【日本GP】(後編)

快晴になった決勝

快晴での決勝―ベッテルの圧勝とトゥルーリの大活躍
 土曜日の予選でクラッシュしたグロックは、左脚の傷と激しい衝撃を受けた。結果、日曜日の朝のメディカルチェックでは大事をとって欠場の判断が下された。小林の代役出走は、スチュワードの判断で拒否されていた。そのため、グリッドには18台が並ぶことになった。

 そのグリッドは、規定通りスタート1時間前の13時の段階で正式決定版が発行された。前日の予選Q2でのイエローフラッグ区間での減速問題などを受けて、順位が複雑に入れかわっていた。スチュワード決定順に見ると次のようになっていた。

 リウッツィ:ギヤボックス交換のため5グリッド降格、最後尾へ
 ウェバー:モノコック交換のためピットレーンスタート
 アロンソ:イエローフラッグ区間で減速しなかったため5グリッド降格、16番手へ
 バリチェロ:イエローフラッグ区間で減速しなかったため5グリッド降格、6番手へ
 バトン:イエローフラッグ区間で減速しなかったため5グリッド降格、10番手へ
 スーティル:エローフラッグ区間で減速しなかったため5グリッド降格、8番手へ
 ブエミ:他車への走行妨害で5グリッド降格、13番手へ
 コバライネン:ギヤボックス交換のため5グリッド降格、11番手へ
 グロック:負傷欠場

 ブロウンGP勢のグリッド位置が下がったことで、チャンピオン争いに踏みとどまっているベッテルには、スタート前から有利な条件ができた。ベッテルはこのチャンスを決して無駄にはしなかった。

 スタートでベッテルはトップを守り、1コーナーに入った。3番手だったハミルトンはKERSの加速力を活かしてトゥルーリを抜いて2番手に上がった。だが、スタートラインから1コーナーの距離が、KERSの加速性能を活かしきるにはやや短く、ハミルトンはベッテルをとらえられなかった。トップのベッテルは、別格の速さで周回を重ねるたびに後続との差を拡げた。

 一方、ピットからスタートしたウェバーはヘッドレストが外れそうになり、オープニングラップでピットに戻ってきた。ピットでの作業を終えてコースに戻ったウェバーだが、またヘッドレストが外れそうになりふたたびピットへ。ヘッドレストをテープで固定して復帰したが、これでウェバーは早くも周回遅れになってしまった。ウェバーはその後4周目に再度ピットストップを行い、決勝の走行をテスト走行に切りかえた。

 3周目に、バトンがシケインでクビサを抜くが、まだ10番手、ポイント圏外。

 11周目にブエミがピットガレージに戻ってリタイヤ。ブエミはスタート前からクラッチが不調で、これが悪化していた。

 12周目、8番手スタートから9番手に落ちていたスーティルがコバライネンを追っていた。130Rからの脱出で差を詰めたスーティルはシケインで追い抜きをしかけるが、接触。スーティルは12番手に落ちてしまった。この接触した2台を抜いて、バトンがポイント獲得圏内の8番手に浮上できた。

 15周目のハミルトンとスーティルを皮切りに、ピットストップが始まった。トップのベッテルは18周目に1回目のピットストップを行った。ピット作業のミスで12.4秒も静止しなければならなかったが、築き上げた大量リードのおかげでトップのままコースに復帰できた。

 30周目に1回ストップのアロンソがピットストップを終えたところで、前半の順位がかたまった。トップはベッテル。2番手のハミルトンとは6秒あまりのリードがあった。以下、3番手トゥルーリ、4番手ハイドフェルト、5番手ライコネン、6番手バリチェロ、7番手ロスベルク、8番手バトンの順になった。そして、33周目にライコネンから2度目のピットストップが始まった。

 37周目にはハミルトン、39周目にトゥルーリがそれぞれ2度目のピットストップを行った。これで、トゥルーリがハミルトンの前でコースに復帰し2番手に浮上した。ピットストップの直前は燃料も軽くなり、ピット作業のための時間を稼ぐためにも各車ペースを上げる。このピットストップ前2周のラップタイムで、トゥルーリはハミルトンに優っていた。この差が順位逆転につながった。対するハミルトンはKERSが故障し、加速性能でのアドバンテージが失われただけでなく、システムの重さが運動性能への悪影響になってしまっていた。

 45周目、ピットストップから出たばかりのアルグエルスアリが130Rで激しくクラッシュし、その後処理のためにセイフティカーが導入された。アルグエルスアリは、コーナーで巻き込むようになってコースアウトしていた。ドライバーはマシンかタイヤの異常を疑っているが、鈴鹿の130Rに見られる経験不足のドライバーのミスと見る人が多かった。もし後者のミス説が正しいとすれば、やはり金曜日の雨による走行不足が影響したといえる。しかも、アルグエルスアリはハンガリーGPから参戦し、テスト規制でマシンへの習熟度も不足していた。アルグエルスアリは、テスト規制と雨に泣かされたのかもしれない。

 50周目にレースは再開。残り4周のファイナルダッシュとなった。3番手のハミルトンはトゥルーリをとらえられなかった。ハミルトンは、セイフティカーラップ中にコクピットでKERSの機能回復を試みたが、それは徒労に終わっていた。そのため加速に伸びがたりなかった。さらに、トゥルーリの2位確保への執念も強かった。

 このファイナルダッシュで順位は変わることなく、ベッテル、トゥルーリ、ハミルトン、ライコネン、ロスベルク、ハイドフェルト、バリチェロ、バトンのトップ8になった。

 鈴鹿は、今季のF1開催コースのなかでもっとも難しいコースとされる。このコースで最も速いマシンとドライバーの組み合わせは、レッドブルRB5とベッテルだった。これでベッテルの逆転王座への可能性も増した。しかし、バリチェロとバトンが入賞したことで、まだブロウンGPの2人に有利な状況になっている。

 2位になったトゥルーリとトヨタF1チームは、日本GP史上初の日本チームの表彰台獲得となった。ベッテルとRB5には追いつかなかったが、シンガポールでの体調不良をから回復したトゥルーリの頑張りとTF109性能の良さを示した。また、トヨタF1チームも、トゥルーリ車1台にすべてを託さなければならないという大きなプレッシャーのなか、戦略、タイヤ選択、ピット作業もほぼ完璧にこなした。トヨタF1チームは、地元で最高の仕事を成し遂げた。

王座争いはブラジルへ
 総重量500トンに及ぶF1マシンと機材はレース後すぐに荷造りされ、セントレアから地球の裏側のブラジル・サンパウロへと向かった。

 「ハットトリックしかない!」とベッテルは、日本、ブラジル、アブダビでの3連勝による逆転王座に意欲を燃やす。だが、サンパウロのサーキットはスロットル全開時間が15秒と、F1全サーキットの中で最長となる。しかもその区間の始まりは急な登り坂で、エンジンへの負担がとても大きい。そのため、新品か走行距離が極めて少ないエンジンが絶対必要だ。

 しかし、ベッテルはすでに規定の8基目のエンジンを使ってしまっている。ペナルティ覚悟で9基目を入れるのか、信頼性の不安をおして使用済みエンジンで行くのか?バリチェロにとってインテルラゴスは、少年時代に1コーナー外側のフェンスぎわの親せきの家からレースを見ていたほどの地元中の地元。ここで王座争いをより有利なものにしたいところ。しかし、ブラジルGPでバトンが6点を獲得すれば、今年のチャンピオンはバトンとなる。チャンピオン争いは大詰めを迎える。

元気を取り戻した小林可夢偉
 金曜日のフリー走行で、体調を崩したグロックに代わって、サードドライバーの小林可夢偉が出走した。GP2では所属するDAMSチームの財政難から、有能なエンジニアが離れるなど戦闘力が大幅に低下。ワンメイクレースのGP2では、極めて不利な状況になった。苦戦を強いられた小林は元気がなかった。

 しかし、雨の鈴鹿で借り物のマシンとはいえ良い走りが見せられたことから、小林も自信を取り戻したようで、今年初めにGP2アジアシリーズで日本人初のチャンピオンとなったときのような“元気な可夢偉”に戻っていた。この走行で周囲の小林に対する評価も再浮上。次回のブラジルGPでは、欠場するグロックの代役としてF1に正式デビューすることも決まった。

元気が戻った小林可夢偉。ブラジルGPはこのヘルメットに注目

世界一のコースマーシャル、レスキュー、メディカル
 土曜日、日曜日と鈴鹿はドライバーに厳しいサーキットであることをはっきりと見せつけた。しかも、1度ミスをすると激しいクラッシュにもなった。

 だが、鈴鹿サーキットのマーシャル、レスキュー、メディカルは完璧な仕事をした。クラッシュで激しい衝撃を受けている場合、医師が到着するまで意識確認などをしながらドライバーコクピットにとどめ、必要ならばシートごとあるいは専用の固定装置で首と背中を固定した状態で救出する。これがFIAの出している指針であり、そのためにレスキューのエクストリケーション(救出)チームは、木曜日にFIAのメディカル委員の指導のもとに、実際の車両でトレーニングも行っている。

 だが、多くのサーキットで、医師到着前にドライバーが自発的にコクピットから降りるのを手助けしてしまっているケースがみられた。これでは、動いたことで様態を悪化させたり、最悪の場合は麻痺などの症状に陥る恐れがある。しかし、鈴鹿ではFIAの指針通りの動きを確実に、かつ迅速に実行していた。

 鈴鹿のコースマーシャルたちは、本来のマーシャリング技術で高レベルを維持しながら、ドライバーズパレードでのウェーブや、ウィニングランでの祝福など、イベントを楽しく盛り上げる技まで向上させていた。1987年から20年以上続く経験がうまく伝えられ、さらにレベルアップを怠らなかった努力のたまものだ。

 「鈴鹿のマーシャル、レスキュー、メディカルは、モナコと並んで世界一である」とFIAの関係者は高評価をしてきたが、その伝統は2年のブランクを経ても変わらないどころか、より高水準なものに進化していた。

土曜日のスチュワード裁定とリザルト
 土曜日の予選Q2でのイエローフラッグ区間の減速無視について、スチュワードの決定は午後6時過ぎに出た。だが、FIAのスタッフからメディアセンターに決定が伝えられたのは、午後7時をはるかに過ぎていた。夜8時前後にFIAは「グリッドは、明日(日曜日)のスタート4時間前に暫定版、1時間前に正式版を発行しますので、今夜の発表はありません」とアナウンスした。

 だが、5人のドライバーがこの問題でグリッド降格処分となったほか、ギヤボックス交換ペナルティなどもあり、翌日のグリッドの並び順がわかりにくい状況だった。FIAの対応は競技規則に照らせば正しいものだった。だが、ファンに対して詳しい状況を説明し、決勝のグリッドがどうなるのか?という最大の疑問に対して速やかに情報を提供するという点では、正しい行動とは言えなかった。

 ファンの立場を重視するアメリカのIRLやNASCARなら、こうした状況がおきれば土曜日のうちに、暫定グリッド表を発表しただろう。FIAとF1関係者たちには新たな課題がつきつけられている。これを深刻に受け止めて改善されるだろうか?

出走を取りやめたグロック。このときは左足の傷しか発券されていなかったが……

グロックの事故-トヨタチームと鈴鹿メディカルの好判断
 グロックの事故の原因は不明だが、おそらく縁石に乗ったことでマシンバランスを崩し、オーバーステアになってしまったのだろう。

 予選Q2でのクラッシュの直後、ドイツのテレビ局によるとグロックは即座に手足が動く事を確認して、チームに無線で連絡。大きな問題がないことを伝えていたという。この冷静な判断と行動は立派なものだった。

 このグロックの事故を受けて、トヨタF1チームは土曜日のうちに2つのアクションをおこしていた。

 ひとつは、クラッシュで損傷したマシンに換えて、新しいモノコックのマシンを日曜日朝に追加車検してもらえるよう、嘆願書を提出していた。

 もうひとつは、グロックがメディカルチェックで出走できないと診断されたときには、小林を代役出走できるようにスチュワードと話し合っていたことだった。

 F1の規定ではドライバー変更は土曜日の予選前までなら可能とされている。この時点でグロックの代役は立てられないはずなのだが、この規定には「不可抗力の場合には、追加して考慮できる」という一節もある。トヨタF1チームはこの一節を見逃さずに、最善を尽くすためのアクションを起こしていた。スチュワードは、先の条文である「土曜日の予選開始前まで」という方を重視し、小林の代役出走の可能性はなくなってしまった。だが、レギュレーションの細部も見逃さずに果敢にアクションを起こしたトヨタF1チームのプロフェッショナルな姿勢も評価に値する。

 グロックは、日曜朝のメディカルチェックで出走不可の診断を受けた。これは的確だった。その後ドイツに帰国したグロックは、脊椎に損傷が見つかった。背中に痛みを訴え続けるグロックの症状から、詳しく診察したところ見つかったというほどのごく小さな損傷だった。これでは、初期の段階では見つけにくいものだったはず。

 グロックはブラジルGPも欠場することになったが、グロックを鈴鹿で欠場させていたことが、その症状が悪化することを防いでいた。

ドライバーズパレード
 鈴鹿での日本GP開催で、伝統のクラシックカーによるドライバーズパレードも復活した。クラシックカーによるドライバーズパレードは、岐阜のクラシックカークラブであるフィオレンティーナ470クラブが中心になって行われている。同クラブは、4月に行われた鈴鹿リニューアルオープニングイベントで、ピーター・ウォーらによる第1回日本GP再現パレードでも中心的な役割を果たしてくれていた。

 今回のドライバーズパレード参加車両は当初50台がリストアップされ、そのなかから24台がFIAとFOMによって選ばれた。いずれも歴史的に価値ある車両ばかりだった

 ドライバーズパレードは、富士スピードウェイで行ったトレーラーによるパレードの方が時間管理しやすい。このことから世界的にトレーラーによるパレードが大勢を占めるようになっている。だが、鈴鹿伝統のクラシックカーによるパレードは華やかで美しさがあった。このパレードに参加したドライバーとオーナーも、パレードの実務を担当したフィオレンティーナ470クラブも、みな情熱で集まってくれた人たちだった。

 パレードでどの車両にどのF1ドライバーが乗るかは日曜日の朝のミーティングで発表された。途中、ハミルトンの乗った車両がストップするトラブルがあったが、晴れの舞台で故障してしまった車のオーナーの気持ちを考えるととても気の毒だった。だが、おかげでハミルトンがアロンソの車に同乗し、一昨年のマクラーレンでの確執以来微妙な関係だった両者が談笑する姿も見られた。これも、このクラシックカーによるパレードがドライバーたちの気持ちを解きほぐしたおかげだろう。

 フィオレンティーナ470クラブは色紙にメンバーの寄せ書きを作り、クラブメンバーの車両に乗ったF1ドライバーたちにそれをプレゼントした。「車好き仲間」としてF1ドライバーにも良い記念になったことだろう。

 天候にも恵まれ、車も人も輝いて見えた、とても美しいイベントだった。

月曜日のイベント
 鈴鹿サーキットは、決勝翌日の月曜日にもファン向けのイベントをいくつか用意していた。なかでも、ピットやパドックをめぐる「ミステリーツアー」はとても好評だった。

 これはF1開催直後のピットやパドックの施設をめぐるガイド付きツアーで、メディアセンターやコントロールタワーのレースコントロールルームなど、前日までは入場が厳しく制限されているところも見ることができた。コース上の出来事を多数のハイビジョンモニターで監視するコントロールルームでは、元F1ドライバーの中野信治がサプライズゲストとしてツアー一行を出迎え、あいさつや説明のあと、談笑やサインや写真撮影にも応じていた。

 レース後の帰りの渋滞を避けて、楽しみながらゆったり帰るのは良い提案だった。これも、鈴鹿の新たな伝統になるだろう。

残念な東名集中工事
 今回の日本GPで残念だったこともあった。日本GP直後の月曜日午前0時から、東名高速道路の集中工事が始まったことだ。日本GP直後の渋滞を避けて、途中休憩などをしている間に、帰りにこの集中工事にかかってしまった観客も少なくなかっただろう。また、集中工事を避けて中央高速に回ると、そこには片側2車線の道路に大量のトラックがいた。日本の物流を担うトラックにとっても、混んだ中で走行性能が異なる乗用車と入り組んで走るのはつらく危険なことだっただろう。

 日本GP開催前にNEXCO中日本は、東名高速の電光掲示板で、週末に日本GP開催による鈴鹿出口付近が渋滞することを報じていた。日本GP開催は知っていたはず。集中工事開始を1日遅らせてくれれば、観客にもトラックドライバーにも安全で快適な道中にできたのではないだろうか。

 日本GPは、日本で最高峰の自動車レースで、これを統括するのはJAFとなる。JAFは「自動車ユーザーに対し、安全と安心の支えとなるサービスを提供するとともに、交通の安全と円滑のための事業活動を積極的に推進し、健全なくるま社会の発展に寄与することをモットーとします」とうたっている。自動車ユーザーのためにも、スポーツ会員のためにも、NEXCO中日本と高速道路の集中工事と日本GPの日程調整をしていただけないだろうか?
 円滑な交通と安全のためにも、考慮していただければと思う。

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/

(Text:小倉茂徳)
2009年 10月 16日