レッドブルとベッテルの大反撃
8月末からベルギー、イタリア、シンガポールと3戦が終わった。7月の段階では、マクラーレンやフェラーリがレッドブルとの差を少し詰めたようだった。しかし、夏休み明けは再びレッドブルRB7とセバスチャン・ベッテルの速さが増したように見えた。
実際、ベルギーGPではレッドブルRB7は2台とも別格の速さだった。とくに予選では、セクター2のプオンの立ち上がりや、スタブロー、ブランシモンへのセクター3の中・高速コーナーでも、RB7は他のマシンよりも速くDRS(ドラッグ・リダクション・システム)を作動させ、スピードアップしていた。
DRSを作動させれば空気抵抗が減り、スピードは上がる。だが、その代償としてリアウイングでのダウンフォース量が減り、リアが不安定になる。
ところがRB7は中・高速コーナーでいち早くDRSを作動させても、まったくマシンがぶれずに安定していた。これは、RB7が車体の底面でいかにダウンフォースを発生しているかを示している。車体の底面でダウンフォースを発生させる方法は、ウイングでダウンフォース発生させるよりも効率がよい。同じダウンフォース量なら車体の底で発生させたほうが、ウイングで発生させるよりも空気抵抗は少ないということになる。
RB7がDRSを作動させても安定してコーナーを走行するところに、空気抵抗をより少なく、しかも大きなダウンフォースを得ていることが見えた。改めてレッドブルチームの開発能力と技術力の高さに驚き、そして感動すら覚えた。逆に、ライバルチームの立場で考えると、7月の段階で少し迫ったのにも関わらず、結果はさらに引き離され、しかも完膚なきまでに叩きのめされたような思いになる。
■シューマッハの活躍
イタリアGPでは、テレビの映像でもミハエル・シューマッハを長時間映していた。たしかにハミルトンと白熱したバトルは、往年のシューマッハの復活のようでみごとだった。
激しく追い立て続けるハミルトンに対して、シューマッハは自在にペースをコントロールして揺さぶっていた。また、必要ならレーンチェンジの繰り返しも行った。本来ならレーンチェンジは1回までと規定されているが、シューマッハはコース幅を使ったライン取りをするかのようにレーンチェンジを行い、ハミルトンを抑え込んだ。
これにはメルセデスチームからも警告無線が飛ぶほどだったが、シューマッハはそれを無視するように、違反スレスレの走行でハミルトンを抑え続けた。だが、マクラーレンとメルセデスのマシンの性能差を考えると、シューマッハの戦いは素晴らしかった。
マクラーレンもメルセデスも同じメルセデス・エンジンである。だが、マシンの総合性能ではマクラーレンがはっきりと勝っている。しかもメルセデスは、リアが不安定なわるい癖があり、ブレーキングではリアが暴れてスピンに陥りやすい。コーナーの立ち上がりでも、リアがいつグリップを失ってしまうか分かりにくい。本当に操縦しにくいマシンである。
そんなマシンを駆って、限界ギリギリのブレーキングとコーナリングをすることで、シューマッハはハミルトンからの攻撃を長時間に渡って耐え、順位をキープしたのだ。最後はメルセデスの特性からタイヤへの負担が大きくなり諦めざるを得なかったが、シューマッハ本来の卓越したテクニックと速さが如実に出ていた。
このシューマッハとハミルトンのバトルを見ていて、1985年のオランダGPでのニキ・ラウダとアラン・プロストのバトルを思い出した。この時、ラウダはすでにシーズン末での引退を発表していた。一方プロストは、この年初チャンピオンを決定していた。トップを行くラウダと追うプロスト。プロストは必死に攻めるがラウダはそれをみごとにかわし続ける。まるで、ラウダがプロストに「王者を継ぐならこの私を乗り越えてみろ」とでも言っているようなシーンだった。そしてこの厳しい洗礼を経て、プロストもまたより強い王者になっていった。
イタリアGPに目を戻しても、まるでシューマッハがハミルトンに「俺を追い越こせるか?」「マクラーレンに乗ってもそこまでなのか?」「そんな1本調子な攻め方ではまだダメだな」とでも言っているかのようだった。
さらにクルヴァ・グランデで並びかけようとするハミルトンを、一瞬IN側の芝生まで追いやった。このシーンでも「君が他のドライバーにやっていることはこういうことじゃないか。そして、やるならこうしてやるんだよ」と、ダーティな技の指導をしているようにも見えた。このシューマッハのハミルトンへの教育的指導もまた、賛否両論はあるだろうが、筆者はみごとだと思った。
このバトルの中で、アスカリシケインへの飛び込みで、シューマッハを一瞬で抜き去ったジェンソン・バトンもまたみごとだった。
■だがハミルトン……
昨年、シューマッハの復帰をハミルトンは直接対決が実現できると、とても喜んだ。そしてイタリアGPでハミルトンはフラストレーションが溜まるシューマッハとのバトルで多くのことを学んだと思った。
だが、シンガポールではまた荒いレース展開とドライビングが出てしまった。フェリペ・マッサと接触し、ハミルトンはペナルティを受けた。よい戦いを台無しにされたマッサは、レース後ハミルトンの元にやってきた。だが、ハミルトンのつれない態度にマッサはハミルトンの腕をつかんだ。が、ハミルトンはそれを払いのけたと言う。
結局、イタリアでのシューマッハとのバトルは、ハミルトンにとってあまりプラスに作用しなったようだ。ハミルトンは優れた才能を持つドライバーである。しかし、最近は荒さやダーティさが目立つようになってしまった。
レースは、戦っていてもお互いの信頼と敬意がなければ単なる危険なクルマのぶつけ合いになってしまう。お互いの信頼と敬意があってこそ、最後の一線を守り、尊重し合うことでエキサイティングなバトルや感動的なシーンになる。
マクラーレンの恵まれた環境で育ち、チャンピオンになったハミルトンには、何か大切なものが欠落しているように見える。
■チャンピオン争いは日本GPへ
シンガポールGPでベッテルが優勝したことで、チャンピオン争いはベッテルとバトンの2名に絞られた。シンガポールGPの終了時点で、ベッテルとバトンの得点差は124点。日本GPを入れて残り5戦。バトンが王座への夢をつなぐには日本GPで優勝するしかない。それでも、ベッテルが1点でも獲得すればベッテルの2年連続チャンピオンが決まる。
F1の歴史の中で、2年以上連続チャンピオンになったのは、アルベルト・アスカリ(1952~1953年)、ホアン・マヌエル・ファンジオ(1954~1957年)、サー・ジャック・ブラバム(1959~1960年)、アラン・プロスト(1985~1986年)、ミハエル・シューマッハ(1994~1995年、2000~2004年)、ミカ・ハッキネン(1998~1999年)、フェルナンド・アロンソ(2005~2006年)だけ。
今年の日本GPは、F1の新たな歴史を目撃するチャンスが濃厚となった。
■小林可夢偉への期待
小林は不運で厳しい戦いが続いている。ザウバーのマシンは、徐々にライバルに負け始めている。苦しい状況を打開しようと攻めた走りをするほど、ハイリクスになってしまう。だが、小林は小気味よいほどに攻めの姿勢を貫いている。
しかも日本GPには地元のドライバーとして、日本人としての自負を見せてくれている。夏にはいち早く、バーニー・エクレストンの日本GPの開催確定の発表に出席し、ヨーロッパでの誤解による日本への風評被害に立ち向かった。
F1の夏休みには日本で精力的な活動をした。とくに子供たちへのファンサービスには並々ならぬ努力を払っていた。そして日本GPでは、震災の被災地である福島県相馬市を中心に活動する少女合唱団とその家族60名を招待し、決勝前の君が代を斉唱するチャンスをプレゼントした。
少しでも日本と未来のために、少しでも被災した人たちの気分転換や活力になればとの思いが伝わってくる。小林はマシンの性能差をものともせず、積極果敢な戦いに挑むはず。小林の思いに、こちらも期待と応援を送りたくなってしまう。
■モータースポーツで力になりたい
震災の直後、日本では脇坂寿一を中心にモータースポーツ関係者たちが「SAVE JAPAN」を立ち上げ、積極的に活動している。
アメリカのインディカーでは佐藤琢磨が中心となった「With You Japan」なる活動が始まり、募金活動などをしてきた。その佐藤琢磨とインディカーが、9月にツインリンクもてぎにやってきた。震災と放射性への不安など見せず、ドライバーもチームも全員やってきた。
「誰がそんなこといってるの?」
食べ物の不安から食料を持参してきたと噂されたダニカ・パトリックは、それをはっきりと否定。むしろこうコメントした。
「私は日本が大好き。もてぎは勝った場所で、私にとってとても大切なところ。ここにきたら不安もなく、いつもどおり朝ランニングをして、地元の料理を食べている」
エリオ・カストロネヴェスもこう言った。
「僕たちはお客さんに楽しんでいただくためにここに来ているんだ。僕たちのレースを見て、日本の皆さんが楽しんで、少しでも元気になってくれればと思う」
インディカードライバーたちのプロ魂に感動してしまった。
一方、国内のフォーミュラ・ニッポンも画期的なことをした。第6戦菅生が行われる直前の9月23日に、宮城県名取市の名取市役所で特別イベントを行った。名取市は地震と津波の両方の被害を受けた。近隣の仙台空港の惨状を思い出せば、いかに大変なところだったかが分かる。
その名取市役所前で、フォーミュラ・ニッポンの全ドライバーが集合し、集まった市民や子供たちと餅つきなどを通じて交流した。会場には、嵯峨宏紀が週末に乗るフォーミュラ・ニッポンの実車も置かれ、午前と午後に実際にエンジンをかけ、音でレースの魅力を伝えた。
この会場には、地元出身のレーシングライダーである伊藤真一と、元レーシングライダーの中野真矢も来場し、鈴鹿からやってきた子ども向けの電動オートバイとともに、2輪車の楽しさと安全に乗ることの大切さを教えていた。
フォーミュラ・ニッポンのドライバーたちも、現役続行を決め急きょオートバイの日本GPにスポット参戦することが決定した伊藤真一も、中野真矢も、みな口々に「少しでも被災地の人たちの元気と勇気になれれば」と語っていた。
トップドライバーやライダーは、トレーニングなどコース上では見えない所で努力を重ねている。それでも、マシンの性能差で追いつけなかったり、マシントラブルなどでリタイヤになったり、自分にはどうにもできない原因で負けることもある。彼らは「自分ではどうしようもないこと」という理不尽への悔しさ、悲しさを深く知っている。それだけに、どうしようない悲しさや悔しさの中で接した人の優しさの大切もよく知っている。
モータースポーツは色彩豊かで、華やかで、マシンの轟音による賑やかさもある。
そこでは人間が機械を操り、肉体の極限の中でライバルと闘う。激しいGという自然の摂理に立ち向かいながら、その自然と、機械と、自らの肉体との最適なバランスを見つけようとしている。モータースポーツの世界には浮世離れした不思議な空間がある。それは夢のような世界でもある。
今週末はツインリンクもてぎでモトGPの日本GPが、オートポリスではSUPER GTが開催される。そして来週はいよいよ鈴鹿サーキットでF1日本GPが開幕となる。
モータースポーツで何かよい気分転換に、そしてドライバーやライダーが極限の中でライバルや不可能と思われることに挑み続ける姿に、何か活力と希望が見いだせられるのではないでしょうか。サーキットで、テレビで、一緒にレースを楽しんでみませんか?
■URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/
■バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/
(Text:小倉茂徳)
2011年 9月 30日