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【鈴鹿F1日本グランプリ30回記念連載】最終回 2005年、17番グリッドから最終ラップでトップに立ったライコネン
「あの日の鈴鹿は熱かった!」2018年の日本グランプリも熱くなりそう!
2018年7月31日 10:50
- 2018年10月5日~7日 開催
1987年から始まった鈴鹿サーキットのF1日本グランプリが、2018年の今年、30回目の記念大会を迎える。過去に鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリを振り返る連載。最終回は2005年、17番グリッドからスタートしたキミ・ライコネンが、最終ラップにトップに立ったレースだ。
F1の勢力図が大きく変わった
時代を振り返ってみよう。前年、2004年のドライバーズチャンピオンはミハエル・シューマッハ。2000年から5年連続でチャンピオンを獲得した。ベネトン時代の2回を合わせて7回のチャンピオン獲得は歴代1位。5年連続チャンピオンは、筆者が生きている間に更新されない可能性が高い大記録だ。
2004年のコンストラクターズチャンピオンはフェラーリ。1999年から6年連続でチャンピオンを獲得している。こちらも1950年に始まったF1の68年の歴史の中では偉業と言えるが、メルセデスが現在4年連続でチャンピオンを獲得しているので、こちらは2020年に更新されるかもしれない。
2005年、そのフェラーリが失速。2004年はシューマッハが18戦中13勝、ルーベンス・バリチェロが2勝したのに対し、2005年は1勝。その1勝も6台のブリヂストンタイヤ勢だけが決勝に参加したアメリカグランプリのみだ。
BARホンダも2005年に失速したチームだ。2004年、BARホンダはジェンソン・バトンが2位4回、3位6回、佐藤琢磨が3位1回と、計11回の表彰台を獲得し、コンストラクターズポイントでフェラーリに次ぐ2位となった。飛躍が期待された2005年だったが、開幕から9戦ポイントなし。後半はやや盛り返すが、コンストラクターズチャンピオンは10チーム中6位と低迷した。
躍進したのはルノーとマクラーレン。2004年は共に1勝で、コンストラクターズチャンピオンシップはそれぞれ3位、5位に留まったが、2005年はルノーのフェルナンド・アロンソが7勝、ジャンカルロ・フィジケラが1勝、マクラーレンのライコネンが7勝、ファン・パブロ・モントーヤが3勝とアメリカグランプリ以外のレースはルノーとマクラーレンが優勝した。
2002年からF1に参戦していたトヨタも飛躍したチームの1つだ。2002年~2004年の決勝最高順位は5位だったが、2005年の第2戦マレーシアグランプリでヤルノ・トゥルーリが2位に入り、参戦以来初の表彰台を獲得。トゥルーリが3回、ラルフ・シューマッハが2回表彰台に立ち、コンストラクターズチャンピオンシップの順位は2004年の8位から4位へ躍進した。
2005年はフェラーリ&シューマッハ時代からF1の勢力図が大きく変わったシーズンとなった。その主役になったのはルノーのアロンソだ。アロンソは2001年にミナルディでF1デビュー。2002年はルノーのテストドライバーを務め、2003年にルノーのレギュラードライバーとなり、第13戦のハンガリーグランプリで初優勝。表彰台4回を獲得した。フェラーリ圧勝の2004年は優勝こそしなかったが、表彰台を4回獲得している。
2005年は第2戦のマレーシア、第3戦のバーレーン、第4戦のサンマリノと3連勝。このサンマリノのミハエル・シューマッハとのバトルは歴史に残る名勝負となった。
レース終盤、残り13周でアロンソ1位、シューマッハ2位。ここからゴールまでテール・トゥ・ノーズのバトルを展開する。この日のシューマッハはファステストラップを記録するなど絶好調だったが、アロンソは絶妙なライン取りでシューマッハを封じ込めた。
筆者が「アロンソ、すげーなあ」と思ったのは、ラップタイムを落としながら抜かせないこと。普通、トップ争いの前には周回遅れのマシンが現れる。周回遅れの処理をミスって順位が入れ替わるのはレースではよくあるシーンだ。10周を超えるバトルで、アロンソは1台も前を走る遅いマシンを抜かなかった。
残り6周あたりから2秒ほど前に遅いマシンが現れるが、アロンソは前のマシンに近付かないようにペースを落としながら、シューマッハに抜かれない走りを続けた。不思議な光景を見ているようだった。直線の少ないイモラサーキットだが、ストレートでマシンを左右に振って鬼ブロックをするわけでもなく、まさに絶妙な走りで最後までトップの座を譲ることなく3連勝を飾った。
アロンソ6勝、ライコネン6勝で迎えた第17戦のブラジルグランプリ。アロンソは2位5回と取りこぼしが少ない。一方、ライコネンは2位1回。確実にポイントを積み上げたアロンソが2戦を残してドライバーズチャンピオンを獲得した。
この頃、特徴的だったのは予選システム。年によって微妙な変更はあったが、遅いドライバーから1人ずつタイムアタックをする方式だった。一発勝負となるため、ミスをすると上位勢でもグリッド後方に沈むことがある予選方式だ。さらに、セッション中に雨が降り出すと、トップチームがすべて後方に沈み、決勝はオーバーテイクショーが見られる可能性が高くなる。
その雨が、鈴鹿で降った。
雨が演出したオーバーテイクショー
2005年のF1日本グランプリは19戦中の第18戦。前戦のブラジルでアロンソが自身初のドライバーズチャンピオンを決めているので、やや“消化試合”の雰囲気はあった。ただ、多くの観客はチャンピオン決定より前にチケットを購入しているので、鈴鹿サーキットは混んでいた。
前回の記事でも掲載したF1日本グランプリの入場者数の推移を見ると、アイルトン・セナが亡くなった1994年をピークに観客数は若干減少した。その後はチケットの入手もそれほど難しくなくなり、頑張れば自由席でも観戦できたと記憶している。
記憶が不確かなので写真を探してみると、2001年、2002年はS字の自由席(現在のD5席付近)、2004年はスプーンで観戦をしたようだ。どの写真も多くの観客がいたことが分かる。
発表されている観客数を見ると、2003年~2005年の観客数は横ばいで2006年にグッと増えているが、筆者の肌感では佐藤琢磨がアメリカグランプリで表彰台に立った2004年から混雑度合いが高まり、シューマッハ引退、鈴鹿ラストイヤーとなった2006年にピークを迎えた印象がある。
これもやや記憶が曖昧だが、2003年、2004年ごろは前年にチケットが販売されていた。サーキットで配られた案内チラシに購入方法が記載されていて、F1グランプリが終わった直後に翌年のチケットを購入していた。1万円くらいの自由席が5000円くらいで買えたので、12月には振り込みを完了していたと思う。
2004年は佐藤琢磨人気があり、この5000円の自由席が9000円に値上げ。「安くないじゃん」とか思いつつ、2005年分も2004年の12月には購入、翌年も同様だったと記憶している。
この頃は、現在もF1観戦を続けている高校の同級生2人のほか、その弟、その友人、その彼女……に筆者の子供を加えた10人くらいで行動をしていたので、それぞれ役割分担があった。場所取り担当君によるとS字の自由席を確保するには、土曜日の早朝(4時~5時?)に正面ゲートから入り、サーキットゲートまで列が移動。その後6時ごろに開門するとダッシュでS字に向かったそうだ。並ぶ時間も加味すると、決勝の36時間くらい前でないとよい場所は確保できなかった。当時は金曜日のセッションが終わって正面ゲートを出ると、すでに座っている人の列ができていた。列の先頭付近の人は決勝の48時間くらい前から並んでいたと思われる。
2005年は金曜日が晴れのち曇り。午前中はヘアピン、午後はスプーンで観戦。土曜日は雨、日曜日は晴れ。土日はキープした逆バンクの立ち上がりから動けない状況だった。この年だけ記憶が鮮明なわけではない。デジタル一眼レフカメラになったので、撮影日時がExif情報に残っているため、何曜日の何時何分にどこにいて、どんな天気だったかが分かるようになっただけだ。
日本グランプリの予選は、前戦のブラジルグランプリ決勝の成績下位から1台ずつアタックをする方式だった。ブラジルグランプリの決勝は1位からモントーヤ、ライコネン、アロンソ、ミハエル・シューマッハ、フィジケラ、バリチェロ、バトン、ラルフ・シューマッハと続き佐藤琢磨は10位。
出走台数は20台なので、アタック順は琢磨が11番目、ラルフが13番目で、バトン、バリチェロ、フィジケラと続き、モントーヤが20番目となる。予選の前半は小雨。11番目にアタックした琢磨は9人を残しトップタイム。その後13番目のラルフ、14番目のバトン、16番目のフィジケラは琢磨を上まわるラップタイムを出すが、フィジケラのアタック途中から雨足が強まり、ミハエル、アロンソ、ライコネンは大幅にタイムを落とし、最後のモントーヤはアタックを諦めピットに戻ってしまった。
予選順位はラルフがポールポジション。2位バトン、3位フィジケラ。佐藤琢磨は5番手。ミハエル14位、アロンソ16位、ライコネン17位、モントーヤ18位で決勝をスタートすることとなった。
快晴の日曜日。スタート直後の2コーナーで琢磨がコースアウトしてほぼ最後尾までポジションダウン。最終コーナーではモントーヤがクラッシュ。いきなりセーフティカー導入となった。
トップのラルフがピットインし、フィジケラがトップ。後方ではミハエル、アロンソ、ライコネンのオーバーテイクショーが行なわれていた。20周を前に5位ミハエル、6位アロンソ、7位ライコネン。新チャンピオンのアロンソは130Rでミハエルをアウトからオーバーテイク。アロンソは残り5周でマーク・ウェバーを抜き3位までポジションアップ。
極めつけはライコネン。最終ラップの1コーナーで逃げるフィジケラをアウトから豪快にオーバーテイク。予選17位からトップに立ち、シーズン7勝目となった。消化試合のはずが、雨が演出したオーバーテイクショーで2005年の鈴鹿F1日本グランプリは歴史に残るレースとなった。
今年のF1グランプリは面白い
今シーズンは全21戦。第12戦のハンガリーグランプリが終わってF1は4週間のサマーブレイク。次戦ベルギーグランプリは8月24日~26日だ。今シーズンの前半は面白いレースが多かったし、ポイントも接戦になっている。
時代を振り返ると、シューマッハ5連覇(2000年~2004年 フェラーリ)の後、アロンソ(2005年~2006年 ルノー)、ライコネン(2007年 フェラーリ)、ルイス・ハミルトン(2008年 マクラーレン)、バトン(2009年 ブラウンGP)と混戦の時代となったが、2010年~2013年はレッドブル(セバスチャン・ベッテル)の4連勝、2014年~2017年はメルセデス(ハミルトンとニコ・ロズベルグ)の4連勝と1チームの独走時代が続いてきた。
F1に限らずスポーツは競り合いが面白い。その点では昨年、2017年のF1は途中まで面白かった。2018年、今シーズンも前半はメルセデスとフェラーリが接戦となっている。2014年以降のコンストラクターズポイントをグラフにしてみたので確認してみよう。
グラフはコンストラクターズの1位(=メルセデス)と2位のポイント差だ。2014年~2016年は開幕からずっと点差が開き、シーズンが終了するころには300ポイントほど差がつくメルセデスの1人勝ちだった。
2017年は第7戦まではフェラーリが互角に戦っていた。第8戦のアゼルバイジャングランプリでセーフティカー中にベッテルがハミルトンに体当たりしたあたりから雲行きが怪しくなり、第14戦、シンガポールグランプリのスタートでフェラーリのベッテルとライコネンがクラッシュして、シーズンもクラッシュした感じだ。2017年は最終的に146ポイント差だったので、過去3年と比べればその差は半分くらいとなった。
今シーズンは第12戦ハンガリーグランプリを終わって、コンストラクターズポイントは10ポイント差(ドライバーズポイントは24ポイント差)と昨年以上に接戦となっている。レースの内容も面白い。ここ最近のレースでも、7月29日に決勝が行なわれたハンガリーグランプリのバルテリ・ボッタスとベッテルのバトルは、思わずTVの前で声が出るほどだった。イギリスグランプリの終盤のトップ争いは緊張感が凄かった。
30回目の記念大会となる鈴鹿F1日本グランプリは第17戦。後半9戦の真ん中に位置する。秋になってもメルセデスとフェラーリが熱いバトルを続けていることを期待したい。前回もお伝えしたが、F1日本グランプリの2019年以降の開催は決まっておらず、日本グランプリ消滅の危機だ。来シーズンはレッドブルにもホンダのパワーユニットが搭載される。それなのに日本でF1が見られなくなるのは悲しい。ぜひ、多くの人に30回記念大会に足を運んでいただきたい。
F1の映像を無料でチラッと見る方法
「F1、地上波がなくなってから見てないなあ」「え、今年のF1は面白いの?」という、昔F1好きな人にTV観戦の情報をお伝えしよう。地上波、BSでの放送はなくなり、F1をしっかり見るにはスカパー!(フジテレビNEXT)かDAZNの有料放送となる。DAZNについては、関連記事「2018年のF1シーズン開幕! 好評の新機能『F1 ZONE』を公開したDAZN(ダゾーン)に行ったぞーん」を参照いただきたい。
とりあえず無料でチラッと見たい人は、F1の公式サイトで動画を見ることができる。英語音声となるが、例えば最後に凄いバトルが展開されたイギリスグランプリのハイライト映像や、ハミルトンが大逆転したドイツグランプリのハイライト。7月29日に行なわれたばかりのハンガリーグランプリのハイライトもすでに公開されている。公開のタイミングは早く、スタートのアクシデントなどはレース中にアップされる。内容も予選のオンボード比較映像など豊富だ。
BS放送が見られる人は、NHKのBS1で月曜日~土曜日の23時(日曜日のみ月曜日深夜0時)から放送されているワールドスポーツMLBでF1開催の翌日、番組の最後にF1のダイジェスト映像を日本語解説で見ることができる。F1だけでなくWRCなども放送されるので、チラッと見たい人はチェックしてみよう。