思っている。「記録」に残る人と「記憶」に残る人だ。
前者の代表例は、言うまでも無くF1で7度のチャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハ。現在はスキーの事故で闘病中とされているシューマッハが記録に残るドライバーだということに否という人はいないだろう。後者の代表例は、ジル・ヴィルヌーヴ。F1で優勝は遂げているが、チャンピオンまではついに手が届かなかった。それでもジル・ヴィルヌーヴはタイヤがバーストしようが関係なくマシンを振り回す熱い走りでファンを魅了した。
佐藤琢磨選手は、日本人ファンにとってはこれまで両方の中間と言ってよい存在だった。佐藤琢磨選手は2000年からイギリスF3に挑戦し、2001年にはイギリスF3でチャンピオンになった。イギリスF3は、アイルトン・セナ、ミカ・ハッキネンといったF1チャンピオンも若手時代に挑戦してチャンピオンになっており、当時は各国のF3選手権の中で最も格式が高く、評価が高い選手権だった。そのイギリスF3で日本人としては初めてチャンピオンになった。さらに、その年のマカオGP、既に翌年からのF1昇格を決めていた佐藤琢磨選手は参戦する必要が無かったのに、記録を残すために参戦し、見事優勝を決めた。もちろんこちらも日本人としては初優勝。ジュニアフォーミュラ時代の佐藤琢磨選手は記録に残るドライバーだったと言ってよい。
F1昇格後の佐藤琢磨選手は記憶に残るドライバーに
だが、F1昇格後の佐藤琢磨選手は記憶に残るドライバーとなった。F1にデビューした佐藤琢磨選手は、マシンに恵まれることは少ない中で、どんな時も挑戦を忘れない姿勢の走りでファンを魅了した。デビューイヤーの2002年は、思ったように走らないジョーダン・ホンダのマシンに苦しめられたが、その年の日本GPでは見事に5位入賞した。その5位はマシンを考えれば優勝に等しい結果で、鈴鹿サーキットは大いに盛り上がった。その翌年は一転してシートを失い、BAR・ホンダのテストドライバーとして過ごすことになったが、最終戦の日本GPにジャック・ヴィルヌーヴの代役として登場すると、難しい状況の中で見事6位入賞。2004年はアメリカGPで3位表彰台を獲得してランキング8位となったが、2005年は一転して1ポイントのみしか獲得できずに翌年のシートを失うことになった。
その後、鈴木亜久里氏が設立した新しいF1チームとなるスーパーアグリF1チームに移籍し、2006年~2008年を同チームで戦うことになった。特に2年目となる2007年のカナダGPでは、他より劣るマシンで目の覚めるような好走を見せ、マクラーレン・メルセデスのフェルナンド・アロンソを最終シケインで豪快にオーバーテイク。多くのファンにとって佐藤琢磨選手のアタックし続ける姿勢というのが“記憶”になった瞬間だった。
2008年にスーパーアグリF1チームが破産した後、F1でのシートを見つけられなかった佐藤琢磨選手は、2010年からインディカー・シリーズに参戦した。ここでも佐藤琢磨選手は記憶に残る走りを見せている。
レイホール・レターマン・レーシングに在籍していた2012年のインディ500において、最終ラップまで優勝したダリオ・フランキッティと争い、最終ラップでフランキッティを抜きに行ってスピンし、リタイヤとなってしまった。当時も2位でいいじゃないかという人もいたが、レースは勝たないと意味が無い、少しでも可能性があるならチャレンジし続ける、そういう佐藤琢磨選手の姿勢にファンは大いに魅了されたし、記憶に残った。
その記憶に残るドライバーが、世界的にも記録に残るドライバーになった。インディ500の最終ラップを見ていて筆者が思ったことはまさにこのことだった。おめでとう、佐藤琢磨選手、そして貴方は日本のファンの佐藤琢磨選手から、世界の佐藤琢磨選手になったのだ。
デトロイトGP終了時点でドライバーランキング3位を維持、次は年間チャンピオンにチャレンジ
佐藤琢磨選手はこのインディ500の勝利で、ドライバーランキングで3位に浮上した。6月4日~5日(現地時間)にはインディ500の次戦となるデトロイトGP(変則的な土日それぞれ1レース)が行なわれたが、土曜日のレース1で8位、日曜日のレース2ではポールを獲得したが4位と堅実な走りを見せた。これによりランキング3位を維持し、今週末にテキサスで行なわれる次のレースに臨むことになる。
2016年までの佐藤琢磨選手と2017年の佐藤琢磨選手の大きな違いは、率直に言ってチーム力の違いだ。2016年まで所属していたA.J.フォイト・レーシングはお世辞にも強豪とは言えないチームで、そのチームで2013年にロングビーチGPで優勝したのは実はとてもすごいことなのだが、ここ数年はなかなか浮上のきっかけが得られなかった。
これに対して、今年所属しているアンドレッティ・オートスポーツは、何度もチャンピオンを獲っているし、インディ500も2連勝中と3強のうちの1つ。現状インディカー・シリーズで上位を争うとすれば、強豪チームに所属していなければ難しいという現状を考えれば、2017年は佐藤琢磨選手にとってチャンピオン争いすら期待できる年だと言えるだろう。
その佐藤琢磨選手にとって追い風となっているのが、2017年のホンダ・エンジンの全体的な底上げだ。2016年までは、チャンピオンを獲得したシモン・パジェノー選手が所属するペンスキー・チームなどのシボレー・エンジンを使うチームが強く、ホンダ・エンジンを使うチームはやや劣勢という状況だった。特にエンジンメーカーが用意するエアロパッケージの効率の点で、ホンダ・エンジン勢は劣っていると言われ続けてきた。しかし、2017年は大きく状況が異なっている。2017年の開幕戦から、ホンダ勢はロードコースでもオーバルコースでも安定して速さを発揮している。
現在のポイントリーダーは、2017年からホンダ陣営に移ってきたチップ・ガナッシ・レーシングのスコット・ディクソン選手、2位がペンスキー・チームのエリオ・カストロネベス選手、佐藤琢磨選手はそれに次ぐランキング3位で、アンドレッティ・オートスポートの中では最上位にいる。2016年までチームのリーディングドライバーだったライアン・ハンター・レイ選手が11位以下に沈んでいることを考えれば、これから後半戦に入っていくインディカー・シリーズでアンドレッティ・オートスポートを引っ張っていくポジションにあるのは佐藤琢磨選手であることに疑いの余地は無い。
佐藤琢磨選手の上位にいる2人はいずれもベテランで、ディクソン選手は2003年、2008年、2013年、2015年と4度のチャンピオンの経験があり、2008年にインディ500で優勝した経歴の持ち主。
カストロネベス選手はインディカー・シリーズタイトルは無いが、インディ500は2001年、2002、2009年に優勝経験がある強豪。どちらも予選で前にいなくても、レースが終わると前にいるというしぶとい走りが信条で、毎年のようにタイトル争いに絡んでいる。
ディクソン選手の所属するチップ・ガナッシ・レーシング、カストロネベス選手の所属するチーム・ペンスキーは、いずれもインディカー・シリーズの強豪チームで、この10年(2008年~2017年)で両チーム以外のドライバーがチャンピオンになったのは、2012年にハンター・レイ選手がアンドレッティ・オートスポートでチャンピオンになった1例があるだけと、3強ながら、2強+1という状況であるのも事実。
その意味では決して簡単なチャレンジではないが、これまでも佐藤琢磨選手は何度もそのバリアを破ってきた。イギリスF3チャンピオン、マカオGPの日本人初優勝を成し遂げ、そして今回インディ500初優勝を成し遂げた。そう考えれば、決して不可能な壁ではないはずだ。ぜひとも、次は日本人初のインディカー・シリーズ初制覇。それも成し遂げてもう1つ記録を積み上げることを切に願って、この記事のまとめとしたい。