MINIの50回目の誕生日を祝って、「Always Open」カーが都内に出没
29日も走行、丸の内ではオリジナルMiniの試作車を展示

2009年8月26日



 ビー・エム・ダブリューは8月26日、コンパクトカー「MINI」の誕生50周年を記念して、「Always Open」MINIを都内で走行させた。

 Always Open MINIは、MINIコンバーチブルのコンセプト「Always Open」を表現した車両。といっても、車両自体は通常のクーパーSのコンバーチブル。ドライバーが常に両手を挙げていて、ハンドルを握らずに走っているように見えるのが、このクルマのミソ。

 同種のイベントはカナダや台湾でも開かれ、彼の地の人々にインパクトを与えた。ここ日本では、26日に50回目の誕生日を迎えたMINIを祝うとともに、総選挙に乗じてMINIのマニフェスト「EXCITEMENT(エキサイトメント)」も訴えてしまおうというのが趣旨だ。

 当日は東京 原宿の表参道と、渋谷のスクランブル交差点、センター街などを走り、大いに注目を集めた。

 なおAlways Open MINIは29日も渋谷、新宿と言った都内の繁華街に出没する予定。週末に都心に出かける予定があれば、道路に目をこらしたい。

 また27日からは、東京 丸の内のBMW Group Studioで、「MINI 50th ANNIVERSARY」と題した展示が始まった。これは、50周年記念オプション「MINI JUBILEE LINE」を装着したMINI2台と、1959年に発表されたオリジナルMini「Morris Mini Minor MK-1」、さらにオリジナルMiniの試作車「Austin Seven」の計4台を展示するもの。

BMW Group Studio

 

Austin Seven

 この中でもっとも異彩を放っているのがAustin Seven。詳細はBMW Group Studioにある解説を参照していただきたいが、1959年8月のオリジナルMini発表に先立つ4月に、試作車として組み立てられた車両そのものだ。車体番号101と102の2台が組み立てられたうち、展示されているのは102の個体。ちなみに101はクラッシュテストに使われた。

 102はBMC(オリジナルMiniを開発したMorrisとAustinが合併してできた会社)が開発研究に使用した後、オリジナルMiniの設計者アレック・イシゴニス卿が所有、その後、「オースティン・ヒーリー・スプライト」などを作ったエンジニアのドナルド・ヒーリー氏の手に渡り、ルーフを取り去ってロードスターに改造された。

 会場には102の来歴を伝える鑑定証や、クローズドのサルーンからコンバーチブル・ボディーに改造されたことが分かる登録証なども展示されており、MINIの50年の歴史の1コマを楽しめるようになっている。

 BMW Group Studioでの展示は9月17日まで。

フロントセクションはまさしくオリジナルMiniだが、リアはフェンダーのラインが追加されるなど、形状がまったく異なる。なぜかリアには「カニ目」でおなじみの傑作ライトウェイト・スポーツカー「ヒーリー・スプライト」のバッジが貼ってある
オリジナルよりもカラフルな室内。メーターはドライバーの前に移され、タコメーターなどが増設されている。ヒーリー・スプライトのメーターと同じもののように見える
エンジンルーム内の車体番号「102」
British Motor Industry Heritage Trustによる鑑定書。1959年4月2日に開発部によって組み立てられ、イシゴニス卿がオーナーになったことが分かる登録証。ボディー形状がサルーンからコンバーチブルに、メーカー名がオースティンからヒーリーに変更されている隣のMorris Mini Minor MK-1とフロントセクションがほぼ同じなのが分かる
Morris Mini Minor MK-1。現代のMINIにも引き継がれているセンターメーターが見える
こちらはJUBILEE LINEをまとったハッチバックとClubman。JUBILEE LINEには専用ストライプと月桂冠マークのほか、ドアシルプレート、サイドスカットルが含まれる。またダッシュボード助手席側には50周年記念のステッカーが貼られている

(編集部:田中真一郎)
2009年 8月 27日