90歳のカーライフ

国土交通省は超小型モビリティのガイドラインを発表した

 とりわけ郊外で1人1台のクルマ生活を送る方々には、「年老いていく父母の免許やクルマをいつ取り上げるか……」という心配や悩みを抱えている人も少なくないのではないでしょうか。

 国土交通省が超小型モビリティのデモンストレーションを行ったというニュースを、ご存知の方もいらっしゃると思います。ターゲットはお年寄りや子育て世代、配達、観光地での利用。新たなモビリティの登場には個人的に期待していますが、疑念や不安を抱かないわけではなく……しかし、これまですでに完成されてきた移動手段&交通環境の中に新しいモビリティを加えようというのですから、さまざまな問題が持ち上げるのは当然です。そのメリットはとても理想的に感じられますが、未体験の者にとってはネガや不安をついつい想像してしまうのです。

 その一方で例えば高齢者のクルマの運転。お年寄りや会社勤めを終えた父母世代が日々、足代わりとして通院や買い物、趣味、お友達のところへとクルマで出かけていく姿を見るにつけ、超小型モビリティのような乗り物が彼らにとって易しいのであれば、新たな足に代わる移動手段として期待もします。

 私の実家がまさに公共の交通手段になど頼っていられない場所にあるため、自分の親の移動手段としてより現実的に捉えてしまうのかもしれません。そうではない街中でも、ドアtoドアで移動ができるクルマはやはり便利ですが、身内は事故を恐れます。

 しかし、それまで自由な移動を可能にしていたクルマの運転を諦めることで家にこもりがちになり、一気に老け込み、痴ほう症が進んでしまったお年寄りを知っていますし、そういう話なら誰でも耳にするのではないでしょうか。自動車的な乗り物の運転=移動からの緩やかなフェードアウト……。最終的に他の人や物による移動サポートが必要になるまでの移動手段としての利用。超小型モビリティによってそれが叶うのであれば、ぜひ実現させてほしいと願います。近い将来直面するであろう、私の母親の新たな移動手段になれば……。

 都内にお住まいのご高齢のご婦人が、「将来的に(前述のような乗り物が)できたらいいですね」とおっしゃっていたのが、偶然にもつい先日のことです。少し他人事のように話すそのご婦人の年齢は間もなく90歳。ご本人は年齢を明かすことを好まず、実はナイショにしてほしいと思っていらっしゃるのですが、これからご紹介するお話を年齢抜きで語るのは難しいので、お許しいただきます。

 知人から「お茶の先生をやっている方で、自分で京都まで運転して行っちゃうすごい人がいるんだよ」と聞いていたのです。が、お会いしようとアポを取ろうにも、お忙しくてなかなか日程が合わない。「では日曜日の夕方に……」と言われたその日も、私がお宅にお邪魔するまで合気道の補習をご自宅で行っており、ひと汗かいたあとのラフなお姿で気取りなく出迎えてくださいました。

 「最初から運転が大好きでしたから、どんなところに行くのも苦痛ではなかったですよ」。

 戦後、田園調布から現在の目黒区の住宅地に移り、最初に購入したクルマは米軍のジープ。大手企業にお勤めのご主人の代わりに運転し、3人のお子さんたちとご主人を乗せ、箱根の温泉などあちこちに遊びに行っていたのだそうです。高度成長期、ご主人がゴルフに行く際は、黒塗りのクルマが迎えに来るようなお宅だったそうなので、暮らしぶりは豊かであったようです。が、このご家族のカーライフはとても素朴、いやワイルドな印象を受けました。

 「クルマで旅行をすれば、時間に縛られないで移動ができます。走れるだけ走って宿に泊まることもあれば、キャンプのようなことをして眠ることもありました。朝になったら、また移動する……そうしてあちこち、例えば本州の端まで旅しました。交番で道を尋ねるふりをして、軒先の水道で家族の下着を洗ったりもしました(笑)。車内に干せば開けた窓から風が入ってよく乾くんですよ。宿に泊まるふりして温泉に入ったりもしましたね(笑)」。

 こちらが目を丸くするようなクルマ旅のエピソードが次から次へと飛び出してきましたが、このご婦人のカーライフの原点はそんな旅にあるように思います。今でも1~2名で出かけるときには、お布団や簡単な自炊用具(キャンプ用品)を積んで出かけるのだそうです。今のクルマは7人乗りで、シートを倒せばこの中で寝ることもできるから便利、とおっしゃいます。

 趣味は陶芸と能面彫り、そして合気道にスキー。陶芸やスキーをしにどこへでも行くと言いますが、行きつけの窯のある山梨には、月に1度通われているそうです。窯では交代しながら火の番をするそうで、そんなときもこのクルマの中にお布団を敷いて、仮眠を取りながら24時間火の番をすることが今でもあるのだとか。

「この車庫は通りに面しているから出づらいんですよ」と言いつつも、車庫入れはスムーズ。隅に寄せる動作も自分の車庫とは言え、年齢を考えたら相当に手慣れたものでしたクルマは4WD。ガレージの中にはスタッドレスタイヤが積まれ、焼き物の粘土や試焼きのオーブン、簡単な調理や湯沸しのできるアウトドア用品が収められていました

 窯に行く際は「夜のほうが移動が楽なんです」と言います。私がトラックなどが多くて走りづらいのではないか? と聞くと、夜はライトの明かりで他のクルマを認識しやすく、高速道路では上手なトラックドライバーの後ろにつけばはスピードは出さないし、一定スピードで走ってくれるから、それについて走ると楽なのだとか。「トラックが休憩のためにSAなどに入ると、あ~私もそろそろトイレ休憩でもしましょうか、と一緒にSAに入るんです」と、トラックを運転のペースメーカーに使ってしまう。

 ここでも基本は走れるだけ走って、疲れたら休憩をするというのを心がけているそうですが、もう少しお若かった頃はお茶の集まりで東北に行った際、ホテルに泊まるのが面倒だからと日帰りをし、家族を驚かせてしまったこともあるのだそうです。茶道の本家のある京都へも、「電車に乗るために待ち合わせしたり荷物を持って移動するのが面倒」と言って、やはりクルマがいいのだそうです。早めに家を出発して、近くのSAで時間調整し、京都のお気に入りのお店で朝食をとるのが楽しいそうです。

 お話をうかがっていると、こちらが感心するほどクルマの運転と移動を楽しまれていることがよく分かります。自分の年齢を明かしたがらない気持ちも分かる。しかし、いつかはこのご婦人も、運転を諦めなくてはいけない時期が来るはずです。お年寄りのドライバーの事故についてうかがってみると、免許センターで行う運転試験では、他のお年寄りの運転を見て「あれは危ない」と思うことも少なくないのだとか。「でも目黒通りを走っていると、若い人でも運転の下手な人は沢山いますよ」とごもっともなご意見も。

 もちろん、自分の衰えも実感しているからこそ、今は安全確認とスピードを出さないことを心がけているそうです。それでもご家族はずいぶん前からクルマの運転を心配しており、現在のクルマは今年車検を迎えたのに、買い替える予定がないのだとか。「これまでは車検のたびにクルマを買い替えていたけれど、家族にこのクルマを最後にしたら……って言われてしまったの」と、残念そう。そのときが来たらどうするのですか? とうかがったら、「何かもっと小さくて運転も安全にできるクルマがあればいいなと思います」。

最後の最後に、私がクルマ関係のお仕事をしている中でドライビングスクールの先生もしていることを明かしました。でないと、この方の運転に同乗するのでも構えてしまうといけないと思ったからです。それでも、私が目を閉じて同乗していたら、60~70歳代と思ってもおかしくないほど、運転は注意深く、スムーズでした。でも近い将来、運転を諦めるときが来るのでしょう……

 このご婦人の運転するクルマに同乗させていただきましたが、実に慎重かつ扱いはテキパキとしていました。お年寄りの運転が問題視されていますが、年齢ではなく能力(技術というより注意力や運動能力)を持ち続けているかというのが重要なのではないかと感じた次第です。

 現在も週に2日は学校の茶道部にお茶を教えに行き、毎週月曜日はお友達たちとの勉強会に行き、週に1度は合気道を習いに行き、月に1度は山梨まで趣味の陶芸を焼きに行き、冬場はスキーをするためにどこにでも行くそうです。茶道ももともとはこのご婦人のお母様が先生をやられていたから習い、師範のお免除を持っていたから、結果的に教えることになったのだそうですが、茶道の奥深さは果てしなく、学ぶことはまだまだあると、今でも茶道を極める気持ちを強くお持ちでした。合気道はもう少しで黒帯がいただけるのかどうか。「先生の言うようになかなか出来ないから補習をやってもらっているんです。若い人みたいに時間がないから……(苦笑)」。

 ここではご婦人のカーライフを紹介しましたが、色々なお話をうかがっている中で、何かを極める気持ち、楽しむ姿勢などを学ばせていただいた次第です。「まだまだ甘いな……」。そんな風に自分の日々の生活を見つめ直し、超小型モビリティの現実化により一層、注目しています。

飯田裕子のCar Life Diary バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/cld/

(飯田裕子 )
2012年 6月 28日