第1回「クウェート・コンクール・デレガンス」リポート
クラシックカーとマッスルカーが並ぶコンクール・デレガンス

2010年1月20日~23日(現地時間)
クウェート国クウェート市
マリーナ・クレセント



「クウェート?」「コンクール・デレガンス?」
 「クウェート初の国際コンクール・デレガンス」というフレーズを聞いて、そのイメージが朧げなものでも浮かんでくる方は、ほとんど皆無に等しいだろう。クラシックカーによる日本唯一の本格的コンクール「東京コンクール・デレガンス」の公式スーパーバイザーであり、世界のコンクールには幾ばくかの予備知識を持っていたつもりの筆者自身も、正直に言ってしまえば、このイベントの開催を聞かされた時あまり本気には受け止めていなかった。

 まずはクウェートという国のイメージが、20年前の湾岸戦争程度のものしかない。だから、現在では素晴らしい復興を遂げ、石油資本をバックボーンに驚くほど豊かな国家を築いているとは言うものの、そんな未知の国クウェートで、自動車イベントの中でも最もエレガントなコンクール・デレガンスが開けるなど、まことに失礼ながら少々考え難いことだったのだ。

 しかし、この困難なチャレンジは見事に成し遂げられることになった。「クウェート・コンクール・デレガンス」は、ある1人のコスモポリタン女性のアイデアと情熱から生み出され、そして大きな成功に至ったのである。

冬季のクウェートは極めて温暖な気候に、まるで南仏のニースやカンヌを思わせる海沿いの美しい景観も相まって、意外にも非常に過ごしやすい魅力的な土地。その一方で、裕福な市民は週末になると砂漠のキャンプに足を運び、往年のベドウィン生活を再現したかのようなヴァカンスを楽しむと言う。市内から砂漠地帯までは、車ならば1時間足らずで行くことができる

あるスーパーレディの挑戦
 今回のクウェート・コンクール・デレガンスの発案者であり、実質的なオーガナイザーでもあるアストリッド・デ・ロス・リオス氏は、2007年秋に開催された第1回東京コンクール・デレガンスのビジュアル面を手掛けたプロデューサーであったことから、クラシックカーとコンクール・デレガンスには非常に造詣の深い女性。とてもチャーミングである一方、世界に股を懸けて活躍する彼女は、日本にも母国の外交官として20年近くも在住し、一時は臨時大使まで務めたというスーパーレディである。

 現在では海外向け骨董・美術専門誌「Antiqurius Tokyo」の編集主幹として東洋美術にも深い関心を寄せる彼女は、エジプト近代美術をはじめとする中東研究の一環として長期滞在したクウェートにて、毎週末にアメリカ製のマッスルカー(1960~70年代初頭のハイパワー車)のファンたちが定例ミーティングを行っているのを偶然に発見。この国で、国際格式のコンクール・デレガンスを開催するという突拍子もないアイデアを思いついたのだ。

 しかし、同氏が凄いのはここからである。縁もゆかりもないこのクウェートで、情熱と行動力だけを頼りに邁進。まずは東京コンクール・デレガンスのポール・ゴールドスミス代表との完全コラボレーションを決めたうえで、かの地の政財界や日本大使館を説得してプロジェクトに巻き込むことに成功した。そしてついには、クウェート国の総理大臣で同国きっての実力者、そして実はご自身もクラシックカーのコレクターであるシェイク・ナセル・モハンマド・アル・アハメド・アル・ザバーハ閣下の全面的な協力を取り付けるに至ったのである。

 かくして、クウェートでは初となる本格的なコンクール・デレガンスが大々的に開催されることになった。これは自動車をテーマとしたものに留まらず、クウェートという国にとっては事実上初めてとなる国際的なイベントでもあった。

仕掛け人たるA.デ・ロス・リオス氏(中央)と、彼女を助けたP.ゴールドスミス氏(右)。そして審査委員長のL.フィオラヴァンティ氏会場に選ばれたマリーナ・クレセントは、ヨットハーバーに隣接した美しい環境。この街きっての大人気スポットとの由だ今回はクウェートに初めての自動車が輸入された100周年も記念していた。この1904年ミネルヴァが、件の輸入第1号車

夢のごとき光景が展開
 「クウェート・コンクール・デレガンス」のメイン会場となったのは、大型ヨットハーバーに面して高級レストランやカフェが立ち並ぶ商業施設「マリーナ・クレセント」脇の芝生広場。ここに、1913年~75年までに製作されたクラシックカー54台が展示された。これらを生産年次別に1910~30年の「Vintage」、1931~45年の「Classic」、1945~60年の「Post-war Classic」、そして1961~75年の「Modern Classic」からなる4クラスに分類。スタイルの美しさや希少性、オリジナリティ、コンディションなどについて競われた。

 実際のところ、これらの参加車両のレベルはまさに“玉石混交”と言うべきものだったのだが、そんな中でも“玉”のほうのレベルは決して低くなかったのは特筆すべきところ。アラブ人好みの豪華絢爛たるアメリカ車や、必ずしもオリジナリティが高いとはいえないロールス・ロイスなどが参加する一方で、ドライエ135MS、2台のドラージュD8S、ペガソZ-102B、ファセル・ヴェガ・ファセルIIらが参加するなど、欧米のコンクールにもまったく引けを取らない、素晴らしい希少車たちのエントリーも見られたのだ。

 また、このイベントのアイデアの源となったアメリカン・マッスルカーだけの特別部門も設定されたほか、近現代のスーパーカーやポルシェ・クラブの特別展示も行われた。これらはいずれも、地元クウェートからの参加が中心である。

 さらには協賛する地元ディーラー各社からの特別展示として、ブガッティ・ヴェイロンや現行アストンマーティンの全市販モデル、フェラーリ・カリフォルニア、ロールスロイス・ゴースト、ジャガー新型XJ、BMW・X6MやM3カブリオレ、そしてマイバッハなど日本でもめったに見られない最新スーパーラグジュアリー・カーも多数が出展され、マリーナ・クレセントでは古今東西の車たちによる、白日夢のごときスペクタクルが展開されることになったのである。

「ベスト・オブ・ショー」に輝いた、1937年ドライエ135MSプールトー製カブリオレ。ノンレストアの素晴らしい個体だVintageクラス1位は、ロールス・ロイス・ファンタムⅠ。かつてロールス・ロイスが北米に設けた工場で生産していたモデルである一般来場者による人気投票で第1位に選出されたロールス・ロイス・シルヴァーレイス・フーパー製リムジンは、クウェート好みの1台
パレード・ランで観衆に紹介される、ドラージュD8S。今回フランスから参加したこの車は、Classicクラスの第2位Classicクラスで第3位に入った1938年メルセデス.ベンツ230カブリオレBは、同じ中東のレバノンからエントリーされた1台素晴らしい排気音で会場を沸かせた1952年ペガソZ-102B。生産国スペインからの参加で、Postwar Classicクラス第1位
最も遠くから自走してきたことを称えられて特別賞を受賞した1949年ビュイックは、エジプトからのエントリーPostwar Classicクラス2位は、1958年シボレー・コルベット。海沿いのリゾート的景観には、とてもよく似合う車だったフランシス・コッポラ監督の映画でも有名な1948年タッカー・トーピードは、この日Postwar Classicクラスの3位に入賞
今回Modern Classicクラス第1位に輝いた1965年ファセル・ヴェガ・ファセルII。こんな希少車がクウェートにもあった新車のように美しいコンディションを誇るこの1962年フェラーリ250GTE2+2は、ベスト・ヨーロピアンカー賞を受賞ベスト・アメリカンカー賞に輝いたのは、ノンレストアながら新車のような状態の1963年リンカーン・コンティネンタル

豪華な顔触れの審査員
 ところで、参加車両と並んでコンクール・デレガンスの“格”を決定するもう1つの重要なファクターである審査員のレベルについても、未知なる国の未知なるコンクール・デレガンスとしては望外なメンバーが揃うことになった。

 まず審査委員長に指名されたのは、かつてピニンファリーナの指揮を執った伝説のフェラーリ・デザイナー、レオナルド・フィオラヴァンティ氏。また、日本人で初めてフェラーリ各モデルのデザインを手がけた、同じく元ピニンファリーナの奥山清行氏やBMWのデザイン革命を達成したクリス・バングル氏、オペルに40年在籍し、現在ではイタリアの名門コンクール「コンコルソ・ヴィラ・デステ」の審査員も務める児玉英雄氏、そして日産のデザイン担当CCOの中村史郎氏も参加した。彼ら超一流の自動車デザイナーたちに加えて、フランスやドイツのクラシックカー界を代表する歴史家や、レバノンの有名レストアラーなど各界の有識者が揃うことになったのだ。

 クウェート・コンクール・デレガンスは2010年1月21日夜、乾季の中東では珍しい雨の中で開幕。翌日からマッスルカー部門の審査、23日にはクラシックカー54台のコンクール本選、そして最終日にはマリーナ・クレセントとヨットハーバーを挟んだ小路を利用してのパレード・ランが、滞りなく行われた。

クウェート・コンクール・デレガンスは、夕暮れののちにもライトアップしてイベントが続く。中央の写真は、今回の参加車中最古となった1913年ルノー・トルペード。この時代のルノーは小型車だけでなく、このような高級車も製作していた。右の写真は、Modern Classicクラス2位に輝いた1963年シボレー・コルベット・スティングレイを筆頭とするアメ車たち
クウェート・ポルシェ・クラブと地元のポルシェ・ディーラーとのコラボで実現したポルシェの特別展示。デモカーを利用し、クウェート在住の若きアーティストが製作したアートカー(左)をはじめ、カレラGTから928、930ターボ・フラットノーズに至るポルシェの数々が、車に対しては日本よりも格段に“熱い”クウェートの若者や子供たちをすっかり魅了していた
このイベントにヒントを与えたアメリカン・マッスルカーは、クウェートでは人気の旧車ジャンル。今回もコンクールで特設部門が設けられたほか、夜になると仲間たちも加わって大盛況だった。ちなみに左のオールズモビル442が今回の部門優勝車で、中央はそのトロフィー。右端のマスタングGT500“エレノア”は、オーバーレストアが祟ったのか栄冠には至らなかった
潤沢なオイルマネーで裕福なクウェートは、世界屈指のスーパーカー天国でもある。左端は地元のファンが持ち込んだ、超希少車のデ・トマゾ・グアラとランボルギーニ・ディアブロVTロードスター。中央と右端は、高級車ディーラーが特別展示したアルファロメオ8CコンペティツィオーネやAMG・SL63、そしてフェラーリ・カリフォルニアなどの最新モデルたち
マリーナ・クレセントと大通りを挟んで隣接する巨大なショッピングモールでは、アストンマーティンの現行車すべてが派手に展示されたほか、新車時代からクウェートに生息していたという、トヨペット・クラウンやトヨタ2000GTを含めて、実に20台以上のクラシックカー、そして最新の高級車たちが至る所に展示。会場を訪れた地元のファンたちを狂喜させていた
スーパーカー部門の一角には、わざわざこのイベントのためにフルレストアしたというポルシェ964ターボの姿もあったマッスルカー部門の参加車の友人が持ち込んだ、ポルシェ仕立てのVWポロ。エンジンはニトロで武装しているとのことクウェートでもニッサンGT-Rはカリスマ的人気。現地では、欧米と同様“Gozzila”のニックネームで呼ばれているようだ

 そして最終日の夜には、エントラントや審査員に加えてVIPゲストを集めたガラ・パーティーが開催され、その場で各部門賞と大賞に相当する「ベスト・オブ・ショー」が発表された。今回のベスト・オブ・ショーに選ばれたのは、新車時代以来一度も大規模なレストアを受けていないという、素晴らしい1937年型「ドライエ135MSプールトー製カブリオレ」。フランスからの出品車であった。

 このクウェート・コンクール・デレガンスは、オープニングから審査発表に至るまで、現地の新聞でも連日大々的に取り上げられた。また中東のみならずヨーロッパのメディアでも大きく紹介されるなど、世界的レベルのコンクールとしての認知が早くも始まっていると見て間違いないだろう。

 1人の女性の熱意が、クウェートという国の自動車文化に対し、確実な進歩をもたらすことになった。そして、その手助けを日本の東京コンクール・デレガンスが果たしたことに、筆者は感動を禁じ得ないのである。

最終日のパレード・ラン会場。ステージ上に設けられた特別席にて、パレード車両の晴れ舞台を待ち受ける全審査員日産のデザイン担当執行役員、中村史郎氏は、第1回から東京コンクール・デレガンスの審査員も担当している通人エンツォ・フェラーリやマセラティ・クワトロポルテのデザインで有名な奥山清行氏が、真剣な表情で審査に取り組む
海外で活躍した日本人デザイナーの草分け、元オペルの児玉英雄氏は、現在では自動車画家として世界的に有名な人物平素は絶えずジョークばかり飛ばしている元BMWのクリス・バングル氏も、タッカーの審査を真剣な表情で行っていたレバノンを代表するクラシックカー専門家、中東の愛好家の信頼が篤いフェルサン・ハダッド氏も審査員を務めた
今回のコンクール・デレガンス開催に合わせて、地元クウェートのインフィニティ・ショールームでは、日産の中村CCOを招いてのランチパーティーを開催。海外での中村氏は、まるでスターのような扱いであった。また、有名デザイナーの名声はクウェートにも伝わっているようで、会場ではケン奥山氏が地元メディアの記者からサインをせがまれる姿なども見られた
フィオラヴァンティ氏からトロフィーを受け取るのは、地元からロールス・ロイス・シルヴァーレイスをエントリーさせた元大使閣下ガラ・パーティーで、主役たるデ・ロス・リオス氏とゴールドスミス氏の間に挟まれるのは、在クウェート日本大使閣下厳粛なガラ・パーティーの最中に、女性客のリクエストに応じてマンガを描く、クリス・バングル氏の珍しいショット
このイベント最大の後援者にして、ご自身も素晴らしいコレクションの数々を所有されるというシェイク・ナセル・モハンマド・アル・アハメド・アル・ザバーハ首相閣下は、イベント終了後の日曜日に会場をご訪問。国民の敬愛を一身に集めつつも、フィオラヴァンティ審査委員長の説明を熱心に聴かれる姿が印象的であった。特にお気に召したのはマッスルカー?

(武田公実)
2010年 2月 3日