【インプレッション・リポート】
日産自動車「マーチ」

Text by 日下部保雄


新型「マーチ」

タイからやってきた新型「マーチ」
 ワールドカー「マーチ」がタイからやってきた。グローバルカーメーカーである日産自動車の選択は量産車種であるマーチを、マザーカントリーの日本ではなくタイで生産し、日本に輸入するというものだった。タイ生産と聞くと違和感を感じる方もいる可能性はあるが、タイは今や自動車産業の一大生産、輸出拠点であることはよく知られている。

 自動車ならずとも多くの産業拠点がこのタイにある。自動車もマーチ以前にタイから日本に逆輸入されているクルマもある。三菱自動車工業のピックアップトラック「トライトン」だ。日本ではボンネットタイプのピックアップトラックは極めて少数派だが、タイでは税金の関係もあり、乗用車代わりにこれを日常使用する人は多い。当然競争相手も多いので、性能面でもデザイン面でも差別化を図らなければならない。トライトンは日本では少数派だが、確固たる存在感があるのはそんな競争から生まれたためだろうか。

 話が飛躍した。自動車生産・輸出拠点のタイにマーチの生産を移したのは、労務費などの固定費を抑えることはもちろんだが、日本を含めたアジア圏に輸出するために日産が採った大胆な戦略だ。このところの円高で生産拠点を海外に移したのは利益確保のためには正しい判断だった。事実、円高でトヨタ自動車も、「ヴィッツ」の生産を日本で行っていたのでは利益が出ないと悲鳴を上げている。マーチはタイ生産だが、神奈川・追浜のPDIで再チェックを行い、日本の各販社にデリバリーされる。

 試乗会は横浜の日産本社で行われた。マーチには現在のところ、エンジン、トランスミッションは1種類。新開発のHR12DE型1.2リッター 3気筒エンジンと新開発の副変速機付きCVTの組み合わせのみである。グレードは100万を切るベースグレードの「12S」、メイングレードとなる約123万円の「12X」、それにフル装備の「12G」となり、こちらは約147万円になる。このほかに12Xと12Gには、電動モーターアシストの4WDがある。試乗車は12Gの2WD(FF)だった。

 デザインは先代のマーチから変わり、ワールドスタンダードとも言うべきもので、従来型のイメージはリアサイドウィンドーの形状に残っているに過ぎない。特徴的なフロント部のデザインや、ヘッドランプ上のマーカーはやめてしまったために、絶好の目安はなくなってしまったが、直前視界は確保されていると言う。


マーチの外観。先代と大きく変わっているものの、どことなくマーチらしさが残るデザイン

 デザインは好みがあるので一概に言えないが、内装を見ると新型がいかに軽自動車からインスパイアされたかが分かる。マーチの属するBセグメントは、コストのプライオリティは高い。だからこそのタイ生産でもあるのだが、作り方もこれまでのマーチとは違う。日本の軽自動車は限られたサイズ、コストの中でギリギリのもの作りを強いられている。だからこそ激しい競争の中でコンペティティブで魅力的なクルマが生まれ続けているが、マーチはこの手法をトレースしている。

 例えばチリといわれるパーツとの合わせ目などはギリギリまで詰めるようなことはしていない。許容範囲を広げて作りやすくしているし、パーツも極力1つの部品で構成できるような設計をして、それを組み付けるという生産方法を採っている。デザイン力と生産技術が追いついてこそできる芸当だが、優れた技術を持つ日本のマザーカンパニーだからこそできた品質だと思う。

 正直、Bセグメントのクルマと見ると物足りない部分もあるが、これで十分納得してくれるユーザーが大半ではないだろうか。私自身も不満はないし、デザイン力も大したものだと思う。ただ、ダッシュのグロメットぐらいは合わせて欲しかったなぁ。それにフュエルリッドのレバーはショボくて壊してしまいそうだ。

 キャビンはBセグメントらしい広がりで、全高で室内空間を稼ぐミニバンとは違うので適当にタイトで使いやすそうだ。インストルメントパネルのレイアウトもオーソドックスなもので、誰でも使えるコンパクトカーならではの配慮だ。少なくとも短距離なら居心地のよいフロントシートに比較して、リアシートは小さく、かつ平板でお尻のスワリが悪い。座面の前後長さも含めて長距離のドライブでは後席はよい位置とはいえない。空間自体はレッグルームなども確保されており悪くない。乗降性は太いBピラーの影響で、つま先がひっかかりやすい。試乗したグレードでは、後席のセンターシートは3点ベルトが装備されていた代わりに、ヘッドレストは省かれていた。

インストメントパネル全景後席には、3名分のシートベルトがあるが、センターシートにヘッドレストは設けられていない前席。グレードによって異なるが、12Gではアームレストを装備する

新開発の3気筒エンジン
 エンジンは新開発の3気筒ユニット。フリクションロスを減らすために4気筒より3気筒を選んだ新しいエンジンだ。3気筒化のメリットはそれだけではない。部品点数が少ないので軽量化にも大きな貢献をする。今後このクラスには3気筒エンジンが増えてくるだろう。3気筒エンジンは当然等間隔では爆発しないため、バランスが悪く振動が大きい。そのためにバランスシャフトを付けるのが常識だが、HR12DEではクランクプーリーやドライブプレートにバランスマスを設けて振動を打ち消している。

 確かにアイドリングしている時は振動があってフロアまで伝わり、4気筒とは明らかに異なるが、それでも不快になるほどではなく許容レベルだ。それにマーチのウリの一つであるアイドルストップが働くので、アイドリング振動を感じている時間は少ない。

 むしろアクセルを踏んだ時のパンチのほうが印象強く、このユニットが中速トルクを大事にしながら、高回転域(と言っても6000回転止まりだが)まで回る日産らしいまっとうなエンジンを目指していることが分かる。実用性は高いしエンジンの好感度は高い。

 CVTはジャトコ製の副変速機付き。残念ながらマニュアルトランスミッションは設定すらされていないが、こちらは将来の燃費型スーパーチャージドエンジンまで待つとしよう。

 このCVTは3000回転ぐらいでギヤの切り替えを行い、低回転域と高回転域で使い分けをしているので大きなプーリーを必要とせず、コンパクトなものだ。サイズはCVTにとって悩みの種だったので一つの解でもある。さらにオイル攪拌抵抗を軽減しているので、フリクションロスは従来型よりも30%も低減するとしている。

新開発のHR12DE型 1.2リッター 3気筒エンジンのカットモデル。最高出力58kW(79PS)/6000rpm、最大トルク106Nm(10.8kgm)/4400rpmを発生左側のクランクプーリー部にマスバランスが設けられている。これで3気筒エンジンの振動を低減する副変速機付きCVTのカットモデル。副変速機を搭載することで、コンパクト化と、7.3というワイドな変速比を実現

 エンジンもこのCVTにマッチングを図っているので、相性はかなりよく、燃費の美味しいところを取りながら、実用性の高いエンジン回転域にフォーカスしている。

 この組み合わせはなかなか使いやすく、個人的には気に入っているが、減速時にCVTの引きずり感が出ることもあり、この点ではもう少しこなれたほうが使い勝手はよくなるだろう。ただCVT特有のエンジンだけ先に行ってしまうような感じはなく、発進時の粘り強い感じは好感が持てる。トルクの出し方が理にかなっている。パワートレーンの完成度は高く、多くのユーザーに支持されるに違いないだろう。

アイドルストップ可能な状態になるとスピードメーター左上のインジケーターが点灯する。次の停止時にアイドルストップすることが分かる

よくできたアイドルストップ機構
 マーチの目玉のアイドルストップだが、これは量販グレードの12Xと12Gに標準装備となる。この作動状態はメーター内にインジケーターがあり、信号で停止した時などブレーキを踏み続けると約1.5秒でエンジンが停止する。

 ブレーキペダルから完全に足を離せばエンジンの再始動は確実に行われるが、その足を離す加減によってもエンジンの再始動がスムースに行われるので使い勝手はよい。ブレーキペダルの踏力にも幅を持たせているので、過敏にエンジンが再始動することはなく、アイドルストップ機構はかなり巧に設定されていることが分かる。街中でイジワルなことをあれこれやってみたが違和感なく作動した。

 直進状態でアイドルストップして、ハンドルを切ると直ぐにエンジンを再始動するが、その際パワーステアリングにはパワーを供給されていないので、当然切り始めは重くなる。すぐにエンジンがかかりパワステも作動するので慣れてしまえば問題ないが、最初は右折時などでビックリするかもしれない。


12Gではメーター内ディスプレイにアイドルストップの積算時間を表示。エコドライブの目安になると言うこのディスプレイは、タイヤアングルインジケーターを兼ねており、前進時、後進時のタイヤの向きとクルマの進行方向を表示してくれる

 そのパワーステアリングは軽いセッテイングで、街中での取り回しは楽。女性ユーザーも楽に使えるような設定だが、高速ではもう少し重めのほうがありがたい。クルマの性格でもあるが、高速ではもう少しドッシリ感があると嬉しい。その代わり街中での小回り性はマーチの特徴の一つで、最小回転半径ではクラストップレベルだ。ハンドルのロック・トゥ・ロックは3.5回転と大きめに取っているが、結構使いやすい。

 乗心地はリアの突き上げが若干あるが、このクラスとしては概ね良好。リアの突上げは軽快さを得ようとするサスペンション設定とのトレードオフの関係で、リア側が多少固められているからだと思う。大きなうねりでの収束も悪くないのだが、もう少しダンピングが優れているとよいのだが……。

 むしろ不満はロードノイズにある。タイヤから出るロードノイズが路面にかかわらずダイレクトに入ってくるので、高速ではうるさいと感じた。ハンドリングはダンパーとバネのチューニング、それにロールセンターの取り方でマーチらしい軽快なフットワークを演出している。特に前述のリアサスのチューニングでコーナリングパワーを上げて、フロントの応答性を上げているので、軽いワインディングロードでも面白く走れた。

 ただし急にハンドル舵角を与えて、大きな横Gをかけるとスタビライザーのない悲しさでロールは大きい。スポーティなドライビングを好むドライバーにはフワフワした印象で違和感があるかもしれないが、クルマはしっかり踏ん張っているので予測以上に安定感は高い。スポーティに走ろうとするには物足りないが、現状のラインアップのマーチはそこまで求めていないので、妥当で巧みなチューニングだというべきだろう。願わくば先代の初期型で迷った結果、悪化した乗心地になってしまったことを反省して、ソフトなクルマの味は残してほしいものだ。マーチの美点は伸ばすべきだ。

 このサスペンションは、グローバルカーとして欧州市場で戦うにはまた別のチューニングが必要になるのではないか。こちらも欧州で注目されている燃費型スーパーチャージド・マーチに期待される。

 マーチは、好調な受注で販売が始まった。多くのユーザーがアイドルストップ付きのマーチを選び、市街地燃費のよさと高速でのクルージング燃費のよさに満足しているに違いない。アイドルストップを推し進めているマツダとともにこのシステムが一般的になれば、日本の都市はかなり静かになるんじゃなかろうか? ボチボチ見かけるようになったマーチ、すでに日本の街に溶け込んでいる。


2010年 9月 10日