ニュース
アライ、15年ぶりに刷新した四輪レース用ヘルメット「GPV-R」発表“センターロック”や“VASシールド”など新機構を搭載
プロドライバー山本尚貴氏、松田次生氏、佐藤蓮氏らが実際に使って太鼓判!
2026年6月15日 13:42
- 2026年5月30日 実施
- 四輪レース用 GPV-R RO 8859:10万7800円
- カートレース用 SKV-R RO 8878:7万3700円
アライヘルメットは5月30日~31日、「AUTOBACS GPR KARTING SERIES 全日本カート選手権 第3戦・第4戦」が開催されていた鈴鹿サーキット南コース(三重県鈴鹿市)で、FRP(繊維強化プラスチック)製四輪レース用ヘルメットの新製品発表会を実施した。
新製品は、四輪レース用ヘルメットの「GPV-R RO 8859」と、カートレース用ヘルメット「SKV-R RO 8878」の2つ。最高峰のカーボン製モデル「GPV-R RO SRC ABP 8860」と「GPV-R RO SRC 8860」は現在開発中となる。
四輪レース用ヘルメットの「GPV-R RO 8859」は、サイズがXS(54cm)、S(55-56cm)、M(57-58cm)、L(59cm)、XL(60-61cm)で、価格は10万7800円。
カートレース用ヘルメット「SKV-R RO 8878」は、サイズがXS(54cm)、S(55-56cm)、M(57-58cm)、L(59cm)、XL(60-61cm)で、価格は7万3700円。
アライヘルメットの四輪レース用は、2011年1月に「GP-6」「GP-6S」とカート用の「SK-6」が発売され、2016年にはより安全基準の高い「FIA8859-2015規格」と「スネルSA2015規格」に対応した「8859」モデルへと進化してきた。
今回のモデルチェンジは実に15年ぶりとなり、見える部分はもちろんだが、見えない部分も大幅に進化。四輪用ヘルメットのレベルを1ランクも2ランクも高めた仕上がりとなっている。
ドライバーの安全性をさらに高める「センターロック」を採用
新製品「GPV-R」シリーズの大きな特徴は、ヘルメットの中央にシールドを開閉するための「センターロック」を採用したこと。これはFIAが新たな安全基準「FIA8859-2024規格」を設定する際、ドラフト版(たたき台)には盛り込まれていたが、実際に施行された安全基準には含まれていなかった機能だという。
ドラフト版に「センターロック」が盛り込まれていた大きな理由は、クラッシュなど大きなトラブルに見舞われた際、ドライバーの頭が右左どちらを向いているか、レスキュー隊が駆け付けるまで分からない。従来のヘルメットのシールド開閉操作部は左側にあり、もしドライバーが左側を下に倒れている場合はシールドの開閉に時間がかかり、救助作業が遅れてしまう。だが、操作部が中央にあれば、ドライバーが左右どちらの向きに倒れていてもアクセスしやすくなる。
そこでアライヘルメットは、「これはドライバーの安全に関わる大きな機能」と判断して、新たな安全基準に正式採用されなかったものの、そのまま開発を継続。2アクション操作で開閉できるほか、強い衝撃でも簡単には開かないセンターロックの開発に成功した。
もちろん、中央部はヘルメットの中でもドライバーの顎周辺を守る重要な場所であると同時に、シールド部でもっとも開口部の大きな部分となり、剛性の確保が難しい部位でもある。アライヘルメットの阿部氏によると、「新たな安全基準では衝撃速度が速くなり、さらにハードルの高い開発となりました」と開発時の苦労を振り返った。
また、ヘルメット内側にあるセンターロック操作部の固定器具は、金属プレートとヘルメットの間にゴム製の緩衝材を挟むことで微振動を吸収しつつ、閉じた際の密閉感や開閉時のスムーズな操作を実現している。
なお、この部分は組み付けが安全性能に大きな影響を与えるため「分解禁止」となっている。そのためヘルメットをオリジナルカラーに塗装する際は、操作部分をマスキングして対応する必要がある。これも安全を最優先するアライヘルメットらしいこだわり部分といえるだろう。
新シールド機構で滑らかな面が増え「衝撃をかわす性能」が向上
センターロックのほかにも、シールド仮想軸を想定した「GP-VAS(Variable Axis System:バリアブル・アクシス・システム)シールド」を採用したことで、シールドを閉じた時の最上部位置が従来モデルよりも25mm下げられ、こめかみ付近に滑らかな帽体面積を拡大できたことで“衝撃をかわす性能”をさらに向上させている。
また、わずか25mmではあるが、シールドの開閉機構の位置を下げられたことで、ファイバーの貼り込み量など内部の部材配置の最適化もでき、ヘルメット全体の重心も下げられたことでドライバーの首へかかる負担も軽減。従来モデルと重量はさほど変わらないものの、ドライバーには軽くなったように感じられるという。
近代マシンの進化に合わせて視界の範囲を微調整
新製品「GPV-R」の開発には日本を代表するレジェンドレーシングドライバーで、現在は日本カート協会のチェアマン(代表理事)としてモータースポーツの裾野を広げ、後進の育成を図っている山本尚貴氏のフィードバックも反映されているという。
スーパーフォーミュラマシンのテスト走行で開発中のGPV-Rを試用したところ、山本氏は「最近のレーシングカーはステアリングホイールにボタンや表示部があり、視線を下に送る機会が増えているので、従来モデルだとどうしても下を見るような動作が必要でした。なので、アライヘルメットさんに、もう少し下方を見やすくできたらいいなと提案しました」と振り返る。
とはいえシールド開口部は、過去のクラッシュ事故の知見から、ドライバーを炎から守るためにできる限り幅が狭いほうがいいことは当然。そのため、アライヘルメットは、開口部のカット位置を改めて精密に設計し、視界確保と安全性能の両立を前提に検証を重ね、安全性を損なうことなく設計自由度を高めることに成功。従来モデルGP-6よりも約8mm視界領域の拡張を実現した。
また山本氏は、「従来モデルはシールドが曇り出したら、少しだけシールドを開けていたのですが、新製品はオプションのPED(Performance Enhancement Device:ヘルメットの空力性能を向上させる透明のパーツ)を装着すると、前側の穴からより空気がたくさん入るようになって、シールドが曇りにくくなると同時にヘルメット内も快適になりました」と実例を紹介。
続けて、「レーシングドライバーが使用している捨てバイザー(※ティアオフシールド)の引っ張る部分の角度についても、最近のマシンに合った角度に再設計してほしいとリクエストさせていただきました」とのことで、これも今後の製品に反映されるという。
空気を通して快適性を向上するヘルメット上部のダクト位置も再設計
ヘルメットの頭上に設けられている涙形状の「ディアダクト」は、前側3つが空気を取り入れる穴で、後側4つが空気を排出する穴。穴の位置は今回初めてシミュレータを活用し、より効率よく空気が入るのと同時に、後方へと流れる空気によってしっかりと吸い出される最適な位置を測定。その結果、頭頂部のほうがより気流が速く、吸い出す能力が高くなると分かり、従来モデルよりも中央寄りに配置されている。
内部クッションパッドも最新のレーシング環境に合わせて進化
ヘルメットの設定サイズは、XS(54cm)、S(55-56cm)、M(57-58cm)、L(59cm)、XL(60-61cm)となるが、頭の大きさは個人差があるもの。そこでGPV-Rは、内部のクッションパッドを頭や顔のサイズに合わせて微調整が可能となっている。また、新たに耳部分の緩衝材にはインカムやイヤホンを通すための溝や穴を新設したほか、口部分の緩衝材にもドリンクを飲むためのホースを通す穴や溝を設けるなど、安全性と同時にドライバーの利便性も追及している。
全日本カート選手権に参戦していた松田次生氏と佐藤蓮氏も太鼓判
発表会の最後には、この日鈴鹿サーキット南コースで開催されていた「AUTOBACS GPR KARTING SERIES 全日本カート選手権」に、カート用ヘルメットの新製品を使って参戦した松田次生氏と佐藤蓮氏が感想を語った。
松田選手と佐藤選手が使用していたのは、カートレース用の「SKV-R RO 8878」で、内部のクッションパッド類が難燃性ではないため通気性が高い仕様。同時に前面からの空気の入りもよく、2人とも「従来モデルはかなり暑くて、いつも汗をかいていたけれど、新製品はほとんど汗をかかなかった!」と絶賛。また、佐藤選手はコンタクトレンズを使っていることもあり、「従来モデルは曇らないようにシールドを少し開けるとコンタクトレンズが乾き気味になってしまうので大変だったけれど、新モデルはシールドを開ける必要もないし、閉めたままでも適度に空気が循環するのでとても快適です」と太鼓判を押していた。
アライヘルメットが何よりも安全を最優先に開発している理由とは
アライヘルメットの歴史は長い。1902年(明治35年)に新井唯一郎氏が東京の京橋に「新井帽子店」を設立したのがスタート。1932年には当時の陸軍被服本廠の嘱託となり、帝国陸軍の帽子を含む各種頭部保護器具の開発を委託され、1937年(昭和12年)には先代の新井広武氏が、より大きな製造工場設立のため現在本社のある大宮へと移転。1950年(昭和25年)に現組織の母体となる「株式会社新井広武商店」を設立した。
現在の代表取締役会長である新井理夫氏は、1905年(明治38年)に新井広武氏の長男として誕生。新しいものやものづくりが大好きであると同時に、バイク乗りでもあったことから、自分でバイクに乗るときにかぶる保護帽を製作。当時は規格や手本や参考となるヘルメットもなく、ただ自分の頭を守るために試行錯誤しながら日本で初めての乗車用ヘルメットを作り出したという。
当時ヘルメットをかぶってオートバイに乗っていること自体が珍しく、「頭に何か乗せてハーレーを乗りまわしている人がいる」という噂が大宮界隈に流れたという。その噂を聞きつけたのが、大宮からほど近い川口オートレース場の関係者。そのころライダーの重篤な事故が多く発生して困っていたことから、「ライダーの頭を守るためにヘルメットを作ってくれないか?」と要望を出してきたという。その依頼を引き受け、1952年にオートレース向けヘルメットを製作し、川口オートレース場に納品を始めたのが、日本ヘルメット産業の始まりとなった。
理夫氏はその後、慶應義塾大学工学部応用化学科を卒業し、アメリカのインディアナ工科大学へ留学。アメリカに残ることもできたが、1962年に帰国してアライヘルメットに入社。そして1965年にはアライ独自の「立体成形多段発泡緩衝ライナー」の開発に成功した。また、留学したことで英語が堪能だったことから、スネル規格の創始者の1人であるスニヴリー博士と交流し、親交を深めながらヘルメットに関する知識も高めたという。
そして1970年代には世界のレース界にも拡大。「アライなら転倒後にすぐに立ち上がる」と安全性の高さが口コミで広がり、多くのライダーがかぶるようになったが、もっともっとビジネスとして大きくしたいという欲望もあったという。しかし、1977年に起きたダッカ日本航空機ハイジャック事件が、その思考に転機をもたらした。
そのハイジャック機に、父である新井広武氏が乗り合わせていたのだ。犯人グループは600万ドルの身代金と、拘束中の日本赤軍メンバー9人の解放を要求。当時の福田赳夫首相は、「人命は地球より重い」との考えから、世論から非難を受けつつも要求を受け入れた。理夫氏はこの考えに感銘を受け、儲けるためではなく、何よりも「人命を守る」ことを最優先するべきと思いを固め、今に至っている。株式を上場してより多くの資金を集めることも可能だが、ビジネスを優先する考えが命を軽視してしまう可能性を危惧して上場はせず、今でも命を最優先にしてヘルメットを製造している。
ちなみにアライヘルメットでは、帽体のシールド部分をくり抜くレーザーカット以外はすべて手作業での製作となっている。シェルは20種類以上のファイバー素材を組み合わせながら成形しているが、作業はアライ独自の認定制度に合格した「シェル・エキスパート」を持ったスタッフしかできない。これも安全へのこだわりの1つ。
そして塗装、部品の組み込み、梱包もすべて手作業。検品は大きな工場のように抜き打ちで行なうのではなく、全商品に対して2回の検品を実施する。さらに、すべてに検品したスタッフの名前も入る徹底ぶりだ。「アライのヘルメットは納期がかかる」なんて声を聞いたことがあるかもしれないが、それは安全を最優先に大量生産をしないという確固たる信念の裏返しだった。

















































