【インプレッション・リポート】
アストンマーティン「ヴァンキッシュ」

Text by 川端由美


 アストンマーティン発祥の地、ニューポート・パグネルで最上級GTモデルに乗る。その誘いに、年甲斐もなく心臓が高鳴った。

 この自動車メーカーに憧れ始めたのはいつのことだったろう。子供の頃、近所のお兄ちゃんたちが騒いでいたスーパーカー・ブームの頃だろうか? いや、違う。17歳のときだ。「この小説を書いた人と同じ年頃になったね」と誕生日に渡されたフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」がきっかけで、彼女の小説を読み漁った。

 小説の中でも効果的にクルマが登場するが、実生活においてもサガンはスピード狂で、フランスにまだ高速道路が1本しかない時代に小説の印税で“世界一速いクルマ”を買って大事故を起し、瀕死の重傷を負う。このとき乗っていたのが、アストンマーティンだったのだ。アストンマーティンといえば、多くの人が映画「007」を思い浮かべるかもしれないが、私にとってはサガンなのだ。

 話がだいぶ逸れたけれど、気持ちだけは“少女”に戻ってニューポート・パグネルに向かった。正面の建物こそ、モダーンな設備を持つショールームとカスタマー・サービス・センターに生まれ変わったが、その奥に歩を進めていくと、1945年から修理とレストレーションを引き受けてきたアストンマーティン・ワークスの世界が広がっている。

 目の前で「DB4」「DB5」といった珠玉のモデルが往時の姿を取り戻していくさまは、ファンには垂涎の光景だ。伝統に埋もれるのではなく、007シリーズの最新作「スカイフォール」で使われたDB5を蘇らせたり、DB4の4段ATを現代の交通に事情にあわせて5段に換装するなど、伝統を紡ぐ作業が続けられている。さらにその奥にある時代がかった建物の中では「DB2」「DB2S」「DB3」といったサガンが無軌道な若き日を送った時代のヒストリックカーが、再び、猛スピードで走る日を待つかのようにレストレーションを受けていた。

徹底的に軽量化
 ひとしきりこの地に染み付いた歴史に触れたあと、クリスタル製のキーを受け取る。驚くことに、新型「ヴァンキッシュ」は6月にコモ湖の畔で開催されたヴィラ・デステで見た「AM310」と寸分変わらなく見えるスタイリングを纏っていた。

 コンセプトカーさながらのグラマラスなのボディワークは、おおよそ量産車のそれではなく思え、むしろ、77台の限定で生産された「One-77」からの引用が垣間見られる。繊細なステーを持つドアミラー、LEDで縁取りされたランプ類といった細部だけではなく、引き締まったウエストラインからリアフェンダーにつながる豊かな面に代表されるグラマラスなスタイリングまでもが、限られた生産台数のモデルさながらの作り込みがなされている。

 その背景には、やはり技術の進化がある。2001年に登場した初代ヴァンキッシュから連綿と受け継がれる「VHモノコック」にCFRP製パネルを組み合わせたハイブリッド・ボディーとすることにより、第4世代目へと進化した。シャシーにウェルボンディングやテーパードブランクといった近代的な技術を採用し、さらにサイドパネルのような大型の部品をCFRPの一体成型とした結果、ボディのねじり剛性は3万Nm/degまで高められた。

 同時に、燃費とスポーティネスの両面から徹底的な軽量化を施し、重心を低めることにも心が砕かれた。ボディパネルに採用されたCFRPを大型の一体成型としたり、シャシーに使われる素材の厚みをテーパードブランクで最適化するなどの剛性を高める努力は、そのまま軽量化につながる。マフラーの容量を最適化し10kg軽量化するなどの細部も詰めた。

 その効用は明らかで、英国のカントリー・ロードで最高出力573PS、最大トルク620Nmを発揮する新型V12エンジンの性能を十分に受け止めることができるし、ハイスピードでコーナーに進入しても路面をビタッとトレースし、適正なトルクを後輪に伝える。

 シーケンシャルで変速できるタッチトロニック2の変速マナーは秀逸で、通常の走行では滑らかにシフトアップしてまるでサルーンのように粛々と走らせるが、ひとたびアクセルを踏み込めば瞬時にシフトダウンして、強大なトルクを引き出してあますことなく後輪に伝える。

 7500rpmのレブリミットまで回さずとも十分なトルクを発揮するが、ステアリングの背後にあるパドルを使ってシーケンシャルで積極的に変速して、よりスポーティに操ることもできる。3500rpm以上の回転域では、英国のカントリーサイド特有ののんびりした空気を切り裂くようなエキゾーストノートに切り替わる。

 さらなるスポーティネスを求める人には、ステアリングホイール上にSボタンが用意されている。排気音、アクセルの過渡特性、変速プログラムが2段階で変更され、よりスポーティな走行フィールが得られる。さらに、センタコンソール上のボタンで足まわりとステアリング比が連動して3段階に調整ができる。

 前後共にダブルウィッシュボーン形式を採る足まわりはノーマルのままでもほどほどに固められており、乗り心地との両立の面から考えても、一般道を走る限りは最もソフトな設定で十分である。大きなカーブが連なるカントリー・ロードで動力性能を引き出すためによりスポーティな設定を選ぶことはあるかもしれないが、最もスポーティなセッティングは、ローンチコントロールと共にサーキットを走るときの専用としたほうがいいだろう。0-100km/hを4.1秒でこなす俊足ぶりも、もはや公道で試す領域を超えている。

相反する性能を両立
 ひとしきり試乗を終えたあと、ひとつの疑問に行き着いた。独立した自動車メーカーとしては世界最小のアストンマーティンが、なぜ、少量生産のモデルにこれほどの最新の技術を投入できるのだろうか? そのことをCEOであるウルリッヒ・ベッツ氏に問うと、「すべてを独自開発するより、最高の技術にアクセスできる方法を知っていることに価値がある」という答えが返ってきた。

 実際、前述のボディー関連の技術だけではなく、吸排気に可変バルブタイミング機構を備える新型V12エンジン、シーケンシャルで6段変速できるタッチトロニック2といったパワートレーン関連の技術まで、あらゆる分野の先端テクノロジーを世界中からスカウトしている。

 ふと、フランソワーズ・サガンが生きていたら、今でもアストンマーティンの最上級モデルを手に入れたがるか夢想した。重厚感のあるドアを開けて華奢な身体をドライバーズシートに滑りこませてグリルと中を見回したあと、「広すぎるわ」とかぶりを振る気ような気がする。彼女は処女作の中で、「車のなかほど、一緒にいる人に友情を感じる場所はない。ちょっぴり窮屈にすわって、スピードの快感にともに身をゆだねる」と主人公に言わせているからだ。

 4720×2067×1294mm(全長×全幅×全高)の低くワイドなボディはDBSと比べて大幅に拡大されたわけではないが、低く寝かされたルーフの中には思いがけずルーミーな空間が広がっている。スピードの快感は往時のままだが、サイドサポートの張り出したシートはほどよいサポート感が得られると同時に掛け心地がよく窮屈ではない。

 とはいえ、スタイリッシュな外観とルーミーな室内、スポーティネスと利便性、それらの相反すると思われる性能を両立した結果が3149万4750円というプライスタグなのであれば、このクルマを“グッド・バリュー・フォー・マネー”と称しても許されるだろう。


インプレッション・リポート バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/impression/

2012年 11月 2日