世界最高峰のコースはより難しく

 日本GPは、期待をはるかに上回る面白さだった。

 金曜日はドライコンディションだったが、鈴鹿の難しさが現れた。鈴鹿は「世界最高峰」とドライバーたちが称賛し、畏敬の念すら表わすコースレイアウトで、1カ所での些細なミスやリズムの狂いが、コースの半分近くまで連鎖的に影響を及ぼしてしまう。


マクラーレンは大きな代償を払った

東がドライなら西はちょい濡れ
 加えて、昨年にリニューアルされた際にコースの前半にあたる東コースが再舗装されたことで、路面状態がコースの前半と後半で大きく異なっている。これが、さらに難しさを増している。舗装が新しい東コースはしっかりグリップするのだが、舗装が古い西コースは滑りやすい。

 松田次生選手に聞くと、西コースの路面は、アスファルトの中の砂利が頭を出して丸くなっているので、とても滑りやすいという。そのため国内のドライバーたちがブリヂストンへの報告で使った表現を借りれば、「東コースはドライでも、西コースはまるでちょい濡れ路面のように滑る」という。そして「東コースがウェットになれば、西コースは土砂降りのときのような滑り方になる」そうだ。

 この路面変化による難しさがデグナーの進入区間にあり、そこでほとんどのドライバーがコースアウトやマシンの姿勢修正を求められ、タイムを落としていた。東コースのグリップ感覚で行くと、デグナーへの進入のところで西コースに入り路面が異なる。そしてブレーキをかけると滑ってしまい、減速が足りなくなってしまう。結果、デグナーの1つめの縁石を飛び出すか、そこでなんとか修正をしようとした結果、2つめのコーナーで制御不能となり飛びだすということになる。

 なかでも、ここで最も大きな代償を払ったのはマクラーレンだった。ハミルトンがコースアウトしてしまい、マシンを大破。これで、初日の大部分を失ってしまい、新型のリアウイングとFダクトのテストも充分にできなくなってしまった。結果、マクラーレンはこの新型リアウイングとFダクトの日本GP投入を見合わせることになってしまった。

 一方、レッドブルは圧倒的な速さと強さを見せた。西コースのバックストレートから130Rへの進入には立体交差部分があり、そこの橋にあたる部分の路面に段差が2つできている。そのため、130R進入直前にマシンは大きく上下に揺すられる。ここでレッドブルRB6は、段差に乗ってもその後の車体の上下動がすぐに収まり、安定して高速のまま130Rを通過できた。ここにRB6の卓越した素姓のよさが見えた。逆に、夏に開発を辞めてしまったロータスT127はこの部分で車体の上下動がなかなか収まらず、おかげで130Rでシフトダウンをせざるをえないほどだった。

フェラーリのピットストップ練習

 開発をあきらめたといえば、メルセデスGPにもその様子がうかがえた。木曜日の車検に向かう列にいても、リアウイングのFダクト部分は隠すものの、他は「どうぞご自由に」とばかりに、そばで細部を注目してもお構いなしだった。ただ、開発をあきらめたチームは、そのぶんのリソースを来年のマシンにより傾注できるため、「来年はどうなるのだろう」という前向きの期待を抱かせてくれた。

 一方、レッドブルは明るい時間は避けて、暗くなってから車検場にマシンを持ち込むなど、なるべくマシンを見せないようにしていた。ただ、レッドブルチームはその後ひんぱんに車検場を利用していた。マシンをレギュレーションで規定された寸法ギリギリのところまで作りこんで、最大限の性能を出そうとしていることがよく分かった。

 フェラーリとルノーも好調だった。フェラーリは水曜日から真っ先にピットストップ練習を行ない、性能向上が続いているマシンがまだ速さで僅かにレッドブルに負けたとしても、戦略と展開でチャンスを見出そうとする意欲が現れていた。

 ルノーも同様で、入念なピットストップ練習を行っていた。また、ルノーのR30は開幕頃とは別のマシンと思えるほど、細部が入念に造りこまれた空力部品を多数備えていた。初日、レッドブル勢にフェラーリのアロンソとルノーのクビサが続いたことも、当然と思えた。

雨中を9周したアルグエルスアリ

雨のおかげでより面白くなった日本GP
 土曜日は雨になった。ブリヂストンのウェットコンディション用F1タイヤは、そのデビュー当時から高い性能を誇り、高い評価と信頼を守り続けてきた。現在のウェットタイヤは、1秒間に61リットルもの排水能力があり、かなりの雨にも対応できる、世界最高のレース用ウェットタイヤである。

 だが、今年の鈴鹿の雨量は、そのブリヂストンのウェットタイヤの性能を超えたものだった。そのため、大部分のドライバーが1~3周で走行をやめてしまった。だが、アルグエルスアリとグロックは、それぞれ9周と6周を走行した。いずれも予選と決勝が雨になった場合にチャンスを見出したいという思惑があった。

 この判断について「モンツァを覚えているだろう?」とトロロッソのテクニカル・ディレクターのジョルジョ・アスカネリは言う。トロロッソは、2008年にウェットとなったイタリアGPで、ベッテルに雨のフリー走行から積極的に走行させ、これが彼の初優勝につながったという経験もあった。

 さらには、レッドブルによるドライバー育成活動の最終期間の役割を持つトロロッソチームは、雨の中でも積極的に走らせることで、テスト規制の現代のF1の中で若いドライバーに経験を積ませようとしていたという。嫌がるドライバーを無理やりにも走らせたのは、今後のドライバーの成長にきっとつながるだろう。実際、昨年は典型的な経験不足によるクラッシュをしていたアルグエルスアリは、より成長した走りをするようになっていた。

 雨は予選になっても降り続け、やむ気配はなかった。そこで、レースコントロールは予選開始を延期しながら、セーフティーカーを出しては雨量と路面状態を確認していた。

 その陰で、レースコントロールは大変な作業だったという。ヨーロッパから来た競技役員たちは、なんとか土曜日のうちに予選をやろうと動いた。こうすることで、日曜日の日程を予定通りに行えるし、日曜日の朝に予選を移すのは、ヨーロッパのテレビ局にとって新たな中継回線を開く必要があるうえ、予選の生中継が日曜日の未明という、視聴者には厳しい時間になってしまうというマイナス材料がった。

 また、FIAの委員の中には、せっかく来てくれたお客さんに少しでもチャンスがあれば予選を観ていただきたいという思いもあった。一方、日本側の競技役員たちは、鈴鹿の気象を熟知しており、予選開始時間から走行不可能となる日没まで雨がやまないことを確信していた。そのため、予選を天候が好転する日曜朝への順延を早くから主張していた。そうすることがチームやドライバーたちにとってよいだけでなく、早く中止を決定したほうがお客さんたちが雨の中で予選待つ時間を少なくできるという配慮もあった。ヨーロッパ側、日本側の双方の競技役員たちは、最善と思われる策を求めて議論しながら、最大限の努力をしていたのだった。

 結果、予選は日曜日午前に順延。2004年と同様、鈴鹿は再び日曜日に予選と決勝を行う日程となった。おりしもチーム代表たちの会議の中で、今後のF1についてレース開催期間を従来の金曜日からの3日間から、土日の2日間に縮小する案も出ていた。鈴鹿の日曜日予選開催は、2日間開催への実現可能性を実証するものにはなった。ただし、この開催日程に関するアイディアについては、サーキット側が3日間開催がよいというならそれを尊重するとなっており、さらなる話し合いを必要としている。

1日で2度オイシイ日曜日
 日曜日午前の予選は晴天の下で行われたが、路面は雨でラバーが流れ、冠水によって運び込まれた細かな泥汚れも乗り、難しいコンディションとなった。そして、走れば走るほど走行ライン上の路面が改善されていく状況で、限界が読みにくい状況だった。

 しかも、予選と決勝の間が短いため、オーバードライブになってクラッシュすることは避けなければならなかった。結果、どのドライバーも与えられた条件下で極限を攻めたが、最大限の力は出し切れなかった。そのため、期待されたコースレコードの更新もできず、ブリヂストンにとって最後の日本GPは心残りの予選となった。

 予選でもレッドブルの速さは変わらず、とくにベッテルの速さと鈴鹿に対する自信は他を圧倒していた。Q1ではトップタイムを出しても、さらにもう1周ダメ押しでタイムを更新し、「ここでは絶対自分が一番だ!」という意思と気迫を見せた。

 充分に走り込みができなかったハミルトンも3番手につけて、その意気込みを見せた。初日から好調だったクビサは4番手で、チャンピオン争いをするドライバーたちにとって、クビサの台頭は順位とポイントを大きく左右する脅威になった。小林のアタックはかなり速かったが、最終シケインでの僅かなオーバードライブが響いて14番手になった。だが、ザウバーC29の性能を最大限に引き出す小林の走りに期待が膨らんだ。

 決勝はスタート直後のクラッシュという波乱で始まった。さらに、クビサはタイヤの脱落でリタイヤしてしまった。原因はタイヤを装着した際に、ホイールナットが完全に締められなかったため、完全に締められると自動で作動する緩み止めのロック機構が作動しなかったためだという。チーム側では、ナットとホイールの間に小さな異物が入ったようで、これが根本的な原因と見ている。

 だがレースそのものは見ごたえのあるものになった。トップ争いはベッテルが逃げ切り、ウェバーとアロンソが追う展開だったが、路面がどんどん改善していく中で、タイヤ交換の時期を含めて興味深いものだった。視野を広げてみると、もっとエキサイティングだった。そのエキサイティングな展開の主役は2人の日本人ドライバーたちだった。

小林可夢偉

日本人の大活躍
 小林可夢偉は、フォースインディアやトロロッソ勢と入賞争いを展開。ヘアピンコーナーを主戦場にしていた。鈴鹿の“常識”でいえば、ヘアピンはマシン性能に決定的な大差か大きなミスがないかぎり、オーバーテイクポイントではない。小林はその常識を逆手にとるように、アウト、インと自由自在に攻めて、追い抜いていった。

 必要ならマシンを当てて、ラインをこじ開けてでも、抜くという強さも見せた。この行為は、「やられた」側のトロロッソやフォースインディチームは快く思っていなかったが、各国の放送局は大絶賛だった。BBCラジオの実況が熱狂し、アンソニー・デビッドソンも称賛していたのを、カンガルーTVでお聞きになったお客さんもいらっしゃるだろう。小林は水曜の夜に、寿司店を営むお父さんによる寿司をチームメンバーに降るまい、チームの心を掴んだ。さらに、このファイティングスピリットあふれる走りでの7位入賞で、エースとしての求心力と地位を確固なものにしたはずだ。

 ヒーローは小林だけではなかった。山本左近も自分が育った鈴鹿で大活躍した。序盤、山本はロータスのトゥルーリとヴァージンのグロックの前を走っていた。マシンの性能で考えれば、山本はすぐにこの2台に抜かれておかしくない状態だった。

 だが、山本は14周目までトゥルーリを抑え込んだ。山本の走りは圧巻だった。HRTのマシンの限界ギリギリのところで綱渡りをするような、極限の走りだった。とくに1コーナーから2コーナーでは、マシンが滑るのをなんとか抑えながら、スピードも維持して、トゥルーリを抑える。素晴らしい走りだった。

 後半はマシンが山本の走りに堪えられなくなり、終盤はエンジンがいつ止まってもおかしくないほどの不調に見舞われた。山本はテクニックをフルに駆使して、瀕死のマシンをゴールさせた。結果は、チェッカーを受けた中では最下位で、完走扱いでもブービーだった。だが、その内容は立派だった。

 レース終了後、Pit-FMでの中継を終えて放送ブースを出ると、BBCラジオのデビッドソンを始め、ジャック・ラフィ、クリスチャン・ダナー、イヴァン・カペリら各国の放送局の解説者がいて、小林と山本を絶賛していた。彼らは、ドライバーとして鈴鹿を走った経験があり、ここでの難しさをよく知っているため、その判断と評価は的確だった。

大成功と今後への期待
 日本の自動車メーカーがいなくなり、ブリヂストンも最後の日本GPとなったが、半面、小林、山本という日本人ドライバーの活躍が、今後への期待をふくらませてくれた。観客動員数は日曜日が9万1000人と、以前より5000人ほど減ったという。だが、自動車メーカーによる動員ではなく、今年のお客さんたちは自分自身で選択し、チケットを買ってきてくださった熱心な方たちだった。それを考えれば、大成功といってよいだろう。

 そのファンの皆さんにエキサイティングなレースと日本人の活躍を見ていただけたのは、なによりだ。また、レース前のドライバーズパレードも、フィオレンティーナ470クラブを中心としたヒストリックカーのオーナーの皆さんたちの献身的な協力のおかげで、美しく、楽しいひとときとなった。世界中でドライバーズパレードがトラックによる味気ないものになる中、鈴鹿はよい伝統を守ったのは見事だった。このパレードを楽しく盛り上げ、レースの時には世界最高峰のスキルで安全を確保した鈴鹿のコースマーシャル、レスキュー、メディカルもまた、立派な働きをし、偉大な歴史と伝統に新たなページを加えた。

 F1って面白いでしょう。レースって面白いでしょう。日本人ってすごいでしょう!

 筆者は自信をもってこの言葉を、Pit-FM、Nack5、FM三重の放送で言わせてもらった。ファンの皆さんとこのことを話しているときも、誇らしくて、うれしくて、涙が出そうだった。

 最後に、この日本GPの直前に、偉大なる大先輩である西山平夫さんと、1963年に鈴鹿で行われた第1回日本GPウィナーで、1987年の日本GPにはチームロータスの監督として戻ってきたピーター・ウォー氏が他界された。ウォー氏は、昨年春に行われた鈴鹿サーキットのリニューアルオープニングセレモニーにも来場し、ロータスT23で走った。

 おふたりとも、レースを愛し、鈴鹿には特別な思いを寄せていたはず。とくに、ウォーさんには、鈴鹿と日本GPは彼の人生にとって特別な存在だった。鈴鹿サーキットもその思いを汲み、西山さん記念するテーブルをメディアセンター内に設け、日曜日のロータスF1の走行の際には、ウォーさんの紹介と訃報をアナウンスした。ウォーさんに関する場内アナウンス原稿は前夜遅くまでその内容が推敲されていた。短いアナウンスの中には、鈴鹿のスタッフたちからウォーさんへの万感の思いがこめられていた。

 おふたりとも、きっと今年の日本GPのエキサイティングな展開と成功を喜んだことだろうし、もしご存命であったなら今年の日本GPに来られなかったことを大いに悔しがったことだろう。

 偉大なる先輩にして、素晴らしい仲間に感謝し、そのご冥福をあらためて祈りたい。

 日本GPだけで話題がいっぱいで、韓国GPのスペースが尽きてしまった。韓国GPについては、来週あらためてお送りします。

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/

(Text:小倉茂徳)
2010年 10月 29日