F1の品格
先日、東名高速でのこと。筆者は富士スピードウェイに向かって外側車線を90km/hほどで走っていた。隣の中央車線には、黒いワンボックス車が100km/hをちょっと超えるくらいの速度で並びかけてきていた。
パーキングエリアまで2km。この標識が見えた瞬間、その中央車線を走行していたワンボックス車が、急にこちらの外側車線へ進路変更してきた。衝突を避けるため、こちらは車体幅の半分あまりが路側帯まで追いやられるほど、進路変更をせざるをえなかった。
件のワンボックス車は、クラクションを鳴らされて初めて、横にこちらの車両がいたのに気がついたようだ。大渋滞が解消された直後だったので、よっぽどパーキングエリアに急行したかったのだろう。
このインシデントはワンボックスのドライバーのミスで、悪意はなかったのだろうと思う。が、急激な幅寄せをしかけられたこちらは、もの凄い恐怖感と焦燥感だったし、直後には憤りも感じた。そのとき、ハンガリーGPでルーベンス・バリチェロが激怒した気持ちが、ほんの一部だが理解できた気がした。
■ことの重大性と幸運だったシューマッハ
ハンガリーGPのストレートでのインシデントは、バリチェロによる追い抜きを阻止するために、シューマッハによって半ば意図的に行われた幅寄せだったのだから、深刻な問題だった。映像と連続写真を見ると、バリチェロはタイヤがピットウォールに接触する寸前になったうえ、ピット出口まで追いやられていた。「抜かれたくない」というシューマッハの闘争心も分かるが、あれはやりすぎだろう。
バリチェロとシューマッハのそれぞれの立場での主張は、さまざまなメディアに紹介されているので、ここでは文字数をセーブする目的で記載はしないことにさせていただいた。
結果、シューマッハは、レース後に審査委員会からF1スポーティングレギュレーション16.1条違反と裁定され、次戦(ベルギーGP)での10グリッド降格が決定された。
この16.1条にはつぎのように記されている。
16)インシデント(=事件)
16.1 「インシデント」(=事件)とは1人または複数のドライバーを巻き込んだ出来事、あるいは一連の出来事、あるいはドライバーによる行為で、レースディレクターから競技会審査委員会に通知された以下に該当するもの(あるいは、審査委員会によって、レースディレクターに対し、その調査を求める指摘/言及がなされたもの)を言う。
(中略)
- ドライバーのコースアウトを強いるもの
- ドライバーによる正当な追い越し行為を妨害するもの
- 追い越しの最中に他のドライバーを不当に妨害するもの
レースディレクターの判断で、ドライバーが上記の条項に違反していたことが完全に明らかでない限り、2台以上の車両が関与した一切の事件は通常レース終了後に調査される。
シューマッハは、上記の(中略)以後の3項目か2項目に該当していたと考えられる。そして、審査委員会がレース後に裁定とペナルティを下したのは、上記の条文にものっとった正当な措置と言えた。
だが、元F1ドライバーの立場で当日の審査委員会メンバーのひとりを務めたデレック・ワーウィックは、イギリスのメディアとのインタビューの中で、シューマッハに失格の黒旗の提示が考慮されていたことを明らかにしている。
ワーウィックによると、シューマッハの行為は上記の16.1の中に記された「ドライバーが上記の条項に違反していたことが完全に明らか」だと考えられたという。しかし、審議を行い、この明白な違反行為であることを立証するには、ビデオ映像などによって厳正な検証が必要となる。同時に、レースは進行中で、そこへも目を光らせていなければならない。審査委員たちには過大な作業負担がかかっていたのだろう。
一方で、レースが進行していく中で、黒旗の裁定をしても、通達から実施までに、レース終盤かゴールになるような状況でもあった。これでは、黒旗を出しても意味が薄い。そこで、審査委員会はレース後に事情聴取をし、レース後の裁定としたのだという。
これはシューマッハにとっては、幸運に働いたかもしれない。次戦での10グリッド降格という厳しい裁定は下ったが、その「次戦」はスパ・フランコルシャンでのベルギーGPである。ここは天候が変わりやすく、条件が急変すると、グリッド位置がレース結果に影響を及ぼしにくくなることもあるからだ。実際、シューマッハ自身、1995年には16番手からスタートして優勝している。メルセデスW01の性能とチームの戦略しだいの面もあるが、まだポイント稼ぐチャンスはあるはず。
一方、復帰イヤー中に、あからさまな妨害行為で黒旗失格になったら、ただでさえ引退前にもいろいろと言われたこともあるシューマッハのイメージは、さらに悪くなってしまっただろう。
シューマッハは、幾多のドライバーの記録を大幅に更新した偉大なドライバーであることは確かだ。だが、見方を変えると、違った評価も聞こえてくる。
ウィリアムズから見れば、少なくとも2回は危険行為を平然とやった、ということになる。1994年のオーストラリアGPでの、デイモン・ヒルへの接触でチャンピオンを確定したことや、1997年のヨーロッパGPでのチャンピオンをかけた戦いの中で、ジャック・ヴィルヌーヴに接触事故を仕掛けたことがあったからだ。ウィリアムズの関係者やファンに言わせれば、これらは「氷山の一角」にしかすぎず、シューマッハは勝つためにはなんでもするあくどいドライバーだ、となる。
この他にもシューマッハは、いくつかの問題や疑惑となるドライビングをしたことがあった。1993年のフランスGPでは、スタート直後にアイルトン・セナを弾きだした。これでリタイヤとなったセナは、赤旗中断中にグリッドを訪れ、テレビカメラのある前で、シューマッハを「君は危険なドライバーだ」と叱責したこともあった。
■王道なのか? 歴史は繰り返す?
「君は危険なドライバーだ」
これは、セナ自身も言われた言葉だった。F1にデビューした直後のセナは、相手がチャンピオンでも、誰かれかまわず激しいバトルで挑んだ。それは、当時のドライバーから見れば常識外れで、ニキ・ラウダらからこう叱責されたのだった。
また、1989年にはFISA(当時)のジャン・マリー・バレストル会長からも「危険なドライバーだ」とされた。だが、これは同国人のアラン・プロストに入れ込むあまり、そのライバルだったセナをへこまそうとしたバレストルの恣意的な発言だったともいえる。
「僕は危険なドライバーと言われた」。1991年の鈴鹿で、決勝後の公式インタビューで、セナは涙ながらに長時間話した。それは、1990年の日本GPでの接触事故に言及したときのことだった。
1990年の日本GPでセナとプロストは、両者ノーポイントならセナのチャンピオンが確定する状況だった。そして、1コーナーでプロストのイン側がわずかに空くと、セナはそこにノーズを突っ込み、両者コースアウトになった。プロストから見れば、1コーナー手前での位置と2コーナー以後へのラインを考えると、あの場所では1コーナーのインをわずかに空けるしかなかったはず。しかも、イン側に寄るために、ミラーで確認もしていた。当時の日本はセナブームで、メディアによる善玉セナ、悪玉プロストという奇妙なキャラクター設定が流布されていたため、プロストが悪いという世論が大半だった。だが、上記のように、セナ自身がその1年後の会見で、不当に危険なドライバーとされたことへの反発もあって、意図的にインシデントを起こしたことを告白した。
1988年のポルトガルGPでは、セナもプロストをピットウォール間際に追い込む行為をやっていた。
他方、1989年の日本GPでも、シケインでセナとプロストの接触があった。このときは、両者ノーポイントならプロストがチャンピオン確定という立場だった。プロストの真意は不明だが、セナと接触リタイヤになることは、選択肢にあったのだろう。土曜日の夕方にプロストはピット裏でフランスのメディアを集めて翌日の戦略をフランス語で披露していた。その内容は、次のようなものだったと記憶している。
「鈴鹿はコース上での追い抜きは難しい。だから、スタートで前に出て、あとはシケインと1コーナーだけを注意しておけばよい」。
これを語っていたプロストのすぐそばにはセナもいた。セナはフランス語が分かり、いつになく声を張って話していたプロストの話は全て聞こえていたはずだ。そして、決勝では実際に、シケインでインシデントになったのだった。
勝つためなら、チャンピオンになるためなら、なんでもする。これは、少なくとも1980年代終わりから1990年代には見え隠れした行為であるようだ。そして、こういうことができるものが王座を獲得するというのでは、シェイクスピアの「マクベス」のように悲劇的に思える。
1990年日本GPでの1コーナーでのインシデントについて、筆者は次のオーストラリアGPの会場で、さまざまな関係者の声と意見を聞いてまわった。その取材で聞いたサー・ジャック・ブラバムの言葉は、とても印象的だった。このことは、6月に本稿(http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/20100625_376521.html)にも書いたのだが、貴重な言葉だと思うので、あえて再びかかせていただく。
「俺たちの時代はあんな事故はしなかった。集団の頭で当たったら、確実に誰かが病院送りか、死んでいたんだ。だから俺たちは最後の一線は越えないように、お互いのラインを確保し合ったし、信頼し、尊敬し合っていた。だが、今のドライバーはカーボンファイバーだかでマシンが丈夫になったせいか知らないが、お互いの信頼も尊敬もないんだな。不幸なヤツらになったもんだ!」
■安全性向上と紳士的な戦い方の重要性
安全性が高まると、ドライバーはより無理をするようになる。これは、レーシングドライバーだけでなく、一般のドライバーでも同じだ。このことは、SAE(Society of Automotive Engineers)の学会でアメリカの3大メーカーのエンジニアたちが、事故と保険の統計データからも裏付けていた。
冒頭の筆者が経験したインシデントも、タイヤ性能とスタビリティが高まったおかげで、あれだけの急激なレーンチェンジが可能になったといえる。今後、安全確認を補助するような運転装置がさらに普及すると、より一般ドライバーは不注意になり、強引なドライバーが出現する恐れもあるだろう。
話をレースに戻すと、安全は譲れない。ヨーロッパGPでウェバーのマシンが空中に投げだされたが、その後のウェバーの様子を見ても、現代のF1の安全性の高さは素晴らしいといえる。2007年カナダGPでのクビサの事故でもそうだった。しかも、F1の安全開発とその成果は、インディカー、F3、フォーミュラ・ニッポン、WRCからのレーシングカートまで、さまざまなカテゴリーでの安全向上にも役立っている。また、市販車の安全向上にも応用されている。
安全になって、より限界を攻めることができ、よりエキサイティングな走りとバトルができるからこそ、素晴らしいレースになる。それは、昨年のベルギーGPでの、ライコネンとフィジケラの激しくも互いの立場を尊重した紳士的なバトルにも表れていた。
F1は、1906年に始まったグランプリレースを原点に持つ。グランプリは今でも1国1開催で、開催国で最高のレースとされている。そして、伝統的にそこに集うドライバーは紳士とされてきた。
偉大なるチャンピオンとその記録。シューマッハは自らの栄光とイメージを高めるためにも、紳士としての振る舞いすべきだろう。そうすることで、初めてシューマッハはホアン・マヌエル・ファンジオ、ジム・クラーク、サー・ジャック・ブラバムを超えられるのだろう。
そして、それができたうえで、優勝やチャンピオンを獲得すれば、「F1に紳士の戦いを取り戻した偉大なチャンピオンでジェントルマンのシューマッハ」となれるだろう。そして、シューマッハにとって復帰したことの目的と意義ができるだろうし、それができるのはいろいろな意味で“経験豊富な”シューマッハが最適任だと思える。
日本の相撲は、力士の頂点に立つ横綱に「品格」も求める。インディカーはドライバーに対してファンへの対応やレース中の行為に対して、引退したチャンピオンたちが厳しく指導している。F1も品格のある王者がいてこそ、次の世代の憧れと人気を集め、また、次の世代への教育にもなる。
サー・ジャック・ブラバム、サー・ジョン・サーティース、サー・ジャッキー・スチュワート、エマーソン・フィッティパルディら、偉大なるジェントルメンがお元気なうちに、アドバイザーとしてグランプリ会場に来ていただき、その薫陶をいただくのもよいのではないか?
激しいバトルは歓迎だが、最後の一線は相手を尊重しリスペクトする、そんな紳士的で真摯な姿勢のドライバーこそチャンピオンにふさわしいはずだ。
■URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/
■バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/
(Text:小倉茂徳)
2010年 8月 27日