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【鈴鹿F1日本グランプリ30回記念連載】第2回 2012年、可夢偉が22年ぶりに日本人表彰台を獲得

「あの日の鈴鹿は熱かった!」感動的フィナーレを迎えたハラハラドキドキの決勝

2018年10月5日~7日 開催

決勝前のドライバーズパレードで観客に手を振る小林可夢偉

 1987年から始まった鈴鹿サーキットのF1日本グランプリが、2018年の今年、30回目の記念大会を迎える。過去に鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリを振り返る連載第2回目は、2012年のF1日本グランプリ。小林可夢偉が日本人として22年ぶりに鈴鹿の表彰台に立ったレースだ。

チャンピオン経験者が6人参戦。8人が優勝した2012年

 まず2012年シーズンを振り返ってみよう。この年、2年間F1を離れていたキミ・ライコネンがロータス・ルノーからF1に復帰。2006年に引退したミハエル・シューマッハも2010年にメルセデスでF1復帰していたため、セバスチャン・ベッテル、フェルナンド・アロンソ、ルイス・ハミルトン、ジェンソン・バトン、ライコネン、シューマッハとチャンピオン経験者が6人もいるシーズンとなった。

ロータス・ルノーからF1に復帰したキミ・ライコネン

 ふたを開けてみると、開幕から7戦目まで勝者が異なる、まれに見る接戦でこのシーズンは始まった。7人の勝者の中には、マーク・ウェバー、自身初優勝のニコ・ロズベルグ(メルセデスは57年ぶりのF1優勝)、生涯で唯一の優勝、唯一の表彰台獲得となったパストール・マルドナドとチャンピオン未経験のドライバーもいた(ロズベルグは2016年にチャンピオン獲得)。7戦までの開催地と優勝者は以下のとおりだ。

第1戦 オーストラリア:バトン(マクラーレン)
第2戦 マレーシア:アロンソ(フェラーリ)
第3戦 中国:ロズベルグ(メルセデス)
第4戦 バーレーン:ベッテル(レッドブル)
第5戦 スペイン:マルドナド(ウィリアムズ)
第6戦 モナコ:ウェバー(レッドブル)
第7戦 カナダ:ハミルトン(マクラーレン)

 終わってみればライコネンを加えた8人が優勝し、チャンピオン争いは最終戦まで持ち込まれた。この年のポイントシステムは1位から25/18/15/12/10/8/6/4/2/1と10位までが入賞(現在と同じ)。ベッテルが13ポイントのリードで迎えた最終戦で、2位のアロンソが逆転チャンピオンを獲得できる条件は、「アロンソ優勝、ベッテル5位以下」「アロンソ2位、ベッテル8位以下」「アロンソ3位、ベッテル10位以下」。

 最終戦のブラジル。7番グリッドからスタートしたアロンソは1コーナーで4位にジャンプアップ。4番グリッドからスタートしたベッテルは7位に後退。さらに4コーナーでブルーノ・セナに追突され最後尾に。ベッテルの3年連続チャンピオンは遠のいた。

 インテルラゴスの空はこの年もチャンピオン争いを演出してくれた。ドライ、ウェット、ドライと目まぐるしく路面状況が変わるなか、アロンソは2位でフィニッシュ。怒濤の追い上げを見せたベッテルは6位となり、ベッテルがアロンソを3ポイント差で抑え、3年連続のチャンピオンを獲得している。

最終戦までチャンピオン争いをしたアロンソ

速さが結果につながらない小林可夢偉

 この年の小林可夢偉はザウバー・フェラーリで3年目のシーズンを迎え好調だった。開幕戦のオーストラリアでは、予選Q1でトップタイムを記録(Q2で敗退するも決勝は6位)。第3戦の中国では予選4位、第12戦のベルギーでは予選2位と上位に食い込む速さを見せた。

 決勝ではドイツの4位を筆頭に6回入賞して35ポイントを獲得するも、表彰台に手が届きそうで届かず、印象としては“惜しい"レースが多かった。特に2番グリッドからスタートしたベルギーはロマン・グロージャンが“ミサイル”と呼ばれたレースで、スタート直後にハミルトンと接触したグロージャンがアロンソに乗り上げ、ハミルトンが可夢偉のマシンに乗り上げるアクシデントが発生。可夢偉はフロント部分を大破してピットイン。13位フィニッシュに終わった。

予選4位かペナルティか

 全20戦の第15戦が日本グランプリだ。チャンピオン争いはアロンソ194ポイント、ベッテル165ポイントで鈴鹿を迎えた。不運続きの可夢偉だが、日本人が表彰台に立てる期待感のある日本グランプリは2004年の佐藤琢磨以来だ。

 可夢偉はファンの期待に応え、予選Q3で4番手タイムを叩き出すが、アタック中にスプーンでスピンしたライコネンの前を通過。イエロー区間を通過していたためタイム取り消しの不安があった。筆者は予選Q2まではヘアピンの進入側で撮影し、Q3は130Rに移動して観戦=可夢偉の応援をした。

 アタック直後から「イエロー無視でペナルティか」と危惧されていた。記憶ではタイム取り消しの有無はすぐに出なかったので、予選終了直後に不安を感じたままサーキットを後にし、ペナルティがなく予選4位確定を知ったのは帰宅後だった。予選3位のバトンがギヤボックス交換で5グリッド降格。可夢偉は3番グリッドから表彰台を狙うことになった。

可夢偉、いきなり2位。ハラハラドキドキの決勝

 決勝がスタート。可夢偉はベッテルに次ぐ2位にポジションアップ。1コーナーでポイントリーダーのアロンソがコースアウト。2コーナーでは予選2位からスタートしたウェバーがグロージャンに追突されレースを終えた。アロンソがいなくなったのは残念だが、この日ばかりは強敵がいなくなったことを歓迎。序盤はベッテル、可夢偉、バトン、フェリペ・マッサ、ライコネンの順。

 筆者はスタートは逆バンクで、その後はS字2つ目、S字1つ目とカメラマンエリアを移動しながら観戦&撮影。この日、可夢偉とバトンの争いは終盤まで続いた。バトンがピットインし、次の周に可夢偉も対抗してピットイン。バトンの前でコースに戻り、サーキットは安堵と歓声を繰り返した。

バトンと可夢偉のバトルは序盤から最終ラップまで続いた

 ピットアウトした可夢偉とバトンをダニエル・リカルド(トロロッソ)が通せんぼしてラップタイムが落ちた。そのため後からピットインしたマッサ(フェラーリ)が2位にポジションアップ。予想外の展開。このシーズンのマッサはそれほど速くないし、予選も11位なので、そのうち抜けるだろうと思っていたら……速い。

マッサが予想外に速く2位を獲得した

 マッサは逃げ、可夢偉とバトンの争いは2位争いから3位争いとなった。今ではSUPER GTのレギュラードライバーとなったバトンは当時から親日家。今日ばかりは「空気読めよ」と思うが、終盤はDRSが使える1秒差のバトルとなりハラハラドキドキ状態だった。

ベッテルは終始トップをキープした

 最後の最後にサーキットではプチアクシデントが発生。Pit-FM(場内放送)が残り2周を間違えてファイナルラップと放送。バトンの追撃から逃げ切って3位獲得と思い「やったー」と叫んだら残りもう1周。観客席のまわりにもPit-FMを聞いていて歓声を上げる人がいたが、残念ながらぬか喜び。ファイナルラップ。大型モニターは3位争いを追っていたが、0.5秒差でヘアピンを立ち上がったところで1位のベッテルがチェッカーを受ける映像に切り替わった。続いてマッサのチェッカー。可夢偉とバトンのスプーンは、130Rは、シケインはどうなった……と不安と期待がピークに達した瞬間に、バトンを0.5秒差で抑えた可夢偉がチェッカーを受けるシーンが映し出されホッとした。

可夢偉はバトンの追撃を退け3位表彰台を獲得した

感動的なフィナーレ

 レース後、印象的だったのは多くの観客が表彰式を待って席を立たなかったこと。S字から見えたストレートエンド(A1席)、1コーナー(A2席)、2コーナー~S字(B1/B2/C席)、S字(D5席)のほとんどの観客がモニターに映る表彰式を最後まで見とどける感動的なフィナーレとなった。

レース後、多くの観客が表彰式を待っていた。ストレートエンドのA1席
1コーナーのA2席の観客
2コーナー~S字のB1/B2/C席の観客
S字のD席5ブロック

 1990年、鈴木亜久里の3位表彰台から22年ぶりに日本人がF1日本グランプリの表彰台に立った。日本人がF1で表彰台に立ったのは、2004年のアメリカグランプリ3位の佐藤琢磨を含め3人。筆者を含め、鈴鹿サーキットでその瞬間に立ち会えたモータースポーツファンは一生の想い出になったであろう。

日本人の成績を振り返る

 1987年以降の日本人F1ドライバーの成績を振り返ってみよう。ポイントを獲得したのは、小林可夢偉、佐藤琢磨、中嶋悟、中嶋一貴、鈴木亜久里、片山右京、中野信治の7人。ポイントを獲得できなかったのは井出有治、井上隆智穂、鈴木利男、高木虎之介、野田英樹、服部尚貴、山本左近となっている。

 ポイントを獲得した7人の成績を表にしてみた。総ポイント順に並べているが、時代によってポイントシステムが異なるため参考程度に見ていただきたい。

ドライバー名総ポイント予選最高位決勝最高位ドライバーズポイント最高位
小林可夢偉1252位3位12位
佐藤琢磨442位3位8位
中嶋悟166位4位12位
中嶋一貴96位6位15位
鈴木亜久里86位3位12位
片山右京55位5位17位
中野信治212位6位18位

 表彰台に立ったのは鈴木亜久里、佐藤琢磨、小林可夢偉の3人。予選の成績では佐藤琢磨と小林可夢偉の2位が最高位だ。ドライバーズポイントのシーズン最高位は佐藤琢磨の8位となっている。

 現在は日本人ドライバー不在のF1グランプリとなっている。正直、時間はかかりそうな感じはするが、日本人がF1で活躍できる日が来ることを期待したい。

1990年と2012年

 前回は1990年の鈴木亜久里の表彰台、今回は2012年の小林可夢偉の表彰台を紹介した。振り返ると観戦環境は劇的に変わったと感じている。1990年ごろは決勝中に移動して観戦するなど考えられないほど混んでいた。混んでいたのはサーキット内だけでなく、サーキット周辺の渋滞もすさまじい状態だった。

 単純に観客数が減ったこともあるが、2012年に移動しながら観戦&撮影ができたのはカメラマンエリアの恩恵だと思う。駐車場の充実も昔と今では比べものにならない。伊勢湾岸道や新東名など交通網の発達も鈴鹿サーキットへのアクセスを楽にしてくれた。

 筆者はクルマ派だが、バス、電車のアクセスも向上している。特にグランプリ期間中は、新しくできたバイパスをバス専用道にするなどして白子~サーキットのシャトルバスの定時運行を実現したため、昔のように“バス待ち何時間”などということはなくなった。

白子駅~サーキットは約20分で安定した移動が可能となった

 2018年の鈴鹿F1グランプリは30回の記念大会。アニバーサリーチケットも入手できるので、久しぶりにサーキットに足を運んでいただきたい。