故森繁久弥氏の愛車「ライレー」が一般公開
ヴィンテージスポーツサルーンの見所を紹介

故森繁久弥氏のライレー「ナイン・モナコ」。端正なプロフィールは、ヴィンテージ期(1919~30年)の英国を代表する小型サルーンであることの証

2010年2月14日公開
埼玉県 ワクイミュージアム



 昨年11月に惜しまれつつこの世を去った稀代の名優、故森繁久弥氏が半世紀以上にもわたって大切に所蔵にしてきたという1931年型のイギリス製小型スポーツサルーン「ライレー・ナイン・モナコ」が、今年2月14日より埼玉県加須市のクラシックカー博物館「ワクイミュージアム」で一般公開されており、各方面で大きな話題を呼んでいる。

高性能で美しいスポーツサルーン
 ライレーは、1899年に英国・コヴェントリーでパーシー・ライレーが創業し、1969年7月に歴史の幕を閉じるまで、ちょうど70年間にわたって存続した小/中型車メーカー。のちにパーシーの兄弟たちも経営に加わり、ファミリービジネスとして営まれたライレーは、高級車とは言えないものの高性能でセンスのよい通人好みのブランドとして、長らくイギリス人から寵愛されてきた。

 そしてこの「ナイン」は、第2次大戦前のライレーの中でも最高傑作と称される1.1リッター級モデルで、デビューしたのはヴィンテージ期(1919~30年)真っ只中の1926年だった。

 「ナイン」の名は当時の英国の税法が定めた課税馬力が9HPであることから名づけられたもので、水冷直列4気筒1089ccのエンジンには当時としては先進的なテクノロジーが投入されていた。現役当時は、コンポーネンツを共用するレーシングカーが、ル・マン24時間レースを筆頭とするモータースポーツで大活躍するなど、その性能も素晴らしいものだったのだ。

 一方「モナコ」はサルーンボディーの愛称で、小型だがスポーティな性能を持つ一方、スタイリングの美しさでも当時の英国製サルーンの中ではひときわ目立つ存在であった。また、このモナコのほかにも流線型サルーンの「ケストレル」や2シーター・ロードスターの「ゲームコック」など、パーシー・ライレー自身がデザインしたとされる一連の「ナイン」用ボディーは、いずれも魅力的なものばかりだった。

こちらも当時としてはスマートな後姿。本来は羽布張りボディーだったが、戦後に日本で全鋼製で作り直された。ライレーの象徴「ブルーダイアモンド」のエンブレム。小型車ながら高級でスポーティなブランドであった
OHVながら2本のカムシャフトを持つことから、“DUHC”とも称された、当時としては高性能なエンジン上質なウッドで製作されたドアキャッピングと、こちらも上質なドアロックが、ライレーの高級さを物語る

名優の愛したライレー
 このライレー・ナイン・モナコは、故森繁久弥氏が1955年(昭和30年)に購入したものである。当時からヨットや自動車を愉しんでいたことでも有名な森繁氏は、特にライレーという名門ブランドには特別な思いを抱いていたようだ。

 彼にとって、この車は3台目となるライレーだったが、第2次大戦前に生産されたモデルはこの車だけで、逝去する直前までこよなく愛していたとのこと。彼の愛車への想いを示すように、ラジエーターグリルの正面には、「H・MORISHIGE」と彫り込んだ特製のプレートも取り付けられている。

 故森繁久弥氏の二男である森繁建(たつる)氏の思い出によると、久弥氏は近場の食事やドライブの際には、このライレーのステアリングを自ら握ったとの由。旧式のダイナモ(直流発電機)を持つゆえに、必要以上にライトを点灯するとバッテリーが上がってしまうという悪癖も気にせず、「日本に何台かしかないのがいいんだよ」などと自慢げに話していたと言う。

 また、暇さえあればエンジンルームを開けて、オイルにまみれて修理や部品の交換を楽しんでいたと言う。晩年はほとんどガレージ内で眠ったままの状態となっていたが、それでも6年ほど前には、数百万円もかけて大規模なレストアを行うなど、再び走らせたいという熱意を常に持ち続けていたとのことなのだ。

 そもそも今回の展示プロジェクトは、涌井館長とはクラシックカー・イベントを通じて交流のあるタレントの堺正章氏からのオファーで始まったものであった。堺氏自身も有名なクラシックカー愛好家であり、森繁久彌氏の没後、二男・建氏から車の保存などについて相談を受けていたことから、友人である涌井館長に「一時保管」ということで展示してもらえないかと依頼して実現に至ったのである。

レストア時に製作されたと思われる金属製プレートには、「Riley 1931 H・MORISHIGE TOKYO」の文字故森繁久彌氏が収まっていたコンパートメント。ライレー独特のシンプルだが上質な作りが伺われる。ステアリングホイールの中央にあるレバーは暖気時にアイドリングを高めに設定するためのハンドスロットル。ヴィンテージ期らしい特徴のひとつであるこの車を入手した際に撮影されたと言われている古い写真。若き日の森繁氏の嬉しそうな表情が印象的だ

森繁ライレーの注目ポイント
 今回ワクイミュージアムに於いて展示がスタートしたライレーは、同館内で一緒に展示されているロールス・ロイスやベントレーたちに比べれば遥かにコンパクトな車なのだが、55年前に森繁氏を魅了したように、今なお均整のとれたスタイリッシュな魅力を披露している。

 また、インテリアについても趣味のよさで知られたライレーらしく、簡素ながら上質の素材で仕立てられていることがよく分かる。

 その一方で、本来この年式のライレー・モナコは、ルーフが「ウェイマン式」と呼ばれる木骨+羽布張りなのだが、この方式は耐久性が低いため、戦後間もない時期に鉄板で張り替えられてしまっている。また同じく戦後の物資のない時期に、車輪もおそらく古い国産トラック用の16インチ・ディスクホイール(オリジナルは19インチのワイアスポーク)に換装されてしまっているなど、本来のライレー・モナコのオリジナルから改造されてしまっている部分があるのも事実である。

 しかし、これらは日本でこの車が歩んできた歴史の語り部でもあるので、生来の姿に戻すべきか否かを、今後は生前の森繁久彌氏とこの車に関する研究・考察を重ねた上で、ワクイ・ミュージアムと建氏と相談しつつ考えていくと言う。

戦後の物資不足の時代、本来の19インチタイヤが入手困難なため、トラック用のホイールに換装された年輩の方には懐かしい、腕木式の方向指示器。「アポロ」ないしは「セマフォー」と呼ばれるものである
高温多湿な日本で使用するため、戦後にボディーを作り直した際、ルーフにエアアウトレットが追加された

展示会場について
 今回、故森繁久弥氏のライレーを展示することになったワクイミュージアムは、東京都文京区でロールス・ロイス/ベントレー専門の輸入販売を手掛けてきた涌井清春氏が、個人的にコレクションしてきた車たちを公開するために、2年前に開設した私設博物館。このほかにも故白洲次郎氏が英国留学中に愛用していた「ベントレー3リッター」や、吉田茂元首相が在任中に愛用した「ロールス・ロイス25/30HP」など、日本史にまつわる珠玉のクラシックカーが展示されている。

 故森繁氏のライレーは、同氏の健康上の問題から、レストアを終えて以来長らく休眠状態にあったため、現時点では走ることはできない。しかし、ワクイミュージアムでは近日中にメカニカル系のレストア(再生)を行うとのこと。さらに同ミュージアムでは、今後森繁久彌氏とライレーにまつわる貴重な写真や車検証などの展示も予定しているそうである。

 涌井館長は「車を通じて森繁さんを偲んでほしいし、森繁さんを通じて車の魅力も知ってほしい」と話しているが、果たして新聞などで展示開始のニュースが配信されて最初の開館日となった21日には、通常の2倍以上の来館者が訪問。名優・森繁久彌の変わらぬ人気を印象付けることになった。

 ワクイミュージアムは、東北自動車道・加須ICを降りて、車ならば5分足らずの好立地にある。毎週日曜日の11~16時のみの開館で、入場は無料である。

2008年8月に開業したワクイミュージアムと、同館の至宝である1928年ル・マン優勝車のベントレー小さな館内には、貴重なヒストリーを持つ珠玉のロールス・ロイス&ベントレーの数々が展示されているワクイミュージアムのオーナー兼館長である涌井清春氏は、自動車文化の未来を見つめる見識の高い愛好家

(武田公実)
2010年 3月 12日