オグたん式「F1の読み方」

努力が報われたフェラーリ

 5月は、モナコGPとインディ500という伝統のレースが開催された。そして、その前にF1では開催地がヨーロッパへと戻り、スペインGPが開催された。

 スペインGPはとても注目すべきものだった。それまで飛行機での長距離移動でのレースばかりで思うように改良もできなかったが、スペインGPでは序盤戦で見つかった課題や改良のヒントが投入されてくるはずだったからだ。しかし、こうした新たな改良を試すための1回目のフリー走行はウェットになってしまった。午後の2回目のフリー走行でコンディションは好転したが、やや煮え切らないところとなってしまった。それでも、興味深いところもあった。

 各チームともさまざまな改良や変更をスペインGPに持ち込んだが、なかでもフェラーリは大がかかりな変更を投入してきた。それは、サイドポンツーン前端外側のデフレクター、サイドポンツーンのカウル、エンジンカウルなど、ボディーカウルほぼすべてで、大幅な空力の見直しを行ったことをうかがわせた。

 この結果、フェラーリはフェルナンド・アロンソもフェリペ・マッサもフリー走行からとてもよい走りを見せていた。予選はメルセデスAMG勢の圧倒的な速さと、セバスチャン・ベッテル、キミ・ライコネンに敗れたものの、5番手アロンソ、6番手マッサと好位置につけた。マッサは予選中、最終区間で他車のアタックを妨害したとして3グリッド降格のペナルティを受けてしまった。エステバン・グティエレスも同様の理由からペナルティとなってしまった。だが、これらは走行ラインが1本しかなく譲りにくい区間で、難しい状況ではあった。

 決勝でもアロンソとマッサは好調だった。両者ともスタートダッシュからよかった。とくにフェラーリ勢は、スタートの瞬間のエンジン回転数がライバルよりもやや低めで、エンジンの特性がスタートダッシュしやすく、コーナー出口での加速がしやすい特性であることがうかがえた。

 レースはアロンソ優勝、マッサ3位という、フェラーリにとってとてもよい結果となった。フェラーリはスペインGPで大幅なアップデートを持ち込むことが多く、以前は新設計のモノコックシャシーを投入したこともあった。今回もその前例に近いことを行い、見事に結果に結び付けた。マシンが優れていたことはもちろん、チームの戦略、ドライバーのドライビングテクニックと勝負感ともに、フェラーリとアロンソは優っていた。

 ゴール後のウイニングラップでスペイン国旗を持って走行し、表彰台での母国語インタビューでは経済状況が芳しくないスペインの状況のなか、レースを観にきてくれた観客への感謝の言葉を贈ったアロンソは、まさに国民的英雄の姿だった。このウイニングラップでの旗を受け取った行為はスチュワードによる審議対象となったが、「前例とあわせる」という理由で問題なしとなった。たしかにウイニングラップ中に何かを受け取るのはレギュレーションで禁止されているが、あのケースで厳格なルールの執行をしてしまったら無粋だった。スチュワード達はきわめて正しく、粋な判断をしてくれた。

報われなかったマクラーレンとウィリアムズ

 序盤戦で苦しんだマクラーレンとウィリアムズは、序盤戦で見つかった課題に対策を施したマシンをスペインGPで投入してきた。だが、努力の成果は、予選と決勝の結果としてはっきりと現れてくれなかった。しかも、他チームもマシンの性能が向上しているため、相対的にあまり目立った結果にはならなかった。ウィリアムズはまだこれが改良の始まりで、もうすこし時間がかかるとはしていたのだが。

 半面、トロロッソはリアの排気口付近を改良し、それが功を奏していたようだ。また、ロータスもフロントウイングを変更するなど、改良がよい方向に進んだようだった。

歴史的快挙のモナコ

 続くモナコGPは極低速コースで、モナコ専用の仕様となる。そうしたなかで、メルセデスAMG勢の予選での速さが前戦のスペインGPから容易に想像できた。それは、メルセデスAMG勢が低速で小さなコーナーからの脱出加速性能が問われるバルセロナの第3セクターで驚異的に速く、モナコGPのコースはほぼ全域がバルセロナの第3セクターのようなコースだからだ。実際、ニコ・ロズベルグ、ルイス・ハミルトンは予選で圧倒的な速さだった。

 だが、決勝はどうなるのか? スペインGPではメルセデスAMG勢はタイヤを消耗して、どんどん後退していった。しかしモナコでは、とくにロズベルグは盤石だった。

 モナコのコースは比較的表面が粗くなく、走行速度の関係からもタイヤの性能低下と消耗が小さいコースとされている。今年もその例外ではなく、タイヤには優しいコースだった。しかも、ロズベルグは見事なレース展開をした。

 スタート、再スタートで完璧なダッシュをして、すぐに2番手以下に1秒以上のリードを築き、ライバルにDRSを使わせないようにしていた。これは追い抜き個所がほとんどないと言われたモナコでは極めて有効な戦い方だった。リードを築くと、ロズベルグは2番手とのタイム差を見ながらペースをコントロールし、マシン、ブレーキ、タイヤへの負担を抑えた走りもしていた。そのうえ、セーフティカーや赤旗中断と、すべてがロズベルグに都合のよいタイミングで、都合のよい方向に進んだ。ロズベルグの速さ、巧さがすべてでたモナコGPだった。

 ロズベルグの父親であるケケ・ロズベルグも30年前の1983年にモナコGPを優勝し、親子2代のモナコ制覇は史上初。メルセデスのモナコGPも1937年のW125のマンフレッド・フォン・ブラウヒッチュ以来の快挙だった。メルセデスの優勝ドライバーは、ロズベルグもフォン・ブラウヒッチュもともにドイツ国籍だった。

明暗分かれた若手ドライバーたち

 モナコGPでは、若手ドライバーの明暗が分かれた部分があった。セルヒオ・ペレス、アドリアン・スーティルは明といえた。

 ペレスについては、終盤のライコネンの接触で評価を落としてしまった。あのケースでは、ガードレールとライコネン車の間隙に飛びこめる充分な隙間があったかどうか、ペレスの判断には疑問が残る。このライコネンとの接触のケースでは、一度シケインでの追い抜き戦法が失敗し、ライコネンがシケイン進入を完全に警戒したなかでの出来事だった。残り周回数、追い抜き可能な個所ともに限られたなかで、ペレスには他に手はなかったのだろうが、ちょっと一本調子なやり方ではあった。この部分にライコネンの怒りもあったのではないかと思われる。

 しかし、それ以前のジェンソン・バトン、アロンソを相手にしたペレスのシケインへの飛び込みでのオーバーテイクは積極果敢だった。しかもそれは、トンネル入り口前のポルティエコーナーの立ち上がりから始まっていた。ペレスはその立ち上がりで他のドライバーとは若干異なるラインを取り、立ち上がり加速を高めていた。そのトラクションをかけ方は見事だった。こうしてトンネル内で先行するマシンとの差を詰めて、シケインで刺したのだった。まだ粗削りながらペレスの果敢さと巧さには、今後の成長が楽しみな所が見えた。

 キャリアと経験から考えると若手と言うには申し訳ない気もするが、スーティルもヘアピンでの追い越しが見事だった。ヘアピンは、どのドライバーも進入ではイン側をあけて、旋回半径をできるかぎり大きくとりたい。ところが、その空いたイン側にスーティルは思い切りよく飛び込んだ。しかも上手くマシンを小回りさせて、接触することなく、追い抜きを達成していた。スーティルの機転と巧みなドライビングと、それに応えられるマシンを創ったフォースインディアチームは見事だった。

 半面、大きなクラッシュを引き起こしてしまったパストール・マルドナド、マックス・チルトン、木曜日、土曜日、日曜日と3連続でマシンを壊してしまったロマン・グロジャンには課題が残ったように思えた。

 たしかに、よりよい順位を勝ち取るためには限界ぎりぎりの走りが必要で、モナコのコースは些細なミスも即ガードレールへ接触という、ミスを一切許さない過酷なコースである。だが、ミスを繰り返してチームに負担をかけ続けるのは、プロフェッショナル・ドライバーとしてのキャリアが危うくなってしまう。

 不用意な接触が多いことも問題だ。F1をはじめとしたモータースポーツは、安全向上を常に追求し、今もその活動を続けてきている。そのために多大な労力、費用もかけてきている。その成果がより安全なコクピット、ドライバー装備、バリアなどのコース設備といった成果になっている。

 フェリペ・マッサは土曜日のフリー走行と決勝で激しくクラッシュし、少なくとも決勝のケースではマシンに原因があったとようだとフェラーリは発表した。ドライバーがどうにもできない状況でも、コクピットのヘッドレスト、シートベルトとHANS、ヘルメット、コース脇のテックプロバリアのおかげで、マッサは筋肉痛程度の軽傷ですんだ。これが本来の安全対策とその効果のあり方なはず。

 だが、モナコGPの決勝での若手ドライバーたちのクラッシュは、安全になったことをいいことに乱暴な無茶をしているように見えた。

 これまで安全対策をしてきた研究者たちと接してきて、その献身的な努力と情熱の一端を目の当たりにしてきた。HANSの開発スタッフ達を例にとっても、その高い安全性がSAE(米国自動車技術者学会)で表彰されたときに、「もっと早く完成していれば、ゴンゾ(ゴンサロ・ロドリゲス=F3000、チャンプカードライバー)を救えたのに」と、受賞の感激ではなく、若い命を救えなかったことへの悔しさの涙でスピーチをしていたほどだった。

 自分たちの安全がどのように担保されてきたのか? これまでどれだけの努力と情熱が注ぎ込まれてきたのか? どれだけの尊い犠牲があったのか? 今のF1やGP2の若手ドライバーたちは、これらをもう少し考えるべきだろう。

ポイントへの執念を見せてくれたライコネン

 先述のペレスとの接触でライコネンは左リアタイヤのエアが徐々に抜けるスローパンクチャー状態となってしまい、70周目にピットストップしてタイヤ交換をせざるを得なくなってしまった。これでライコネンは16番手にまで落ちてしまうが、そこからテレビの映像には映らなかったが、怒涛の追い上げをみせていた。

 73周目13番手、77周目11番手。そして最終ラップにニコ・ヒュルケンベルグを抜いて10位になった。この最終ラップのライコネンのタイムは自己ベストで、全ドライバー中でもこの日の2番目に速いタイムだった。

 ポイント獲得へのライコネンの執念は素晴らしく、チャンピオン経験者らしい戦いぶりだった。そして、ライコネン入賞は昨年のバーレーンGPより23回連続となった。

 今年のモナコGPは見事な走りによる歴史的快挙、積極果敢で巧みで有望な走り、入賞とポイント獲得への気迫の追い上げがあり、見応えと感動があるレースだった。半面、プロフェッショナルとして課題が多く、がっかりさせる走りもあった。課題克服へそれぞれのさらなる成長を願いたい。

タイヤテスト問題

 モナコGPでは、事前にメルセデスAMGチームがピレリのタイヤテストを担当したことが問題となった。これはまだ進行中のことであり、まだ言及すべきことではないと思う。

 ただ、ピレリがタイヤ開発のために旧型のマシンではなく、最新のマシンでより高度なテストをしたかったというのはよく分かる。半面、メルセデスAMGと単独で話を進めた形となったのは、競技の公平性を考えれば他チームから問題とされてしまうだろう。しかしながら、これまでピレリによる建設的な提案の多くを却下してきたのもF1チーム側であった。

 FIAがどう判断するだろう。この記事を書いている時点では、最終決定には至っていない。必要なら、これを受けてまた次回以降で言及しようと思う。

 ついでに記すと、来年以降のF1のタイヤ供給契約をどことどう結ぶかもまだ決まっていない状況で、6月にはこれも決定しなければならないところである。

ハイレベルだった第97回インディ500

 モナコGPと同日に開催された第97回インディアナポリス500マイルレース(インディ500)は、きわめてハイレベルな展開だった。

 200周レースで68回もトップが入れ替わった。この数字には途中トニー・カナーンとマルコ・アンドレッティの間で互いにトップを交代して引っ張りあうようなところも影響していたと考えられる。それでも、これまでの最多リードチェンジ(トップ入れ替わり)記録だった2012年の34回を大きく更新した。

 また、優勝したトニー・カナーンの200周の距離500マイルをスタートからゴールまでのタイムで割ったレース平均ラップタイムは、時速187.433マイル(=301.643km/h)で、これも1990年以来23年ぶりの記録更新となった。近年のインディカーは、安全のために最高速度をやや抑えているので、長年レースの最速平均速度の記録更新ができなかった。それを今回、更新したことでも、今年のインディ500がいかに高速で展開したレースだったかがうかがえる。

 この記録更新には、レース中のコーションラップの少なさも大きく貢献していた。実際、コーションは5回だけだった。

 レースの完走台数も史上最多の出走33台中27台となった。過去の最多記録は1911年の第1回大会での26台だが、このときは40台が出走していた。

 こうした記録からも、いかにハイスピードで、大きなトラブルもなく、多くのドライバーが安定感のあるレースをしていたかが分かるだろう。こうした安定感のあるレースは、クラッシュやコーションの多いレースの派手な展開に、一見見劣りがするという声もある。だが、難しいコンディションのなかで超高速の接近戦を長いラップにわたって展開したのは、やはり見事だった。今年のインディカーのレベルを高さを現わしていた。

難しいコンディションと佐藤琢磨

 今年の第97回インディ500は、気温華氏62度(摂氏16.6度)という1911年第一回開催以来、史上3番目の低温のなかで行われた。この条件では、空気の密度が上がり、エンジンのパワーは若干向上し、ウイングの効きもややよくなる。これが最速平均ラップタイム記録更新などに貢献したと言える。半面、気温が低いため、走行風でタイヤが冷やされてしまい、グリップを失いやすいという恐れもあった。これが佐藤琢磨を苦しめてしまった。

 18番手スタートだった佐藤琢磨は、スタートからどんどん順位を上げていき、48周目には6番手まで浮上。残りはまだ150周以上もあり、優勝も可能なところだった。

 だが佐藤のマシンはタイヤのグリップ不足に苦しんでいた。そして、57周目のターン2でスピン。マシンを壊さなかったが、エンジンを再始動して戦列に復帰したときには最後尾に落ちていた。ここでコーションとなり、ほぼ全車がピットストップをするなか、佐藤はコース上にとどまった。これで佐藤はトップと同一周回でレースを再開。ふたたび追い上げた佐藤は、173周目には9位にまで挽回していた。だが、最後のピットストップで再び順位を落とし、200周を走り切ってゴールしたときには13位だった。

 気温が低くタイヤの温度が下がってグリップ力が下がるのは当然だった。だが、これはウイングを立ててダウンフォースを増やせばある程度改善できるはず。ところが、佐藤にはこれができない事情もあった。

 今年のインディ500では、予選から決勝までシボレーエンジンがホンダエンジンを凌駕していた。出力で劣るホンダエンジンでストレートスピードを確保して、シボレーエンジンとバトルするには、ウイングを寝かせて空気抵抗を減らすことが求められた。結果、ダウンフォースもタイヤのグリップも不足気味となった。

 さらに佐藤にとっては不運なことに、こうした状態でターン2に入ったときには、集団のなかに入ってしまっていた。これで前を行くマシンの乱気流を受けた佐藤は、ダウンフォースがさらに失われたうえに、乱気流で車体の安定性も乱されてしまった。結果、これが57周目のスピンになってしまった。

 佐藤にとってはまったく不運としかいいようのない状況だった。そして、参戦4年目という経験の少なさも影響したのかもしれない。

 インディカーやNASCARのドライバーたちは、経験を積むことで目に見えない空気の流れを予測し、体で感じ取ることで、状況に対処している。これで、より安定したレース展開を可能とし、上位で生き残って優勝へのチャンスを増やしている。だが、これは長い経験がいると言う。

 この空気の流れを読み取る能力に加えて、インディ500で勝つためにはドライバーの力量と経験と勝負感覚、マシンとタイヤの性能、チームが立案するレース戦略、ピットストップ作業、運、すべてが完璧にかみ合わないと勝てないと言う。そのため、インディ500に勝つことは本当に難しい。今回優勝したトニー・カナーンも12回目の挑戦でやっと掴んだ栄冠だった。

 インディ500で3勝し、現在はインディカーのペースカードライバーを務めるジョニー・ラザフォードさんと、以前ツインリンクもてぎのホンダ・コレクション・ホールでトークショーをやった。そのときラザフォードさんは、自身の経験から「インディ500に勝つには10年はかかる」とも語っていた。

 インディ500はそう簡単には勝たせてくれない、難関中の難関である。だからこそ、勝利すると全米の尊敬と人気を集められる。

 今回の佐藤は13位という結果に終わり、インディ500制覇の夢は来年以降へとなった。だが、スピンを除けば厳しい条件のなかでも巧みに順位を上げていた。これは、佐藤にとってさらなる経験と自信につながるだろう。

 インディカーシリーズは、インディ500のすぐ翌週にはデトロイトで週末2レース開催が行われる。そして、シーズンはどんどん進行していく。佐藤は目下ポイントランキング2位。シリーズチャンピオンにとても近い位置につけている。

6月もレースはいっぱい

 6月もル・マン24時間をはじめ、レースがいっぱいだ。

 ル・マン24時間ではアウディとトヨタの真っ向勝負に目が離せない。また、中嶋一貴、中野信治、小林可夢偉、井原慶子の日本人ドライバーたちの戦いも注目だ。

 スーパーフォーミュラは第2戦オートポリス、SUPER GTは第3戦セパンもあり、いずれも白熱した戦いが期待できる。

 F1はカナダGPとイギリスGPがあり、こちらも中盤戦への重要な戦いとなる。

小倉茂徳