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モータースポーツの歴史を1度に見られた
「鈴鹿サーキット開場50周年アニバーサリーデー」

ジム・レッドマンから始まり、次代を担うドライバーが走行

鈴鹿サーキット開場50周年アニバーサリーデー

2012年9月1日、2日開催



 夏休み最後の土日となる9月1日、2日、鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で「鈴鹿サーキット開場50周年アニバーサリーデー」が開催された。鈴鹿サーキットと日本のモータースポーツの半世紀を振り返るイベントには国内外からレーサー、マシンなどが集結し、集まった多くの観客を魅了した。

 鈴鹿サーキットがオープンしたのは1962年の9月。以来半世紀、鈴鹿サーキットは日本のモータースポーツの聖地として数々のドラマの舞台となってきた。その鈴鹿サーキットの50年の歴史、日本のモータースポーツの歴史を振り返るイベントとして開催されたのが「鈴鹿サーキット開場50周年アニバーサリーデー」だ。

 コースでは1960年代のロードレーサー、レーシングカー、1990年代のF1から今年の8耐ロードレーサーなど数多くのマシンを往年のライダーやレーサーが走らせ、ピットやグランドスタンド裏のGPスクエアでは歴史を飾った名車が展示されるなど、モータースポーツファンにはたまらない2日間となった。

 どこから紹介するべきか悩むほど内容盛り沢山のイベントとなったが、最初は日曜日に行われた50周年セレモニーの様子を、コースでの走行イベントは2日間とも行われたのでまとめて紹介、最後にサイン会、トークショー、展示などを紹介していきたい。

50周年セレモニー
 日曜日に行われた50周年セレモニーでは鈴鹿サーキットを運営するモビリティランド社長の曽田浩氏が冒頭の挨拶を行った。

 続いて、ホンダ、ダイハツ、ドゥカティ、スバル、GM、KTM、LCI、マツダ、三菱自動車、日産、プジョー・シトロエン、ポルシェ、スズキ、トヨタ、ヤマハの各企業の代表が、自社のクルマやバイクに乗って登場、トヨタ自動車の内山田竹志副会長が祝辞を述べた。

 最後に5000個の風船がグランドスタンド前から一斉に上がりセレモニーを盛り上げた。

モビリティランド社長の曽田浩氏 日本の自動車メーカー、バイクメーカーの幹部が勢揃い トヨタ自動車副会長の内山田竹志氏
5000個の風船が上げられた セレモニー参加者の記念撮影。上段右から4人目はエヴァンゲリオンレーシング紫電に乗る高橋一穂氏。この日はロータス正規代理店LCIの代表という実業家の顔を見せた

2輪ロードレースの幕開け ─ 第1回全日本選手権ロードレース
 50年前、鈴鹿サーキットのオープニングレースは第1回全日本選手権ロードレースだった。当時のレースを再現するために50年前に250t、350t両クラスの優勝ライダーであるジム・レッドマン氏が世界タイトルを獲得したRC164を、日本人として初めて世界GPで優勝した高橋国光氏が4RC146をライディング。さらにホンダ、スズキ、ヤマハ、トーハツなど歴史的なロードレーサーを保有するオーナーの方も多数参加してコースを疾走した。

1962年のオープニングレースで優勝したジム・レッドマン氏。施設がほとんどなかった当時のサーキットの様子を語ってくれた 1961年ドイツGPで日本人初の優勝を遂げた高橋国光氏 グリッドに並べられた当時のロードレーサー
RC164 RC146
RC149 多くの個人オーナーの方もコースを疾走した

右から長谷見昌弘氏、柳田春人氏、本山哲選手。柳田春人氏は昨年SUPER GTでチャンピオンを獲得した柳田真孝選手の父親

華麗なる'60年代自動車レース
 1960年代はポルシェ、ロータス、ジャガーなど海外のマシンがサーキットを駆け巡り、それに対抗すべくトヨタ、日産、ホンダのマシンも登場し、激しい戦いが繰り広げられた。当時を振り返り長谷見昌弘氏はスカイラインGT S54A-1、柳田春人氏はフェアレディ1500 SP310、本山哲選手はスカイライン2000 GT-R PGC10をドライブした。

 数多くのオーナーマシンも登場し、そのマシンをマーシャルカーとして先導したホンダS800は黒澤元治氏がドライブした。黒澤元治氏はオープニングレースとなった第1回全日本選手権ロードレースにライダーとして参加。ノービス50cc、125ccで優勝している。

スカイラインGT S54A-1 スカイライン2000 GT-R PGC10 ダットサン・フェアレディ1500 SP310
黒澤元治氏は第1回全日本選手権ロードレースの朝一番で行われたノービス50ccで優勝し、レッドマン氏より数時間早く優勝者となっている ホンダS800のマーシャルカー 多くの個人オーナーマシンが参加した
トヨタS800、トライアンフ、ダットサンブルーバード、ヒルマン、日野コンテッサ、ポルシェ、ロータス、ジャガーなど当時の名車がコースを疾走した

右から長谷見昌弘氏、星野一義氏、寺田陽次郎氏、本山哲氏

世界に通ずる鈴鹿1000Km
 伝統の鈴鹿1000kmは1966年に初開催された。オイルショックなどの影響で開催されなかった時代もあり、カテゴリーもスポーツカーやグループCカーなどを経て、今年は8月19日にSUPER GT第5戦「41st International Pokka 1000km」として開催されている。

 寺田陽次郎氏は1991年ル・マン優勝マシンのマツダ787B、長谷見昌弘氏は日産R92CP、星野一義氏はスカイラインGT-R BNR32、本山哲氏はXANAVI NISMO GT-Rをドライブ。歴史も長くカテゴリーの幅も広い鈴鹿1000kmを走った多様なマシンが集まった。

マツダ787B
日産R92CP
スカイラインGT-R BNR32
XANAVI NISMO GT-R 新旧GT-Rが並んでゴール
鈴鹿1000kmを走った名車がコースを疾走した

鈴鹿F1レジェンド
 1960年代、鈴鹿サーキットでテスト走行し、世界に挑戦したホンダ第1期のF1マシン。当時の葉巻型のマシンを高橋国光氏がホンダRA272、宮城光氏がホンダRA300、鈴木亜久里氏がホンダRA301をドライブした。

ホンダRA272
ホンダRA300
ホンダRA301

 続いてアレッサンドロ・ナニーニ氏が登場。1989年のF1日本グランプリでセナとプロストがシケインで接触、トップチェッカーを受けたセナが失格となり、2位でゴールしたナニーニ氏が優勝。生涯唯一のF1優勝がここ鈴鹿サーキットだった。

 翌年、日本グランプリ直前に自家用ヘリの事故で右腕切断の重傷を負ったが、縫合手術が成功しその後ドイツ・ツーリングカー選手権などで活躍した。欠場となった1990年のF1日本グランプリは代役で乗ったモレノが2位、3位には鈴木亜久里氏が入り日本人初の表彰台を獲得した。その時鈴木亜久里氏が乗ったラルース LC90を今回ナニーニ氏がドライブ。20年の時を経て鈴鹿サーキットを当時のマシンで走る感動の瞬間となった。

ラルース LC90とドライブしたナニーニ氏

 同じ時代、ホンダF1が全盛期を迎えた第2期のマシンが続々と登場した。星野一義氏がウイリアムズFW11、中嶋悟氏がロータス100T、伊沢拓也選手がマクラーレンMP4/4、塚越広大選手がマクラーレンMP4/5をドライブ。最後はホンダF1第3期、2006年にハンガリーGPで優勝したホンダRA106を小暮卓史選手がドライブ、集まったファンはホンダサウンドを堪能することができた。

ウイリアムズFW11
ロータス100T
マクラーレンMP4/5 マクラーレンMP4/4 ホンダRA106

ワールドグランプリ ─ 時空を超えたレジェンドとの再会
 2輪ライダーは豪華な顔ぶれが鈴鹿に集結した。フレディ・スペンサー氏、ワイン・ガードナー氏、エディ・ローソン氏、ケニー・ロバーツ氏、コーク・バリントン氏など、世界のGPライダーが集まった。日本人ライダーも水谷勝氏、宮城光氏、原田哲也氏、伊藤真一氏、岡田忠之氏、清成龍一氏、玉田誠氏など新旧豪華な顔ぶれとなった。

スタンド下のステージにコーク・バリントン氏(右)と宮城光氏(左)が登場 カワサキH2R
ホンダCB500R バリントン氏と宮城氏がストレートを併走した
グリッド上で談笑するスペンサー氏(左)とガードナー氏(右) スズキRG-500 ヤマハYZR500 OW70
ホンダNSR500('88) ホンダNS500('84) サーキット各所でウィリーをしながらの走行となった
ホンダNSR250('97) ホンダNSR500('97)
ホンダNSR500('02) ホンダNSR250('01)

永遠のライバル対決!星野一義・中嶋悟最終決着&マクラーレン・ホンダ競演
 今年3月のファン感謝デーから始まった星野一義・中嶋悟F1対決。初日となった土曜日は中嶋悟氏が勝利、星野一義氏がリベンジを誓い臨んだ日曜日は雨で中止。再戦となった4月の鈴鹿2&4もマシントラブルで中止となり、半年後の9月、ついに決着の時がやってきた。

 今回は2人の対決の前に伊沢拓也選手のマクラーレンMP4/4と塚越広大選手のマクラーレンMP4/5の対決も行われ、2台のマルボーロカラーがコースを走るとセナ・プロスト時代の壮絶なバトルの記憶が甦った。

マクラーレンMP4/4 マクラーレンMP4/5
マルボーロカラーが2台並び疾走、セナ・プロスト時代を彷彿させた

 星野一義・中嶋悟F1対決は土曜、日曜と対決は行われ、2日間とも星野一義氏がフライングスタート、その後は一進一退、抜きつ抜かれつの走りを見せ、初日は並んで同着ゴール、2日目は星野一義氏が僅差で勝利。日本レース界を代表する2人がコースを走ると、サーキット全体が2人のオーラに包まれたような特殊な空間となった。レース後にお互いにたたえ合う2人の笑顔が印象的だった。

スタート前にインタビューに答える星野一義氏と中嶋悟氏 星野氏がフライングスタート
2人は好バトルを展開した
ウイリアムズFW11
ロータス100T
レース後の笑顔が印象的だった 若手2人も一緒にトークを行い、ファンから歓声があがった

8耐英雄伝説
 夏の鈴鹿サーキットといえば8耐を思い出す方は多いだろう。初日は夕闇が迫る中、グレーム・クロスビー氏はスズキGS1000R、ケニー・ロバーツ氏はヤマハYZF750、エディー・ローソン氏はヤマハYZF750 OWB7、ワイン・ガードナーはホンダRVF750をライディング、8耐のゴール直前の走りを彷彿させた。

 続いて行われた現役ライダー、現役マシンによるデモレースはル・マン方式でスタート。チェッカーと同時にコースサイドから花火が上がり、レース後は1コーナーイン側から大空に花火が打ち上げられ8耐のゴールを演出した。

ケニー・ロバーツ氏、エディ・ローソン氏、グレーム・クロスビー氏、ワイン・ガードナー氏がインタビューに答えた グリッドに並べられた8耐マシン
初日は夕闇の中で走行 2日目は昼間の走行となった
現役ライダー、現役マシンによるデモレースは初日の日没後、ル・マン方式でスタートし花火の演出でゴールとなった。

鈴鹿フォーミュラ列伝
 1970年代、1980年代、国内レースで最も人気が高かったのはF2などフォーミュラカーだった。当時の鈴鹿を走った時代時代のマシンが登場した。

日本一速い男、星野一義氏(左)と小倉茂徳氏 グリッドに並んだ各時代のフォーミュラカー
星野一義氏はPENTAXカラーが懐かしいノバ532P
マーチ742 ローラT90-50。1991年に全日本F3000で片山右京氏がチャンピオンを獲得

クラシックフォーミュラデモレース
 1960年代に活躍した個人オーナーのフォーミュラマシン約30台が集まり、正規のグリッドからスタートするデモンストレーションレースも行われた。

正規のグリッドからレースはスタート 60年代のフォーミュラマシンがコース狭しと疾走 接戦を各所で見られた
あらためて見ると格好いい60年代マシン

サイン会
 グランドスタンド裏のGPスクエアに用意されたステージでは終日イベントが開催された。ドライバーやライダーのサイン会やトークショーに多くのファンが集まっていた。海外から集まった豪華ライダー陣のサイン会では、笑顔でファンに対応する様子が印象的だった。

ライダー達が楽しそうに対応していた
ケニ-・ロバーツ氏 エディ・ローソン氏 ワイン・ガードナー氏
グレーム・クロスビー氏 フレディ・スペンサー氏 コーク・バリントン氏

トークショー
 ステージではトークショーも盛んに行われた。高橋国光氏、星野一義氏、中嶋悟氏によるトークショー、鈴木亜久里氏、ナニーニ氏によるトークショーなど多くのファンを終日集めていた。

 ケニ-・ロバーツ氏とエディ・ローソン氏のトークショーではワイン・ガードナー氏が突然乱入。プレゼントがあると1枚の写真をロバーツ氏に手渡した。受け取ったロバーツ氏は「レーシングスーツが着られたって写真だが太ってカッコ悪いぞ」と応酬、GPライダー達の仲のいいところを見せていた。

エディ・ローソン氏 ケニ-・ロバーツ氏
ワイン・ガードナー氏が乱入。写真をプレゼントした ・ガードナー氏のレーシングスーツ姿の写真を見せ「カッコ悪いぞ」と一言 ステージ前には多くのファンが集まっていた

GPスクエア

GPスクエアにも2輪、4輪の名車が展示された
メーカーブース、売店も多数出展していた GPスクエアには多くのファンが集まっていた

鈴鹿サーキット50周年記念タイムマシン展示
 ピットビル2階のホスピタリティラウンジには2輪、4輪の名車が展示されていた。

終日見学や写真を撮るファンで賑わっていた

グリッド&ピットウォーク
 2日間ともメインストレート、ピットロードを無料開放しグリッド&ピットウォークが開催された。メインストレートには鈴鹿1000Kmを走行したマシンが並べられ、各ピットにはF1はGPマシンなどコースを走行したほとんどの2輪、4輪が展示され多くのファンが盛んにシャッターを切っていた。個人オーナーのマシンでは、オーナーのはからいで子供をコックピットの乗せたり、バイクに跨らせたりし笑顔で写真撮影なども行われていた。

多くのファンがコース、ピットロードに集まり、盛んに写真を撮っていた
コースには鈴鹿1000kmを走ったマシンが並べられた
F1マシンは大人気だった
実際のコースを走ったほとんどのマシンが並べられた
2輪車も数多く展示されていた

(奥川浩彦)
2012年 9月 7日