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【特別企画】東日本大震災から1年 世界が驚愕した日本の高速道路(前編)
3.11からわずか13日で応急復旧した高速道路の軌跡を本田雅一が探る


津波に襲われた翌朝の仙台東部道路付近の様子

 2011年3月11日、14時46分頃、東日本を襲ったマグニチュード9.0の大地震。宮城、福島、茨城、栃木で震度6強以上を観測、加えて沿岸部には大津波が襲い、その被害は想像を絶するものとなった。

 あの震災から1年、原発問題や、瓦礫の処理問題など、未だ多くの課題を抱えるなか、わずか13日間で、仙台東部道路・三陸自動車道の一部上り線と、原発退避地域を除く全線で通行止めを解除し、一般車両が通行可能な状態にこぎ着けたNEXCO東日本(東日本高速道路)。あのとき現場では何がおきたのか、本田雅一氏が当時の様子を取材した。


 未曾有の震災で破壊された東北地区の高速道路。首都圏、日本海側からの緊急車両や物資はもちろん、津波から仮復旧した仙台空港に到着する物資を被害の大きい地域に運ぶため、寸断された高速道路の復旧が、当時の最重要課題の1つであったことは言うまでもない。

 首都圏と東北を結ぶ動脈である東北自動車道はもちろん、日本海側と太平洋側を結ぶ山形自動車道、仙台〜名取の平野部に拡がる仙台北部道路や東部、南部道路といった道路は、盛り土側面の崩落や橋梁の継ぎ目のダメージ、高架や橋を支える支承の破壊、道路面の陥没など、ありとあらゆるダメージで覆われていた。その被害はNEXCO東日本が管理する道路だけでも20路線870kmの区間に及んだ。

上の写真と同じ場所の現在の様子 海沿いを南北に走る仙台東部道路は、仙台空港や常磐道と三陸道を繋ぐ重要なルートだ

 中でも特に深刻だったのが仙台空港から北上し、被害が大きかった石巻地区に物資を運ぶ三陸自動車道へとつながる仙台東部道路である。

 仙台若林JCT(ジャンクション)から仙台港北IC(インターチェンジ)までの間、約5.2kmは高架橋となっているが、酷いところではこの高架橋を支えるゴム支承が破断。落橋防止ワイヤーのおかげで落橋を免れた状態だった。

 また、海外メディアに多く引用されたのが、盛り土崩落で一車線分がまるまる崩れていた常磐道・水戸IC〜那珂IC付近の様子だ。約150mにわたる崩落区間が、わずか6日で元通りになった様子は世界中を驚かせた。

 当時現場を取り仕切ったNEXCO東日本 東北支社仙台管理事務所と関東支社水戸管理事務所に、そのときの様子を伺った。

クルマがひっくり返るかと思うほどの揺れだった
 東北支社仙台管理事務所の菅原徳夫工務担当課長は当初「緊急地震速報をラジオで聴いてクルマを駐めたが、そのときは“また誤報か”と思った」という。しかし、その直後に襲った揺れの大きさは普通ではなく、クルマがひっくり返るかと思うほどだったと言う。

 事務所にいた仙台管理事務所・所長の永作正浩氏は、社員達の安全確保・確認を急ぎつつ、管区内の道路点検の指示を出した。

仙台管理事務所 工務担当課長 菅原徳夫氏 仙台管理事務所 所長 永作正浩氏

 「細かな情報は掴めていなかったが、明らかにすべての高速道路が通行止めとなる大きさの揺れだと感じました。実際、道路管制センターは自動で道路上の案内をすべて通行止めに変更。緊急車輌を通行させるための指示を行いました。出勤していた社員はもちろん、非番だった社員も出社してきて、みんながそれぞれ自主的に復旧に向けた行動を取っていました」と永作氏は振り返る。

 まずは東北道に向けて点検班を6班出した。関連グループ会社や工事受注先の協力会社に連絡を取り、可能な限りの人員を手配し、山形道、それに津波被害の大きさが懸念された仙台東部道路へと点検班を送り出す。

 菅原氏によると、宮城県の防災対策では4mまでの津波を想定し、それに耐えられる街作りになっていたと言う。4mならば大きな問題はない。しかし10mの予想と発表されたため「仙台港北ICまで水が来るだけでは済まない。仙台東部道路一帯は津波が来るだろう」と判断し、料金所で働く従業員に避難の指示を出した。

津波に襲われる名取料金所の様子。建物の屋上に職員のほか、近隣住民も避難した
現在の名取料金所。水没した機器は全滅したため、各所からストックのETC装置を取り寄せ復旧させた 屋上にすぐに避難できるよう、はしごが取り付けられた

 管理担当課長の芦澤裕志氏は、津波が遡上した仙台東部道路での人命救助活動に携わったうちの1人だ。現場で津波に遭遇した巡回車からの無線情報を傍受し、対応を図った。

 「周辺住民が津波から逃れるため、高速道路本線まで登ってきていました。交通管理隊の人間も混乱を予想して8人ぐらいが参集。本線に逃げてきた人を救助するため、路面補修用の資材や作業員を運んでいるマイクロバスで避難所に送り、巡回車で怪我人を病院へ搬送、暖を取れる毛布を手配するなどしました」と芦澤氏。

 改良担当課長の宮越信氏も、震災当日の夕暮れ、津波に流され必死で木にしがみついていた人を発見し救助するなど、避難の支援と救助、それに道路の点検を行いながらの初日だった。

仙台管理事務所 管理担当課長 芦澤裕志氏 仙台管理事務所 改良担当課長 宮越信氏 当時の高速道路上の様子。避難してきた地元住民が本線上に
高速道路脇には立ち入り防止の柵があるが、それを乗り越えて避難してきたのだ 津波と共に押し寄せられた瓦礫。仙台東部道路が堤防になった様子が見て取れる 暗闇の中で、木にしがみついていた被災者を発見した時に使ったライト

まずは徐行でも緊急車両が通れるよう、点検と同時に段差には土のうを積むなどし、仮復旧を進めた

3月12日、11時には緊急車両が通行
 道路の調査班は調査だけを行っていたわけではない。被害状況の調査、復旧計画を作る土木技術者、それに実際の工事を行う現場作業員。持っている技術や知識が異なる人間で班を作り、仮復旧を施していった。

 「まずは緊急車両を通さなければなりません。道路にできた激しい段差や陥没部分に土のうを積むなどして、徐行が必要ではありますが、どうにか通行できるようにしました。常温で施工ができる特殊なアスファルトも資材がある分だけ持たせ、必要に応じて措置をさせました。土のうは数が足りませんから、管理事務所で大量に作りながら、並行して復旧を進めていったのです。普段から防災訓練は行っていますから、その計画通りに淡々と進めることで、仙台東部道路の高架橋部分を除き、震災当日の22時には緊急車両の通行が可能な状態になりました」(永作氏)

 このように緊急車両を通行可能にするための措置を仮復旧という。こうしたNEXCO東日本 各管理事務所での仮復旧を受け、翌12日11時には公安委員会が緊急車両の通行止めを解除。しかし、この状態では緊急車両以外は通過できない。そこで高速道路の基準を完全に満たすことはできないが、一般車両が通過しても安全な状態にまで復旧する応急復旧を次に目指さなければならない。

 たとえば橋をかける基礎部分はコンクリートのため沈まないが、周囲の土壌は地震によって沈下してしまう。表面上は問題なくても、下は空洞になっている可能性もある。そういった個所には空洞に発泡させたコンクリートを注入。表面にできている継ぎ目の段差にはアスファルトを擦り付けて滑らかな勾配にする。

 もちろん、陥没部分を埋めてアスファルトを舗装し直し……と、作業を重ねた結果、3月24日には順次一般車両への開放を行うことができた。応急復旧処理を施した道路は、仙台管理事務所が管理する延長118kmのうち、約1000個所にも及ぶ。度重なる余震で修正した個所に再度段差が発生するなど、補修工事は困難を極めたと言う。補修件数の52%は海沿いの仙台東部道路に集中しており、橋梁部分を除くと、見た目には普通の道路に見える状態にまで戻り始めたが、難関はまだクリアできていなかった。

橋脚に支えられた橋部は沈下しないが、周辺の盛土部は沈下し、場合によっては路面下に空洞ができていることも まさに橋の部分とその手前の段差をアスファルトの擦りつけで応急復旧した個所。ガードレールの高さを見ると、橋の手前が沈下しているのが分かる

落ちかけた橋梁をジャッキアップしてかけ直す
 「仙台東部道路の高架部分は、阪神・淡路大震災の反省を元に、落橋防止対策を行った上で地震に耐えられる設計をしています。宮城県沖の地震は以前からありましたから、対策はしていました」と宮越氏。

 橋梁と橋脚をつなぐ支承部は、天然ゴムと鋼板を複数層に重ねたゴム支承で、なんと高さの2.5倍以上の寸法を横方向に動いても耐えられる設計だった。ところがそのゴム支承が破断してしまったのだ。特に仙台港北IC近くの56〜58番橋脚にかかった橋梁は、56番橋脚の8個所すべてのゴム支承が破断し、橋梁が60cmも横方向に移動、落橋防止のワイヤーで脱落を防いだ状態だった。

現在は復旧が完了し、新たなICの建設が進められている56番橋脚 震災直後は橋梁が60cmも横方向にずれた 遠くから見てもずれているのが分かる
最近の高架は、ゴム支承と呼ばれる大きなゴムのブロックの上に橋梁が乗っている。これは地震に対して揺れを吸収するためで、阪神・淡路大震災の教訓を元に採られた策 56〜57番橋脚では、計8つのゴム支承が破断した
高さの2.5倍以上、横にずれても破断しないゴム支承が完全に破断していた 阪神淡路大震災以降採用された落橋防止ワイヤー。柱の間に見える黒い部分がそれだ。今回はこのワイヤーのおかげで落橋は免れた

 当然、そのままでは緊急車両さえ通せないが、一般道路は津波で流された瓦礫や陥没などで著しく効率がわるい。前述したように石巻方面への物資輸送もあり、すぐにでも復旧させる必要があった。

 そこで橋脚部脇に架設の足場を組み、油圧ジャッキで橋梁を持ち上げたあと仮設の支承を配置して架設しなおした。この作業は燃料不足、資材不足の中にあって3日で終わらせたそうだ。

 こうした作業を続けたものの、架設し直すだけでは安心できない。特注品であるゴム支承はすぐには調達できず、応急措置として仮受け鋼材で橋げたを支えていたためだ。大きな余震が続く中、いつまた壊れるか分からない。通常は3カ月かるゴム支承を1ヶ月半で仕上げてもらい、その後、ゴム支承へと取り替える作業を済ませたという。

 復旧作業は路面だけではない。一般車両を通すには、制限速度表示や事故情報など、電子表示板も正常に動かなければならないが、高速道路のサイドウォールに埋め込まれた通信ケーブルは、継ぎ目部分がズレることで寸断されていた。震災直後の道路状況をモニタで確認すると、ほとんどのエリアで通信障害が発生。新たに通信ケーブルを引き直す作業も行わなければならなかった。

サイドウォールに埋め込まれていた通信ケーブルはことごとく破断 新たな配線により仮復旧 現在はサイドウォールとは独立した形で配管している

“最後の防波堤”となった仙台東部道路
 仙台東部道路は一部の高架部を除くと、9m程度盛り土して高さを出し、その上に舗装を行う一般的な高速道路の建設方法が採られている。これが結果的に防波堤の役割を果たした。当時の映像で、仙台東部道路の海側と内陸側でまったく違う景色が広がっている様子が多く報道されたので、ご存知の方も多いだろう。

津波だけでなく、多くの瓦礫をせき止める役目を果たした仙台東部道路 一般道との交差のため、高さ9m程度の盛土の上に仙台東部道路は走る 仙台東部道路から海側を見る。この辺りはもともと背の高い建物が少ないと言う

 名取地区の津波は仙台東部道路脇まで達したが、高速道路上に避難した住民は津波の難を逃れることができた。高速道路には立入防止柵や擁壁があるが、これらを乗り越えて道路上まで避難してきた住民である。この辺りにはもともと高い建物があまりなく、仙台東部道路が数少ない避難場所となったのだ。こうした事例を受け、NEXCO東日本では高速道路に一時避難場所の設置工事を行っている。

震災後に作られたメンテナンス用の階段。瓦礫に押しつぶされたため現在はないが、手前に錠付きのフェンスが設けられる予定 擁壁の上にも階段が設けられ、擁壁部にははしごも用意される 階段の上にはある程度の人数が入れるスペースが設けられる。いざというときに、高速道路上に飛び出さないようにするためだ
仙台管理事務所 管理担当課長 神田康弘氏

 高速道路は歩行者立ち入り禁止で、1.5m以上の擁壁や立入防止柵で人が立ち入れないよう対策を施さなければならない。管理担当課長の神田康弘氏は「高速道路には法的な制限から、人がみだりに立ち入ることが禁止されています。しかし、我々は少しでも多くの人たちに津波からの一時避難場所として高速道路を柔軟に使って欲しいとも考えています」と話す。

 そこでNEXCO東日本は、“道路メンテナンス用の”階段とプラットフォームを比較的短い間隔で配置。さらに擁壁を登るための折りたたみ階段や柵の中に入るための扉を設置した。あくまでもメンテナンス用だが、プラットフォームには多数の人間が立てるよう配慮されている。

 「簡単に中に入れてしまうと、高速道路での事故に繋がるかもしれないため、基本的には“立ち入りができないよう”に作っています。しかし、一方で“緊急時には入りやすいよう”にも配慮はしました。今までに前例がないことですし、実際にどのように運用するかは、地域住民との話し合いで決めていかなければなりません。たとえば避難用エリアに入るための鍵を地元の組合長などに預け、地域コミュニティで管理してもらうなどの対策を考えています(神田氏)」

 また、仙台東部道路が津波とともに遡上した瓦礫をせき止める役割を果たしたことから、沿岸部の道路は可能な限り盛り土で作ろうという話も出ていると言う。道路に堤防としての意味を持たせることができれば、道路建設と堤防建設の予算を合算できる利点もある。

 「さらに、道路の建設段階から防災を考えるのなら、SA(サービスエリア)やPA(パーキングエリア)に一定間隔で非常用食料などを備蓄し、防災拠点にするといった対策も考えられるかもしれない」と永作氏は述べた。

 三陸沖を震源とする東日本大震災だが、高速道路上に設けられた震度計において、最大震度を観測したのは、実は茨城県の水戸近郊である。水戸と言えば、まるまる一車線が崩落した常磐自動車道をわずか6日ほどで応急復旧し、その様子が世界でも賞賛されたので、記憶している人も多いだろう。

 その一方でNEXCO東日本は、震災本復旧工事が終わるのは12月末としている。わずか6日という迅速な応急復旧の背景と、今なお残された課題、そして今後の防災対策としてどういったことが検討されているのか、その内容は後編でお届けしたい。

(本田雅一)
2012年 3月 29日