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【特別寄稿】西村直人の「ディーゼルエンジンで今何が起こっているか」

現状を振り返るとともに、なぜ基準値を上まわるNOxが悪なのかを考察

フォルクスワーゲンが北米で販売するディーゼルエンジン車のエンジン制御プログラムの不正に端を発する今回のディーゼルエンジン騒動。そのディーゼルエンジンで今何が起こっているか、そもそもなぜ基準値を上まわるNOxが悪なのか? 自動車ジャーナリストの西村直人氏に寄稿いただいた(撮影:西村直人/NAC)

何が起こったのか?

 北米で販売されているフォルクスワーゲンの一部ディーゼルエンジン搭載車から、走行中に基準を大幅に上まわるNOx(窒素酸化物)が排出されていることが明らかになった。当初は北米市場のみの問題で、それも特定の車種だけで見られる事象と捉えられていたが、当局の捜査が進むにつれ傘下のアウディの一部車種にも同様の傾向が見られるのではないかと疑惑は波及する。さらにお膝元である欧州市場においても、当該車種が規制値を超えるNOxの排出を行っているのではないかとの情報も出始めた。

 一番の痛手は、「基準値を上まわるNOxの排出は意図的」との疑いがもたれていることだ。これに対しフォルクスワーゲン陣営は、取締役会会長であるヴィンターコルン氏の辞任にはじまり、原因追究体制の徹底を発表するなど素早い策で収束を図る。しかしながら、このことは事態が急を要することであり、社の将来を揺るがす重大なインシデントとして経営陣が認識していることを他に知らしめる恰好の判断材料にもなってしまった。

米国で発覚した排出ガス規制に対する不正行為問題の責任を取るとして、マルティン・ヴィンターコルン最高経営責任者(CEO)は9月23日(現地時間)に辞任。後任はポルシェAGの会長を務めるマティアス・ミュラー氏(写真)が務めることが9月25日(現地時間)に発表された

 ここ1週間、メディアではこぞってこの問題を採り上げ、なかにはエキセントリックな見方をする記事も散見できる。しかし、当稿では公になった事実を明文化しながらも、全容が明らかではない現時点で憶測だけを元にした掘り下げは行わない。それよりも、なぜ基準値を上まわるNOxが悪なのか、それについて考察していきたい。

 ご存知のように、内燃燃関の燃焼コントロールはガソリン、ディーゼル問わず幾重ものフェールセーフ機能を持ったCPUによって制御されている。これはエンジンパワーだけでなくエミッション、すなわち排出ガスに対しても同じだ。今回、当該車種が搭載するディーゼルエンジンからは、走行中のNOxが北米市場で定められた規制値の15~30倍以上という高い数値を示していることが発覚したわけだが、もちろん意味があってNOxを大幅に排出したわけで、メカニズムから推察すればNOxの大幅な排出により得られる性能があるからこそ行ったとの見方が順当だ。

ディーゼルの有害物質とは何か?

 ディーゼルエンジンから排出される排出ガスのうち、とくに問題視されるのはNOxとPM(粒子状物質)の2つ。

 NOxは、太陽からの紫外線を受けて目や喉の痛みを伴う「光化学スモッグ」の原因物質を作り出す。日本において、光化学スモッグは1970年代に認知された公害の1つであり、主たる発生要因はNOxとされ、これによりめまいや呼吸困難などの障害を引き起こすと言われている。ちなみに、排出ガス規制を行っていなかったころの日本のガソリンエンジンは、ディーゼルエンジン以上のNOxを排出していたことはあまり知られていない。しかし、三元触媒の開発によってガソリンエンジンから排出されるNOxのほとんどが取り除かれるようになった。

 一方のPMはDEP(ディーゼル排気ガス微粒子)とも言われており、成分は黒煙、SOF(有機溶剤可溶分)、軽油に含まれる硫黄分が化学変化した硫酸塩などで、マウスの実験では肺がんやアトピー性皮膚炎を促進させてしまうなどの研究結果が報告されている。

 このように、環境や人体に少なからず悪影響があると指摘されているNOxやPMに対し、日本では1968年に大気汚染防止法が制定され、同時に自動車の排出ガスも大気汚染防止法の対象となり、保安基準で規制されることになった。さらに1992年には自動車NOx法も制定されている。

NOxとPMは二律背反の関係

 NOxとPMがディーゼルの有害物質であるわけだが、なぜそれが発生するのか簡単に解説してみたい。

 一般的にディーゼルエンジンの排出ガスに含まれる有害物質はCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、そしてNOxとPMだが、その発生には空気と燃料(軽油)の混ざり具合と燃焼温度が関係している。なかでもNOxは、O2(酸素)とN2(窒素)が高温で反応して発生するため、燃焼温度が高ければ高いほど大量に発生する。このNOxを発生させないためには燃焼温度を下げればよいのだが、単に燃焼温度を下げただけでは燃費数値がわるくなったり、PMが大量に発生したりするため、燃焼温度の低減は非常に難しい。つまり、NOxを減らすとPMが増大する(≒PMを減らすとNOxが増大する)という二律背反(トレードオフ)の関係が存在しているのだ。このことは、ディーゼルエンジンのメカニズム上、避けては通れない部分でもある。

 ここからは持論だが、このNOxとPMに関するトレードオフを裏付けにすると、フォルクスワーゲン当該車種のNOx問題は、燃費数値を下げることなく、エンジンパワーを絞り出すために取られた手法なのではないか。であるからこそ、ソフトウェアによって走行中のみのコントロールが行われていたのだろう……。

効果的な低減方法とは?

 次に、これを燃焼工程から解説する。まず、取り込まれた空気は、シリンダー内で圧縮され500℃以上の高温に達し、そこに高圧ノズルから燃料である軽油を噴射することで、極めて短時間のうちにシリンダー内で混合気が作り出される。圧縮され高温にさらされた混合気は、数千分の1秒という間に自然着火し燃焼を開始するわけだが、2000℃以上もの高温になるにもかかわらず、完全に燃え切らない成分が出てきてしまう。この成分が後述するPMの発生源だ。

 PMの抑止方法としては、ピストン形状に工夫を凝らしてシリンダー内に取り込んだ空気を流動させ、さらに高い圧力の燃料を噴射(コモンレール式)して燃焼効率を促進するなど、これまで以上に高い燃焼温度を保つなどの処理が考えられるが、困ったことにこの抑止方法がNOxを増大させているのだ。NOxは酸素が豊富にあり、なおかつ高温であると盛んに生成されるのがその理由であり、これこそ二律背反の所以である。

 ただし、NOxは燃焼段階でも生成されるタイミングが比較的遅いという特性がある。そこでシリンダー内が高温にさらされる時間をなるべく短くすることで、限られた時間内で完全なる燃焼を目指し、その後、外的要因を用いてシリンダー内の温度を下げることで、発生タイミングの遅いNOxを抑えるという考え方が現在の主流だ。これを可能にした外的要因の1つが「EGR」システムであり、現在の「排気ガス規制」をクリアしたディーゼルエンジンのほとんどはEGRに改良を施した「高精度クールドEGR」が搭載されている。このほか、軽油を低硫黄化することもNOx低減には効果がある。

 ちなみに、NOxとPMを効果的に低減する方法にDPF(ディーゼルパティキュレートフィルター)とAdBlue(尿素水)を使ったSCR触媒を組み合わせたアフタートリートメントシステムがあり、ダイムラーグループでは「BlueTEC」と呼び、同社のディーゼルエンジンに数多く搭載されている。このBlueTECはダイムラーグループで開発されたもので、2005年に当時のメルセデス・トラックの手により大型トラックに世界初導入となった「BlueTec」(Tecのecが小文字)がベースだ。

ダイムラーグループである三菱ふそうの大型トラックで採用される、DPFとAdBlueを使ったSCR触媒を組み合わせたアフタートリートメントシステム(撮影:西村直人/NAC)
左からアフタートリートメントシステム、軽油タンク、AdBlue用のタンク(撮影:西村直人/NAC)

 BlueTEC(BlueTecを含む)の基本的なメカニズムは以下の通り。まずDPFだが、これにはPMを除去する働きがある。排気温度が高い場合、排出ガスに含まれるNO(一酸化窒素)を前段酸化触媒で酸化させることで非常に強い酸化力をもったNO2(二酸化窒素)を生成させ、そこで得たNO2をPMと反応させることでPMが燃焼され除去される。この一連の流れを「DPFの連続再生」と呼ぶ。

 反対に、低速走行や渋滞が続くなど排気温度が低く、「DPFの連続再生」で酸化できなかったPMに関しては、SiC(炭化ケイ素/次期プリウスにはパワー半導体にSiCが使われている)フィルターで捕集され、その量が一定レベルに達した時点でエンジン制御などにより排気温度を上昇させ、燃焼させることでフィルターのクリーニングを行う。これを「DPFの強制再生制御」と呼ぶ。

 SCR触媒の働きは、排気に含まれるNOx(NOとNO2)と、マフラー内に添加されるAdBlueの加水分解から生成された2NH3(アンモニア)を化学反応させることによって、NOxをN2(窒素)とH2O(水)に分解し無害化させる。

今後の日本市場における動向は?

「クリーンディーゼルエンジン」という優しいネーミングに加え、乗れば同排気量のガソリンエンジンからは想像できない豊かなトルクを体感し、給油のたびに低燃費であることを実感する。まさによいことづくしだが、ここでの「クリーン」とは、すでに見てきたように、NOxとPMのトレードオフの関係を技術の力で克服してきた結果、得られた称号でもある。

ディーゼルエンジンの1.6リッター i-DTECを搭載する「シビック・ツアラー」

 マツダは「SKYACTIV TECHNOLOGY」を武器にクリーンディーゼルエンジン「SKYACTIV-D」で販売台数を伸ばし、三菱自動車工業、トヨタ自動車がその後を追う。本田技研工業も日本市場での販売こそないものの「i-DTEC」として欧州で販売している「シビック・ツアラー」が約35.4km/L(25日間で1万3498kmを走破)の平均燃費値でギネス新記録を達成するなど、日本の自動車メーカーが持つ技術力は世界中で認められつつある。

 しかし、日本市場におけるクリーンディーゼルの先駆けはメルセデス・ベンツだった。2006年に導入された「E 320 CDI」がそれだ。メルセデス・ベンツはその後、前述した「BlueTEC」を採用し、NOxとPMを大幅に削減しながら優れた燃費数値と高いエンジンパワーを両立させた。現在、メルセデス・ベンツはCクラスからSクラス、さらにはSUVの各モデルに対し積極的にディーゼルエンジンを導入。また、BMWも複数のモデルにクリーンディーゼルモデルをラインアップしており、フォルクスワーゲンも後を追うと発表がなされていたが、今回の一件により導入時期は見直しとなるのではないか。

E 350 BlueTECに搭載されるV6エンジン(撮影:西村直人/NAC)
E 350 BlueTECでは、従来スペアタイヤが置かれる場所にAdBlue用の給水口が設置される(撮影:西村直人/NAC)

 こうなると気になるのが日本におけるクリーンディーゼル市場だ。国土交通省はすでに国内で販売されているディーゼルエンジンに対する検証を行う旨を通達したが、国内自動車メーカー各社では厳しいコンプライアンスのもと開発が行われていることから、問題は発生しないと推察する。もちろんこの推察は私見だが、しかしながらマツダのエンジン開発者であり“ミスターエンジン”と国内外から厚い信頼が寄せられている人見光夫氏曰く「現状の排出ガス規制値よりも厳しくなってくればSCR触媒含めさらなる対策が必要だが、現時点でSKYACTIV-Dは大丈夫!」と以前から何度もお話を伺っていることからも、信頼に足るものと考えている。

「デミオ」に搭載される1.5リッタークリーンディーゼル「SKYACTIV-D 1.5」
マツダの人見光夫氏

 しかし、欧州での反応は厳しい。スイスの当局に当たる連邦交通局では、フォルクスワーゲンの当該車種について新規販売を禁止する措置を発表した。フォルクスワーゲンは打つべき対策を迅速に行っていることから、こうした措置が欧州全域に波及する可能性は低いだろうが、信頼回復に時間が掛かるのは確かだ。

 今回の一件。考えるべきことは、なぜ不正が行われたのかという原因の追究だ。これは徹底して行っていただきたい。しかし、「NOx規制値の15~30倍以上」という数値だけが先行し、ニュースとして世界中を駆け巡っている感も否めない。どう考えても不正はよくないが、単に数値だけを捉えての総合判断は早計ではないか。数値の持つ本当の意味、今回でいえば当該車両の販売台数や台あたりの走行距離を踏まえた上で、環境や人体への影響度を論ずる必要性がある。また、しょせんは人が作り上げた規制値そのものの意義についても、これを機にユーザーの1人ひとりが意識すべきだ。

 排出ガス規制はますます厳しさを増す。とくに商用車に対しては締め付けが厳しく、車両総重量3.5tを超える重量車に対しては、現在の「ポスト新長期排出ガス規制」からさらにNOxを43%低減(0.7g/kWh→0.4g/kWh)した「次期排出ガス規制」が2016年から段階的に施行される。

 いずれにしろ、NOxやPMのアフタートリートメントは化学反応を伴う工業製品である以上、経年変化が付き物だ。残念ながら時間の経過とともに除去率は悪化する。クリーンディーゼルエンジンの登場から早10年を迎えるわけで、市場調査を含め、業界全体で見直すべき時期に来ている。

(西村直人:NAC)