【ブラジルGP】

三つ巴のチャンピオン争い
 ベッテルが日本GPで圧勝し、チャンピオンへの望みをつないだ。これでチャンピオン争いはバトン、バリチェロ、ベッテルの三つ巴状態のまま、ブラジルGPを迎えた。

 バトン85点、バリチェロ71点、ベッテル69点。バトンはここで6点を獲得すれば、つまり表彰台に上がればチャンピオンが確定する。

 「もしもブラジルが無得点で終わっても、僕は4点リードしたまま最終戦に向かえる」。

 バトンは余裕を持ってブラジルGPに臨んだ。一方、ベッテルは2連勝が必要だ。バリチェロも地元ブラジルで優勝を狙う勢いでいかないと、バトンの結果次第で窮地に追い込まれてしまう。

左からジェンソン・バトン、ルーベンス・バリチェロ、セバスチャン・ベッテル

インテルラゴス

インテルラゴス

 戦いの場となるインテルラゴスは、サンパウロ郊外で第二次大戦前から存続する歴史と伝統を誇るサーキット。1970年代もここでF1によるブラジルGPが開催されていた。当時のコースは、現在と同じ敷地の中にまるでレーシングカートコースのように走行路を多数設けたことで全長7kmあまりもあった。だが1980年代はリオデジャネイロのジャカレアパグアにF1は移動。しかし、1989年にリオでの開催が財政難になったことから、インテルラゴスを新たなF1開催基準に改修し、1990年からF1が戻ることになった。ちなみに、ジャカレパグアのサーキットは、2016年のオリンピックのメイン会場に改装される。

 インテルラゴスは、近代化改修を機に、サーキットの名称を「湖の間」という地名のインテルラゴスから、1975年に生涯唯一の優勝を地元で決め、その2年後に飛行機事故で他界したF1ドライバー、ジョゼ・カルロス・パーセ(パーチェ)の名前をいただくことになった。改修されたコースは、1コーナーをやや手前に移し、そこから敷地内側のインフィールド区間につなげている。ここでメインストレートとインフィールド区間との高低差を一気に結んだため、急な下り坂のS字コーナーになっている。この新設された接続区間はサンパウロ出身のチャンピオンにちなんでS・ド・セナ(セナのS)と命名された。そこからクルバ・ド・ソル、バックストレート、クルバ・ド・ラゴ、ラランジーニャまで、旧コースをそのまま使い、以前とは逆向きで進む。ラランジーニャから最終コーナーへの区間は旧コースを以前と同じ向きに進む。この区間はテレビの映像で見える以上にアップダウンがあり、とてもテクニカルな区間になっている。

 サンパウロは、海抜約800mのところにあり、約60km東にはサントス港と海がある。そのため、天候が変わりやすいことでも知られる。雨はインテルラゴスにはつきものであり、雨が降るとコントロールが難しくなり、極めてテクニカルなコースになる。また、標高によりエンジンのパワーもその分落ちてしまう。コースは、最終区間から1コーナーまで長いスロットル全開区間があり、最終コーナーからは急な登りなので、KERS勢には有利とみられた。

F1デビューを果たした小林可夢偉

プラクティスと小林可夢偉デビュー
 日本GPの予選で負傷したティモ・グロックは、ドイツに帰国したあとも背中の痛みが取れず、再度精密検査したところ、胸椎(胸の高さにある背骨)にわずかな損傷が見つかったため、ブラジルGPを欠場。トヨタF1チームは、サードドライバーの小林可夢偉の起用を決定した。

 金曜日のフリー走行は、午前のP1に軽い雨が降った。通常、P1は路面状態がまだよくないことから、あまり周回をしないのだが、雨が来ることは事前に分かっていたため、どのチームも開始早々から本格走行に入った。ウェバー、バリチェロ、ベッテルのトップ3で、バトンは7番手、小林は18番手だった。

 午後のP2では雨はなく、前半はバトンがトップだったが、最終的には5番手に終わった。トップ4は、アロンソ、ブエミ、バリチェロ、ウェバーで、ベッテルはバトンのすぐ後ろの6番手だった。小林は13番手に浮上。その後ろの14番手が中嶋一貴だった。このセッションで、フィジケラはピットレーン出口でストップしてしまった。原因は、ピットレーン出口で発進する際に、エンジンストールを防ぐアンチストールモードに入ってしまい、その解除ができなかったことから、車載コンピューターがエンジン保護機能のためにエンジンを止めてしまったのだった。

雨に翻弄された土曜日
 午前のフリー走行P3は、最終調整と予選に向けた準備と確認で、60分のセッションにやるべきことがいっぱいだ。だが、豪雨に見舞われ、緊急医療搬送用のメディカルヘリコプターが飛行できなくなった。規定では、メディカルヘリコプターが飛べない状況では、F1の走行は許されない。たとえヘリコプターが飛べても、コース上もS・ド・セナ、クルバ・ド・ラゴを筆頭に、大きな濁流ができ、走行できる状態ではなかった。

 だが、雨が弱まりヘリコプターが飛べる状況になったことから、P3のセッションは予定よりも42分遅れで開始された。しかし、終了時刻は規定により移動できないため、12時までのわずか18分間の走行になってしまった。ところが、残り5分のところでグロジャンがコースアウトしてクラッシュ。ドライバーは無事だったが、その後処理のために赤旗が提示された。結果、セッションの再開がないままP3は終了。わずか12分だけの走行時間だった。このウェットセッションで、ウィリアムズのロスベルクと中嶋が1-2を獲得。以下、バトン、アロンソ、スーティル、グロジャンがトップ6を形成。小林は4周だけの走行で最下位だった。

 予選も雨だったが、Q1は予定どおりに開始された。開始から約4分、ベッテル、フィジケラ、アルグエルスアリ、ロスベルク、グロジャン、中嶋、ブエミの6人がタイム計測されたところで、フィジケラがS・ド・セナでスピン。コースを塞ぐように停車してしまった。ハンドルを持ち替えた際に、ハンドルの右下にあったエンジン停止ボタンにフィジケラの右手が触れてしまったのが原因だった。この車両排除作業のために、残り15分53秒のところで赤旗が提示された。雨で路面状態も悪いため、赤旗はなかなか解除されず、14時18分に走行が再開された。

 雨の中のQ1で、ベッテル、コバライネン、ハミルトン、ハイドフェルト、フィジケラが振るい落とされ、ベッテルのチャンピオンへの望みは極めて厳しくなった。マクラーレンの2台は、日曜日がドライになることを見越したセッティングにしたため、このようなひどいウェットではどうしようもなかった。一方、トップ6は、ロスベルク、ライコネン、クビサ、中嶋、バリチェロ、バトンで、小林も7番手につけた。

 Q2の開始時刻は14時41分と宣告されていたが、雨と路面の状態が思わしくなく、メディカルカーによるコース査察が行われた。結果、Q2が開始されたのは14時57分。本来なら、予選Q3の最後のアタックに入る時間だ。

不運にもクラッシュしたフォースインディアのリウッツィ

 15分のセッションが開始されるとすぐにリウッツィがクラッシュ。残り12分23秒のところで、まだ誰もタイム計測されていない状況のまま赤旗になった。この赤旗が長引いた。雨でコース上には、いたるところに水たまりや川ができていた。

 「状況が好転するまで、Q2セッションの再スタートは遅れる」とレースコントロールからテレビ画面とタイミングモニターへメッセージが提示された。天候と路面状態を見ながら走行を見合わせる状態が続いた。その間、メディカルカーによるコース査察が、15時30分、15時45分、16時と3回行われた。そして、16時10分にQ2が再開された。リウッツィのクラッシュによって赤旗が出たのが14時59分だったので、1時間11分もの中断だった。

 Q2の残りは、雨はやんだが、まだ路面はフルウェットの状態で始まった。だがセッション終盤にはインターミディエイトタイヤでのアタックも出てくるほど、路面状態は好転してきていた。この状況で、ロスベルク、中嶋のウィリアムズ勢が1-2。小林はよいペースで走行していたが、最後のアタックでのミスが響いて11番手。小林のほかQ2敗退となったのは、アルグエルスアリ。グロジャン、バトン、リウッツィだった。バトンはウェットコンディションで、リアのグリップが得られなかった。ベッテルに続いてバトンもまたグリッド下位に沈んだ。

 Q3は16時31分に開始された。雨はやみ、インターミディエイトタイヤでのセッションになった。Q2まで好調だったウィリアムズ勢は、ロスベルク7番手、中嶋9番手に沈んだ。車両重量はロスベルグ657㎏、中嶋664kgと、とりわけ重いわけではなかった。ウィリアムズはウェットに賭けたセットアップをし、これがQ2まではよかったのだが、路面状態がよくなってきたQ3では裏目に出始めていたのだ。

 ポールポジションを獲得したのは、バリチェロ。バリチェロにとって、このサーキットは地元中の地元。幼少時代、親戚の家がサーキットに隣接し、グランプリのときにはそこに来ていたというほど。そのホームコースでチャンピオンへの望みに大きく前進したバリチェロは、Q3進出ドライバーの中では最も車両重量が軽く、狙いどおりのポール獲得だった。2位はウェバー、3位はスーティルだった。

バリチェロにとってインテルラゴスは庭のようなもの。チャンピオンへの望みに大きく前進した2位のウェバー3位のスーティル

決勝は一転ドライ

 週末の天気予報では、日曜日も雨が残るとされていた。しかし決勝は晴れ、初夏のような雲と青空のもとで、スタートになった。

 ライコネンがKERSによるスタートダッシュで、3番手に浮上。2コーナーでは、コバライネンが縁石に乗ってコントロールを失ってハーフスピンとなり、ベッテルと軽く接触。このコバライネンを避けるためにフィジケラがグリーン上を走行した。

 バックストレートに入ったライコネンは、2番手のウェバーに迫る。だが、ウェバーはブロックラインをとったことで、フィジケラの右フロントウイングが破損。

 さらに、クルバ・ド・ラゴの2つ目のコーナーの立ち上がりで、4番手のスーティルの外側にトゥルーリが並びかけた。コーナーの出口だったのでスーティルはそのままアウトにふくらむラインをとったが、これでトゥルーリは縁石の外側に押し出される状態となった。これで芝生に落ちたトゥルーリはコントロールを失い、両者は接触。さらに、接触でコース外にはじき飛ばされたスーティル車がコントロールのきかない状態でコースを横切り、それにアロンソも巻き込まれた。この事故処理のためにセーフティカーが導入された。クラッシュ現場では、トゥルーリがスーティルに激しく抗議するシーンが映し出された。レース後、この接触事故は両者に非がないものとされたが、接触直後にコースマーシャルの指示に従わずにコース脇にとどまったことと、そこで攻撃的な態度でスーティルに抗議したことで、トゥルーリはけん責処分と1万ユーロの罰金が科せられた。

 セーフティカーの間にも、ピットではコバライネンが燃料補給装置のホースがつながったままスタートし、走行レーン上にホース内に残ったガソリンをまいてしまった。この直後に、ウイングを交換したライコネンが走行し、ライコネンのフェラーリは一瞬炎につつまれたが、無事だった。コバライネンの事故は、ピットクルーが作業を終わっていないうちにロリポップを上げてしまったというチーム側の単純なミスだった。だが、一方で、マクラーレンチームは、鮮やかな手腕も見せていた。

 テレビの映像にはなかったが、コバライネンがピットインする直前に、マクラーレンチームはハミルトンをピットに入れていた。コース上での事故の状況を見て、セーフティカーが入ると判断し、チームは即座にハミルトンにピットインを指示を出していたのだった。そのピットストップで、ハミルトンのマシンにはレース総走行距離の半分以上が走れる分の燃料が継ぎ足され、さらにソフト側のタイヤからハード側のタイヤに交換された。これで、2種類のドライタイヤを使用する義務も解消された。こうしてハミルトンは、オープニングラップ直後に、2回ストップから、ハード側のタイヤで2回のスティントを走る1回ストップ作戦に変更できていた。

 レースは5周目から再開された。バリチェロが逃げるが、ウェバーもやや間隔をあけてついていた。バリチェロが21周目にピットに入ると、トップになったウェバーはペースを上げた。これで、ウェバーは26周目にピットに入ってもトップのままコースに復帰できた。以後、ウェバーはトップを維持したままゴールへ向かった。

 バリチェロは2回目のピットストップまでに2番手まで挽回した。そして、再び2番手に浮上したところで、リアタイヤにパンクが発生し、その交換のために再度ピットストップ。これでバリチェロは8位へ転落してしまった。一方、ベッテルは4位になっていたが、バトンが5位になったことで、チャンピオン争いはここで決着がついてしまった。

 バトンは途中、小林を抜きあぐねていた。小林が厳しいブロックをし、その間にラインを変えたことが原因だった。小林は31周目にもピットから出てきた中嶋をブロックするラインをとり、接触。これで中嶋はリタイヤしていた。小林の走行は、ルーキーゆえのミスでもあった。だが、一方で小林は10位に終わったものの、途中3番手を走るなどよい走りも見せていた。

 オープニングラップでピットに入ったハミルトンは、1回ストップ作戦の利点をもっとも引き出していた。42周目のピットストップの時点で4位に浮上し、最終的には3位でゴールしていた。

新チャンピオンはジェンソン・バトン
 かくして、今年のチャンピオンはバトンとブロウンGPチームに確定した。

 2000年のF1デビュー以来、ウィリアムズBMW、ベネトン・ルノー、ルノー、BAR・ホンダ、ホンダとマシンに恵まれない時代を過ごしてきた。だが、その間にバトンはエンジニアとマシンを仕上げる能力も伸ばした。

 今年は、開幕3週間前までチームの存続すら分からない状況だった。それでも、バトンはチームに残り、開幕から7戦で6勝をあげた。これが、最後まで有利に展開する原動力にもなった。苦労と成長とチームワークで勝ちえた王座だった。

 チャンピオンはバトンに決定したわけだが、10月30日(つまり今日)から、初開催のアブダビGPが始まっている。ブラジルGPに続き小林も出場しているので、最終戦にも注目したい。

喜びを爆発させたバトンとブロウンGPチーム

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/

(Text:小倉茂徳)
2009年 10月 30日