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10年に1度の祭典「ロードスター30周年ミーティング」レポート
2200台3500人が広島の三次に集結
2019年12月28日 11:00
- 2019年10月13日 開催
1989年にマツダ「ロードスター」(当時はユーノス ロードスター)が発売され、2019年はちょうど30年目の節目に当たる。毎年軽井沢ミーティングを始め、ロードスターのオーナーズミーティングは全国で開催されているのだが、10年に1度だけ開催される特別なミーティングがある。それが広島にあるマツダの三次自動車試験場で行なわれるミーティングで、今回で言えば「ロードスター30周年ミーティング」である。開催されたのは10月13日なのでもう2か月以上前になるが、ロードスターオーナーである筆者も訪れてきたので、その模様を今さらながらにお伝えしたい。
筆者も人生を変えられたロードスター
筆者がロードスターを買ったのは20年前、大学を卒業し社会人になったタイミングだ。ちょうどその年がロードスター10周年で、その際にも三次自動車試験場で「10周年記念ミーティング」が行なわれた。しかし、そのころは新卒でお金もなかったし、そもそも当時住んでいた茨城から広島まで自走で行くなんて考えもしなかったのだが、後にRCOJ(Roadster Club of Japan:ロードスターのオーナーズクラブ)の会報に掲載された様子を見て「やっぱり行ってみたかった」と強く思ったのを思い出す。
三次自動車試験場のテストコースにずらりと並んだロードスターの写真はとてもインパクトがあり、自分のロードスターもそこで一緒に並べたかったと強く思った。この時が初めての三次自動車試験場でのミーティングだったので、その写真を見て多くのロードスターオーナーが同じように思ったことだろう。
筆者自身、ロードスターにすっかり人生を変えられた1人で、この翌年にはロードスターが楽しすぎて「やっぱりクルマ関係の仕事がしたい」と自動車雑誌の編集プロダクションに転職し、Car Watch編集部に務める今に至っている。
20周年ミーティングのころは、ちょうどCar Watchの編集部に転職したところで、自分のロードスターを走らせて広島まで取材に行かせてもらった。そのときの模様は関連記事に掲載しているとおり。当時はちょうどETCの1000円割引が実施されていた時期で、さらにシルバーウィークも始まった年。ということもあって、ミーティングの後に九州まで足を伸ばしたりもした。あくまで取材という立場なので、参加者と同じテストコースにクルマを並べることはかなわなかったが、久しぶりのロードスター仲間との再会もあって、思い出深いものとなった。
そして今回の30周年ミーティング。アテンザを購入した際にロードスターのナンバーは切っている状態で、本当はこの30周年に向けて復活させる予定だったのだが、ちょうどこの夏に子供が産まれ、時間的にも予算的にも余裕がなく断念。飛行機とレンタカーで三次自動車試験場を訪れた。
そういったこともあって、今回はあくまで仕事、というテンションで挑んだのだが、当日会場入りしたらすっかりロードスター熱にやられてしまった。会場に入ってくるオーナーたちの笑顔、すれ違うロードスター同士が手を上げてコミュニケーションする様子。「だれもが、しあわせになる。」というキャッチコピーで発売されたロードスターは、4代目へとモデルチェンジした今も変わらずオーナーを幸せにしている事実を肌で感じ、やっぱり自分のロードスターで来たかったと、すっかりロードスターオーナーの気分に気持ちが切り替わってしまったのである。
手を振り合うだけでしあわせになれるロードスター
10周年ミーティングの時の参加者は960台1450人、20周年の時は1645台2600人、そして30周年ミーティングの参加者は実に2200台3500人へと増えた。実際には駐車場の台数の関係で参加は抽選になっているので、参加希望者はもっと多かったはずだ。
そうしたこともあってか、ロードスターに2名乗車で訪れる参加者が目立っていた気がする。きっと抽選で外れたロードスター仲間を乗せて参加しているのだろう。いい歳のおじさん2人が狭いロードスターの中で肩を並べ、テカテカの表情でドライブしている様は、事情を知らない人の目には異様に写るのではないか? そんな余計な心配をしたくなるほどに参加者の笑顔は満面だった。
それとロードスターオーナー同士が交わす、手を上げてのコミュニケーションもいい。よくサンキューハザードなどが行なわれるが、屋根を開けたロードスターでのあいさつはもっぱらハンドサインだ。外から丸見えなので顔も見えるし、より心のこもったコミュニケーションができるように感じている。
話はそれるが、20年ほど昔、まだカーナビを付けていなかったころのことだ。夜中に屋根をオープンにして走っていると、ひどい渋滞にはまってしまった。まったく動く様子がないので、どこか抜け道はないものかと、地図(スマホとかではなくて紙の地図です)を見ていると、なぜか突然目の前が真っ暗に。
何が起きたのかと周囲を見渡すと、周囲には街灯もなければお店の明かりもない状況。ではなぜさっきまで地図が見えていたのか? あたりをキョロキョロして気が付いた。地図を照らしていたのは後ろのトラックのヘッドライトだったのだ。渋滞があまりに動かないので、トラックのドライバーがヘッドライトをスモールにしたのだった。
初代ロードスターは室内灯が足下にしかなく、そのころはクルマにペンライトなども積んでいなかったので、あきらめて地図を閉じようとしたその瞬間、なんと後方のトラックが再びライトを点灯してくれたのだ。おそらくトラックドライバーからは屋根を開けたこちらの様子が丸見えだったのだろう。困っている様子を見かねて点灯してくれたらしい。
これには感謝感謝である。こちらからはヘッドライトがまぶしくてトラックドライバーの表情はうかがえなかったが、ドライバーがいるであろう方向に向かって何度も頭を下げて感謝の気持ちを伝えようとしたし、たぶんその気持ちは伝えられたと思う。
こんなことは屋根が開くロードスターでなければ起きなかった経験だろうが、そんな経験もあって、ロードスターの車内は外から丸見えだし、逆に言えばだからこそよいコミュニケーションが取れる。それがロードスターの楽しさの1つだと思っている。だからこそハンドサイン同士の顔の見えるあいさつは、ロードスターのミーティングならではの楽しさなんだと思う。
すっかり話がそれてしまったので話を戻そう。6時30分にゲートオープンするとマツダの警備員に「お帰りなさい」というあいさつで迎えられ、次々とロードスターが三次自動車試験場に入っていく。20周年の時は「やっぱりNAが多いな」と思ったが、今回感じたのはND型ロードスターの多さ。しかもみんな思い思いにカスタマイズしていて、同じクルマは2台とない。
また、9時30分ゲートクローズの予定だったが、この日は台風19号が関東や東北を直撃したタイミングで、渋滞に巻き込まれた人や、予定を遅らせて出発した人も多かったため、ゲートはクローズせずに遅刻しても参加できるような形に配慮されていた。
RCOJ水落氏と鈴木学氏が司会でイベントスタート
イベントの進行を務めるのは、このイベントの実行委員長である水落正典氏、そして司会としてサポートするのが鈴木学氏。このペアは10周年の時から変わらない顔ぶれで、また10年ぶりに帰ってきたなという印象だ。
「ふるさと三次へお帰りなさい」という鈴木学氏のかけ声に続けて水落氏があいさつを行なった。水落氏は30年前に登場したロードスターについて、「“手に入れるときっとだれもがしあわせになる”と聞いて買ったけど、手に入れてみると2人しか乗れないし、屋根開けると暑いし、冬は寒いし、クルマなのに雨漏りするし、荷物だってあんまり積めないし、シート倒れないし、乗り降りも大変。これって皆さんしあわせですか?」と語り、周囲からは「なんでそんなクルマずっと乗ってるの?」と言われると紹介。
これには筆者も含め来場者たちは苦笑い。でもまったくもって否定できない。
しかし間髪入れず「今ここに集まっている人たちは分かってるはずです。幸せになれた人拍手!」と声をかけると会場からは一斉に大きな拍手が沸き起こった。
水落氏は「なによりこのクルマは、皆さんのためにマツダが造ってくれているから皆さんが幸せになれる」と続け、「入ってくるときに運営の人がおかえりなさいと迎えてくださったと思いますけど、白いTシャツの人はみんなマツダの現役の社員です」と、イベントの運営を多くのマツダの社員が支えてくれていることを紹介した。
また、「今日はお祝いだけでなくて感謝の気持ちを持って過ごしたい」と語り、「まずはこんなクルマを買って、持ち続けることを許してくれている家族に」、と言うと会場から笑いの声が上がる。続けて「一緒に楽しんでくれる周りの仲間に」「このクルマを生み出して4代目となった今でも変わらずロードスターをロードスターのまま造り続けてくれているマツダに」「最後になにより愛車のロードスターに」、それぞれ感謝したいと語ると会場は再び拍手に包まれた。
「マツダが目指すブランド体験を象徴するイベント」と丸本社長
10時10分10秒、平成元年式のワンオーナー19人が壇上に上がって乾杯。続いて登壇したのは、今回のミーティングを特別協賛という形で支えるマツダの代表取締役社長 兼 CEOの丸本明氏だ。
「皆さん、お帰りなさい! ロードスター・MX-5の生まれ故郷、マツダ三次自動車試験場にようこそお越しくださいました」とあいさつした丸本社長は、一昨日からの台風19号の被害とこの夏の台風の被害に触れ、来場者と共に黙祷を捧げた。
また「30周年もこの地で盛大なミーティングができるのは地元三次のおかげ」と地元三次への謝意を表明。さらに北は北海道、南は沖縄、さらにフィリピン、タイ、イギリスなど海外からも参加した熱烈なファンに感謝したいと語った。
丸本社長は「私たちマツダは、来年1月に創立100周年を迎えます。この100年の歴史の中、初代ロードスター・MX-5を、1989年2月のアメリカ・シカゴショーで発表しました。以降30年間、ロードスター・MX-5は、平成の時代とともに駆け抜け、激動の時代にあっても『人馬一体』というコンセプトを貫きながら、皆さまの期待に応え、あるいは期待を超えることを目指して、マツダのチャレンジ精神を最大限に高めながら、開発・育成してまいりました。本日ご参加の皆さまをはじめ、世界中のファンの皆さまに、30年もの長きにわたり、ご愛顧賜り、育てていただいた」と感謝の意を表した。
さらに自動車産業が100年に1度の変革期にあると言われていることに触れ「どのような時代であろうとも、私たちマツダは、人の心をワクワクさせる、クルマが本来持つ価値を信じて、走る歓びを追求し、カーライフを通じてお客さまに人生の輝きを提供し続けるブランドでありたい」との考えを示した。
「このミーティングはまさに、マツダが目指すブランド体験を象徴するイベント」だと言い、「本日1日、ワクワクを共有し、マツダやロードスター・MX-5を愛する仲間同士で絆を深め、ロードスターの故郷、三次自動車試験場で、笑顔の絶えない楽しい時をぜひお過ごしください」と語った。
4人の主査に送られた「感謝状」
続けてロードスターの開発主査4名が壇上に呼ばれ、水落氏よりロードスターオーナーを代表して「感謝状」が贈られた。その感謝状の内容がまさにロードスターオーナーの声を表現していたので紹介したい。
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「きっとだれもがしあわせになる」
30年前のその言葉に誘われてこのクルマを手に入れた私たちは、クルマなのに雨漏りしても気にならない性格になったり、他に欲しいクルマがなくなってしまったり、気づけば運転中にわけもなく笑顔になっていたり、各地のミーティングでそんな同じ症状を訴える仲間を見つけて安心したり、そして10年に一度、三次に行きたくなってしまう、そんな人生になってしまいました。でもそれもこれもしあわせです。私たちの人生にこのクルマがあるしあわせを感じています。あなたはこのクルマを生み出し、人々を笑顔にし続けることに大いに貢献されています。よってここに深く感謝の意を表します。
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水落氏が読み上げる中、会場からはクスクスと笑い声がこぼれ、主査たちも思わず苦笑する内容ではあったが、ロードスターオーナーなら身に覚えのあることばかりだったのではないだろうか。
当日感謝状を渡されたのは、2代目と3代目の主査である貴島孝夫氏と3代目、4代目主査の山本修弘氏、4代目主査兼チーフデザイナーの中山雅氏、そして新たに主査になった斎藤茂樹氏の4名。初代の主査である平井敏彦氏は体調不良により入院中とのことで、当日は来ることができなかったので、感謝状は後日届けるとのことだった。
この後も、海外から参加したオーナーズクラブのあいさつや、国内オーナーズクラブの紹介、マニアック過ぎるカルトクイズなどステージ上ではイベントが続き、また会場には歴代の限定車(オーナー車)が展示され、来場者たちは思い思いに記念すべき時間を楽しんでいた。
また、ミーティングに参加していた一家5人で4台のロードスターを持つオーナーの話も聞くことができたが、そちらは別記事で紹介したい。
藤原副社長によるロードスターフォーエバー宣言
楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうもので、ステージ上では閉会式が行なわれた。登壇したのはマツダ 代表取締役副社長執行役員 藤原清志氏だ。
藤原氏は「みなさんの30年間の熱い熱いマツダへの愛が、私たちマツダという会社のクルマ造りを変えてくれています。私たちは、よくない出来事を時々してしまいますが、そのときにいつも皆さまの応援を受け、なんとか立ち直りながらこのように来ておりまして、二度と忘れないというつもりでやっておりますが、ちょっとまた不振に陥っていますが(苦笑)。とはいえ皆さまの熱い心、応援を忘れずに頑張っていきますので、ロードスターだけでなくマツダというクルマを応援していただければと思います。個人的ではありますが、今日私はファンとして来ておりまして、昨日ロードスターを捨てることができないのでCX-30にハンコを押してきました。皆さんも“買い足し”ということはできますので、ロードスターは捨てなくて結構ですけど、マツダ車“買い足し”はできますので、ぜひともよろしくお願いいたします」と会場の笑いを誘いつつ語り、最後に「ロードスターは永遠に不滅です。では10年後にもう一度お会いしましょう。いってらっしゃい!」とロードスターフォーエバー宣言で締めくくった。
こうして30周年ミーティングは終了。最後は三次自動車試験場のコース上に駐車された参加車のパレードランで締めくくられた。コース脇や出口にいるマツダスタッフは「いってらっしゃい」の声で見送っていて、参加者もそうした声に笑顔で応えていた。個人的には、40周年はやっぱり自分のロードスターで来ようと強く思った30周年ミーティングであった。