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レーシングドライバー 寺田陽次郎氏、現役生活50周年で「まだまだ僕は続けたい」
「マツダが再びル・マンに参戦することを願っている」と寺田氏
(2015/10/5 21:16)
- 2015年10月4日開催
レーシングドライバー 寺田陽次郎氏の現役50周年をお祝いして激励する会「THE ANNIVERSARY 2015 寺田陽次郎氏 レーシングドライバー現役生活50周年を祝う~Charity for Support Our Kids~」が10月4日、マツダの特別協賛によりザ・プリンスパークタワー東京で開催された。
当日は、寺田氏が発起人として取り組んでいる東日本大震災被災児童の自立支援活動「Support Our Kids実行委員会」の被災児童自立支援チャリティーオークションパーティーとして開催され、オークションにはレース界はもちろん、スポーツ選手など各界からグッズの出展があり、東北の子ども達の支援の重要さを印象付けるイベントでもあった。
寺田氏は、長きに渡りモータースポーツの普及に貢献し続け、今年で現役生活50周年を迎えた。さらに「ミスター・ル・マン」として、サルテ・サーキットで一番有名な日本人とも呼ばれ、世界一過酷なレースと言われるル・マン24時間耐久レースに、日本人最多の29回出場という偉業を達成。今もなお30回目の出走を目指して、飽くなき挑戦を続けている。
イベントでSupport Our Kids実行委員会 事務局長の秋沢志篤氏の謝辞に続けて挨拶をした寺田氏は、「いままで、自分のためにイベントを開くのはあまり好きではなかったんだけど、昨年2月に結婚した3人目の妻がめでたいことが好きで、物事にはけじめをつけなくてはいけないと言うので、このイベントを開催しました。秋沢さんに相談した際には、結婚は3回できても50周年は1回しかできないよと言われ、こうした盛大な催しを行うことができました」と話し、会場の笑いを取った。
また、寺田氏は「18歳の時、世界に打って出たいと言う大志を抱いて神戸からバイクで東京に出てきました。それでマツダにお世話になって、走り続けて50年が経ちました。しかし、まだまだ僕は続けたいと思っています。ドライバーとしてはいつまで走れるか分かりませんが、走れる限り続けたいし、ドライバーができなくなってもチームの運営もできるし、今までお世話になったマツダに恩返しをしたい。そしてマツダが再びル・マンに参戦することを願っています」と語った。
ステージ上では、イベントの発起人としてSupport Our Kids実行委員会 会長で、駐日アイルランド大使館 特命全権大使のアン・バリントンさんとマツダ 代表取締役会長の金井誠氏が登壇して、モータースポーツのみならず、寺田氏の活動を大きく称えた。
また、寺田氏とともに日本のレースシーンを盛り上げたヒストリードライバーたちもステージに登場して、それぞれの思い出を語るなど、寺田氏のファンだけではなく、会場に集まったモータースポーツファンを楽しませた。
会場では90余年のル・マン24時間耐久レースの歴史の中で、1991年に日本車として唯一優勝した車両「MAZDA 787B」の展示や、寺田氏の現役生活の名場面をとらえた写真展も併催された。寺田氏のファン、カーレースファン、マツダファンはもちろん、レースへの関心が高くない方にも「ひとつのことに対する50年間の歴史」として見応えのある展示となっていた。
そのほかにも、俳優でケーナデビュー30周年となった田中健さん、オカリナ奏者デビュー40周年を迎えた宗次郎さん、歌手デビュー40周年を迎えた岩崎宏美さんがチャリティーコンサートに出演して、イベント参加者の心に響く音色や声で、会場内に癒しを届けた。さらに、Support Our Kidsプログラムの第1回SOKフランスステイに参加した久我里亜さんもステージで歌声を披露。
また、海洋冒険家の白石康次郎さんがオークショニアとして登場し、実際に寺田さんが使用したレーシングスーツのオークションを行うなど、会場内を盛り上げていた。
学生の頃はモータースポーツライセンスも保有して、30年以上に渡りマツダ車に乗っている筆者は、もちろん寺田氏のファンである。今なお30回目のル・マン24時間耐久レース出場を目指していることに何よりも勇気づけられ、これからの寺田氏のレーシングドライバー生活を応援していきたいと思った。