第1回「クウェート・コンクール・デレガンス」リポート クラシックカーとマッスルカーが並ぶコンクール・デレガンス |
■「クウェート?」「コンクール・デレガンス?」
「クウェート初の国際コンクール・デレガンス」というフレーズを聞いて、そのイメージが朧げなものでも浮かんでくる方は、ほとんど皆無に等しいだろう。クラシックカーによる日本唯一の本格的コンクール「東京コンクール・デレガンス」の公式スーパーバイザーであり、世界のコンクールには幾ばくかの予備知識を持っていたつもりの筆者自身も、正直に言ってしまえば、このイベントの開催を聞かされた時あまり本気には受け止めていなかった。
まずはクウェートという国のイメージが、20年前の湾岸戦争程度のものしかない。だから、現在では素晴らしい復興を遂げ、石油資本をバックボーンに驚くほど豊かな国家を築いているとは言うものの、そんな未知の国クウェートで、自動車イベントの中でも最もエレガントなコンクール・デレガンスが開けるなど、まことに失礼ながら少々考え難いことだったのだ。
しかし、この困難なチャレンジは見事に成し遂げられることになった。「クウェート・コンクール・デレガンス」は、ある1人のコスモポリタン女性のアイデアと情熱から生み出され、そして大きな成功に至ったのである。
冬季のクウェートは極めて温暖な気候に、まるで南仏のニースやカンヌを思わせる海沿いの美しい景観も相まって、意外にも非常に過ごしやすい魅力的な土地。その一方で、裕福な市民は週末になると砂漠のキャンプに足を運び、往年のベドウィン生活を再現したかのようなヴァカンスを楽しむと言う。市内から砂漠地帯までは、車ならば1時間足らずで行くことができる |
■あるスーパーレディの挑戦
今回のクウェート・コンクール・デレガンスの発案者であり、実質的なオーガナイザーでもあるアストリッド・デ・ロス・リオス氏は、2007年秋に開催された第1回東京コンクール・デレガンスのビジュアル面を手掛けたプロデューサーであったことから、クラシックカーとコンクール・デレガンスには非常に造詣の深い女性。とてもチャーミングである一方、世界に股を懸けて活躍する彼女は、日本にも母国の外交官として20年近くも在住し、一時は臨時大使まで務めたというスーパーレディである。
現在では海外向け骨董・美術専門誌「Antiqurius Tokyo」の編集主幹として東洋美術にも深い関心を寄せる彼女は、エジプト近代美術をはじめとする中東研究の一環として長期滞在したクウェートにて、毎週末にアメリカ製のマッスルカー(1960~70年代初頭のハイパワー車)のファンたちが定例ミーティングを行っているのを偶然に発見。この国で、国際格式のコンクール・デレガンスを開催するという突拍子もないアイデアを思いついたのだ。
しかし、同氏が凄いのはここからである。縁もゆかりもないこのクウェートで、情熱と行動力だけを頼りに邁進。まずは東京コンクール・デレガンスのポール・ゴールドスミス代表との完全コラボレーションを決めたうえで、かの地の政財界や日本大使館を説得してプロジェクトに巻き込むことに成功した。そしてついには、クウェート国の総理大臣で同国きっての実力者、そして実はご自身もクラシックカーのコレクターであるシェイク・ナセル・モハンマド・アル・アハメド・アル・ザバーハ閣下の全面的な協力を取り付けるに至ったのである。
かくして、クウェートでは初となる本格的なコンクール・デレガンスが大々的に開催されることになった。これは自動車をテーマとしたものに留まらず、クウェートという国にとっては事実上初めてとなる国際的なイベントでもあった。
仕掛け人たるA.デ・ロス・リオス氏(中央)と、彼女を助けたP.ゴールドスミス氏(右)。そして審査委員長のL.フィオラヴァンティ氏 | 会場に選ばれたマリーナ・クレセントは、ヨットハーバーに隣接した美しい環境。この街きっての大人気スポットとの由だ | 今回はクウェートに初めての自動車が輸入された100周年も記念していた。この1904年ミネルヴァが、件の輸入第1号車 |
■夢のごとき光景が展開
「クウェート・コンクール・デレガンス」のメイン会場となったのは、大型ヨットハーバーに面して高級レストランやカフェが立ち並ぶ商業施設「マリーナ・クレセント」脇の芝生広場。ここに、1913年~75年までに製作されたクラシックカー54台が展示された。これらを生産年次別に1910~30年の「Vintage」、1931~45年の「Classic」、1945~60年の「Post-war Classic」、そして1961~75年の「Modern Classic」からなる4クラスに分類。スタイルの美しさや希少性、オリジナリティ、コンディションなどについて競われた。
実際のところ、これらの参加車両のレベルはまさに“玉石混交”と言うべきものだったのだが、そんな中でも“玉”のほうのレベルは決して低くなかったのは特筆すべきところ。アラブ人好みの豪華絢爛たるアメリカ車や、必ずしもオリジナリティが高いとはいえないロールス・ロイスなどが参加する一方で、ドライエ135MS、2台のドラージュD8S、ペガソZ-102B、ファセル・ヴェガ・ファセルIIらが参加するなど、欧米のコンクールにもまったく引けを取らない、素晴らしい希少車たちのエントリーも見られたのだ。
また、このイベントのアイデアの源となったアメリカン・マッスルカーだけの特別部門も設定されたほか、近現代のスーパーカーやポルシェ・クラブの特別展示も行われた。これらはいずれも、地元クウェートからの参加が中心である。
さらには協賛する地元ディーラー各社からの特別展示として、ブガッティ・ヴェイロンや現行アストンマーティンの全市販モデル、フェラーリ・カリフォルニア、ロールスロイス・ゴースト、ジャガー新型XJ、BMW・X6MやM3カブリオレ、そしてマイバッハなど日本でもめったに見られない最新スーパーラグジュアリー・カーも多数が出展され、マリーナ・クレセントでは古今東西の車たちによる、白日夢のごときスペクタクルが展開されることになったのである。
■豪華な顔触れの審査員
ところで、参加車両と並んでコンクール・デレガンスの“格”を決定するもう1つの重要なファクターである審査員のレベルについても、未知なる国の未知なるコンクール・デレガンスとしては望外なメンバーが揃うことになった。
まず審査委員長に指名されたのは、かつてピニンファリーナの指揮を執った伝説のフェラーリ・デザイナー、レオナルド・フィオラヴァンティ氏。また、日本人で初めてフェラーリ各モデルのデザインを手がけた、同じく元ピニンファリーナの奥山清行氏やBMWのデザイン革命を達成したクリス・バングル氏、オペルに40年在籍し、現在ではイタリアの名門コンクール「コンコルソ・ヴィラ・デステ」の審査員も務める児玉英雄氏、そして日産のデザイン担当CCOの中村史郎氏も参加した。彼ら超一流の自動車デザイナーたちに加えて、フランスやドイツのクラシックカー界を代表する歴史家や、レバノンの有名レストアラーなど各界の有識者が揃うことになったのだ。
クウェート・コンクール・デレガンスは2010年1月21日夜、乾季の中東では珍しい雨の中で開幕。翌日からマッスルカー部門の審査、23日にはクラシックカー54台のコンクール本選、そして最終日にはマリーナ・クレセントとヨットハーバーを挟んだ小路を利用してのパレード・ランが、滞りなく行われた。
そして最終日の夜には、エントラントや審査員に加えてVIPゲストを集めたガラ・パーティーが開催され、その場で各部門賞と大賞に相当する「ベスト・オブ・ショー」が発表された。今回のベスト・オブ・ショーに選ばれたのは、新車時代以来一度も大規模なレストアを受けていないという、素晴らしい1937年型「ドライエ135MSプールトー製カブリオレ」。フランスからの出品車であった。
このクウェート・コンクール・デレガンスは、オープニングから審査発表に至るまで、現地の新聞でも連日大々的に取り上げられた。また中東のみならずヨーロッパのメディアでも大きく紹介されるなど、世界的レベルのコンクールとしての認知が早くも始まっていると見て間違いないだろう。
1人の女性の熱意が、クウェートという国の自動車文化に対し、確実な進歩をもたらすことになった。そして、その手助けを日本の東京コンクール・デレガンスが果たしたことに、筆者は感動を禁じ得ないのである。
(武田公実)
2010年 2月 3日