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【鈴鹿F1日本グランプリ30回記念連載】第1回 1990年、鈴木亜久里が3位表彰台を獲得

「あの日の鈴鹿は熱かった!」

2018年10月5日~7日 開催

1990年に鈴木亜久里が日本人初の表彰台を獲得した

 1987年から始まった鈴鹿サーキットのF1日本グランプリが、2018年に30回目の記念大会を迎える。鈴鹿サーキットは開催30回の記念として、観戦チケットを従来の紙チケットではなくプラスチック製の「アニバーサリーチケット」(関連記事参照)で提供。グランプリ期間中はキッズピットウォーク、ナイトピットウォークなどさまざまなイベントが盛りだくさんだ。記念チケットの購入に関する情報は後半でお伝えしよう。

2018年の鈴鹿F1日本グランプリは30回記念大会
V1・V2席用のアニバーサリーチケット
V1・V2席以外の指定席用アニバーサリーチケット

 今回は30回記念大会を前に、過去に鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリを連載で振り返ってみたい。筆者は1986年にモナコでF1を初観戦(関連記事参照)。1987年から鈴鹿、富士、鈴鹿とF1日本グランプリを皆勤賞で観戦している。記憶に残るF1日本グランプリは?と聞かれ、筆者が最初に浮かんだのは1990年の鈴木亜久里の3位表彰台と、2012年の小林可夢偉の同じく3位表彰台。連載の第1回は1990年のF1日本グランプリだ。

セナ、プロストのチャンピオン争いは3年連続鈴鹿で決着した

 時代を振り返ってみよう。1990年ごろのF1グランプリは全16戦で争われていた。1987年~1994年の8年連続で第15戦が日本グランプリ、最終戦がオーストラリア。鈴鹿はいわゆる“ラス前"だった。そのため、日本グランプリでチャンピオン(=ドライバーズチャンピオン:以下同)が決まることが多かった。

 特に1987年から5年間は、ネルソン・ピケ(1987)、アイルトン・セナ(1988)、アラン・プロスト(1989)、アイルトン・セナ(1990/1991)と、5年連続で鈴鹿サーキットがチャンピオン決定の舞台となった。

1988年、セナはマクラーレンに移籍して初チャンピオンを獲得した

 前々年、1988年にマクラーレンがホンダエンジンを搭載。プロストとセナのコンビで16戦15勝の金字塔を打ち立てセナが初チャンピオンを獲得。前年の1989年はセナとプロストが鈴鹿のシケインで接触し、再スタートしたセナが失格となりプロストがチャンピオンを獲得。1990年はフェラーリに移籍したプロストとマクラーレン・ホンダのセナによるチャンピオン争いが行なわれていた。

 第14戦までの成績はセナが6勝で78ポイント、プロストが5勝で69ポイント。当時のポイントは1位から9/6/4/3/2/1と6位までが入賞で、16戦中11戦のポイントが有効だった。プロストは日本、オーストラリアと2連勝すれば、セナが2位2回でもチャンピオン獲得。セナは勝てばチャンピオン獲得。両者ノーポイントでも鈴鹿でチャンピオンを取ることができた。

F1人気が過熱した時代

 このころの日本グランプリはチケットの入手が難しかった。往復ハガキを送って、抽選に当たるとチケットを購入することができた。年々チケットの入手が困難になり、往復ハガキの枚数は10枚、50枚、100枚と増えていった。当時のハガキの値段は41円。往復ハガキ100枚は8200円。もちろんチケット代の数万円は抽選に当たってから別途必要で、まさにプラチナチケットだった。

1987年のチケット。1987年のチケット入手は難しくなかったが、年々激しさを増していった

 必然的にサーキットは混雑していた。1990年の入場者数をみると金曜日/土曜日/日曜日が6万人/11.5万人/14.1万人。昨年、2017年は2.6万人/4.3万人/6.8万人なので現在の倍以上の観客がサーキットにいたことになる。特に決勝が行なわれた日曜日は身動きできないほどの観客で溢れていた。当時の映像で予選や決勝の観客席に注目すると、巨大な仮設スタンドは人で埋まり、スプーンは入口から出口(現在のNエリア)まで人、人、人だ。この1990年、筆者が入手したチケットはシケイン。現在のQ2スタンドは影も形もなく、当時は現在のQ1スタンドの後方に仮設スタンドが設置されていた。

世界が注目したバトルは9秒で終わった

 1990年10月21日、世界中のモータースポーツファンが注目するF1日本グランプリは、スタートして9秒で決着がついた。予選2位のプロストが先行し、ポールポジションから出遅れたセナが1コーナーでインに飛び込み接触。2台がコースアウトしセナの2回目のチャンピオンが決まった。

1989年チャンピオンのプロスト。2年連続チャンピオン獲得はならなかった
セナは1988年に続き、1990年に2度目のチャンピオンを獲得した

 シケインから接触する様子は見えなかったが、1コーナーから砂煙が舞い上がり、何かとてつもないことが起こったと感じた。最終コーナーのイン側に設置された大型スクリーンでコースアウトした2台のマシンを確認。前年の終盤まで続いた息が詰まるようなセナ・プロのバトルが記憶にあったので、サーキットに詰めかけた観客は落胆した。おそらく、ヨーロッパで早朝にTV観戦していた人も、北米、南米で土曜日の深夜に観戦していた人も落胆したと思う(日本国内は20時から録画放送)。サッカーワールドカップの日本戦のハーフタイムに水道の使用量が跳ね上がることが話題になったばかりだが、世界中でTVのスイッチが切られ、電力使用が下がったかもしれない瞬間だった。

 落胆したサーキットの観客に追い打ちをかけるように、マクラーレン・ホンダのゲルハルト・ベルガーが2周目の1コーナーで砂に乗ってスピン、コースアウト。シケインから1~2コーナーのコースはほとんど見えないが、グラベルに飛び出したマルボロカラーのマシンはチラッと見えた。これでフェラーリのナイジェル・マンセルがトップに立ち、このままゴールまで独走かと思われたが、レース折り返しの26周目にピットインしたマンセルは、発進時にドライブシャフトが折れ、ピットロードをゆるゆると下ってマシンを止めた。コンストラクターズポイント1位、2位のチームの4台がサーキットから消えてしまった。

日本人ドライバーが鈴鹿の観客を救った

 最低なグランプリになった、はずだった。おそらく海外の人にとっては、今でも最低なグランプリかもしれない。落胆したファンを救ったのは2人の日本人ドライバーだ。マンセルがリタイアしてベネトンのピケがトップに立つと、鈴木亜久里が予想外に上位を走っていた。

中嶋悟は6位入賞

 1990年の鈴木亜久里(ラルース・ランボルギーニ)の第14戦までの成績は6位が2回。リタイアが9回。前年のザクスピード・ヤマハの16戦連続予備予選落ちからすると随分ましだが、地元鈴鹿とはいえ、完走すれば上出来、あわよくば入賞といった感じだ。

 もう1人の中嶋悟(ティレル・フォード)も14戦まで6位2回、リタイア8回と振るわない。レース前には大きな期待はできない状況だった。ちなみに中嶋と同じティレル・フォードに乗るジャン・アレジが、アメリカグランプリでセナと歴史的なバトルをして2位になったのがこの年の開幕戦。開幕戦で自身初表彰台を獲得したアレジは、翌年フェラーリに移籍する。

 上位4台がいなくなったこともあり、亜久里はレース後半(37周目)に3位となった。サーキットは一転お祭り騒ぎだ。この日、場内の実況はメインスタンドとヘアピン? の2カ所で行なわれていた(と思う)。亜久里のマシンがダンロップコーナーからデグナーに消えていくと、場内の実況がヘアピンに引き継がれるイメージだ。

 中嶋がデレック・ワーウィックを抜くと大歓声。亜久里と4位のリカルド・パトレーゼのタイムが縮まるとドキドキ。引き離すとまた歓声。レースが終盤に近付くと、実況の「手を振れ、旗を振れ」の声に乗せられたスタンドの盛り上がりで、亜久里のマシンがどこを走っているか分かるほどとなった。

 レース終盤、日本人初の表彰台が現実のものとして見えてきた。実況アナウンサーも感極まって涙声となり、もう一方のアナウンサーが「泣くな山田アナウンサー」と叫ぶ。そして歓喜の瞬間、亜久里が3位でチェッカーを受けた。F1の歴史の中で最低なグランプリは、日本人にとって最高のグランプリとなった。振り返ると、過去29回の鈴鹿F1グランプリで最も盛り上がったのはこのレースだと思っている。

優勝はネルソン・ピケ

 優勝はネルソン・ピケ。2位は直前のヘリコプター事故でアレッサンドロ・ナニーニがF1を去ることになり、その代役で急遽ベネトンに乗ったロベルト・モレノ。モレノもコローニなどで予備予選落ちが続いていたので、突然のベネトンからの参戦で、生涯で唯一のF1表彰台の獲得となった。時が過ぎ、2012年の「鈴鹿サーキット開場50周年アニバーサリーデー」(関連記事参照)に登場したナニーニ氏の元気な姿を見て、筆者はこの1990年のF1日本グランプリを思い出した。

アニバーサリーチケットのチーム選択ができるのは7月31日まで

 7月8日に西エリアチケットと金曜日券が発売された。チケットの購入はレース直前まで可能だが、お気に入りのチームがデザインされたアニバーサリーチケットが選べるのは7月31日まで。30回記念チケットの購入方法を簡単に説明しておこう。

 アニバーサリーチケットの設定がないのは金曜日券。アニバーサリーチケットのチーム選択ができないのは西エリアチケットとなっている。西エリアチケットは、プラスチック製のアニバーサリーチケットではあるが、デザインは鈴鹿カラーに限定される。

西エリアチケットは鈴鹿カラーとなる

 それ以外のチケットはチーム選択が可能だ。メルセデス、フェラーリ、レッドブル、フォース・インディア、ウィリアムズ、ルノー、トロロッソ、ハース、マクラーレン、ザウバー、鈴鹿カラーの11種から選択しよう。

V1・V2席用のアニバーサリーチケットのメルセデス、フェラーリ、レッドブル
V1・V2席以外のアニバーサリーチケットのトロロッソ、ハース、マクラーレン

 筆者は5月にチケットを購入済み。発売日の朝10時からの争奪戦に参戦して購入した。即完売になるチケットの購入は大変で、開始5分前から発売後30分くらいはアクセスが集中してサイトになかなか入れない。入れてもチケットを選択している途中で完売になったりする。10分ほどで完売となるチケットは秒単位の争いだ。

 その争奪戦の途中で「登録名」という見慣れない項目が表示された。「登録名? 自分の名前?? なに???」と画面をスクロールしても説明はなし(なかったと思われる)。秒単位の争いの最中なので、何も記入せずに購入した。

 今、購入サイトの画面を見ると登録名の下に、「1:メルセデス、2:フェラーリ……」と登録名に半角で記入する番号が掲載されている。5月の発売日にこの選択肢の表示はなかったような気がする。11個ならプルダウンで選択できるようにしてほしかった、と思っても後の祭り。

登録名に半角数字でチームを選択しよう

 チーム選択ができるのは購入時のみ。5月に空欄で購入した筆者は自動的に登録名なし=鈴鹿カラーとなってしまった。購入後の変更は不可能なので、これから購入する人は、筆者のように後でガッカリとならないよう、最後に出てくるチーム選択の画面でお気に入りのチームを選択してほしい。

 また、鈴鹿サーキットから6月25日時点のチケット完売情報が出ている。完売となったチケットはVIPスイート、V1(全エリア)、V2-1・2・4・7・10、D-1・3・4、Q1、レディースシート(V2-11)。カメラマンエリア(B2・ヘアピン入場可)、アウトレット(V1・V2・A1・B2・C・E・Q1・Q2)などだ。

 筆者がお勧めするB2(2コーナー2階席)、Q2(シケイン2階席)、I(ヘアピン)、C(2コーナー~S字)、カメラマンエリアなどはまだ購入可能なので、7月31日までにお気に入りチームのデザインされたアニバーサリーチケットをゲットしてほしい。