【日本GP】(前編)

 鈴鹿にF1が戻った。細かなことは後編に記すことにして、この回は予選までのコース上での展開を中心に扱うことにしよう。後編では決勝レポートと雑感を書かせていただく。

最も難しいコース、鈴鹿
 現代のF1マシンでは、スパ・フランコルシャンが、第1セクターと第3セクターの高速ストレート区間がラップタイムと勝敗のカギを握るようになり、コーナーが連続する第2セクターの重要性がやや薄れてしまった。

 一方、鈴鹿はドライバーとマシンの最高の組み合わせが必要とされ、F1開催コースのなかで最も難しいコースといわれる。わずかなミスで走りの流れやリズムが狂うと、その後の区間タイムやラップタイムに大きく影響してしまうからだ。この難コースにドライバーとチームはどう挑むのか?とくにF1でここを初めて走るドライバーがどれだけ対処できるのかも注目された。

スーティルは元全日本F3チャンピオン

 鈴鹿でのF1開催は、2年間のブランクを経た3年ぶりのため、ルイス・ハミルトン、ヘイキ・コバライネン、ロマン・グロージャン、ティモ・グロック、ハイメ・アルグエルスアリ、セバスチャン・ブエミ、中嶋一貴、エイドリアン・スーティルと、出走ドライバーの半分が、鈴鹿をF1で初めて走ることになった。

 この中で、スーティルは2006年の全日本F3チャンピオンで、鈴鹿のコースを熟知し、雨が降った時にできるコース上の川の場所も覚えていた。鈴鹿のコースは昨年からの改修で東コース(メインストレートを含む前半ぶん)の路面が再舗装されたが、後半の西コースの路面は以前と同様なため、スーティルの記憶は少なくとも半分は活かすことができた。

 また、中嶋は鈴鹿レーシングスクール(SRS)出身であり、2004、2005年には全日本F3でもここを走った経験がある。日本GP直前に帰宅した際には、父でありNAKAJIMA RACINGの代表でもある中嶋悟から、最新の鈴鹿のコース情報、とくに雨の場合の路面などを、少しだけ聞いていた。

雨の金曜日
 雨というと、富士スピードウェイ、スパ・フランコルシャン、ニュルブルクリンクの名物とされるが、ここ鈴鹿も、秋のF1開催時期は秋雨や台風の影響から、開催期間中に雨が降ることが多い。元全日本F3000で活躍し、フェラーリなどでF1での上位を争ったエディ・アーバインは、F1ドライバー当時、海外のメディアに鈴鹿の雨を「地面にあたった雨が、膝下まで跳ね返るくらい激しい」と大げさに語っていた。この雨は、難しい鈴鹿のドライビングをより難しくする。

 金曜日、天気予報どおり雨になった。午前のフリー走行のP1では途中から雨脚が弱まったおかげで、ウェットタイヤからインターミディエイトタイヤへと換えながら、全ドライバーが走行。最多周回はアルグエスアリの27周で、最少周回はウェバーの10周だった。この午前の走行では、終盤に中嶋がトップタイムを出した。最終的にはコバライネンに抜かれて2位になってしまうが、3番手にもスーティルがついたことで、全日本F3卒業生のコース熟知度とドライビング技量の高さを示した。一方、コバライネンはF1で初の鈴鹿走行にもかかわらず、変化途中の路面を上手くとらえた走行でその力量の高さを示していた。

 午後のP2に向けて、ルノーチームは2台に今季7基目となる新エンジンを投入した。だが、午後のP2はふたたび雨脚が強くなり、90分の走行時間のうち70分近くがほぼ走行不能の状態だった。そのため、最多周回がアルグエルスアリの11周とハイドフェルトの10周で、あとは9周から5周にとどまった。コバライネンとブロウンGPの2台は、激しい雨での走行を控えて、ピットから出てこなかった。

 この金曜日のフリー走行では、グロックが体調を崩したため、サードドライバーの小林可夢偉が代役で出走した。雨と「借り物」マシンで決して壊してはいけないという制約があるなかでの走行で、タイム順では午前19番手、午後12番手で終わった。だが、鈴鹿の攻略のカギとなる第1セクターの2コーナー、S字、逆バンク、ダンロップのコーナーが連続する区間では、トップ10に入る速さをみせ、コースを知っている利点と、小林のレベルの高さを充分にアピールしていた。

 金曜日のフリー走行は午前午後ともウェットになり、ドライでの走行はできなかった。これは、鈴鹿初走行のドライバーにとって、ドライでのコースに慣れる時間を奪われることになってしまった。チームのエンジニアにとっては、日曜日がドライなのがほぼ確実な予報があるなかで、ドライ用のセットアップやタイヤ評価が全くできなかった。2006年までのデータや、P1終盤の乾き始めた路面での走行データなどを参照にはするものの、細かいセットアップの詰めの作業は、土曜日の午前のフリー走行1時間がドライになることにかけるしかなかった。

 さらに悪いことに、規定では土曜日からギヤ比は変更できなくなり、金曜日中にどのギヤを使うか申告しなければならないため、ウェットでの走行から、ドライを想定したギヤ比選定をしなければならなかった。エンジニアたちには、金曜日の仕事が増えてしまい、21時を回ってもサーキットで作業するチームも多かった。

ドライで牙をむく鈴鹿-クラッシュで大忙しの土曜日
 土曜日、天気予報どおり土曜日朝には曇りから晴れに変わった。おかげで午前のフリー走行P3はドライで走行できた。だが、ドライ用セットアップの確認、ハードとソフトの2種類のドライタイヤの性能評価と確認など、60分のセッションではやりきれないほどやることが多かった。そのため、やることを取捨選択したり、ドライバーごとに作業項目を振り分けていたチームもあった。路面はタイヤのゴムがまだ乗りきらず、完全な状態ではなかったので、タイヤの評価はより難しかった。いずれにせよ、予選はソフトでのアタックになるはずだが、決勝ではどちらのタイヤをどう使ったほうが有利になるか?見極めはある程度できても、その決断には勇気がいるところだったろう。

 このP3でレッドブルのウェバーが、デグナーの先のバリアにクラッシュした。ウェバーは無事だったが、モノコックシャシーのステアリングギアボックスの装着部分が壊れてしまい、ウェバーはシャシーナンバー2のモノコックが使えなくなってしまった。シャシーを交換するには新たに車検が必要で、それは「嘆願書」が受理されて初めて、日曜日の朝に受けることができる。そのため、ウェバーは土曜日午後の予選は出走できなくなってしまった。

 やることがいっぱいで難しいP3だったが、これをうまく制してトップタイムを記録したのは、トヨタのヤルノ・トゥルーリだった。セバスチャン・ベッテルは周回をやや抑えながらの19周走行の4番手で、予選に向けて勢いを見せていた。ハミルトンも19周走行だったが、鈴鹿攻略のカギとなるセクター1でのタイムがさえず、苦戦が予想された。雨の中では好調だった中嶋だが、ドライコンディションになるとマシンのグリップが得られず15番手に沈んでしまった。

 ドライで行われた予選で、鈴鹿は「難コース」の性格をさらに露わにした。

 Q1では、ブエミがデグナーでコントロールを失いリヤからバリアに当たった。ブエミはピットに戻り、リアウイングを修復、Q1を通過した。Q1では、マシンのグリップが出ず苦しんだ中嶋のほか、フェラーリ移籍まもなくまだKERS車のクセに苦しんでいるフィジケラ、フォースインディアのマシンに乗って日が浅いリウッツィ、シーズン途中で起用されて鈴鹿初走行のグロージャンと、鈴鹿のコースとマシンの経験が浅いドライバーが落ちてしまっていた。

 Q2では鈴鹿の難しさがさらに現れた。デグナーでアルグエルスアリがコースアウトしバリアに衝突。残り時間11分15秒の時点で赤旗中断となった。14時38分に予選が再開されトヨタの2台を先頭にマシンがコース上に戻った。ところが、最終コーナーでグロックがアウト側のバリアに激突。残り7分49秒の時点で再び赤旗中断になってしまった。

 グロックのTF109は、最終コーナー内側の縁石に右側のタイヤを乗せて通過した際にコントロールを失っていた。原因は不明だが、トヨタチームよるとテレメーターデータからはマシンに異常はなかったとのことだった。また、のちにドイツのテレビ局にグロックが語った内容によると、最終コーナーでオーバーステアが出てリヤがアウト側に滑りそうなり、スピンを防止すべく修正していたがコーナーを回りきれなくなってしまったということだった。

 この事故でグロックは激しい衝撃を受けただけでなく、左脚に切り傷を負い、背中にも痛みがあった。救出されたグロックはすぐにヘリコプターで四日市の病院に搬送されて検査を受けたが、大きな問題はなかった。この事故処理で、走行再開は14時58分になった。本来なら、予選Q3終了間際の時間である。

 鈴鹿はまだまだ牙をむく。Q2終了間際のバックストレートでブエミがクラッシュし、コース上にフロントウイングとその残骸や、路肩の泥や芝を撒き散らしてしまった。

 当該区間にはイエローフラッグが提示される。安全確保のために充分な減速が必要だ。しかし、それはQ2での最終アタックのタイミングだった。とくに、ブロウンGP勢は、1回アタックにかけていて、この周回をスローダウンするとQ2落ち、つまりグリッド11番手以下に低迷してしまう。これを避けたかったため、バトンとバリケロはハイスピードでこの区間を通過した。

 この2人の他にも、アロンソ、スーティルが減速しなかった。だが、Q2はこのイエローフラッグ区間の問題を審議せずにそのまま終了。赤旗をともなうクラッシュをしたアルグエルスアリとグロックのほか、ロズベルク、アロンソ、クビサがQ2落ちになった。そして、予定通りインターバルを経てQ3へと進行。ブロウンGP勢もスーティルもQ3に進出していた。

 Q3は、気温26度、路面温度36度の好条件で開始され、スーティルが真っ先にコースに入った。ところが残り6分48分のところで、コバライネンがクラッシュ。またしてもデグナーだった。これでまた赤旗中断になってしまった。

 15時22分にQ3が再開されると、残った各車はあわただしくアタックに入った。そして、ベッテル、トゥルーリ、ハミルトン、スーティル、バリチェロ、ハイドフェルド、バトン、ライコネン、コバライネン、ブエミのトップ10になった。

 ただし、これはQ3でのタイム順にならべらだけのもので、予選後にQ2でのイエローフラッグでの問題がアロンソ、バリチェロ、バトン、スーティルの順番で審議され、それぞれの走行データも分析された結果、減速していないことが明らかになり、5グリッド降格となった。アロンソは、イエローフラッグ区間の始まりでは充分減速せず、ウイングなど破片が落ちているところにきて初めて減速していたという判定だった。また、イエローフラッグの原因となったブエミは、壊れたマシンでスロー走行のままピットまで戻ったことによる他車への走行妨害行為と、破損した車両が他車への潜在的な危険を招いたとして、5グリッド降格とけん責処分となった。

 結局、降格処分結果を盛り込んだグリッド順はこの土曜日には発表されず、規定どおり日曜日の決勝スタート4時間前に暫定版のグリッド発表とされた。誰が何番グリッドなのか、釈然としないまま、土曜日は終わった。

 予選Q3のタイムから燃料の重さによる影響を差し引いた、マシンとドライバーの純粋なラップタイムで比較しても、ベッテルが最も速かった。それに続くのはトゥルーリとハミルトンで、トップ3はQ3の結果どおりになった。

 決勝はこのトップ3の戦いで、ベッテルのハイペースになりそうなことが予想できた。この計算にもとづくと、4番手以下はバリチェロ、スーティル、ライコネン、ハイドフェルド、バトンと続いた。バトンは「燃料を搭載したら悪くなった」ともコメントし、Q3タイムとあわせて判断すると、決勝が苦戦になりそうなことが土曜の夜の段階でうかがえた。

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/

(Text:小倉茂徳)
2009年 10月 16日