日産モータースポーツの祭典、「NISMO FESTIVAL」リポート
歴代のレーシングGT-Rが富士を駆け抜け、カルロス・ゴーンCEOもサプライズ登場

11月30日開催



2008年のNISMO FESTIVALは、富士山がくっきり見える秋晴れの中開催された
 NISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)は、11月最後の日曜日となる30日に、富士スピードウェイで「NISMO FESTIVAL」を開催した。NISMO FESTIVALは毎年恒例となっている、モータースポーツファンイベント。当日は富士山がくっきり見える秋晴れの天気の中、3万2000人の観客を集めて行われた。

 NISMO FESTIVALの今年の話題は、やはりSUPER GTに参戦したGT-R(R35)に注目が集まるところ。2008年からSUPER GTのGT500クラスに参戦し、「XANAVI NISMO GT-R(23号車)」がデビューウィン。その後も「YellowHat YMS TOMICA GT-R(3号車)」「カルソニック IMPUL GT-R(12号車)」「WOODDONE ADVAN Clarion GT-R(24号車)」が勝利を重ね、XANAVI NISMO GT-Rに乗る本山哲選手、ブノワ・トレルイエ選手が見事チャンピオンに輝いたのは記憶に新しいところ。「MOTUL AUTECH GT-R(22号車)」もレースではトップ争いに絡むなどGT-Rの高い戦闘力が証明されたシーズンだった。

 これら2008年のSUPER GT参戦車が一堂に会し、さらに過去のレーシングGT-RもKPGC10、KPGC110、R32、R34型が走行。また、今年は日産の海外レース参戦50周年ということで、1958年のオーストラリアラリーでグループAの優勝車となった「DATSUN 富士号」の走行展示も行われた。

ファンとの触れ合いを大切にしたい
 オープニングイベントは、グランドスタンド裏のイベントステージで開催された。SUPER GTに参戦したドライバーや監督、そしてLEGENDARYドライバーとして“Zの柳田”こと柳田春人氏らが次々に紹介された。挨拶に立ったNISMO総監督の柿元邦彦氏は、とてもよい天気に恵まれたことにふれながら、「今年のNISMO FESTIVALではドライバーからの要望もありファンと触れ合う時間を多めにしました」と挨拶。

 実際、SUPER GTマシンやグループAマシンなどが走り回る富士スピードウェイのコースを観光バスに乗って見られる「サーキットサファリ」では、柳田春人氏らが添乗員として乗り込んでいたほか、SUPER GTマシンなどへの同乗走行も実施されていた。ピットエリアも、マシンがよく見えるように配置され、さらにマシンのない一部ピットは観客に開放されピットレーン間近で見ることのできるような工夫もされていた。

グランドスタンド裏の特設ステージで開催されたオープニングイベント。NISMOの柿元総監督が挨拶観光バスでサーキットを見学できるサーキットサファリ。さまざまなマシンが観光バスとともに富士スピードウェイを走行
2008年度のSUPER GTチャンピオンを獲得したXANAVI NISMO GT-Rカルソニックブルーが美しい、カルソニック IMPUL GT-Rマレーシアのセパンサーキットで行われたSUPER GT第4戦で優勝したWOODDONE ADVAN Clarion GT-R
MOTUL AUTECH GT-Rは、SUPER GTでその能力の高さを見せてくれたツインクリンクもてぎの第7戦で優勝したYellowHat YMS TOMICA GT-R観光バスとSUPER GT仕様のGT-R。柳田春人氏らが添乗員としてバスに同乗していた
サーキットサファリ後に行われる「ヒストリックカー模擬レース」へと向かう各車。ADVANカラーのサニー(B110)に懐かしさを覚える人もいるだろうこちらもサニー(B110)。フロントグリルに「5SPEED」の文字が見られるが、5速MTを搭載する市販サニーでは、左上がリバース(後退)のいわゆる“ヒューランドパターン”を採用していた。つまり、2速と3速のポジションを直線上に配置することでシフトチェンジが速く行えるようにとの配慮このサニーは、B110から2代後のサニー(B310)。長らくツーリングカーレースで活躍したB110の認定切れによりB310サニーがツーリングカーレースで活躍した。B310は“ひろびろサニー”の愛称でデビューし、当初丸目のヘッドライトだったが、マイナーチェンジに伴い当時のトレンドとなっていた角目ヘッドライトに
ヒストリックカーレースに出場した“Zの柳田”こと柳田春人氏。もちろんマシンは240Zで、カーナンバーは日産のエースナンバーである23(ニッサン)
総計27台が出走したヒストリックカー模擬レース。懐かしいレーシングGT-R(KPGC10)の姿も見られるヒストリックカー模擬レースの後は、「March Cupエキジビションレース」が開催。激しいコーナー争いが随所で展開

232号車は日産のカルロス・タバレス副社長レースを終えたタバレス副社長。12台中10位の成績だった

ファン感謝イベントにはカルロス・ゴーンCEOも
 お昼時には「海外参戦50周年イベント」「ファン感謝イベント」がメインストレート上で開催された。

 海外参戦50周年イベントは、日産にとって記念となる海外ラリークラス優勝車DATSUN 富士号を先頭に、ブルーバード 1600 SSS(510)、フェアレディ240Z(S30)、シルビア200SX(S12)など海外ラリー参戦車がパレード。DATSUN 富士号のドライバーは当時のドライバーでもある初代NISMO社長の難波靖治氏、そしてナビゲーターも当時と同じブルース・ウィルキンソン氏での登場となった。別途難波氏に当時のお話をうかがったところ「DATSUN 210はまったくノーマル。(富士で走行した現車は)プラグやバッテリーだけは今のものに取り替えてあるが、そのほかはオリジナル」とのこと。

 続いて行われたファン感謝イベントには、2008年のSUPER GT参戦車や参戦ドライバー、監督が登場。ドライバーや監督が並ぶ中、NISMOのモーターホームがメインストレート上に横付けされ、日産のCEO(最高経営責任者)であるカルロス・ゴーン氏が登場。

 カルロス・ゴーン氏はファンへの感謝を述べた後、SUPER GTでの優勝にふれ、日産チームを誇りに思うとコメント。「レース参戦を通じて車作りの情熱を沸き立たせ、みなさんの日々の生活にワクワクをお届けします」と結び、多くの観客の拍手に応えていた。

難波氏とウィルキンソン氏は観客に手を振りつつDATUN 富士号で登場。DATUN 富士号はわずか1000ccのOHVエンジンながらオーストラリアラリーでクラス優勝。両端を司会者に囲まれインタビューに答えているのが当時のレーシングスーツを着た難波氏。その左にはウィルキンソン氏が座り、レースについて語った
NISMOのモーターホームの中から登場したカルロス・ゴーンCEO。登場が事前に予告されていなかったため、観客から大きなどよめきが。今シーズンの声援にまず感謝を述べ、「みなさんの日々の生活にワクワクをお届けします」と宣言。すべて日本語でスピーチした
2008年のSUPER GTチャンピオンとなったブノワ・トレルイエ選手(左)と本山哲選手(右)。今シーズンのナンバーであるゼッケン23を剥がすとそこから現れたのは、チャンピオンナンバーであるゼッケン1。剥がすときにやや手間取ったために、司会者からは「日産のエースナンバーに名残惜しいようです」と突っ込まれていた


2009年シーズンはチャンピオンナンバーを付けて戦うことになるXANAVI NISMO GT-R

盛り上がった歴代レーシングGT-Rでの模擬レース
 NISMO FESTIVALで一番の盛り上がりを見せていたのが、2008年のS耐参加車やグループCカーなどが混走した「カテゴリー混走模擬レース」に続いて行われた「GT-Rスペシャルバトル」。2008年にSUPER GTに参加したGT-Rをはじめ、かつてのJGTC(全日本GT選手権)に参加したGT-R(R33、R34)、グループA仕様のGT-R(R32)が参加。とくにグループA仕様のGT-Rは「カルソニック スカイライン」を星野一義監督、「ユニシア ジェックス スカイライン」を長谷見昌弘監督、「STP タイサン GT-R」を近藤真彦監督がドライブすることもあって、レース前に行われたグリッドウォークで大人気。3人の監督の前には、現役ドライバーを超えるほどの人が並び、多くの人が記念写真を撮ったりサインをもらったりするなど、触れ合いを楽しんでいたようだ。

 レースは、各カテゴリー車両ごとにハンデが付けられ、グループA GT-Rはハンデなし、SUPER GT GT-Rは1回のピットインを行いタイヤ交換とドライバー交代、JGTC GT-Rなどは1回のピットインのみとなっていた。その結果、2003年型のJGTC仕様のGT-R(R34)に乗る青木孝行選手が優勝。タイヤ交換のハンデが意外と重かったこともあるが、逆に言えばJGTC仕様のGT-Rの戦闘力の高さが証明されたとも言える。

 トップグループを構成したのはSUPER GTやJGTCのGT-Rだが、星野監督、長谷見監督、近藤監督の3台のグループA GT-Rには大きな声援が送られていた。この3台は、毎周抜きつ抜かれつのバトルを展開。ストレートではスリップストリームのポジションをいずれかのマシンが確保し、1コーナーでインを奪い合うなど、どう見てもイベントレースとは思えない駆け引きを行っていた。3台の順位は、長谷見監督、星野監督、近藤監督の順でゴールし、ゴール後は3人で「あのコーナーは……」とか、レースでの感想を話しつつ、身振り手振りを交えてバトルを振り返っていた。

カテゴリー混走模擬レースでは、レーシングGT-Rを除くさまざまなレーシングカーがそのスピードを競った。その中でも飛び抜けたスピードを誇ったのが、グループC仕様の「YHP ニッサン R92CP」(前)とLM-GT1仕様の「R390 GT1」(後)同じくカテゴリー混走レースから。前を行くのが2005年、後方が2006年のSUPER GT仕様のZS耐に参加しているZも混走
SUPER GT仕様のZに挟まれたR92CPとR390 GT1GT-Rスペシャルバトル開催前にはグリッドウォークを実施。多くのファンがお目当ての選手や監督とのコミュニケーションを楽しんだ。とくに3監督の前にはサインを求める長い列ができていたファンの声援とともに、この日一番盛り上がったGT-Rスペシャルバトル
赤と白のユニシア ジェックス スカイラインが長谷見監督、赤と黒のSTP タイサン GT-Rが近藤監督、そしてブルーのカルソニック スカイラインが星野監督。お互い熱い意地の張り合いを繰り返していた
スピードで勝る2008年のSUPER GT参戦車がレースをリードタイヤ交換を終えピットを猛ダッシュでスタートするWOODDONE ADVAN Clarion GT-R。観客がすぐ近くでタイヤ交換を見られるような配慮もGT-Rスペシャルバトルを終え、感想を述べ合う3監督。左が近藤監督、右が星野監督。そして黄色いブルゾンを着込んでいるのが長谷見監督

引退する砂子塾長には大きな声援
 フィナーレは、メインストレート上にドライバーや監督が整列し、観客への挨拶。その際、司会から今年で引退する砂子塾長が紹介されると観客から「塾長~!!」という大きな声援が飛んでいた。

 最後の挨拶は、現在のNISMOの社長である眞田裕一氏。観客に向かい今日1日の暖かい声援にまず感謝を述べ、その後2008年にSUPER GTのチャンピオンを取れた要因を「チャンピオンを取ったチームだけでなく、ほかの(GT-Rの)チームが好成績を残したことで、ライバルにポイントを与えたなかったこと」と分析。「来年もこの場で皆さんとチャンピオンを祝って、楽しい1日を過ごせるようがんばります」と結んだ。

花束を持ち引退について語る砂子塾長。観客からは大きな声援が飛び、塾長へのメッセージの入った横断幕が掲げられていた最後の挨拶のために並ぶドライバーや監督シメの挨拶はNISMOの眞田裕一社長から。2008年の応援への感謝、そして2009年もSUPER GTチャンピオンを獲得し、来年のNISMO FESTIVALに帰って来ると語った

ひっきりなしに走った日産レーシングマシン
 NISMO FESTIVALでは、日産の歴代レーシングマシンがひっきりなしに走っていた。1度しか走らなかったものものあれば、何度も走ったもののもある。そこでここでは、主に車種に注目して、いくつかのレーシングマシンを紹介していく。

カルソニック スカイラインと星野監督。ハの字にセッティングされたタイヤなど当時のままの姿で富士スピードウェイを走った。2008年仕様のSUPER GTマシンと乗り比べた星野監督は「今のがデジタル的とするなら、R32はアナログだね。オレはR32のほうが好きだな」と。星野監督の行くところファンありで、多くのファンにサインをするなど、NISMO FESTIVALを楽しんでいた
YellowHat YMS TOMICA GT-Rと長谷見監督。長谷見監督はYellowHat YMS TOMICA GT-R後、ややお疲れの様子。シュアな走りのイメージの長谷見監督だが、GT-Rスペシャルバトルでは、激しいポジション争いを展開していた
カルソニック IMPUL GT-Rと各部写真。SUPER GTマシンのコクピットはとても狭く、長丁場のレースでの苦労がうかがわれる
3.5リッター自然吸気エンジンを搭載するグループCカー「NP35」
1998年のル・マン24時間レースで3位となったR390 GT1。その速さを富士スピードウェイに集まった観客に披露
1992年アメリカのデイトナ24時間レースで優勝した「R91CP」
NISMO FESTIVALで、SUPER GTマシンに次ぐ走行回数だったのがこのR92CP

英国のツーリングカーレース「BTCC」に参戦していた「プリメーラGT(P11)」
1988年のサファリラリーで総合2位、クラス優勝を飾った「シルビア 200SX(S12)」。V型6気筒のVG30E型エンジンを搭載している「240RS」は、シルビア(S110)をベースにグループBラリーのホモロゲーション取得モデルとして少数が生産された。直列4気筒のFJ24型エンジンを搭載4代目「パルサー(N14)」の高性能モデルGTI-R。1992年のRACラリー参戦車
「ブルーバード 1600 SSS(510)」。1970年のサファリラリー優勝車。“ラリーの日産”のイメージを確立したモデル「フェアレディ240Z(S30)」はラリーに出場し、1972年のモンテカルロラリーで3位入賞。ロードレースイメージの強いZだが、そのスポーツ性の高さがラリーでも通用することを証明したGT-R(KPGC10)のレーシングバージョン(レプリカ)。レーシングGT-Rと言えばこのマシンを思い浮かべる人も多いだろう
GT-R(KPGC10)のリアとコクピットまわり。このGT-Rのボンネットフード裏には、スカイラインの誕生からかかわった桜井真一郎氏のサインがあった

2代目「スカイラインGT-R(KPGC110)」のレーシングバージョン。1972年の東京モーターショーに展示されたショーモデルだが、実際に走行できるようになっていた

販売コーナーが充実していたNISMO FESTIVAL
 このNISMO FESTIVALの特徴として販売コーナーが充実していたことだろう。開門と同時に多くのファンが、近藤監督率いるKONDO RACINGのブースに列をなし、思い思いに商品を購入していた。もちろんカルソニックなど人気チームのブースにはいつもお客さんがおり、商品をあれこれ品定め。

 そのほか、中古レーシングパーツなどが購入できるのもNISMO FESTIVALならでは。レーシングGT-Rのリアカウルや、レーシングZのリアカウルの即売コーナーにも列ができ、中にはレーシングカーの中古ホイールを購入している人もいた。

 数多くの日産レーシングマシンが走り、随所でトークショーなどのイベントを実施。また、即売会も充実しているなど、多くのお客さんがNISMO FESTIVALを思い思いに楽しんでいたようだ。

ドライバーとして、監督として、そしてトークショーのゲストとして1日大忙しだった近藤監督(中央)中古レーシングパーツの即売会も大人気。これはおそらくZのリアパーツで3万円の値札が。サイズや種類によって値段はマチマチで、NISMO FESTIVALの会場ではパーツを小脇に抱えて歩く人を多数見かけた

 

URL
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社
http://www.nismo.co.jp/
日産自動車株式会社
http://www.nissan.co.jp/
NISMO FESTIVAL
http://www.nismo.co.jp/event/festa2008/pc/
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【2008年10月20日】NISMO、モータスポーツイベント「NISMO FESTIVAL」を開催
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20081020_37953.html

(編集部:谷川 潔)
2008年12月2日