環境にもコストにも優しい音のヒミツ
「音がクルマの環境性能を高める」と聞いてどんなことを想像します? よい音楽をよいオーディオで聞くと心が穏やかになり、アクセル操作にもムラやムダが無くなって燃費がよくなる……とか? それもあると思います。
しかし今回はもっと革新的なお話。技術的には異なるものの、ヘッドホンなどに採用されている「ノイズキャンセル」と同じアイディアをより発展させた、音で音を消すことでクルマの静粛性を高める技術や、スポーツカーなどにはワクワクする音を足してあげる、といったお話で、これらは近い将来のクルマ造りの理想の1つと言えるでしょう。いや、BOSEは理想ではなく、現実だとおっしゃるかもしれません。
先日、スピーカーなどの音響機器メーカーとして有名なボーズ(BOSE)の、最新のオーディオ・サラウンドシステムのデモを体験し、その素晴らしさにお世辞抜きで感動していた私。ところが「いえいえ、ボーズは今やオーディオでよい音を出すばかりの企業ではないんです」と担当者の方。それは私にとっては目から鱗的な発想。もっと詳しくお話しを聞くために、ボーズの自動車向け法人であるボーズ・オートモーティブを訪ねたのでした。
シーマ |
例えば、先ごろフルモデルチェンジした日産「シーマ」。今回は全てのモデルがハイブリッド車なのですが、このクルマの快適装備としてボーズが開発した「アクティブ・ノイズ・コントロール」(http://www2.nissan.co.jp/CIMA/equip.html)が標準採用されています。前後席の天井の中央に装着されるマイクが音を検知し、人間が不快と感じる音の周波数に逆位相の音をカーオーディオのスピーカーから発し、打ち消すという働きをしているのだとか。
そもそも静かなシーマの車内。実際にエンジン音の中からヴォ~という耳障りな音が消えて、ただ静か、と感じる程度の音がわずかに聞こえてくるようになる。おかげでスピーカーからは高品質なサウンドがより効果的に聴こえてくるわけです。
後席天井にある小さな突起がノイズを検知するマイク | 前席のマイクはルームミラーのあたりにあるそうです | |
アクティブ・ノイズ・コントロールの原理。右のスピーカーから出ているノイズ(赤い波形)に、左のスピーカーから逆位相の音(水色の波形)を当てると…… | 逆位相の音がノイズを打ち消す |
ハイブリッド車はエンジン始動時にまず充電を行いたいため(状況にもよる)、充電効率も考えて通常よりもエンジンに負荷をかける必要があります。シーマのように排気量の大きなエンジンとモーターとを組み合わせるハイブリッド車の場合、平地を走っていても坂道を走っているような状態でエンジンがまわり、乗員にとっては「普通に走っているだけなのに、やたら坂道を走っているみたいにうるさい」という状況に……。
その音を消すために防音対策を物質的なもので施すとパーツが増え、重量が増えることになる。フェルト材のようなものの厚みを増すことに比べれば、音で不快な音を消すのにそれほどの重量増加はないわけです。ナイスな発想! 日産は「フーガ」でもすでにこの技術を採用しており、他の自動車メーカーでも同じような技術を採用している例があります。
しかしボーズ・オートモーティブはもっとこれを発展的にとらえています。むしろ「今後の環境対策に欠かせない技術になるだろう」と、同社ノイズ・マネージメント・ビジネスの大澤辰夫ダイレクターは言います。
ボーズ・オートモーティブEが取り組んでいるのが「Active Sound Management」(ASM)。これは「音を消す=Engine Harmonic Cancellation(EHC)」と、「気持ちよい音を出す=Engine Harmonic Enhancement(EHE)」という両方の技術の総称です。これらの技術をクルマが採用することで、ノイズ対策などの開発コスト、投資の減少、スペース、部品点数の減少による重量軽減が、自動車メーカーには大きなメリットと環境負荷の低減につながると考えているようです。
ボーズ・オートモーティブの大澤ダイレクター | ノイズに逆位相の音をぶつけてノイズを消すのが「EHC」 | エンジンのサウンドに音を付加してよりよい音にするのが「EHE」 |
ASMのデモ。右のスピーカーから出る音を、左のスピーカーからの音で消す。特定の周波数だけ消すこともできる |
ダウンサイジングがポピュラーになっている近年、メリットがありそうです。同じ気筒数(例えば4気筒)のなかで排気量を下げるダウンサイジングは、音から受ける乗り味の質感低下や不快感を抱くことは極めて少ないのだとか。しかし6気筒→4気筒、4気筒→3気筒へとダウンサイズする場合、音の影響は大きい。だからと言ってメカニカル的なアプローチで音を消すと、重量もコストも増えてしまう。静粛性を高めるために、「EHC」の音を消す技術が効果的なのは想像し易いでしょう。
音を出す「EHE」技術の採用で分かりやすいのが、スポーツカーです。スポーツカーに音は大事です。しかしマフラーだけではなかなかよい音が出せないことも多く、たくさんのマフラーを試作しては試行錯誤を繰り返すことにもなる。EHE技術を用いれば、音の補正を行うことで理想的な音を造ることもできるのだそうです。単音では単にボーッと発するだけで、色気も味気もない音ですが、1オクターブ高い音をのせてあげるのが肝らしい。
またグローバルモデルの場合、法規や音の好みの違いによって自動車メーカーは日本/アメリカ/ヨーロッパといった仕向地ごとにマフラーを用意しているはずです。EHCやEHEの技術によって一種類のマフラーで対応できるようになれば、コスト削減も可能です。
ディーゼル車は今では技術や対策の進化により音や振動も軽減していますが、そもそも“うるさい”と言う印象があるとするならば、特有のうるさい周波数にEHEでよい音を足して、悪い音をマスキングしてしまうことができるそうです。物理的な音の抑制が不要になれば軽量化に繋がります。
さらに今はどんなメーカーでも振動・騒音対策部品の採用は必至。EHCやEHEの採用によりダイナミックダンパーやエンジンのバランスシャフト、マフラーなど古典的な振動・騒音対策パーツが外せるのではないかと考えているようです。するとそれを造る型の費用(数千万)も削れる。対策部品が減れば軽くもなる。
ボーズはオーディオメーカーとしてのイメージが強いのですが、クルマの音全体の問題を認識し、同時に新しい可能性を確信しているようでした。ちなみにEHC的な技術は1980年代にこれもまた日産で採用したことがあったそうですが、高価な技術だったため1度はお蔵入りしてしまったのだとか。
しかし環境対策やコスト削減がますます求められている今は、どうせオーディオのスピーカーが付いているなら、重量はほとんど変わらずコストに見合った効果も期待できそう? 静かな車内を造るのもワクワクする音が聞こえてくるのもEHCやEHEの相乗効果でならできる? 音がクルマの新たな技術の根となり、近い将来のクルマの在るべき姿を変えていくなんて、これぞまさにクリーンな話じゃありませんか。
■飯田裕子のCar Life Diary バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/cld/
(飯田裕子 )
2012年 8月 2日