レビュー
日下部保雄の「ブライトリング DC-3」に乗ってみた
ワールドツアーで日本に立ち寄り
2017年5月10日 12:54
ブライトリング DC-3
ブライトリングは精密機器を作るメーカーとして1884年に創業。そして1915年、クロノグラフ型の腕時計を発表して名声を博し、以降、航空機の計器開発などを通じて、航空機との密接な関係が始まった。さらに航空機の重要性が高まるとクロノグラフを開発して航空時計として進化し、1952年には航空計算尺を備えたナビタイマーを発売し、パイロットから高い信頼を得て現在もそれは変わらない。現在の様に管制システムなどハイテクが未発達だった時代には、搭乗員はこの時計の機能をフルに活かして世界の空を飛んだ。今につながる伝説の始まりである。
現在、ブライトリングは航空機に関するさまざまなプロモーションを行なっている。民間では最大規模のブライトリングジェットチームによるアクロバット飛行などが有名だが、DC-3によるワールドツアーもその一環だ。
ワールドツアーはその名のとおり、ブライトリングの生まれ故郷のスイスを3月にスタートし、ヨーロッパ、中東、インド、東南アジア、台湾、日本、アリューシャン列島、米国全土、カナダ、欧州、そして9月に開催されるジュネ―ブのブライトリングエアショーで終了するという遠大な計画だ。
今後は5月20日~21日にヒラタ学園 エア・センター(兵庫県神戸市)、5月26日~27日に福島空港(福島県石川郡玉川村)をベースに各種イベントを行なう予定になっている。
このワールドツアーで使用されているダグラス DC-3型機は航空史に残る名旅客機。その誕生は1935年と82年前に遡る。第二次世界大戦中は軍の輸送機としてコンバートされる機体も少なくなく、そればかりか世界各国でノックダウン生産され、日本海軍でも零式輸送機、通称ダグラスとして日本スペックに改修して搭乗員から高い信頼を得ていた。
ダグラス DC-3の全生産機数は1万6000機以上と膨大な数に上り、生産そのものは1945年に終了しているが、軍から民間へ大量の払い下げもあり、その後長く世界中で愛されている。今でも小数機が現役として飛び回って「DC-3に代わるものはDC-3」と言われるほど航空業界から愛されている。
さてブライトリング DC-3の生い立ちは1940年の3月9日に初飛行したことから始まる。
アメリカン航空に納入され、大戦中は陸軍へ徴用。ヨーロッパ戦線で活躍し、戦後再び民間航空会社に売却され、さらに使い勝手のよさからいくつかのエアラインで運用されて20世紀の空を飛び回り、1995年に全面改修された。
現存するDC-3は世界に約150機ほどあると言われるが、輝かしい経歴を持ったこの機体(最後にニューヨークのチャンプレイエアが所有していたN922CA)が現在のブライトリング DC-3だ。
簡単にテクニカルデータを記しておくと、全長19.7m、ウィングスパン29mで最大離陸重量は11.88tとなる。エンジンは後期型のプラット&ホイットニーR1830ツインワスプ(1200PS)を両翼に装備する。標準的な旅客機としての座席数は23席だが、来日時はキャビンセンターに予備の燃料タンクを搭載する関係でシートは前側に2席ずつ4セット、後ろ側は2席ずつ3セットの14席とされている。
熊本空港でのデモフライトに搭乗
ブライトリング DC-3は4月29日に熊本空港(阿蘇くまもと空港)に到着。翌4月30日に益城町の小学生を乗せて阿蘇周辺と熊本市街地、熊本城上空の周回飛行を実施。その翌日となる5月1日に行なわれた報道向け試乗会に参加した。
DC-3は現代の飛行機と違って尾輪のある後傾姿勢を取る。通常の飛行機では左側のドアが開くが、ブライトリング DC-3は右側のドアが開き、小さな階段でキャビンに乗りこむ。緩い坂を上る感じで自分たちのシートを捜す。
我々に与えられたシートは後半部シートの最前列で、前はガランとして前半部のシートとドアを開けっぱなしにしたコクピットの一部がよく見える。フロアはカーペットで、四角い窓は木枠で模られている。初フライトからすでに77年。かなりくたびれた機内を想像していたが、現在にも通用するどころか、むしろ往年の航空機による豪華な旅を連想させる立派なキャビンだった。シート幅はそれほど広くないし、クッションも豪華ではないが、十分気持ちを豊かにさせてくれる。
いよいよ、カウルフラップを全開にしたエンジンに火が入る。左エンジンを始動したあと、右エンジンも回り始め、フロアに強めの振動が伝わってくる。レシプロエンジン特有の回転振動がうれしく、ガソリンエンジンの排ガスの匂いがキャビンに入ってくる。左右エンジンが同期するとリズミカルな振動に変わる。
我々のシートは主翼後縁の後ろ側だったのでエンジンから離れているせいかもしれないが、キャビンは意外と静かで、隣席と普通に会話ができるほどだ。以前乗ったことのあるターボプロップのYS-11はもう少し音が大きかったような気がするのだが、心弾む搭乗だったから、静粛性は割引いて考えなければいけないかも。滑走路は意外と路面の継ぎ目に大きな段差があるが、DC-3はそこを大きな上下の突き上げを感じながらタキシングし、粛々滑走路に入る。
エンジン回転数を上げてプロペラピッチを変えると、いまにも飛び立とうとする震えるような振動があり、ブレーキをリリースすると機体を左右に振るように速度を上げていく。離陸距離はそれほど要さず、いつの間にか尾輪が離れ、そのまま空に浮かび、高度を上げていく。ただ、現在のジェット機の様にパワーはないので急角度に上昇することはできない。その代りふわっと高度を上げていく感じは好ましい。気流の乱れに機体が揺さぶられるが、安定感は高く、ゆったりとした印象は期待以上だ。
旋回して飛行場を見るが、いつもより地上が近いような気がする。その旋回の感じが面白い。後からグイと曲がるような結構クイックな感覚で、例えて言えばレスポンスのよいリアエンジンスポーツカーを思わせるような感じだ。飛行機の速度、着座位置、いろいろな要素があると思うが、ジェット機とは違う旋回性に面白さを感じた。
四角く切り取られた小さな窓からは阿蘇の外輪山がすぐ近くに見え、それに沿うように周回する。高空の澄んだ空気が気持ちよく、気分もシャキとする。ただ窓が少なくて小さいためにキャビンの採光は限られている。
しばらく快適な空の旅を楽しむうちに熊本市街の上空に入る。昨年の震災で被災した修復中の熊本城も見て取れ、被害の大きさにいまさらながら心が痛む。幸い熊本市内の復興は進んでいるようで、空から見える被災した家をカバーするブルーシートの数も少ない様に感じた。まだまだ復興は道半ばだが、熊本の人が空を見上げることで少しでも前を向ければ、このフライトの意味はある。今回のブライトリング DC-3ワールドツアーの日本ステージは熊本、神戸、福島と震災の復興支援の意味も持っている。
DC-3の最大高度は4800mと公表されているが、今回のフライトはもちろんそんな高いところではなく、熊本城とその修復クレーンが十分に視認できるほどの約500mという低高度で飛んだ。きっと地上からもよく見えたと思う。
途中、シートベルトの警告ランプが消え、全員、席を入れ替わったり前後したりと機内を移動したが、それだけでも重量バランスが狂い、パイロットは細かい修正作業が必要になるという。実際移動中は機が揺れた。普段、定期航路のジェット機では気にすることはまずないが、双発プロペラ機では微妙に躁舵に影響するというのは改めて人間が飛ばしているという感覚を実感できうれしい。
ほぼ1時間弱の快適なフライトはあっという間に終了。熊本空港が見えてきた。ゆらゆらと高度を下げ、着陸態勢に入るが、着座ポイントが普段乗るジェット旅客機より低いために、お尻が地上に擦りそうな感覚で降りていく。やがて前輪が着地し、次に水平姿勢から尾輪が接地して後傾姿勢となる。これも往年の名機を実感した新鮮な経験だ。
ランディングもきわめてジェントルでショックのないもの。フライト通じて機長のDC-3に対する思いやりを感じられた。名残り惜しいブライトリング DC-3のタラップを降りて今回のショートトリップはすべて終了した。
ちなみにこの機体には1952年に発表され、ブライトリングの名声を確立したナビタイマーが500個搭載され、ワールドツアー終了後、ブライトリング DC-3とともに冒険旅行を経験したリミテッドエディションとして発売されるという。欲しい……。