マツダ、「ロードスター20周年ミーティング」を開催
63万km走行車など約1600台のロードスターが生誕の地をパレード

ロードスター20周年ミーティングに参加した約2500人のロードスターオーナー

2009年9月20日開催



 9月20日、広島県三次市にあるマツダ三次自動車試験場にて「ロードスター20周年ミーティング」が開催された。普段は一般公開されることのない同試験場で、このような大規模なミーティングが開催されるのは、ロードスター10周年ミーティングに続いて10年ぶりの2回目。会場には全国から約2500人、およそ1600台のロードスターが集結し、ロードスター20周年を祝った。

 このイベントは、ロードスター誕生20周年を記念して開催されたもので、会場となった試験場は、20年前に初代ロードスターが開発され、誕生した場所でもある。そのため、当日会場に集まったスタッフ(マツダ社員)は、入場するロードスターを「お帰りなさい」と出迎えていた。

会場となる三次試験場に向かう道中。中国自動車道 三次IC(インターチェンジ)方面からは途切れることなくロードスターがやってくる。筆者も自分のロードスターで参加したが、皆懐かしい仲間と会うかのように手を振ってくれた

 会場には、1991年7月に、特別色「サンバーストイエロー」で登場した特別仕様車「J リミテッド」から、今年の7月に20周年を記念して発売された「20周年記念車」まで、全29モデルの限定車や特別仕様車が並べられたほか、その先頭には、限定車ではないものの、なんと63万2232kmを走行した最長走行車が展示された。また、会場に設けられたブースでは、ロードスターに関する書籍やミニカーといったグッズ、そして地元三次市の名産品の販売、20周年を記念した署名車への署名も行われていた。これは、20周年を記念して、記念車にロードスターオーナーの署名をするというもの。10周年の際にも行われ、その車両も展示されていた。

会場に並べられた限定車や特別仕様車限定車の先頭を引っ張るようにおかれた初代ロードスターその走行距離は63万2232km! 平均年間3万km以上を20年間ずっと走り続けた計算だ
サンバーストイエローの特別色で登場したロードスター初の限定車「Jリミテッド」M2(エムツー)という当時あったマツダのグループ会社が製作したコンプリートカー「M2 1001」。エンジン本体にも手が加えられ10PSの出力向上をしていたメーターなどの細部も専用装備に変更され、ノーマルとは一線を画した雰囲気を味わえる
スポーティーな1001に対しコンフォートなカスタマイズを施した「M2 1002」。しかしあまり人気がなく、300台限定の予定が100台で打ち切られたアイボリーの本革とベルベットブルーのスウェード調生地で内装が豪華に仕上げられる赤い内装色を初めて採用した「Sリミテッド」
M2 1002の内装をもった「東京リミテッド」サンバーストイエローのボディー色に、Aピラーをブラックアウトした「JリミテッドII」「M2 1028」は、1800ccのロードスターをベースに、エンジンや足まわりに手を加え、軽量化のためアルミ製トランクフード、FRP製ハードトップを装備。ホイールも純正を肉ぬきして軽量化するなど、徹底的に走りを追求したモデルだ
幌はなく、代わりに10点式ロールバーを装着。シートはフルバケットタイプで、オプションで簡易式幌が容易されていたレカロ製フルバケットシートやBBS製アルミホイールなどスポーティな仕様の「RSリミテッド」エクセーヌを使ったシートや、ボディー色(サテライトブルーマイカ)と同系の紺色のソフトトップを持った「Gリミテッド」
サテライトブルーマイカのボディーに赤色内装の「Rリミテッド」「VRリミテッド コンビネーションA」はアールヴァンレッドマイカのボディー色にタン色の幌を装備「VRリミテッド コンビネーションB」はエクセレントグリーンマイカのボディー色にダークグリーンの幌を装備
シャストホワイトのボディーに赤色内装の「R2リミテッド」トワイライトブルーマイカのボディー色に紺色幌の「B2リミテッド」NA型ロードスター最後の限定車「SRリミテッド」。SRはサヨナラの意味だとか
10周年記念車として発売された「10thアニバーサリーリミテッド」。エンジンは各パーツの重量バランスの取れたものを選んで組んだと言う10周年記念車のエンブレムにはシリアルナンバーが刻まれる。世界限定7500台、日本では500台が販売されたアールバンレッドのボディー色にタン色の幌、バフ仕上げホイールが特徴の「NRリミテッド」
ブラックアウトしたヘッドライトが特徴の「YSリミテッド」スターリーブルーマイカのボディーにゴールドのホイール、車高調も装備した「マツダスピード ロードスター」チタニウムグレーメタリックのボディーに赤茶色の内装を装備した「MVリミテッド」
セリオンシルバーメタリックのボディー色に青いソフトトップの「SGリミテッド」ロードスタークーペ。マツダE&Tによって製作され、販売された。フロントフェイスなどが異なるタイプA、タイプE、タイプSが発売された違和感のない流麗なスタイルを実現している
純正でターボを搭載した唯一のロードスター「ロードスターターボ」。出力で12PS、トルクで4kgmの向上をしている「3rdジェネレーションリミテッド」はNC型ロードスター最初の限定車。クロムメッキ調のAピラーやは赤と黒のツートンの内装が特徴。専用色のベロシティレッドマイカなどを用意「日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞記念車」はカッパーレッドマイカとブリリアントブラックの外装色、赤か黒の本革シート、受賞記念デカールなどが装備された
ラディアントエボニーマイカのボディー色や専用BBSホイールが特徴の「ブレイズエディション」内外装から吸排気、足まわりには車高調も入った「マツダスピード M'z Tune」専用BBSホイールやシートヒーター付き本革シートなど装備を充実させた「プレステージ エディション」
現在も新車で購入できる「20周年記念車」。まだ発売されたばかりとあって、来場者の注目を集めていた日本ペイントが特別に作った「MAZIORAロードスター」も展示されていた。見る角度によって色が変わる
こちらは番外編で、会場の外に置いてあったマツダスピードCスペック。排気量は2Lにボアアップされ、4連スロットルを装備。ボンネットはFRP製で前ヒンジ。ロードスターには数多くの限定車が存在するが、もっとも希少な限定車だろう
20周年を記念した署名車。全国で開催される20周年イベントに持ち込まれ、各地でロードスターオーナーの署名をしている来場者も列を作って署名していたこちらは10周年記念の際に署名されたロードスター。署名の上からクリアーで塗装されている

 6時30分にゲートオープンしたものの、あまりの参加台数の多さからイベント開始時刻の10時になっても入場が終わらないという状況の中、イベントはスタートした。司会進行を務めるのは、多くのモータースポーツイベントなどでMCを行っている鈴木学氏と、日本最大のロードスターオーナーズクラブ「RCOJ(Roadster Club of Japan)」の事務局を務め、このミーティングの実行委員長でもある水落正典氏の2名。この顔ぶれは10周年の時と同じだ。

 そして、矢継ぎ早に壇上に呼ばれたのは、今年20歳、つまりロードスターと同じ年に生まれたロードスターオーナー14名。10時10分20秒、20歳の彼らの音頭とともに、20周年記念の乾杯が行われた。これは、世界同時に行われた祝杯で、日本だけでなく、世界各地のロードスターオーナーがこの瞬間に祝杯をあげた。

開会式が始まると、メインステージ前には非常にたくさんのロードスターオーナーが集まった司会を務めるのは実行委員長の水落氏(写真左)とMCの鈴木氏20歳のオーナーによる乾杯の後、威勢のいい女太鼓が披露された
フィリップ・D・スペンダー副社長氏

 続いて、マツダ代表取締役副社長のフィリップ・D・スペンダー氏が登壇し、スピーチを行った。スペンダー氏は「スポーツカーの魂が宿るマツダロードスターを長年にわたり作ってきたエンジニアたちも今日ここに集まっています」と述べ、「本日ロードスター20歳の誕生日を、ロードスター生誕の地であるこの三次自動車試験場で、1日楽しい時間を過ごしてください」と歓迎の意を表した。

 さらに、歴代ロードスターの開発に携わったスタッフの紹介や、地元三次市の市長や警察署長の挨拶、会場に展示された限定車のオーナーの紹介などが行われた。限定車のオーナーとともに、63万kmの最長走行ロードスターオーナーも紹介されたが、彼は「自分の根性で走れるのは30万kmが限界で、そこから先は、まわりの応援団に後ろから押され、前から引っ張られこんな距離になった。まだまだ走りたいと思う」と述べた。さらに「今日はここに限定車のオーナーがいらっしゃいますが、ロードスターのよいところは、1台1台がみんな自分なりの限定車だということ」と述べると、会場内から大きな拍手が送られた。

 なお、実行委員長の水落氏によると、やはり10年前と比べ、皆走行距離を伸ばしており、試しに今回の参加車の走行距離をすべて合計してみたところ、1億4800万kmになったと言う。これは地球から太陽までの距離とほぼ同じだとのこと。

初代から3代目まで、ロードスターの開発に携わったスタッフが集まった三次市の市長である村井政也氏も登壇しあいさつを行った会場に展示された限定車のオーナーも紹介された

 次に壇上に呼ばれたのは、1989年式ロードスターのワンオーナー14名。彼らには、初代ロードスター開発主査の平井敏彦氏から、「Since1989,I've enjoyed my life with Roadster.(1989年から私はロードスターとともに人生を楽しんでいます)」というメッセージと平井氏の直筆サインが入ったキャップが贈られた。平井氏は、車検であったり事故であったり、これからも大変だろうとしながら、「まあ上手く処理をしながら、末永く人生を楽しんでください」とエールを送った。

ロードスターの生みの親である平井元主査平井氏の直筆サインが入ったキャップ。同じロードスターに20年乗り続けた人だけがかぶることのできるものだ
平井氏自らオーナー達にキャップをかぶせていく1989年式ワンオーナーの面々。平井氏を交えて記念撮影
ロードスターの育ての親である貴島主査代行

 続いてNA、NB、NCの主査を務め、現在主査代行の貴島孝雄氏によるスピーチが行われた。貴島氏が「みなさん幸せですか?」と声をかけると、会場内からいっせいに拍手や返事が返る。貴島氏は、初代ロードスターのカタログに「だれもがしあわせになる」というメッセージを記したことを挙げ、「ここにいるマツダの関係者も、非常に幸せです。20年経った今日、あのカタログに書かれていたことが、現実になって非常にうれしく思います」と喜びを表した。平井氏が作った初代ロードスターの魅力を2代目、3代目に引き継ぐために大変苦労したことを話ながらも、このミーティングが多くの参加者に支えられていることに感謝の意を表し、「今日は若手(スタッフ)もたくさん来ています。もちろん30周年に向けては次の車も必要でしょう。そういったことをがんばってやれるエネルギーを今日いただきました」と締めくくった。

 さらに、イギリス、フィリピン、タイから来日したロードスターオーナーズクラブや、国内のオーナーズクラブの代表による挨拶も行われた。

日本国内だけでなく、世界中にあるロードスターのオーナーズクラブの代表が集まった

 また、10周年ミーティングの参加者を対象とした抽選会や、ロードスターカルトクイズが行われ、平井氏や、貴島氏、あるいはNCチーフデザイナーの中牟田泰氏と一緒に食事ができる権利や、初代ロードスターのデザイナーである福田成徳氏が手作りしたのれんと日傘など、他では手に入らない1品ものがプレゼントされた。

10周年ミーティングの参加チケットを持っている人限定のじゃんけん大会も開催平井氏や貴島氏、そして3代目のチーフデザイナーである中牟田氏と食事ができる権利。ただしワリカン平井氏と貴島氏の直筆サインが入った特製色紙は、チケット持参者全員にプレゼント
全員参加のカルトクイズも開催クイズを出題する中牟田チーフデザイナー(写真左)と、プログラム開発推進本部の山口宗則氏(写真右)
クイズの賞品は、福田氏手作りののれんと日傘初代ロードスターのデザイナー 福田氏は、まさにこの日に30万kmを突破し、自らのロードスターで来場。ロードスターの楽しさをお分けしたいと思いのれんを作ったと言う

 そのほかにも、おんな太鼓や川立ひょっとこ踊りなどの催しも披露され、会場は終日盛り上がりを見せた。

いつの間にか関係者テントの前に長蛇の列ができていた関係者テントにいたのは平井氏と貴島氏。2人のサインを求めて行列ができていたのだ
別の場所では福田氏もサイン攻めにあっていた川立ひょっとこ踊りも披露。すべてのひょっとこの表情が違う
ロードスターForever宣言を行うマツダ専務取締役執行役員 金井誠太氏

 そして壇上では最後に、マツダ専務取締役執行役員 金井誠太氏によるロードスターForever宣言が行われた。当日自らもロードスターで会場に来たという金井氏は、そのロードスターについて「狭いですねぇ、乗り降りは大変、シートも室内も狭い、2人しか乗れない、荷物はろくにつめない、トンネルを走るとうるさい」とその印象を述べつつ、『それでもロードスター』と言う人がいる、と来場者に向かって「みなさまお疲れ様でございます」。これには会場から大きな拍手が起きる。

 続けて「ただ、『それでもロードスター』、その理由がある限り、マツダにはその理由を提供し続ける義務がある」と力強く語ると、会場からはいっそう大きな拍手が沸きあがった。

 「マツダは2007年3月に『サステイナブルzoom-zoom宣言』を行いました。サステイナブルというのは、持続可能なという意味です。『サステイナブルzoom-zoom宣言』というのは、マツダはロードスターに代表されるzoom-zoomを、これからも持続していきますと、そういう決意表明でございます。もちろん昨今の環境問題を踏まえて、これからのスポーツカーは環境にもこれまで以上に配慮が必要。そう考えて現在4代目の開発をやっております。せっかくここまで来た以上、4代目も少し紹介しておきます」と金井氏が述べると、会場全体がざわめき立ち、予定外の発言なのか関係者席では動揺の声が上がった。

 そんな関係者の不安をよそに金井氏は発言を続けた。「4代目も改めてライトウェイトスポーツの原点をさらに厳しく追及する。より軽く、より人馬一体、そして燃費もよくしないとこれからの時代、サステイナブルになりませんので」。これらの言葉一つ一つに会場からは拍手や歓声が沸き起こる。さらに金井氏の話は排気量や導入時期にまでおよび、その発言を聞き逃すまいと会場全体が静まりかえる中、「排気量は……、ピー。導入は2千ピー年です。あれ、ちょっとマイクの調子が悪くて聞き取りづらい点がありましたことをお詫び申し上げます」と述べると、会場は一転笑いの渦に包まれた。

 「ともあれ今日、ロードスター20周年、平井さんにも貴島さんにも来てもらいました。4代目の主査も隣で見てましたから、30周年の時には、彼もきっとああやってサインしているんだろうなぁと思います。ということで、次の30周年も、マツダスタッフは必ず全面サポートすることをお約束いたします。では皆さん10年後にまたここでお会いしましょう。そして最後にこれを言わないと私のスピーチが終われないので」、と右手に持ったロードスターの模型を掲げ、「ロードスターは永遠です」とForever宣言を行うと、この日最高の拍手と歓声が会場を包んだ。

 最後は、会場に集まった1650台のロードスターによる周回路のパレードが行われた。全長4.3kmのロータリーエンジンのローターの形(おむすび形)をした4車線の高速周回路をパレードし、そのまま退場していく。互いのオーナーたちは、手を振り合い、10年後の再開を約束しあい、また、コース脇にいるマツダスタッフは「いってらっしゃい」と見送りをしていた。

 10年前には960台1450人だったが、20周年では約1.7倍の規模に膨れ上がった。10年後の30周年ミーティングでは、いったいどれほどの参加者が集まるのか。今から楽しみだ。

全長4.3kmの高速周回路を来場した約1600台のロードスターがパレード。3列では収まり切らず、直線部では4列の隊列となった(コーナーはバンクがきつく横転するため3列)。参加者はお互いに手を振り合い、またマツダスタッフは「行ってらっしゃい」と参加者を見送った

(瀬戸 学)
2009年 10月 5日