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「マクラーレン・ホンダは最高の成長を遂げている」。バトン選手とバンドーン選手がトークショー開催

シークレットゲストとして佐藤琢磨選手も登場

2016年10月5日 開催

10月5日に開催されたトークショー「McLaren Honda ドライバーアピアランス」の様子。Webの抽選で選ばれた320名のファンが詰めかけた

 本田技研工業は10月5日、「2016 F1世界選手権 エミレーツ 日本グランプリ」(10月6日~9日開催)の開幕に合わせ、マクラーレン・ホンダのジェンソン・バトン選手、ストフェル・バンドーン選手によるトークショー「McLaren Honda ドライバーアピアランス」を東京 青山の「Honda ウエルカムプラザ青山」で開催した。後半にはシークレットゲストとして佐藤琢磨選手も登場し、Web抽選で選ばれた320名のファンを前に自身のF1参戦経験や想いを披露した。会場には2016年の「MP4-31」も展示されており、訪れたファンが熱心に写真に収めていた。

 トークショーの開始時刻になると、バトン選手とバンドーン選手がNSXに乗って颯爽とウエルカムプラザ青山の玄関に登場。まずは2選手によるトークショーが行なわれた。


──バトン選手は1年ぶりにこのウエルカムプラザ青山にお越しいただきました。まずはファンの皆さまにひと言ご挨拶をお願いいたします。

ジェンソン・バトン選手:今シーズンのF1グランプリはホンダにとってもチームにとっても大切な戦いになります。自分にとっても、もしかすると日本で戦えるのは最後のレースになってしまうかもしれません。とにかく自分をサポートしてくれているファンの皆さまにいい走りをお見せしたいと思っております。

ジェンソン・バトン選手
ストフェル・バンドーン選手

──バトン選手はグランプリ参戦300戦目を迎えられました。300戦、凄い記録ですよね?

ジェンソン・バトン選手:自分がキャリアをスタートしたときは300戦も迎えられると思っていませんでした。F1の世界は肉体的にも精神的にも非常に過酷です。200戦以上を戦ったシューマッハ選手など、今までこれを達成した選手たちは皆さん偉大で歴史に名を残す人たちでした。そんな方々に並べる歴史をF1の世界で作れたというのは非常に嬉しいことです。2003年からホンダのファミリーになって、多くのレースを戦い、2011年の日本グランプリでも優勝することができました。ファンの皆さんの声援をいただきながら表彰台に登れたのはとてもいい思い出です。ここからは301戦目、302戦目と新しい歴史を作って行ければと思いますので、ぜひ皆さま応援よろしくお願いいたします。

──では、バンドーン選手にも伺っていきます。来期のマクラーレン・ホンダでレギュラードライバーとしてフル参戦が決定しております。改めてこれに向けて今の想いを伺ってもよろしいでしょうか。

ストフェル・バンドーン選手:実は、このウエルカムプラザ青山に来るのは生まれて初めてです。感無量の想いです。これから何度もこうやってファンの皆さまと時間を過ごしていくのかなと思っております。バーレーンのグランプリですが、今シーズンを振り返ってみて、マクラーレン・ホンダとしても最初のポイントを自分が上げることができたというの大きな喜びですし、このチームの一員として、来シーズンは素晴らしい走りを届けていきたいと思っています。

──レースの話になりますが、マシンの戦闘力や自身のコンディション、マクラーレン・ホンダの結束力はシーズンを通して確実に向上してきていると思いますが、いかがでしょうか?

ジェンソン・バトン選手:皆さん2年目を迎えているこのシーズンですが、最高潮に達しております。考え得る限りで最高の成長を遂げていると感じています。マクラーレン・ホンダは勝利に近い、勝利を獲得していくチームになっていくだろうと思っております。そういったチームの一員になれているということは、自分にとっても大きな喜びです。

──バトン選手は大の日本びいきと聞いていますが、日本のどこかに行かれたり、何か日本食を召し上がられましたか?

ジェンソン・バトン選手:日本にいる時にはさまざまなことをしたくなります。日本ではどんな料理を食べても美味しいです。自分はトレーニングで皇居のまわりをランニングしますが、そんなときもファンの皆さまが「サイン下さい!」と声掛けてきたりして、日本の皆さんの熱狂的な姿も自分にとっては大きな喜びです。

──バンドーン選手もだいぶ日本に馴染んできたのではないでしょうか。日本語とか覚えられましたでしょうか? 好きな日本語はございますか?

ストフェル・バンドーン選手:アー(やや困惑した感じで)チョットマッテ(日本語で)。日本を母国のように感じており、好きなところも多いです。

ジェンソン・バトン選手:日本語の「可愛い」と「綺麗」を覚えておけば大丈夫だよ。君、まだ独身だろう?

ストフェル・バンドーン選手:ありがとうございます。覚えておきます。

──日本のファンはバトン選手を長らく「ファミリー」として応援してきました。そうなるとやはり気になるのは来シーズンの展望です。まだ聞くべきではないかも知れませんが教えていただけますでしょうか。

ジェンソン・バトン選手:日本だけではなく、世界中のファンの皆さんがやきもきされているかもしれません。自分は17年という長い間、F1の世界にどっぷりと身を漬けてきましたので、ここら辺でそろそろ何か別の気分展開をしてもいいかもしれません。

ストフェル・バンドーン選手:ビーチに行くんですよね?

ジェンソン・バトン選手:そうだね。ビーチにも沢山行かないとね。それはともかく、自分自身が持てる経験を活かしてマシン作りのサポートなど、マクラーレン・ホンダに貢献していきたいと思います。願わくば他のレース、SUPER GTとかにも参戦できたらと思います。これから色々なことを考えていきたいと思います。とはいえ、まずは今シーズンのF1を全力で闘いきろうと思います。

──ここでWebで公募した質問事項を2選手にお答えいただきたいなと思います。東京からお越しのシマダさんの質問です。「お互いの第一印象を教えてください。例えば動物に例えると何の動物ですか?」

ジェンソン・バトン選手:バンドーン選手は何だろうなぁ、分からないなぁ。

ストフェル・バンドーン選手:私は猿じゃないですか? もしくは猫?

ジェンソン・バトン選手:そうか猿かも知れない。うーん。猫も有力だが、君は猫ほどインテリジェンスじゃないな。犬かも知れないな。プードルとか?

ストフェル・バンドーン選手:バトン選手はラットですね。

ジェンソン・バトン選手:そうだね。人気者のミッキーマウスだよ。

ファンからの思わぬ質問に顔を見合わせて答える両選手

 トークショーの途中で、シークレットゲストとして佐藤琢磨選手が登場。ここでも会場から歓声が沸き上がった。佐藤選手を加え、3人でのトークショーとなった。

バトン選手と一緒に闘った佐藤琢磨選手がバトン選手とハグをして挨拶

──佐藤選手からひと言お願いいたします。

佐藤琢磨選手:今日は2人のドライバーの鈴鹿への応援にやって参りました。皆さま、よろしくお願いいたします。

佐藤琢磨選手

──バトン選手にお会いになるのは久しぶりですか?

佐藤琢磨選手:そうですね。凄い久しぶりです。お互いにテレビやメディアを通して見ているかも知れませんが、2008年以来じゃないですかね? テストで少し会ったかもしれませんが凄く久しぶりです。

──バトン選手、佐藤選手は変わりましたか?

ジェンソン・バトン選手:いいや。全然変わらないですね。なんで日本人って歳取らないんでしょうね。2003年、2004年のシーズンを思い出します。ファンの皆さんが熱狂的なサポートしてくださって、日本グランプリでも素晴らしい走りを見せることができました。あのころのことを思い出しますね。

3選手でのトークショーが行なわれた

──3選手に今週末の熱戦の舞台となる鈴鹿サーキットについて伺いたいと思います。バンドーン選手は今シーズンのスーパーフォーミュラの初戦で鈴鹿サーキットをスーパーフォーミュラのマシンで走っていますが、どんな印象を持ちましたか?

ストフェル・バンドーン選手:今シーズンの最初に鈴鹿サーキットを走ったときには特別な想いになりました。ここには数多くの歴史が刻まれていて、世界でも有数のドライバーズサーキットであり、この鈴鹿サーキットで自分のとってのベストラップが刻めたときは、なんとも言えない最高の気持ちになります。最終戦でまた鈴鹿サーキットを走れるのを楽しみにしています。

──バトン選手は、南コースをカートで走られたのが最初だったかと思いますが、それ以降、鈴鹿サーキットは大好きなコースの1つに挙げられていると思います。バトン選手にとって鈴鹿サーキットはどんなコースですか?

ジェンソン・バトン選手:鈴鹿サーキットは1995年~1997年にカートで走りました。その時には素晴らしいトロフィを獲得しました。2000年にF1にデビューしてからも素晴らしいなと思いました。1つにはドライバーズサーキットであるということ、2つ目として日本のファンの皆さまの応援が素晴らしいという点です。やはりチャレンジしがいのある、最高に速くて難しい素晴らしいサーキットです。2017年も観客か、マクラーレン・ホンダのファミリーの一員として見られたらいいなと思っております。

──佐藤選手といえば、2003年の日本グランプリで急遽レースドライバーとして出場することになったのが記憶に新しいところです。

佐藤琢磨選手:このとき僕自身レースを走ると知らなくて、東京駅から名古屋に向かう新幹線に乗る前はサードドライバーの予定でしたが、新幹線を降りたらレースドライバーになっていました。本当に驚きました。突然でしたが、スタッフのみなさんもよく準備していただいて、バトン選手と一緒にダブル入賞できたのは本当に思い出深いです。ここからチームの雰囲気とパフォーマンスがドンドン上がって、2004年はコンストラクターズチャンピオンシップで2位になれました。僕自身、鈴鹿は初めてサーキットに行った場所で、初めてレースを見た場所です。スクールを経て2002年に戻ってきて、実はバトン選手がアイルトン・セナメモリアルカップの南コースでレースをしていたとき、実はそれを見ていました。まだカートを始めたばかりのころでした。よく覚えています。2003年からバトン選手とBAR・ホンダ時代を戦えたというのもあり、母国でかつファンの皆さまの応援も凄いので、鈴鹿はスペシャルな場所です。今のスーパーフォーミュラは、多分2コーナーからダンロップぐらいまでF1と同じぐらい速いですね。ですので、バンドーン選手の走りにも注目したいと思いますし、バトン選手の鈴鹿を得意している走りも見たいと思います。

2003年の佐藤琢磨選手が急遽ドライバーとして出場した日本グランプリの様子

 そして、バトン選手とバンドーン選手が参加者とのフォトセッションのあとに退場し、佐藤選手によるトークショーが展開された。

──インディはF1に先駆けてシーズンが終了しました。A.J.フォイト・エンタープライズとの契約は4年目になりますね。

佐藤琢磨選手:A.J.フォイト・エンタープライズとレイホール・レターマン・ラニガン・レーシング、KVレーシングと7シーズン走ってきました。気が付けばF1より長くなっています。F1も7シーズン走っていますが、レースでいくと100戦を越えまして。まだまだ現役でやっていこうかなと思っています。スタートしたのが遅かった分、頑張って行こうかなと思っています。

──今シーズンの序盤、ストリートのコースではホンダ勢を引っ張る素晴らしい走りでしたね。

佐藤琢磨選手:開幕戦で6位に入り、次のロングビーチでも5位に入り、序盤戦では上位入賞となりました。「よし! 今年こそは行けるかな」と思いましたが、中盤戦以降は厳しいレースが続き、今シーズンは残念な結果となってしまいました。

──お忙しい佐藤選手は今週末も鈴鹿の方に入られると伺っております。

佐藤琢磨選手:はい。鈴鹿サーキットに入って、その後もイベントが目白押しです。ファンの皆さんからは「強化月間」だなんて言われています。やっぱり応援していただけるのは凄く嬉しいことですし、もちろんファンの皆さんだけではなく、スポンサーの皆さんも含めてですね。ですから挨拶まわりだったり、2017年の営業だったり、ファンの皆さんと交流を深めるイベントが多くなります。この2カ月ぐらいをとても楽しみにしています。

──日本ファミリーにとっても鈴鹿という場所は特別でしょうか?

佐藤琢磨選手:はい。特別ですね。バトン選手も言ってましたが、ベストサーキットの1つだと思います。僕の場合は日本人ですし、鈴鹿にひいき目もありますが、欧州や欧米を走った経験からしても、ドライバーにとっては攻め甲斐のある、非常にチャレンジングなコースでスピード感もあります。また、ファンの熱狂的な応援がイタリアなどとも違った感じで、日本のファンもお気に入りのドライバーがいると思いますが、(ドライバー)全員に声援を送ってくれるのがいいですね。2002年にF1に戻ってきたときの鈴鹿の応援は圧巻でした。

──それは母国グランプリであるという点も差し引いてもですか?

佐藤琢磨選手:そうです。差し引いてもですね。皆さんコスチュームを着てくれて、ずっと待っていてくれます。朝一番から夜中までという熱心さは日本のファンだけではないかと思います。

2選手が退場した後は佐藤琢磨選手によるトークショーが行なわれた

──佐藤選手だったら、今週末の日本グランプリを見て「自分だったらこう走る」とか思いますか?

佐藤琢磨選手:いやいや、そんな事は思いませんよ。ただ、自分が乗っていた時代のF1と比べてしまうというのはあります。もちろん、現役でトップフォーミュラに乗ってますから「自分のインディカーだったらこうなのかな?」というのはあります。とはいえ、F1のスケールはとんでもないと思います。特にコーナリングスピードには目を見張るものがあります。最近は空力の制限があるものの、ラップタイムがどんどん上がってきています。当時、僕らが乗っていた時よりもコーナリング速度は落ちていると思います。その分、今のパワーユニットになってスレートエンドスピードが比べものにならないぐらい速いですね。1コーナーに入ってきたときは、もうブレーキを当てながら入るわけですよね。でも僕らのときは1コーナーのエイペックスの真ん中まで全開でした。当時は、まぁ、ここでは言ってほしくないかもしれませんが、1万9000rpmで駆動するホンダV10エンジンの音がF1の凄さ、魅力の1つだったと思います。音は静かになってしまいましたが、来年度、再来年度に技術改革があって、またクルマもワイドになって凄く速くなりますし、恐らく音という面でも見直しがあるかもしれません。S字とか1コーナーとかヘアピンが楽しみです。

──バトン選手もレギュレーションの変更でよりマクラーレン・ホンダチームが戦闘力を増していくのではないかと見ておられます。今シーズンの戦い、いかがでしょうか?

佐藤琢磨選手:感激しております。中盤戦以降のマクラーレン・ホンダのパフォーマンスは凄いと思います。全チームが総力挙げてクルマを進化させているなかで、伸びしろがありマクラーレン・ホンダはいま凄く上がっています。昨年は久しぶりのマクラーレン・ホンダということで期待が高かったものの、結果は振るいませんでしたが、トップクオリティで世界と闘っているチームですから、必ず来るだろうなと思っていました。今年に入ってドンドン上がってきていて、今は連戦入賞です。バトン選手はもちろん、全員が気合いが入っていると思います。

 そういえば、ホンダのスタッフといえば、いまF1のプロジェクトリーダーをされている長谷川祐介さんはBAR・ホンダ時代のエンジンエンジニアでした。なので、長谷川さんがF1のプロジェクトリーダーになると聞いて、真っ先に「やったね!」とメールを送ったら、2分ぐらいで「どこまで行けるか分からないけど頑張るよ」と返ってきました。実際に長谷川さん含めスタッフみんなの力でここまで来ています。僕は外からしか見えませんが、今はチームのコミュニケーションが非常によいのではないかと思っています。F1時代は長谷川さんが僕のエンジンを見てくれて、バトン選手のメカニックは田辺さんという方がやっておられました。その田辺さんはインディカーのプロジェクトの現場監督をされていて、今度は僕のエンジンを見てくれています。ホンダの「トップに立ちたい」というDNAは引き継がれ、欧州、欧米の違いはありますが、ホンダパワーで頑張っています。

──今週末のF1の見どころはどこでしょうか?

佐藤琢磨選手:やはりマクラーレン・ホンダの戦いぶりですね。もしかするとバトン選手の鈴鹿出場が最後になるかもしれません。ですのでバトン選手の気迫の走りに注目したいですね。

──チームメイト時代のバトン選手とはどんな仲でしたか?

佐藤琢磨選手:実はあんまり仲よくなかったんですよ……というのは嘘です。もちろん仲よかったですよ。色々あって、何を話そうかと思っていました。レースではライバルですから、レースが始まれば最大のリスペクトを持ちつつハードに闘いました。練習で僕の調子がよいと、バトン選手は本気で「あんなに速く走んないでくれる?」と言ったり、逆にバトン選手が速いと「どうしてあそこであんなに速く走れるんだ」と思ったりというのがありました。2003年から2004年にかけてはクルマの戦闘力も上がり、よい成績を残せたので、バトン選手との思い出は色々とあります。例えばグッドウッドフェスティバルというイギリスのレースに行くのにプライベートジェットに乗せてもらったら、機内のコーヒーメーカーの故障で、機内に煙が充満してしまって緊急着陸し、結局普通に行くよりも時間が掛かってしまったということもありました。

 あとは、F1では2人のドライバーがレース前にどんなクルマにしていくかというR&Dを行ないますが、バトン選手と協力してディスカッションを重ねたり、シーズン中も情報交換を密にやっていました。また、バトン選手は日本人のシェフが気に入ってしばらく日本食を食べながらレースを続けていました。シューマッハもこのシェフが気に入って寿司を握ってもらっていましたよ。

佐藤選手がバトン選手のプライベートジェットに便乗して移動する際、コーヒーメーカーの故障で緊急着陸。翼の側には消防車が待機しているということもあったそうだ

 なお、会の最後には抽選会が行なわれ、2名の来場者に佐藤選手のサイン入りマクラーレン・ホンダキャップがプレゼントされるとともに、参加者全員にマクラーレン・ホンダのグッズがプレゼントされた。

会の最後に抽選会が行なわれ、2名にマクラーレン・ホンダのキャップがプレゼントされた
さらに参加者全員にマクラーレン・ホンダのグッズがプレゼントされた
2016年のマシン「MP4-31」が展示されていた(展示用車)
レース用のスーツも展示されていた