よい2010年

 2010年はとてもエキサイティングで見ていて楽しい年だった。終盤まで5人ものチャンピオン候補が戦うのは、類を見ない展開だった。技術的にもFダクト、ブロウンディフューザー、マルチデッカーディフューザーのさらなる進化など、興味深かった。


ドライバーとチームを振り返る
 マクラーレンは、2008年のハミルトン、2009年のバトンと、2人のチャンピオンという強力なドライバーラインアップだった。アグレッシブなハミルトンと、戦略的なバトンという好対照な2人は、1年目はうまくかみ合っていたようだ。

 バトンは新たな担当エンジニアともうまくコンビになれて、オーストラリアと中国では天候と路面が変化するなか、上手い戦略で勝利につなげていた。ハミルトンはトルコからドイツまでの中盤の4戦連続表彰台など、速さを見せることができた。MP4-25の開発も進み、トップ争いができるようになった。

 フェラーリはアロンソが加入し、「ジョイントNo.1」としてマッサと同じ待遇とされていたが、現実はアロンソがエースとなる体制になった。それは、ドイツでのチームオーダー問題につながった。だが、これはフェラーリでは伝統的なことであり、ヨーロッパのスポーツではよくあることだった。

 アロンソはエースとしてチームをけん引するという自覚を随所ではっきりと行動で示していた。その最も目立った例が、フェラーリの地元イタリアでのポール・トゥ・ウィンだった。シーズン後半のF10の開発が上手くいったことも、アロンソの躍進につながった。だが、最終戦での戦略上のミスで、ほぼ手中にあったチャンピオンを逃した。

 マッサは、昨年の大けがからの復帰となったが、マッサ本来の粗削りでも速いというところが充分に出し切れなかった。そしてドイツでのチームオーダーの一件以来、さらにモチベーションにも陰りが出たように見えた。

 レッドブルは、最強のマシンRB6で常に別格の速さを見せた。ベッテルはとても速かった。ウェバーもそれに匹敵する速さを見せた。だが、マシンの脆さもあった。

 ベッテルはマシンに負担をかけるときもあったが、後半戦に入るとマシンと自分の限界を出しきらず、余力を残した走りで、その余力をより確実に上位でゴールすることに割いていた。これはチャンピオンになるための重要な要素であった。プロスト、ピケ、セナ、シューマッハー、アロンソら、どの時代のチャンピオンも単に「速い」だけから脱皮して、余力を残しながら、その余力で堅実な結果を得る戦い方をしてきた。ベッテルが確実に歴史に残る王者の道に乗ったことが分かる1年だった。

 ウェバーは経験豊富な分、上手い戦い方をしてきたが、ヨーロッパ(ヴァレンンシア)でのコバライネンとの接触などミスもあった。また、チーム内での待遇をめぐって疎外感を感じながらの孤独な戦いにもなっていた。さらに、シーズン終了後に発表した著書の中で、日本GP前に自転車で転倒して、肩を骨折したことを明らかにしていた。

 プロとしては、トレーニンング中にケガをするのは問題だとされる。だが、こうした状態でよく戦ったといえる。最終的には、王座は失ったが、ウェバーが最終戦でも健闘していたことが、フェラーリの戦略上の判断ミスを招き、ベッテルがより楽にチャンピオンにまい進できる状況を作りだしていた。

 このレッドブルのドライバー管理は、フェラーリともマクラーレンとも好対照だった。勝てる条件を手にして、レッドブルの2人は最初から争い合う状況で、うまくかみ合わなかった。しかも、チームは自由放任として、明白なチームオーダーを出さなかった。それが、トルコでは両者接触という最悪の状況になってしまった。

 結果は、ダブルチャンピオンだったが、チーム運営としては、課題が残った部分もある。少なくとも、一方のドライバーにチームへの不信感や疎外感を抱かせてしまったのは、チームとしてはベストな状況ではなかった。

 一方、ルノーは明らかなドライバー格差を持った体制を組んだ。新加入のクビサを中心とした体制で、新人のペトロフは明白なNo.2待遇だった。

 R30はシーズンが進むにつれて速さを見せ始め、とくに空力開発の進歩はめざましかった。昨年のR29での空力開発の遅れを見事に取り戻してきていた。

 クビサは持ち前の速さを存分に出し、とくに予選ではエキサイティングな走りを見せた。ペトロフは、粗削りな走りでミスも多かった。だが、最終戦でのアロンソを抑え続けた走りは圧巻だった。ミスひとつなく、極限での走りでアロンソを寄せ付けなかった。また、R30が今季中盤から大きく進化できた背景には、ペトロフが連れてきたロシア系スポンサーの資金注入も貢献していた。

 メルセデスGPはすべてが誤算だった。W01は昨年のブロウンGPのBGP001から発展したようなマシンで、周囲の進歩から取り残されていた。昨年のブロウンGPは、チャンピオンを獲る中でリソースをかなり使ってしまったため、今年のメルセデスGPは過渡期的なマシンと体制になってしまったようだ。

 チームは、復帰して来た皇帝シューマッハーを中心とした体制とした。が、シューマッハーはグランプリ復帰を楽しんでいるようで、かつてのような緊張感は見られなかった。ただし、マシンの性能を考えると、シューマッハー自身の評価はまだ難しい。

 ロズベルグは予選、決勝でシューマッハーを上回ることが多く、その実力の高さを改めて示した。だが、シーズン開幕時はシューマッハー中心の体制で、シーズン途中でやっとロズベルグの声をチームが採り入れるようになった。だが、時すでに遅しだった。ロズベルグのランキング7位は、見事な結果だったと言えるだろう。

 ウィリアムズは、スポンサーからの収入が少なくなってきている中、着実に成績を上げてきた。バリチェロはベルギーで300戦出走を果たしたが、とても意欲的で、勢いがあった。また、ヒュルケンベルクは荒れた状況だったとはいえ、ブラジルでポールポジションを獲得。その才能を見せることができた。だが、そのヒュルケンベルクを手放さなければならないところに、ウィリアムズの今の厳しい状況が見て取れる。

 ザウバーはBMWの撤退に伴い、厳しい中でのC29の開発と運用となった。しかもC29の生みの親であるウィリー・ランプは序盤で引退。チームはジェームズ・キーによる新たな技術体制になった。C29は扱いにくいマシンで、開発資金が豊富ではない中で、ザウバーは善戦したといえる。

 とくに小林はマシンの全力を出し切り、世界的なスタードライバーになった。半面、デ・ラ・ロサは途中交代。その実力を出し切れなかったのは、元全日本チャンピオンにとって気の毒な結果だった。

 トロロッソは独自開発のSTR5を走らせたが、中国GPではブレーキングでフロントの両サスペンションが大破するという問題もあった。2009年ハンガリーから参戦したアルグエルスアリは、今季さらに成長した。ブエミも成長しているのだが、アルグエルスアリの成長幅の大きさに、やや見劣りしてしまったようだ。

 レッドブルグループのドライバー育成プログラムとして見てみると、トロロッソはウェットとなった鈴鹿のフリー走行3でも積極的にドライバーに走らせるなど、厳しいけれどもできるかぎり経験を積ませて、よい指導もしていた。

 フォースインディアは、2009年のような輝きを出せなかった。ジェームズ・キーがザウバーに移っただけなく、技術部門から数名がロータスに移ったことも影響したようだ。ドライバー2人の実力を考えれば、VJM03の戦闘力が低かったのは明らかだ。

 新興3チームは、昨年夏に参戦決定という状況を考えれば、よくやった方だといえるだろう。F1は春には翌年のマシン開発が動き出し、上位チームでは1年半前から開発にかかるのが当然だからだ。この3チームとウィリアムズに採用されたコスワースのCA2010エンジンは、かなりの仕上がりを見せた。

 ロータスは早々と2010年のマシンT127の開発を諦め、2011年マシンへ開発を移した。これは賢明な判断だと言える。だが、ドライバーの陣容を考えると、いかにT127が参戦にこぎつけるための応急マシンだったかもよく分かる。

 ヴァージンレーシングは、ニック・ワース率いるワース・テクノロジーによるVR01が、とても興味深いマシンだった。多額の費用と大きな手間と時間がかかる風洞実験を行わず、CFDによるコンピューターシミュレーションだけで空力開発を行ったからだ。CFDは急速に精度を上げているが、未知数のところもまだある。だが、こうしてCFDを利用することが、CFDの精度をより高めることになるはずで、F1が「走る実験室」として新たな技術にチャレンジして、それを進化させるという点は評価できた。

 ヒスパニアレーシングは、開幕前にオーナーが代わり、全てが混とんの中だった。マシンはシーズン中のアップデートもできず、戦闘力以前のものだった。コリン・コレスによるドライバーの起用も不可解なことが多かった。

 それでも、ドライバーたちは与えられたマシンで最善を尽くしたといえる。山本左近の鈴鹿での走りは圧巻だった。また、クリスチャン・クリエンはその才能の高さを改めて示していた。

技術を振り返る
 2010年は空力を中心にとても興味深い年になった。

 まずマクラーレンがFダクトを導入し、これが技術トレンドになった。当初、この装置について筆者はまったく逆の解釈をしてしまった。翼面にスリットを開けて、そこから気流を噴き出すというのは、航空機にある翼面の気流剥離を防いで、より高い揚力(レーシングカーの場合ダウンフォース)を得るというのが一般的だったからだ。筆者は当初この方法だと考えた。

 だが、マクラーレンのFダクトは、こうした航空機の手法と考え方を逆手に取ったものだった。フラップの後面にスリットを開けて、ドライバーの操作でそのスリットから気流を出したり、出さなかったりできた。スリットから空気が出ないと、ウイング下面の気流はそのままフラップ後面を通り、ウイングとフラップのキャンバー(反り)をめいっぱい使って、リアウイングのダウンフォースを最大限に発揮する。だが、ウイングでダウンフォースを発生させると、それに伴い空気抵抗も発生する。

 ドライバーがFダクトを作動させると、フラップの後面のスリットから空気は真後ろに向かって出てくる。これで、ウイング下面からフラップ後面へ流れる気流は、スリットのところで強制的に剥がされてしまう。すると、リアウイングとフラップのキャンバーをフルに使っていない状態になり、ダウンフォースの発生量は減る。だが、ダウンフォース発生に伴う空気抵抗の発生量も、減らすことができるという仕組みだった。

 おかげで、ブレーキングやコーナーでは、リアウイングによるダウンフォースをフルに受け、安定して速く走れ、ストレートなどではFダクトを作動させることでリアウイングの空気抵抗を減らし、よりスピードも稼げた。これでラップタイムを上げることができたし、2009年のKERS(運動エネルギー回生システム)のようにストレートでの武器として使えた。

 イタリアでは、予選でバトンが大きくフラップを立てたリアウイングのマシンで2番手となったが、これもFダクトの恩恵をフルに利用した結果で、モンツァ=薄く小さなリアウイングという常識を覆してしまった。

 Fダクトは他のチームにも流用されたが、シーズン前半の段階では、設計段階からこの導入を決定していたマクラーレンに、搭載方法でも機能でも、一日の長があった。だが、シーズン半ばになると、ザウバーやルノーが、メインプレーン(リアウイングの本体となる翼)の後面にスリットを開ける方式を採用。これは、早い段階でウイング下面からの気流をカットするため、より大きな空気抵抗削減効果が期待できた。マクラーレンもシーズン終盤にこれに追従することになった。F1の開発と進化のスピードの速さを思い知らせる出来事だった。

 ディフューザーもさらなる進歩を遂げた。レッドブルRB6が開幕直前からエンジンの排気口を低くしてきた。これで、排気ガスを利用してディフューザーまわりの気流の改善を図っていたのが分かった。さらに、レッドブルRB6は、ディフューザーの上に小さな穴を開けて、そこから排気ガスの一部がディフューザーの下面に入るようにしてきた。排気ガスは温度が高く、気流は高温になるほど物に貼り付いて流れる効果が高くなる。つまり、気流が剥がれにくくなる。すると、ディフューザーの効果がさらに高まり、車体底面でのダウンフォース発生量を増やすことができるしくみだった。

 このディフューザー内に排気ガスを吹き付ける方法は目新しいものではなく、1980年代初頭からあった。1990年代になってディフューザーの効果が高まると、スロットル操作で排気ガスの勢いと量が変わることで、ダウンフォースの発生量が変化してしまい、一貫性に欠けてドライバーに不安を与えるという理由で、廃れていたのだった。今回のレッドブルが導入した「ブロウンディフューザー」と呼ばれる方法は、排気ガスの一部を利用したところが巧みだった。

 このブロウンディフューザーも、すぐに多くのチームが導入することになった。しかし、高温の排気ガスを吹き付けることで、ディフューザーまわりの素材の耐熱性を高める工夫が必要で、苦労するところがあった。中でも、メルセデスGPはこの部分でかなり苦労し、遅れをとっていたようだった。

 2009年にレギュレーションの盲点をついたダブルデッカーディフューザーは、昨年のうちにマルチデッカーディフューザーに進化し、2010年もその開発が続いた。結果、ブロウンディフューザーとあいまって、ディフューザーまわりの進化とアップデートがめまぐるしいほどになった。そして、車体底面でのダウンフォース向上によって、さらにラップタイムを高めることに貢献した。これは、技術進歩という点では、楽しめる部分だった。

 反面、2009年レギュレーションの「空力性能の鈍化による接近戦と追い抜きの向上」という当初の理想は、崩れてしまった。そのため、FIAは2011年からリアウイングやディフューザーに関する新規定を導入する。このことはまた機会を改めて扱うことにしたい。

 このほか、フロントウイングやコクピット下の車体底面の一部の、たわみの問題が話題となり、ベルギーとイタリアでこの部分の車検チェックがより厳しくされた。隙あらばできる限り性能向上を狙う。ドライバーが限界ギリギリのところでコーナーや他車のインを攻めるように、技術者もまたマシンを作る際にギリギリのところを突いて、少しでも速くしようとするところに、マシンを自作するF1らしさがよく表れていた。

よくなかった2010年
 2010年はF1の抱える矛盾や、問題が出た年であった。

 チームオーダー禁止も矛盾を含んでいた。ルールで禁止が謳われていても、「エンジンをいたわれ」「ブレーキを冷やせ」など、合法的に無線でペースダウンをさせることは可能で、抜け道はいくらでもあったからだ。ドイツでのフェラーリのやり方が、稚拙だっただけとも言えた。

 そもそも、F1の歴史においてチームオーダーは「当然」のものとされていた。フェラーリはそれを伝統として行ってきた。自転車などヨーロッパのスポーツでは、エースを中心としたチームオーダーを出すものも多い。これがヨーロッパの常識、伝統、文化なのだろう。だが、F1はワールドチャンピオンシップとして世界的に広まる中で、全世界で受け入れやすい価値判断が必要となった。そこでチームオーダーはスポーツを観る側の興味を殺ぐという観点から、禁止となった。

 F1は、1970年代までは世界最高のドライバーを決めるチャンピオンシップであり、フォーミュラとしたのは、なるべく均質なマシンで、ドライバーの力量差で勝敗を決めたいという理想のためだった。

 この規定が考えられた時代には、現在のようなワンメイクのレースは技術的には不可能だと考えられていたので、ほぼ共通のサイズ、性能になるようにレギュレーションで決めたフォーミュラを導入したのだった。本来の理想なら、F1は現在のインディカーやGP2、フォーミュラ・ニッポン、F3などのようにマシンの差が少ないものだったはずだ。

 ところが、開催国の最高のレースであるグランプリレースの伝統は、マシンを作る技術を競う側面も残してきた。とくに、1970年代の石油ショック後にF1が生き残ろうとした中で、コンストラクターたちの技術競争が魅力の1つとして強調された。当時コスワースDFVエンジン、ヒューランドのギヤボックス、グッドイヤーのタイヤというほぼワンメイクに近い様相の中で、イギリスのコンストラクターはロータスとブラバムを筆頭に空力やシャシー技術を大幅に進歩させ、その技術的アドバンテージを武器としてきた。F1には技術の覇を競う部分もある。F1はずっとこうした矛盾も抱えてきていた。

 こうして見ると、以前、FIAとマックス・モズレー前会長がカスタマーシャシーとか共通のパワートレインという提案をした背景も分かるし、チームがそれに反発した背景もまた分かるだろう。おそらくこうした矛盾は、ずっと抱えたままになるのだろうし、今後もこうした自己矛盾をどうバランスを取るかが重要になるだろう。

 2010年は新興3チームが参戦し、予想通りの結果になった。USF1チームに至っては、参戦できないまま消えてしまった。2011年の追加参戦チーム選択は、該当者なしになった。なぜこうなってしまうのか? ひとつの要因は、先に記した参戦準備期間の短さだった。そしてもうひとつの要因は、参戦にかかわる費用だ。

 F1は常にマシン開発を必要とし、必然的に開発、製作に多額の費用がかかる。テスト走行や風洞実験を多少制限しても、こんどはコンピューターシミュレーションなどに多額の費用をかけて精度を上げる。軍拡競争と同様に、歯止めをかけることは、きっかけさえもつかみにくい。

 リーマンショックやドバイショック以後、世界的に景気が後退する中、F1はまだ呑気だ。2009年にFIAは、2010年から参戦予算を1チーム当たり4000万ポンドに制限するバジェット・キャップ制を導入した。これは実施するには難しさがあったが、どこかで歯止めをかけるにはよい機会だった。新規参戦チームのヒスパニアとヴァージンは、このバジェット・キャップ制を前提としての参戦だった。だが、この制度がFOTAによる「分裂開催」という空脅しをともなった動きにより、廃案とされた。ヒスパニアとヴァージンにとっては「サギ」のような話だった。

 「マックス(・モズレー)は先見性に優れ、正しい考えが多い。だが、その伝え方がよくない。すぐに大上段に構えて、議論をふっかけてしまうから反発される」とは、当時のピーター・ウォー氏(元チームロータス監督で、FIAチーフスチュワード)の言葉だった。

 2009年のFOTAの反応も、モズレーの言うことが気に入らないという感情的な部分があった。また、FOTAには楽観的で危機感が薄い部分も感じられた。上位チームには「うちはなんとかスポンサーをつなぎとめられる」というところも見えた。「必要なら、F1の商業収入の分配率を増やせばよい」という声もあった。

 だが、テレビ放映権料金、F1開催契約金を主としたF1の商業収入の分配には、限度がある。現状ではその半分近くをバーニー・エクレストンと、そのF1興行企業群であるフォーミュラワングループがとっている。その残りがチームに分配されている。チーム側は、大元の取り分を増やせばよいとしたのだが、エクレストンの個人取り分は別として、フォーミュラワングループの取り分は減らせないところもある。

 それは、同グループが投資銀行の傘下にあり、そこに収益を確保しなければならない。もし、仮にFOTA側の取り分を大幅に増やそうとしたら、それは商業収入の増額が伴うことになり、最終的にはテレビ放映権料やF1開催権料の値上げにつながってしまう可能性が高い。すると、その値上げ分の影響として、観戦チケットはさらに高騰し、テレビは放映権料がまかなえず終了という悪循環に陥るおそれもある。

 実際、2010年は多くのサーキットで、有料チケットによる観客数の前年比減が起きた。すでに多くのF1開催地が、地域経済振興などの理由から、国、地元自治体などの支援を受けている。そして、多額の損失補てんに税金が使われていることから、将来の継続的開催が危なくなっているところも多くなっている。

 競争が働く以上、技術にコストをかけないでいるのは難しい。しかし、どこかで歯止めをかけないと、本当に壊滅的な状況を迎えてしまいかねない。技術競争にもある程度の歯止めは必要だろうが、F1のテクノロジーの魅力を考えればそれには限度もある。だが、歯止めをかけられる部分はある。

 たとえばパドックの設備だ。現在の巨大なモーターホームが本当に必要なのだろうか? 筆者がホンダF1のモーターホームを統括していた20年あまり前は、バスかトレーラー1台にテントだけだった。いまや、最低でもトレーラー2台、大部分のチームは「構築物」のような施設になっている。それを運び、設営・解体するための機材や人員や費用も必要となる。そこで消費される食材の量もかなりの額になる。だが、それらは大部分のファンには無関係な支出なのである。こんなものに、多額の費用をかけている現状に筆者はつねに疑問を感じている。

 2009年に論争となったFIAの提案は、不備な点もあったが、こうした問題へ歯止めをかけるための契機になったかもしれなかった。だが、FOTAはこの大部分をつぶしてしまった。

 誰かが立ち上がって、ワガママいっぱいなチームを再びまとめなければならない。このことは、2010年の空席が目立つスタンド見れば、考えが及んだだろう。だが、FIAの提案を廃案に追い込んだFOTAは、次の代表ポストが正式に決まらない。そんな意見取りまとめに力を割いていては、自分のチームの仕事がおろそかになり、レースで不利になるのが分かっているからだ。

 1970年代から80年代には、その実例となった人がいた。それがバーニー・エクレストンだった。エクレストンは、現在のFOTAやフォーミュラワングループの元となる、FOCA(フォーミュラワワン・コストラクターズ・アソシーエーション)というチームのための利益団体の組織強化を図った。そのために私財も時間も注ぎ込んだ。これで現在のF1の華やかでしっかりとした体制ができたのである。

 半面、エクレストンは自身が所有するブラバムチームの運営は、ハービー・ブラッシュに任せ切りとなった。さらに、1978年にブラバムがBT46Bファンカーで優勝すると、他チームから多くの抗議を受けた。エクレストンは、FOCA会長としてチームをとりまとめる立場を優先し、勝てる武器であるファンカーを自ら引き下げる決定をし、それをブラバムチームに伝達した。「ファンカー撤退の最大の要因は、実はバーニーだったんだ」とブラッシュは言う。

 2010年、F1ではピット内やパドックに停車したトレーラーなどに描かれたスポンサーロゴの扱いについて、エクレストンとチーム側とでもめたことがあった。FOTA側は、全チームがまとまることで、エクレストン側に対抗するとしていた。これに対するエクレストンのコメントは、経験に裏打ちされ、的を射ていた。

 「自分だけが勝つことしか考えていない君たちに何ができるんだね?」

 エクレストンは2010年に80歳になったが、幸いまだ元気である。かつて自らもドライバーとしてレースに参戦し、レースを愛し、ビジネスとしてもF1を冷静に考え、さらに未来へ向けた先見性も備えている。こうしたエクレストンの後継者の育成も必要だろう。

 そしてFOTAは、2009年に主張した「ファンのために」ということをもっとはっきりと実現していくべきだろうし、そうした考えをもっとしっかり持つべきだろう。そうすれば、無駄な支出をどこで抑えて、どう利益を分配し合って、どう面白い展開にして、ファンの皆さんにサーキットに実際に足を運んでいただけるようになるか、答えが見えてくるだろう。そのためには、他のモータースポーツシリーズの運営方法はもとより、他のプロスポーツの運営方法からももっと学ぶべきだろう。伝統を隠れ蓑にしていくだけなら、世界的広がりは失敗に終わってしまう。

 2010年に見えたマイナスの部分は、未来への重要な課題にも思えた。

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/

(Text:小倉茂徳)
2010年 12月 24日