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新型「クラウン」を世界へ向けて初公開した豊田章男社長のプレゼンテーションを全紹介

新型「クラウン」の世界初公開を行なった、トヨタ自動車株式会社 代表取締役社長 豊田章男氏

 トヨタ自動車自身が「SEDAN? SUV?」や「終わりか はじまりか」と問いかけていた新型「クラウン」の発表会が7月15日に幕張メッセで行なわれた。トヨタが幕張メッセで新型車を発表するのは2012年2月2日の新型スポーツカー「86」以来となり、代表取締役社長 豊田章男氏自身が新型クラウンの世界初公開をプレゼンテーションした。

 世界初公開された新型クラウンは、セダンかSUVかという2択ではなく、セダンもSUVも、そしてスポーツもエステートもという4車形で登場。駆動方式も前輪をエンジンとモーターを組み合わせたハイブリッドで、後輪をモーターで駆動する電気式4輪駆動方式を採用。さらにハイブリッドシステムも、第5世代となったトヨタ伝統の2モーターハイブリッドシステムに加え、エンジンとモーターを直結する新たなデュアルモードハイブリッドを投入。トヨタのフラグシップとなる新型クラウンとして、トヨタの全力がつぎ込まれた新型車として登場した。

セダンかSUVかではなく、セダンもSUVもそのほかもだった新型クラウン

 世界初公開にあたって豊田章男社長は初代のクラウンと開発主査から紹介。クラウンの歴史とトヨタにとってクラウンがどれだけ大切な車種かということを語った。

豊田章男社長、歴代主査に触れつつ新型クラウンを世界初公開

初代クラウンの主査を紹介する豊田章男社長

 豊田でございます。新型車の発表会にもかかわらずみなさまには入口で15台のクラウンを見ていただきました。それはなぜか、本日は歴代主査と、クラウンの物語から始めさせていただきます。

 クラウンの原点はトヨタの創業までさかのぼります。今から90年前、豊田喜一郎は自動車事業への挑戦を決意いたしました。その根底には大衆乗用車を作り、日本の暮らしを豊かにしたいという思想がありました。

 創業から15年が経った1952年1月、ようやく念願の国産乗用車作りが始まります。車名のクラウンは喜一郎の発案で決まっていたそうです。初代主査に任命されたのが中村健也さんでした。中村さんは強い使命感のもと、クラウンの開発に全身全霊を捧げました。

「いいと思うことはたとえ周囲に反対されてもやる」、そんな強い信念を持ち、前輪ダブルウィッシュボーンサスペンションをはじめ、最新技術のすべてをつぎ込みました。発売当時を振り返り、中村さんはこう言われています。

「日本中がお祭り騒ぎのようでした。まずいところを謝ると『小さな傷だ。すぐ直る』とお客さまのほうがなぐさめてくださった。国中をあげて僕の尻押しをしてくれた感じでした」。

 1957年には日本車として初めてオーストラリアでの海外ラリーに参戦し、その後、乗用車で初となる米国輸出にも挑戦いたしました。

 そして1959年、乗用車専用の元町工場を立ち上げます。乗用車の黎明期、年間6万台の量産工場を建てることは、大きな決断だったと思います。戦後のトヨタにおいて、すべての挑戦は初代クラウンから始まったのです。

 まさに日本という国が豊かになっていく勢いを象徴していたクルマ。それが初代クラウンだったと思います。そしてマイカー元年の翌年、1967年に3代目が発売されます。中村さんのもとで、2代目の開発に携わった内山田亀男さんが主査になりました。

 内山田さんは駐車場のクルマを観察する中で、ボディの色がだんだん明るくなってきたことに気付かれたそうです。そこでマイカーとして乗るお客さまが増えることを見越して、白いボディカラーを設定、3台目は白いクラウンと呼ばれモータリゼーションを牽引していくことになります。

 ここまでがいわばクラウンの創業期です。そこから20年はお客さまが求めるクラウンらしさを確立する時代です。1971年にモデルチェンジした4代目では外国車との競争激化を見越して、イメージを一新する大胆なデザインに挑戦いたしました。

 しかし、品質トラブルの影響もあり販売面で大苦戦を強いられます。

 クラウンは決してお客さまの先を行き過ぎてはいけない。それが4代目の残した教訓です。

 それ以降歴代の主査たちは「革新への挑戦とお客さまへの期待」、この両立に苦悩しながらクラウンの開発を進めることになります。

 そんなクルマ作りが、7代目、8代目で実を結びます。開発を担当したのは今泉研一さんでした。「いつかはクラウン」そう語り継がれる7代目により、クラウンは日本のステータスシンボルになり、8代目では歴代最高の販売台数を記録いたします。

 私は1984年にトヨタに入社いたしましたが、最初の職場は元町工場でした。8代目の生産準備にも携わりましたが、みんなが誇らしげに仕事をしていたことを今でも覚えております。80年代、クラウンは名実ともに日本を代表するフラッグシップとなりました。しかし、これをピークに9代目以降は苦難の時代に突入をしてまいります。

最初の職場は元町工場と語る、豊田章男社長

 まず、トヨタにおけるクラウンの位置づけが変わります。1989年トヨタはレクサスの最上級車LSをセルシオとして日本にも導入いたしました。

 いつかはクラウン、その立ち位置が変わるという大きな転換点を迎えます。そして1991年のバブル崩壊で日本経済は不況に陥り、高級車需要は低迷いたしました。さらに輸入車との競争も激しくなってまいります。この逆風の中で登場したのが9代目と10代目です。

 開発を担当した渡邉浩之さんは、いつかはクラウンの今泉さんのもとで腕を磨かれていました。酸いも甘いも知り尽くした渡邉さんの時代から、クラウンは変革期に入ってまいります。2000年代になるとトヨタは海外展開を加速し、規模拡大を追求してまいります。

 徐々に売れるクルマ、売れる地域が優先されるようになってまいりました。クラウンの販売は右肩下がりの状況、このままではいつかクラウンはなくなってしまう。そんな危機感の中で、2003年、12代目を迎えます。開発を担当した加藤光久さんは「俺の代でクラウンを潰すわけにはいかない」、その一心でクラウンの再構築に挑戦。世界基準の走行性能を目指し、プラットフォームやエンジンをゼロから開発いたしました。

 ちょうどそのころ私は師匠である成瀬さんのもとで運転訓練を始めておりましたので、ゼロクラウンの走りのよさを自らのセンサーで感じたことを今でも鮮明に覚えております。

 このゼロクラウンにより、「走りのクラウン」という新たな方向性が見えてまいります。2008年にはリーマンショックが発生、赤字転換の中で私が社長に就任いたしました。会社としては厳しい状況でしたが、クラウンの変革に向けた挑戦は続けてまいりました。

「一目見てほしい、そう思えるクルマにするためなら何を変えてもいい」、そう言って開発陣の背中を押しながらデザインを大きく変え、プラットフォームも刷新し、さらにニュルブルクリンクで走りも鍛えてまいりました。そこから14代目のリボーンクラン、15代目のコネクティッドクラウンが生まれました。

 この20年、クラウンは時代の変化と闘いながら進化を続けてまいりました。そして迎えた16代目、日本の歴史に重ね合わせれば徳川幕府の江戸時代も15代で幕を閉じております。何としてもクラウンの新しい時代を作らなければいけない。

 私は決意と覚悟を固めておりました。「一度原点に戻って、これからのクラウンを本気で考えてみないか?」、開発チームにそう伝えたところから16代目の開発が動き出しました。私の言葉を受けてクラウンチームは歴代主査の思いに立ち戻ることから始めました。

 中村健也さんはこう言われています。

「信念をもって人にモノを売るということは、『自分の心でいいと思うもの、本当のお客様の心が入ったもの』をつくるということです。自分の主張を盛り込んだクルマに乗ってもらって、初めてお客様は『面白い、乗りたい』と言ってくださる。そうやってクルマを世に問うことが主査の役割なんです」。

 これが主査制度の原点であり、私たちが目指している「もっといいクルマづくり」の原点だと思います。あれから2年。チームのみんなが形にしてくれたものは、これからの時代のクラウンでした。

 私が初めて新型クラウンを見たときの言葉は、「面白いね」。そして乗ってみてクルマから降りたときの言葉は、「これ、クラウンだね」でした。本日、新しいクラウンが誕生いたします。16代目のクラウン、日本の歴史に重ね合わせれば、それは明治維新です。

 ご覧ください。新しい時代の幕開けです。

 新時代のクラウンの誕生です。

新時代のクラウンは、クロスオーバー、スポーツ、セダン、エステートと4つのバリエーション
クラウン クロスオーバー
クラウン スポーツ
クラウン セダン
クラウン エステート

開発を担当したMid-size Vehicle Company 中嶋裕樹プレジデントによる4つの新型クラウンの紹介

新型クラウンの開発について語るトヨタ自動車株式会社 Mid-size Vehicle Company プレジデント 中嶋裕樹氏

 新型クラウンの開発を担当いたしました、Mid-size Vehicle Company プレジデントの中嶋です。今回のクラウンの開発の経緯についてお話させていただきます。

 2年と数か月前のことですが、まず私が手がけたのは現在走っているクラウンのマイナーチェンジでした。社長の豊田にその企画を見せたとき、こう言われました。「本当にこれでクラウンが進化できるのか、マイナーチェンジは飛ばしてもよいので、もっともっと本気で考えてみないか」、今思えば、ここから16代目のクラウンの開発がスタートしたと思います。

 初めに歴代主査の思いに触れ、そもそもクラウンとは何かを徹底的に見つめ直すところから始めました。そこにはクルマの形や駆動方式という決まりは何もありませんでした。あったのは、歴代主査の革新と挑戦というスピリットでした。私たち自身が内向きに決まりを作り、自らを動けなくしてしまっていたのです。同時に、社長就任以降、豊田が言い続けてきた言葉を思い起こしました。「もっといいクルマをつくろうよ」と、「世界一ではなく、町いちばんを目指そう」、この2つです。

もっといいクルマをつくろうよ

 クラウンがロングセラーであり続けられたのは、歴代主査が常に町いちばんで考え、日本のお客さまの笑顔を思い浮かべながら、もっといいクラウンを目指して挑戦してきたからだと思いました。

 そこから考えを大きく変えました。固定観念にとらわれず、これからのお客さまを笑顔にするプランを目指そうと、開発を始めたのがこのクロスオーバーです。ある程度形になり社長の豊田から「これでいこう」、ゴーサインが出たと同時に新しい宿題が出ました、「セダンも考えてみないか?」。正直、耳を疑いました。一方で、私たちがあのマイナーチェンジのときから発想を変え、原点に戻った今だからこそ、豊田は「セダンをやってみたらどうか?」と問いかけているのだと受け止めました。

 それならば、この多様性の時代、ハッチバックやワゴンも必要だと4つの異なるモデルを提案した、というのが正直な経緯です。

 あらためて4つのクラウンをご紹介いたします。

 まずクロスオーバー。このクラウンはセダンとSUVの融合で、乗り降りしやすく、視点も高く、運転しやすいパッケージとしながらも、走りは、新たなハイブリッドシステムとともに、「セダンを超えるセダン」として進化させました。

 次にスポーツ。このクラウンはエモーショナルで創造的な雰囲気を持ち、乗りやすく運転しやすいパッケージとともに、俊敏でスポーティな走りがお楽しみいただける、新しいカタチのスポーツSUVです。

 続いてセダン。このクラウンは正統派セダンとして、新たなフォーマル表現とともに、上質さ、快適さを追求しました。ショーファーニーズにも十分お応えできるモデルです。

 最後にエステート。このクラウンは機能的なSUVとして、大人の雰囲気で余裕のある走り、アクティブライフを楽しんでいただけるモデルです。後席はフルフラットデッキにもなり、まさしくワゴンとSUVのクロスオーバーとも言えるでしょう。

 以上、これら4車種の名前は、すべて統一して「クラウン」です。今回発売のクロスオーバーを振り出しに、これから1年半の期間で順次、世の中に送り出してまいります。

 4つのクルマを並行して開発するのは至難の業でした。それを可能にしたのが「カンパニー制」と「TNGA」です。この2つなくして新型クラウンは実現できなかったと断言できます。

4つのクルマを並行して開発できたのは、カンパニー制とTNGA

 まず1つ目、2016年から始まったカンパニー制です。

 それぞれのカンパニーには担当のクルマに愛着を持ち、また、そのクルマのことを最優先に考える人たちがいます。そして、自分たちの意思で決断し行動することが使命です。

 ミッドサイズ・ビークルカンパニーとして、クラウンを一番に考えることができたこと、また、プレジデントとして、自らの責任と判断で実行できたことが非常に大きかったと思います。

 これまで当たり前だった開発プロセスを見直し、無駄を徹底的にそぎ落とし、リソーセスを確保しなくてはなりませんでした。そのために例えば、製品企画と開発の各工程を1つのチームにし、全員がプロであるという意識を高め、従来以上に緊密なコミュニケーションで乗り切りました。

 2つ目はToyota New Global Architecture、TNGAです。

 もっといいクルマづくりを実現するため、プラットフォームとパワートレーンを刷新し、一体的に開発することで基本性能を飛躍的に向上させることを目指し、2012年にその構想を立ち上げました。

 10年の時を経て、TNGAも成熟、進化し、その広がりがクラウンのシリーズ化を実現させました。

 TNGAプラットフォームでは、一目見て、このクルマが欲しいと思っていただけるデザインや、ずっと乗っていたいと思っていただける走り、乗り心地など、クルマの基本性能を高めてまいりました。

 今回のクラウンでは、さらに成熟させ、例えばこのスポーツ、新開発した専用プラットフォームを用いてタイヤ大径化とともに、居住性とデザインの両立を狙い作られています。

 TNGAパワートレーンでは、低重心化とともに、優れた走行性能と環境性能を両立させ、ダイレクト&スムースを重点的に開発してきました。

 今回さらに進化させ、例えばこのクロスオーバーでは、エンジンと電気モーターを直結させ、後輪にも大型モーターを搭載し、350馬力、550Nmというトルクフルな走りを実現。加えて緻密な4輪駆動制御で、車両姿勢のコントロールも行なう、新しいハイブリッドシステムも導入しました。

 クラウンのコンセプトは「トヨタブランドのフラッグシップ」です。

「カンパニー制」と「TNGA」で4つのクラウンを並行開発し、それぞれのお客さまのフラッグシップに相応しい品質に作り込み、お届けしてまいります。どうぞご期待ください。ありがとうございました。

豊田章男社長による、新型クラウンのグローバル販売宣言

プレゼンテーション後半、世界へ向けて語りかける豊田章男社長

 いつの時代も、クラウンが目指してきたものは、「幸せの量産」だったと思います。

 クラウンは、日本の豊かさ、「ジャパンプライド」の象徴でした。そして、世界に誇る日本の技術と人材を結集したクルマでした。新型クラウンにも、そんな日本の底力が詰まっております。

 だからこそこのクルマで、私はもう一度世界に挑戦いたします。

 新型クラウンは約40の国と地域で販売してまいります。シリーズの販売台数は年間20万台規模を見込んでおります。

 クラウンが世界中の人々に愛されることで、日本がもう一度、元気を取り戻すことにつながれば、こんなにうれしいことはありません。

「日本のクラウン、ここにあり」。それを世界に示したいと思っております。

 最後に世界のお客さまへ、メッセージをお伝えしたいと思います。

 I'm so excited to announce today…… that this new Crown family of vehicles will be offered……not just in Japan… but globally……. for the very first time.
(本日みなさまにこのニュースをお届けできることを大変楽しみにしてまいりました。新型クラウンシリーズは、日本だけではなく、初めてグローバルに販売してまいります。)

 Customers from around the world will now get a chance to drive this historic Japanese nameplate…… born out of passion, pride, and progress.
(日本の情熱、プライド、発展が生み出した歴史あるクルマに世界中のお客さまがお乗りいただけるようになります。)

 A car that could very well be…… our crowning achievement!
(このクルマはきっと、クラウンの「最高傑作」になると思っております!)

 みなさま、「日本のクラウン」の新しい未来に、ご期待ください。本日は、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

世界へ向けて発信された新型クラウン

 豊田章男社長がクラウンの歴史を語って紹介された16代目の新型クラウン。4車形の発売順は、クロスオーバー、セダン、スポーツ、エステートの順になり、1年半ほどで順次発売されていくという。この新型クラウンに関して、クラウンらしい、クラウンらしくないと、さまざまな感想が発表会の場でも聞こえていたが、豊田章男社長自身は、初めて新型クラウンを見たときに「面白いね」、そして乗ってみてクルマから降りたときに「これ、クラウンだね」と語ったという。新型クラウンについていろいろ思うところはあるでしょうが、まずは「新しいクラウンに乗ってみてください」というメッセージを伝えていた。

 4車形の開発については中嶋裕樹プレジデントが語っていたが、これだけの開発を並行して行なえるのは世界40か国へ販売していくグローバルカーであることと、TNGAという「もっといいクルマづくり」が確かな結果を出したことにある。

 新型クラウンの世界初公開プレゼンテーションの後半は、日本の“ものづくり”を世界へ向かって英語で豊田章男社長が発信し、クラウンの最高傑作を世界へ向かって提供していくと語る。新型クラウンが世界で成功するにはクルマとしてのよさが最も大切なものであるのは間違いないが、「クラウン」というブランドがどう広がっていくかも大切になる。トヨタは世界にクラウンで勝負するという決断を行ない、4車形のバリエーションでカバー範囲の広い車種として新型クラウンは発表された。

 その第一歩となる世界初公開イベントは、クラウンの歴史を大切にしつつ歴代主査の言葉に英文の訳がつき、豊田章男社長自身も英語で語りかけるという、世界を見据えた発表会となっていた。