オグたん式「F1の読み方」

2014年を振り返ってみて

盛りだくさんのレギュレーション変更

 今年もいろいろなことがあった。さまざまな見苦しいノーズが現れたときには、どうなることかと思った。このレギュレーションは、ノーズ先端を低くしてドライバーの頭部に当たらないようにするという安全向上のためのものだった。さまざまな形になったのはF1チームの創造性の高さの現れであった半面、安全向上のためにという法の精神をないがしろにしたうえに、「自分だけは」という我田引水的なチームの心根の見苦しさも見えてしまった。

 2013年まではKERSとして減速時に余剰となる運動エネルギーを回生していたが、今年はMGU-Kとしてその性能を高めたうえ、さらにターボチャージャーにも発電装置を付けてMGU-Hとした。そしてエンジンはV6ターボとして、高効率なダウンサイジングエンジン技術を追求した。近未来の市販車への技術開発という点ではよかったが、WEC(世界耐久選手権)の回生技術と比べると、扱えるエネルギー量も少なく、方式でも画一的だった。むしろ音の寂しさ、ドライバーに燃費走行を強いる、ブレーキと回生のバランスが難しくオーバーラン多発、車体重量の増加による動きのわるさ、パワーユニットのコスト高騰などいくつかの課題も残してしまった。

 F1は、自動車メーカーのテクノロジーを競うメーカー選手権になりたいのか? それにはWECに優る技術的自由度が必要だ。それとも本来の姿であるドライバーの操縦技量を競うドライバー選手権でありたいのか? それにはドライバーの技量の差がはっきり出るシンプルなマシンのほうがよさそうだ。今年のF1はどちらにもつかない中途半端なものにも見えた。

 スポンサーがどんどん減り、タバコに続いてアルコール飲料関係も規制強化の傾向にある。一方、競争は激しくなり、優秀なエンジニアを確保するための人件費と、走行テストが限られる中で開発力を高めるためのシミュレーション技術などといったテクノロジーへの多額の投資も必要だ。多額の費用を持ち込んでくれる自動車メーカーの参戦をつなぎとめたいという気持ちはよく分かる。

 しかしパワーユニットで言えば、メルセデスとそれ以外では大きな性能差があった。それは車体側の開発だけでは埋められないものだった。結果、パワーユニットの性能差によって上位にメルセデス勢が並び、次にフェラーリ勢とルノー勢が並ぶことが多くなった。どんなに優れたドライバーでも、パワーユニットの性能差で勝ち目がないというのは興ざめだった。しかも、パワーユニットの設計は開幕戦の段階で凍結されるという規定のため、根本的な改良ができない。マップと呼ばれる制御コンピュータのソフトウェアなど細部での変更は可能でも、それでは大きな進歩にはならなかった。コストを考えればこの設計凍結は重要だが、競技、競争の面白さから言えばナンセンスな面もあった。

 例えばスーパーフォーミュラのように、シーズン中盤で新設計のエンジンが投入できるルールにすれば、もう少し面白い展開になったかもしれない。ただ、それを実現するにはどこまで変更が可能なのかなど、コスト面との摺合せも必要となる。今年のF1はパワーユニットについていろいろなことをいっぺんに取り込んだので、その分コストも大幅に増してしまった。段階的にやれば、設計凍結ルール解除とコストの問題とも整合が採りやすかったかもしれない。この問題はとても難しい。不利が続けば負けている自動車メーカーは撤退も考えるだろう。逆に、設計変更を可能とすればアドバンテージを失う自動車メーカーが撤退を考えるかもしれない。常にメーカーの顔色をうかがわなければならず、その利害の対立は建設的な声を押し殺す可能性も高い。

 ではいっそのこと、MGUをやめてエンジンとギアボックスをワンメイクにしてはどうだろうか? 1970年代にそんな時期もあった。フェラーリ、マトラ、アルファロメオが少数チームにエンジンを出す一方で、大多数はフォード・コスワースDFVエンジンで、ギアボックスはフェラーリ以外のチームはヒューランド製ということもあった。では、それでF1の魅力は薄れたかというと、その逆だった。チームは車体の技術革新を促進したし、例外的に大きな進歩を導入して優位に立っても、その技術アドバンテージはすぐに埋まり、新たな勢力が王座に就けた。下位チームのウィリアムズがトップチームになれたのがその例だった。ドライバー対ドライバーの激しい戦いも魅力だった。バーニー・エクレストンは、2016年からV10エンジンに戻すことを提案しているが、コスト削減とレース観戦の面白さではよいかもしれない。だが、その時には自動車メーカーはF1から離れるだろう。そして、メーカーからの資金注入もあてにできなくなってしまう。

限界が見えてきたチームの高コスト

 前述の通り、車体側の開発コストも高いままであり、これがチーム間の格差を大きくしてしまった。一方で、スーパーフォーミュラは鈴鹿でF1のQ1勢に食い込む速さを見せた。最終戦で路面がわるくならなければQ2勢にも食い込める勢いだった。そのスーパーフォーミュラ最終戦で、ダラーラのジャンパオロ・ダラーラ会長はスーパーフォーミュラのマシンについて、「車両のコストはF1の2%(1/50)にすぎず、ラップタイムはF1の4%落ちでしかない」とし、きわめて高いコストパフォーマンスを実現していることを示した。しかも、スーパーフォーミュラの安全規定はF1とほぼ同等のクラッシュテストに合格している。この現実を考えると、F1の車体側のコスト削減は不可能ではないだろう。

 半面、今シーズン終盤にケータハムとマルシャの2チームが財政難で欠場したときに、GP2を高性能版にしたマシンを作らせ、それを持ったGP2チームにF1出走を許すというナンセンスな話もでた。GP2の現行シャシーは設計年次が古くすでに旧式化していて、高性能版にしても飛躍的な性能向上は見込めない。今年のスーパーフォーミュラや来年のインディライツのシャシーをもとにした高性能マシンなら希望があるかもしれないが。

 それでも、スーパーGP2マシンを作って参戦しても、新たな「負け犬チーム」を増やすだけで、その先には財政難で消えていくチームと、生活に苦しむスタッフを増やすだけだっただろう。スーパーGP2説が実現しなくてよかったと安堵した。結局は、上位チームだけが安泰ならよいのか? ここにもF1の見苦しさが垣間見えた。プロ野球やNFLのような、その競技全体の繁栄をなぜ考えられないのか?

F1のあり方、未来への布石

 フォーミュラ本来のドライバーの技量を競う競技であるところに、グランプリレースの伝統の一部でもある技術革新の魅力も重ねてきたF1だが、今年は長年内包してきたそのジレンマがより顕在化した状況のようにも思える。

 その中で各地のサーキットでは観客数、テレビでは視聴者数(とくに有料放送の加入者数)の前年割れが相次いだ。ヨーロッパの有料テレビ放送局は「もうやっていけないかもしれない」と漏らすところも多くなった。実際、日本GPではまだチャンピオン争いが続いていたにもかかわらず、鈴鹿から実況放送するところが減っていた。このことは、放送席に空席が増えたことでも明らかだった。

 離れてしまった観客を目先の面白さでなんとか取り戻そうと、赤旗中断後の再スタートをセーフティカー先導ではなく通常のスタンディングスタートにすることや、最終戦でのダブルポイントという奇をてらったルールも今年導入された。だが、スタンディングスタートはリスクが大きくなることは明白だった。ダブルポイントはそれまで積み重ねたポイントの意味が薄くなり、チャンピオンシップの伝統にも反するものだった。12月のワールド・モータースポーツ・カウンシルで、この奇をてらった付け焼刃なルールは2つとも2015年規定から削除されることになった。良心の勝利と思い、まだ希望があるように思えた。

 サーキットからの開催契約料収入、テレビからの放映権収入は、もう増額の上限に達しつつある。一方、チームはこれら収入の半分からなる商業分配金を、より増加することを望んでいる。無理と無理とのぶつかり合いのように見える。下位チームは財政難に陥っている。

 本当に魅力的なシリーズにするためにはどうしたらよいのか? それにはより多くの高い見識が必要だ。だが、今まではこれをすべてバーニー・エクレストン1人に頼ってきた。これまでエクレストンはF1を世界的なスポーツイベントへと高めてきた。しかもチームの結束力も高めており、それは並外れた手腕だった。しかし、エクレストンも人間であり、すでに84歳である。誰かエクレストンをサポートし、後継になる優秀な人物が必要だ。しかし、その人物はいまだ見つからない。

 今年はF1が未来に向けて大きな過渡期にさしかかっているようにも思えた。それは、来年に向けたドライバーたちの移籍にもうかがえた。F1のレースを運営する側、レースを観て応援する側にとっても、今年がよい方向へ進むためのステップとエチュードになればと思う。

 この後、各チームについても簡単に振り返ってみたい。

メルセデスAMG

 2人のドライバーがチャンピオンを争い、他を寄せ付けない圧勝だった。

 F1 W05ハイブリッドは、今年の大幅な技術レギュレーション変更に対して、最も上手く対応していた。ノーズは先端を低くして衝突相手のドライバーの頭を保護するという規定の精神をきちんと体現していた。しかも、その形状でも空力的に大幅な不利にはなっていなかった。レギュレーションの条文を都合よく解釈して、事実上ハイノーズのままで空力アドバンテージを得ながら先端だけ低くしようとするという、規定の精神をないがしろにした大部分のチームを打ち負かしたのはみごとで、技術者の良心の勝利は痛快で小気味よいものだった。メルセデスAMGチームはノーズまわりを中心に、シーズン通して頻繁に改良を施すという努力を繰り返していたことも付記しておきたい。

 前後左右のダンパーを関連させて、車高と姿勢を常に一定範囲内に保とうとするFRIC(前後関連)サスペンションは、メルセデスAMGがかなり力を入れてきた技術だったが、これがシーズン半ばで禁止されてもF1 W05ハイブリッドの性能と成績には目立った影響をみせなかった。これも、このチームとマシンに技術的な引き出しがかなりあることをうかがわせた。

 エンジンと駆動装置も今年は大きく規定が変更された。その中で、メルセデスのPU106Aハイブリッドは最適な答えを見出したと言える。これは、F1 W05ハイブリッドの予選、決勝での圧倒的な強さに現れていただけでなく、同じパワーユニットを搭載した他のチームの予選と決勝の結果でも明らかだった。

 F1公式サイトのFormula1.comのNewsページでは、Technicalという技術ページでジョルジョ・ピオラ氏によるイラストで各メーカーのパワーユニットについて解説されている。これでF1 W05ハイブリッドがほかの2メーカーとはまったく異なる機器配置にしていることが明らかになった。それはMGU-Hの配置で、ほかは発電装置とターボチャージャーをほぼ一体にして配置していた。それに対してF1 W05ハイブリッドではエンジンの後部にターボチャージャーを、エンジンの前側に発電装置をそれぞれ配置し、この2つを専用の駆動シャフトで接続していた。これは長い駆動シャフトの重量増加と、この駆動シャフトは高速回転することで発生する振動への対策というデメリットもあるが、パワーユニット全体の重量バランスの良好化と、熱を嫌う発電装置と排気ガスを取り入れて極めて高温になるターボチャージャーとを引き離すことで発電装置の高効率化と故障の減少の両立という、より大きなアドバンテージを得たみごとな設計だった。

 ルイス・ハミルトン、ニコ・ロズベルグの2人はベルギーGPでの接触のようにかなり緊張が高まる場面もあったが、激しくかつハイレベルな戦いでチャンピオンを争った。結果は終盤戦で安定した結果を出したハミルトンが勝ったが、シーズン中盤までの安定感と後半戦での速さを考えるとロズベルグにもチャンピオンの資格が充分にあったと言えるだろう。

 チームはロス・ブロウン代表が離れるなど近年大きく体制を変えた。本拠地施設は英国内のままだが、その指揮系統はドイツ本国により直結するというものになった。英国のメディアが当初発信したニュースではこれを否定的に報じていたが、結果はこのとおり。むしろグランプリレースの歴史において、何度も繰り返されたメルセデスとシルバーアローの圧勝の再現となった。「Das Beste oder nichts」(最善か無か)というゴットリープ・ダイムラーのモットーを社是とするメルセデスならではのマシン作りと戦い方だった。

レッドブル

 ディフェンディングチャンピオンチームは、シルバーアローの強さになんとか対抗しようとしたが、届かなかった。

 RB10は随所で速さをみせたが、メルセデスに真っ向勝負できるレベルではなかった。レッドブルのパワーユニットであるルノーのエナジーF1 2014は、メルセデスに完敗なうえに信頼性でも不安を残し、ドライバーがその性能をフルに発揮できない場面もあった。とくにセバスチャン・ベッテルはその影響を大きく受けてしまった。

 ベッテルとダニエル・リカルドでは、成績に大きく違いが出た。今シーズン開幕前、大部分のメディアはリカルドについてベッテルのナンバー2としてどこまで役割を果たせるかというような論調だった。しかし、現実はリカルドが予選でも決勝でもベッテルに勝ることが多かった。これは2人のドライビングスタイルの違いによるところもあったように思える。

 ベッテルは若いが、従来のドライバーと同様のブレーキングスタイルだった。それは、足でブレーキペダルを強く、しかも繊細にコントロールすることで、最も短い距離と時間で最も無駄のないブレーキングをしていた。しかし、今年はBBW(ブレーキ・バイ・ワイヤ)となり、リアタイヤでの回生(発電)量に応じて、リアのブレーキのかかり方を車載コンピュータが自動で調整するようになった。だがこれはとても難しいものだった。リアタイヤでの回生の仕方は電池の残量によって変化してしまう。だから同じコーナーでも、同じようにリアブレーキが作動するとは限らない。しかも、リアブレーキの利き方を自動制御するにしても、燃料の消費による車重の変化やタイヤと路面状態の変化で毎回微妙に条件が異なり、完全な自動制御はしにくい。ドライバーは常にブレーキに疑念を抱きながらブレーキングしなければならない状態だった。

 すると、これまで自らの足で繊細なブレーキコントロールをしてきたドライバーには大きな違和感ともどかしさが残ってしまう。しかもルノーのパワーユニットは動作が不安定だったので、より疑念が大きくなってしまう。これがベッテルの不振要因の1つだったように思える。このブレーキングでのBBWによる問題は多くのドライバーにも共通していて、予選や決勝でのフルブレーキング区間でオーバーランやコースアウトももっぱらBBWによるもので、ドライバーのミスではなかった。メルセデスでもロズベルグは同様な問題に最後まで苦しんでいた。

 一方、リカルドは新世代のドライバーで、このBBWの問題にもより素早く対処したように見えた。BBWの動作が不安定でリアが暴れてもなんとかフロント側の操作で切り抜けることで、BBWの問題による影響を少なくしているように見えた。これはフロント側をより使うドライバーにも共通していて、ハミルトンもその1人だった。

 パワーでは不利な条件の中で、リカルドがメルセデスAMG勢に唯一挑み、優勝を獲得したのはみごとだった。そして、RB10自体の素性のよさを示すこともできた。

ウィリアムズ

 2013年のコンストラクターズランキング9位から、2014年は同ランキング3位と大躍進だった。ウィリアムズは今年上期の財務状況を公開した際に、やや赤字になったのは「技術部門の強化のため」としていた。その対価ははっきりと結果に現れた。また、パワーユニットにメルセデス PU106Aハイブリッドを選定したことも功を奏した。FW36もブレーキダクトなど細部にまで配慮した優れた空力設計がなされていた。

 ドライバーではバロテッリ・ボッタスが期待どおりの高い実力を発揮した。フェリペ・マッサは途中不運な点もあったが、終盤にはその実力を発揮できた。

 ただ、チームの戦略はやや保守的だった。勝てそうだったのに表彰台を優先した場面もあった。それは、堅実に結果とポイント獲得を選んだという点ではよいことだった反面、2012年スペインGP以来優勝から遠のいたチームゆえの勝ち方を忘れた姿にも見えた。

「勝てる」要素がそろってきたところで、望むのは優勝と勝ち方だろう。

フェラーリ

 フェルナンド・アロンソとキミ・ライコネンという2人のチャンピオン経験者をそろえた体制だったが、1993年以来となる無勝利のシーズンとなってしまった。

 ルノー同様、フェラーリのパワーユニットである059/3は、メルセデスのものに対してパワーで大きく負けていた。チーム側は40PSほどのマイナスというが、実際には50PS以上負けていたという。空力が大きく規制されている中では、このパワー差はどうにもできない性能差になってしまった。また、アロンソのパワーユニットは1基壊れてしまい、事実上シーズンをほかよりも1基少ない状態でやりくりしなければならない状況だった。

 F14 Tは、メルセデスAMGチームと同様にノーズを規定の精神通りの解釈で造られた。これはみごとだったが、メルセデスはもちろんレッドブルにも及ばないマシンだった。ライコネンは、BBWなどF14 Tに最後までなじめなかった。アロンソはより上手くF14 Tに対処していたものの、性能向上の幅のなさに次第に意欲を失っていったように見えた。結果、これがアロンソを移籍へ向かわせるカギの1つになってしまった。

 チーム体制は大きく変わった。ドメニカリ代表がシーズン序盤の4月で退任し、その後任には北米フェラーリのCEOでルカ・ディ・モンテゼーモロ社長の側近と言われたマルコ・マッティアッチが現職と兼任することになった。しかし、9月にモンテゼーモロがフェラーリの社長を退任すると、11月にはマッティアッチもフェラーリチームの代表から離れた。そして後任のチーム代表には、セルジオ・マルキオンネ新社長によって採用されたマウリツィオ・アリバベーネになった。技術部門も、テクニカルディレクターのパット・フライとチーフ・デザイナーのニコラス・トンバジスがチームを離れ、ジェームズ・アリソンがその後任となるという。また浜島裕英も今年いっぱいでチームを離れる。トップ交代で体制や人事が大きく変わるのは欧米の組織ではよくあること。だが、今季末のフェラーリの大幅な体制変更は、1つの時代の終わりにも見えた。

マクラーレン

 2014年も成績浮上とはならなかった。MP4-29は、リアサスペンションのアームを工夫してディフューザーの効果の向上を狙うなど、意欲的な設計でもあった。だが、よいところはあまり出せなかった。むしろ同じメルセデス PU106Aハイブリッドを搭載するメルセデスAMGに差をつけられただけでなく、ウィリアムズの後塵を拝し、フォースインディアと互角の戦いとなるときも多かった。車体に描かれたスポンサーロゴの減少も目立った。

 チーム体制は、前年末でマーティン・ウィットマーシュ代表が離任し、ロン・デニス会長がCEOの立場を兼任し、ロータスからやってきたエリック・ブリエがチーム代表として収まった。しかし、結果はこの項の冒頭に記した通りだった。また、2015年に本田技研工業のエンジン供給を受けることを発表し、メルセデスのパワーユニット供給先でも、最新の情報は得にくい立場にもなっていたようだった。

 ドライバーでは、開幕戦でのケビン・マグヌッセン2位、ジェンソン・バトン3位(リカルドの除外処分による繰り上げ)もあったが、あとは表彰台に上がれなかった。しかしながら、入賞回数は2人とも多かった。その中でバトンの方がより上位での入賞回数で勝っていた。

フォースインディア

 2014年でもっともコストパフォーマンスのよいチームだったかもしれない。フォースインディアチームはトップチームほどの財力はないが、今季の大幅な規定変更に上手く対応してきていた。それは予選と決勝でのVJM07のパフォーマンスにはっきり現れていた。メルセデス PU106Aハイブリッドの性能のよさもあったが、フォースインディアチームの技術スタッフの実力の高さをはっきりと示していた。最終的にはマクラーレンに26ポイント及ばなかったものの、ペレスの第3戦バーレーンGPでの3位を筆頭にシーズン中マクラーレンを大いに脅かせることができた。

 ドライバーのセルジオ・ペレスとニコ・ヒュルケンベルグは、VJM07の性能を上手く引き出す走りをしていた。結果表の順位は際立ったものではなかったかもしれないが、ドライバーもチームも光るところをいたるところで見せていた。もしも、このチームにトップチーム並みの資金力があったらどうなっていただろう? そんなことを期待させる活躍だった。

トロロッソ

 STR9はトップ10を狙えるマシンではなかった。その要因の1つはルノー エナジーF1-2014パワーユニットだったが、車体側の戦闘力も足りなかった。それでも30ポイントを稼いだ。速さと鮮烈さでダニール・クビアトが目立ったが、ジャン・エリック・ヴェルニュが22点、クビアトが8点と、真の活躍をしたのはヴェルニュだった。だが、レッドブルが下した決断は、2015年にはクビアトをレッドブルチームに抜擢し、ヴェルニュを放出するというものだった。

ロータス

 新規定に対応したノーズの中で、もっとも奇抜な対策を導入したのがロータスE22だった。しかし、結果は惨憺たるものだった。それは、ルノー エナジーF1-2014の不振もあったものの、車体側によるところが大きかった。ドライバーは最後までマシンに信頼を置けないまま走らざるを得ず、ロマン・グロージャンもパストール・マルドナドもそのよさを出せないで終わってしまった。ロータスの名前を冠しているものの、その実態は小規模チームとなり、財政力の不足も大きく影響していた。

マルシャ

 小規模チームで下位勢の常連だったが、その中で善戦した。とくにジュール・ビアンキはモナコGPで9位に入賞し、これがコンストラクターズランキングでチームを9位に押し上げる原動力となった。マックス・チルトンは堅実に完走を重ねた。

 高い才能を発揮してチームのけん引役を務めていたビアンキが日本GPで重傷を負ったのは、チームにとってもF1にとっても大きな損失となった。チームはその後財政破たんとなり、機材はすべて競売に付されてしまった。現状の高コストなF1の犠牲者の1つだった。

ザウバー

 終始財政難で苦しんでいた。C33はトップ10に入れる性能はなかった。それはエイドリアン・スーティルの実力をもってしても無理で、スーティルは入賞ゼロで終わった。エステバン・グティエレスもマシンに足を引っ張られてしまった。

ケータハム

 オーナーのトニー・フェルナンデスは2014年に結果が出せなければ、2015年はないとチームに檄を飛ばしていた。しかし、実際はシーズン半ばで見切りをつけてしまった。歴代マシンと同様に、CT05はチームとドライバーの期待を裏切ってしまった。

 イギリスGPの時点でオーナーシップが代わり、チームはコリン・コレスの指揮下となった。コレスはドライバーを入れ替えたりすることで、CT05の性能を計るとともに資金調達をしようとした。コレスにとってもっとも信頼できるドライバーであるアンドレ・ロッテラーをしても小林可夢偉が出した結果と大差なく、これでCT05の性能の上限がきわめて低いことがはっきりした。小林可夢偉もマーカス・エリクソンもCT05が大きな足かせになった。そのうえ、コレスがドライバー体制を引っ掻き回したのは、P1でのドライバー起用で少額を稼いだものの、レギュラードライバーのモチベーションを大いに低下させた。

 チームは財政難でアメリカとブラジルの両GPを欠場したが、その際にコレスら新オーナー側とフェルナンデス側とがプレスリリースを乱発して、財政難と欠場の責任を押し付け合う非難の応酬を展開した。これはチーム自体だけでなく、F1全体についてのイメージダウンだった。チームは新たな管財人のもとでクラウンドファンディングによって最終戦には参戦したものの、その未来はまったく分からない状況だ。新旧双方のオーナーたちによって現場は混乱を極め、スタッフはその生活をもてあそばれたようなシーズンとなった。

2014年はより危機感を募らせるシーズンに

 2014年はメルセデスのシルバーアローの伝説と歴史に新たなページを加えた反面、あまりに意欲的な新パワーユニット規定の導入は、テスト制限とエンジン設計凍結規定とあいまって本来の理念であったドライバーの戦いを妨げることにもなってしまった。それはレースの面白さをそぐ結果となり、サーキットでもテレビの前でも観客の減少を招いてしまった。

 そして高騰するコストによって、F1は2チームが終盤に財政難から欠場となり、1チームは倒産解体となり、もう1チームも先行き不明というところになっている。F1は重大な岐路に立っている。ここで賢明な判断ができなければ、重大なダメージを負うかもしれない。そんな危機感をより募らせることとなった。

 F1は、そのブランドに絶大なる力を備えている。幸いまだ今は素晴らしいドライバーがそろっていて、若い優れた才能もF1を目指そうとしている。そのブランド力が減衰してしまう前に、優れた人材が枯渇してしまい、ほかに目を向けられてしまう前になんとかしないと。そんなことを感じさせる2014年であった。

 2015年がよりよい年になりますよう。

小倉茂徳