オグたん式「F1の読み方」

2016年シーズンのロズベルグとハミルトン

 2016年のF1世界選手権は史上最多の21戦で行なわれた。今シーズンはニコ・ロズベルグとルイス・ハミルトンによる熾烈で濃密な戦いだった。そしてシーズンが終わり、ロズベルグが初のワールドチャンピオンを獲得した。

強さを備えたロズベルグ

 今年のロズベルグは強かった。まず開幕から4連勝で序盤の勢いを掴んでいた。しかも、前年の終盤戦から数えると7連勝だった。これでロズベルグは、シーズン序盤でチャンピオン争いの主導権を握ることになった。しかも「勝てる」という自信がついたようだった。勝負は心の勢いというのも大きく左右する。油断や慢心などではなく、確固とした思いとして「勝てる」となった選手は揺るがず、ひるまず強い。今季のロズベルグはこれを会得したようだった。

 第5戦のスペインGPでは、オープニングラップでハミルトンと接触して両者リタイヤになった。オープニングラップのさなか、最前列であのような接触を起こすのは後続の安全を考えれば決して褒められたことではなかったが、ハミルトンに対して「絶対に前に行かせない!」と言うかのような強い意志を示したのは、ロズベルグの大きな進化のようにも見えた。昨年までのロズベルグなら、序盤での接触を避けるために引いてしまっていたからだ。これは、レース全体を考えたとても知的でフェアなやり方だが、ハミルトンから見れば「楽な相手」と思える行動でもあった。このスペインGPでの接触は「今季こそはチャンピオンを獲りたい」というロズベルグの意思表示と、ハミルトンに対する挑戦状だったように思えた。

 日本GPでもロズベルグは予選から「絶対に負けない」という気迫があった。日本GPの勝利で、ロズベルグは優勝しなくとも表彰台に立てばチャンピオンになれる状況になった。ここからのロズベルグは、ポイント計算とリスクのバランスをとった巧みな戦いを展開した。とくに雨のブラジルでクラッシュのリスクを抑えて2位確保に徹した戦い方が、最終戦でのロズベルグをより優位とした。終盤戦でのロズベルグはとても知的で、まるで何度もチャンピオンを獲ったドライバーのように戦っていた。

 最終戦アブダビでは、最後にロズベルグに苦境が訪れた。ハミルトンがペースを落とし、ロズベルグの後ろには猛烈な勢いでセバスチャン・ベッテルとマックス・フェルスタッペンが迫って来ていたからだ。ロズベルグは3位でもチャンピオン確定だったが、ベッテルとフェルスタッペンに抜かれて4位になったら、優勝したハミルトンが逆転チャンピオンになるところだった。それでも、ロズベルグはこの後方からの追い上げと脅威にも揺るがず、うまく対処していた。結果、2位を守り抜いてゴールし、チャンピオンを獲得した。

 ロズベルグは育ちがよく、知的で、気遣いができて、優しく、とてもよい紳士だ。だが、この素晴らしい人柄はドライバーに体力、知力、精神力など全てを出し切る激戦を求めるF1の戦いのなかでは、マイナスに作用したのかもしれない。とくに昨年までの2シーズンは完全にハミルトンにしてやられてしまっていた。しかし、今年のロズベルグはよい人の部分を消してでも勝負で競り負けない強者になった。それはときには非難も受けることもあった。だが、この姿勢が究極の戦いを征することにつながった。

 今年のF1は素晴らしい紳士が、より強く成長して、速く、強く、知的に王座を獲得する過程と瞬間を見た。チャンピオンシップの「勝ち方」を知ったロズベルグの未来への期待が膨らみ、F1の未来にとっても大きな希望がまた増えたと感じた。だが、ロズベルグはチャンピオン決定から5日後に引退を発表してしまった。

ロズベルグの引退について

 日本GPでハミルトンの自力チャンピオンがなくなったときから、ロズベルグは大きなプレッシャーを感じ、今季で「自分のレース人生を終わりにする」ということを考え始めたという。最終戦の決勝に臨む日も大きなプレッシャーを感じたが、「これが最後のレースになると考えたら気が楽になった」とも語っていた。そして、ロズベルグは最終戦の翌日に引退の決意を固めた。

 6歳でレースを始めたロズベルグは、2006年にF1にデビューした。だが、加入したウィリアムズは低調な時期であり、2010年にF1に復帰したメルセデスチームに移籍すると、そこにはやはり復帰してきたチャンピオンのミハエル・シューマッハがいて、チームのエースとして君臨していた。シューマッハが引退してやっとチームを自分の体制にできるかと思ったら、ハミルトンが加入。2014年、2015年と、ロズベルグはハミルトンと激しく争ったが王座はハミルトンのものになっていた。だが、これがロズベルグの闘志をさらに掻き立てた。

「過去2シーズンの悔しさからモチベーションに火が付き、僕は狂ったように攻め立てたし、おかげで、これまでには達することができなかったレベルまで自分を高めることができた」。

 そして、レーシングドライバー人生を選んだ6歳のときからの目標であり念願だった、F1のワールドチャンピオンを今年獲得した。だがその代償も大きかったようだ。

「この目標に向かって、ずっと努力と苦痛と犠牲を払ってきた。そして今それを達成した。僕は山を登りつめ、今ピーク(頂上)に達した。だからこの判断は正しいと思っている」とロズベルグはコメントしていた。

 現代のF1のドライビングは、肉体的に極めて激しいスポーツであり、日々厳しいトレーニングと徹底的な管理、節制した食生活が求められる。さらにライバルとの戦い、スポンサー、自動車メーカー、チームやファンからの大きな期待とプレッシャーにもさらされる。F1ドライバーもアスリートであり、アスリートのなかでも、肉体的にも、精神的にも極めて厳しいことを極めて高いレベルでやり遂げることが求められる。

 アスリートは自らの辞め時をよく分かっている。ある人は肉体的な能力の限界が見えたとき、ある人は精神的な限界がきたときと、人によって辞める決断の理由はさまざまだ。ロズベルグの場合、精神的な要素のほうが大きかったようにも思える。家族をとても大切に思うロズベルグにとって、トレーニングや節制の厳しさもさることながら、さまざまなプレッシャーの影響が家族との生活にまで及ぶことを避けたかったようだ。

 精神的に戦えない状態になってもなお現役を続けるのは、集中力を欠いて危険になる恐れもある。WEC(世界耐久選手権)で引退を発表したマーク・ウェバーも「中途半端な気持ちのままで現役を続けたくないし、それはよくないこと」と述べていた。

 ロズベルグの決意に、メルセデスモータースポーツ部長のトト・ウォルフが同意したことは賢明な判断だったと言える。1973年に自身も3度目のワールドチャンピオンを獲得したときに引退を発表した、サー・ジャッキー・スチュワートも「驚いたが、理解できる」と、ロズベルグの決定を支持した。

 だが、元ワールドチャンピオンでメルセデスF1チームの非常勤役員をしている、元ワールドチャンピオンのニキ・ラウダは、ロズベルグの決定に対して無責任であると否定的だった。しかし、ラウダ自身も2度の引退経歴があり、1度目の1979年のときには終盤戦のカナダGPの1回目のフリー走行後に突如引退を発表して、そのままサーキットから去って行ってしまった。ラウダをエースドライバーにしていたブラバムチームは、大慌てでラウダの代役を探さなければならなくなり、ちょうど観戦に来ていたリカルド・ズニーノを大急ぎで起用する事態になっていたのだった。

 いずれにせよ、ロズベルグ自身の気持ちと判断は明確だ。ロズベルグは31歳で、新たなキャリアを踏み出すにはちょうどよい年齢だ。

 このロズベルグの引退で、メルセデスの座席が1つ空くことになった。ウォルフによると、大部分のF1ドライバーからの連絡があったという。来季はルール変更でマシンが大きく変わるとはいえ、チャンピオンチームの空席はどのドライバーにとっても魅力的なはず。しかも、メルセデスには優秀な若手育成ドライバーたちもいる。ロズベルグの空席を埋めるのは難しいことではないだろう。

 ただ、ウォルフたちにとって困りものなのは、クリスマス前のやや穏やかな時期がとても忙しくなったことくらいだろう。この空席をめぐる動きなどは、また次回の本連載でお伝えできればと思っている。

最後まで抜群の速さを見せたハミルトン

 一方、ハミルトンは上手くいかなかった。まず、新規定でクラッチ操作とマシンの発進が、よりドライバーのクラッチレバー操作の上手さが求められるようになって、序盤戦ではその操作にかなり苦戦していた。

 クラッチレバー操作は半クラッチでパワーがつながり始めるところを探るようにするが、ただでさえF1のパドル式(レバー)式のクラッチ操作は感覚がつかみにくいうえに、カーボンクラッチはそのつながるところが温度によって変化してしまうことで操作がより難しいという。だが、同じマシンに乗るロズベルグをはじめ、他のドライバーはこの難しさを克服していた。世界で最も操縦が上手く、速いドライバーを決めるというのが、F1による世界選手権が1950年から始まったときからの最優先事項である。このことを重視すると、序盤戦のハミルトンには弱点があったと言わざるを得なかった。だが、ハミルトン自身の努力とチームのクラッチ操作系統の改良もあって、シーズンが進むにつれてこのスタートの問題はだいぶ解消していった。

 逆にスペインGPでのロズベルグとの接触リタイヤのあと、ハミルトンは持ち前の速さと強さを見せた。結果、モナコ、カナダで連勝し、オーストリアからドイツでは4連勝。この時点では、流れはハミルトンの3連覇に傾いたように見えた。

 しかし、ベルギーではエンジントラブルからグリッド最後列からスタート。さらにマレーシアでのエンジントラブルによるリタイヤでポイントリーダーの座をふたたびロズベルグに奪われてしまった。マレーシアでのリタイヤの瞬間に流れたハミルトンの「No! No!」という無線は、「勝ちたい」という思いと裏腹に自分ではどうにもできない現実に直面してしまった悲痛な叫びに聞こえた。

 さらにハミルトンは日本GPで予選からロズベルグの先行を許してしまい、決勝ではスタートで痛恨のミスをしてしまったが、これは前回記したとおり。

 日本GPでの敗北から、チャンピオンを獲得するにはもう勝ち続けるしかない状況となると、ハミルトンは持ち前の速さと集中力をふたたび見せて最後まで4連覇を果たした。とくに雨のブラジルでの速さとマシンコントロールは抜群だった。

 最終戦のアブダビでもハミルトンは予選から卓越した速さでポールポジションを獲得し、決勝でもピットストップのとき以外は終始トップを維持した。チャンピオンは獲れなかったが、とてつもなく速いハミルトンは健在というところを見せつけてくれた。

最終戦でのハミルトンの戦術について

 最終戦アブダビGPの終盤、ハミルトンはペースをコントロールしてラップタイムを落とした。ハミルトンにとって、自分がトップでゴールしてもロズベルグが4位にならないと自身のチャンピオンはなく、しかもロズベルグは2位にいるという絶体絶命の状況だった。そこに3位のベッテルと4位のフェルスタッペンが猛烈な勢いで迫ってきた。この2人がロズベルグの前に出ればロズベルグが4位になり、ハミルトンはチャンピオンになれる。そこで、ハミルトンはペースを落として、自分とロズベルグとベッテルとフェルスタッペンが入ることを狙った。だが、結果はハミルトンの望んだようにはならなかった。

 たしかにハミルトンは、それまでの1分45秒台前半だったラップタイムを、終盤には1分45秒台後半から1分46秒台としていた。ハミルトンは確かにペースを落としていたが、事前の通達で提示されているラップタイム(メインストレートを除いた区間でのタイムで1分59秒0と指定)を超えるほどの極端なスロー走行ではなく、ハミルトンも言うようにルールに抵触するものではなかった。むしろ、この走りに「チャンピオンになりたい」というハミルトンの意地が見えた。

 ハミルトンにしてみれば、チームはすでにコンストラクターズチャンピオンを獲得しているので、最後は自由に戦わせてほしいという思いもあっただろう。一方、チームにしてみれば、最悪の場合アブダビGPの勝利をベッテルかフェルスタッペンに奪われる危険性もあり、「ペースを上げろ」と言わざるを得なかっただろう。

 ワークスチームのドライバーとして高額の報酬をもらっているドライバーとしては、ハミルトンはチームの指示に従うべきだったという声もあり、それも一理ある。だが、ドライバーズ選手権の伝統的価値と、ドライバーとしてのチャンピオン獲得への思いを考えれば、アブダビでのハミルトンのペースコントロールは正当化されてもよさそうでもある。先述のように、1950年からのF1による世界選手権はもっぱらドライバーの選手権を競うものであった。F1でのコンストラクターズチャンピオンシップは、1958年から付随するように始まったものだった(かつて自動車メーカーの技術力の覇を競うのはもっぱらメイクス選手権で、それは現代のWECへと続くスポーツカーやツーリングカーのレースなどにかけられていた)。F1はドライバーの戦いが主であり続けているはずである。

 ハミルトンのような、ポイント計算をしながら戦うのも、王者に共通する「勝ち方」でもあった。自チームのドライバーにチャンピオンを獲得させるために、もう1人のドライバーにはチャンピオンを争うライバルを背後に抑えこませるということも過去にあった。

 ハミルトンの行動が是か非かという議論の結論は、ハミルトンとチームとで出すべきで、外部がどうこう言うものではないだろう。ただ、メルセデスのトト・ウォルフはチームが無線でペースアップを指示したのは過剰な介入だったとし、当初はハミルトンの戦術に否定的なようにうかがえたチームもハミルトンの行動を認める態度に変わり始めている。

 今シーズンのハミルトンには弱点や失敗もあったが、極めて重要な局面でメルセデスのエンジントラブルもあった。それでも、ハミルトンは抜群の速さと集中力で最後まで僅差の戦いに持ち込み、最後の瞬間まであらゆる手を尽くしてでも勝とうとした。これは王座防衛と、今年全力を出して挑んできたロズベルグには絶対に負けたくないという強い思いによるものであり、その心を行動ではっきり示してくれた。

 今季のF1は毎戦のようにメルセデス勢の圧倒的な勝利で、退屈と言われることが多かった。しかし、少年時代からの友でありライバルでもあったロズベルグとハミルトンの互いに全力を出し切った激しい戦いは、F1史上に残る名勝負であった。2人の闘志、知恵、技を考えると、チャンピオンにふさわしい見事な戦いだった。互いによく知る相手だからこそ、最後までいっさい妥協せず、あきらめず、全力で戦いあった。それはアスリートとしてライバルを最高に讃えることでもあった。

 全力を出し切ってついに勝ったロズベルグはもちろんのこと、すべてを駆使しながらも敗れたハミルトンも、賞賛にふさわしい戦いぶりだった。

 残念ながらメルセデスチームだけで多くの話題がありすぎて、かなりのスペースを使ってしまった。他のF1チームの今季の振り返りや、メルセデスチームのロズベルグの後任人事についてのさらなる動きなどについては、今月末に再度ここでお伝えできればと思っている。

小倉茂徳