【連載】橋本洋平の「GAZOO Racing 86/BRZ Race」奮闘記

第21回:レースの楽しさとつらさを実感した2015年シーズン

 泣いても笑っても2015年の最終戦となるGAZOO Racing 86/BRZ Race クラブマンシリーズ。ならば最後まで諦めず全力で戦いたいと思うが、すでに心は泣いている。それはとにもかくにも、前回のレースで接触事故を起こし、ペナルティを食らっているからだ。レース中に出されたペナルティは、決勝結果に30秒を加算するというものだったが、今回のレースでもその事故に対するペナルティが加わる。それは、予選タイムのセカンドベストタイムまでを抹消し、サードベストタイムが予選タイムとして記録されるというものである。

第20回:明暗を分けた1000分の1秒、初のペナルティを受けた第7戦富士
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/gazoo/20151003_723984.html

 現在、僕のシリーズポイントは3番手。チャンピオン争いはまだ決着がついていないものの、逆転チャンピオンの可能性はすでになく、さらに4位の選手ともポイント差が離れているため、ほぼ3位は確定といっていい位置にいる。なお、“ほぼ確定”と書いたのは、このレースでも接触事故を起こした場合、ペナルティポイントなるものが2点となり、20ポイント剥奪されるというルールがあるため。もしもそうなれば、他の選手に逆転される可能性が残っているからだ。ちなみにこのイエローカード制度のようなものは、接触事故を引き起こしてから1年ペナルティポイントが消えることはなく、来年ももしこのレースに出場するなら、イエローカードを背負って戦うことになる。

 こんな背景があるのなら、鈴鹿戦の出場はやめてしまおうかとも考えた。もしもシリーズチャンピオン争いの邪魔をしたら……。もしも他車との接触でさらなるペナルティポイントを与えられ、20ポイントの剥奪をされてしまったら……。サードベストの予選タイムで順位が決められるなら、チャンピオン争いの邪魔をする心配はないだろうが、下位に沈んで接触事故を引き起こす可能性はかなり高まる。もうレースなんてやめてしまいたい……。前科者は1年間、ずっと前科者のレッテルを貼られるのだから。

 そんな腐った心を引きずっていた時、さまざまな人に励まされた。「応援しているから、最後まで走りなよ!」「みんな軽く夢見ているんだからね!」。家族、友人、あらゆる協賛いただいた各社、そして何より本連載を読んで下さる読者の方々まで、多くの人を巻き込んで何とか成立してきたオッサンレーシングである。やはり腐っている場合じゃない。ようやく重い腰をあげ、最終戦が行われる鈴鹿へと向かったのだ。

予選で考えた戦略

 ただ、今回は万全と言える体制でレースに臨むことはできなかった。トランスミッションオーバーホールに予想以上の出費を要し、予算オーバーとなってしまったため、メカニックさんを頼むことはできず、久々の1人ぼっちレーシング状態。タイヤ交換をはじめとするすべての作業を自らが行うという体制になってしまった。とはいえ、事前の整備さえシッカリしておけば何とかなるだろうくらいの気持ちで挑んだのである。

 しかし、鈴鹿に乗り込めば一筋縄には行かない雰囲気が漂っていた。それは天気がとにかく微妙だったのだ。レースウイークの金曜日にサーキット入りしたが、そこで翌日の天気予報を見てみれば曇りのち雨。決勝日の日曜日は雨という予報が出ている。予選がドライならば、すり減った浅溝タイヤをチョイスするのが通例なのだが、決勝で雨ならそれは裏目に出るはず。予選の一発にかけて、決勝はそれなりに行くのもいいかもしれないが、今回はペナルティでグリッド降格が目に見えている。タイヤ選択は実に悩ましい。やはり決勝に賭けるしかない今回の状況なら、新品タイヤで挑むしかなさそうだ。

 そしてセカンドベストタイムまで削られる予選の戦い方も練っておく必要がある。一発飛び抜けたタイムを記録しても何の意味もないことは明らか。ならば、いかにサードベストタイムまでをよいタイムで揃えるかがカギとなる。現在装着しているブリヂストン「POTENZA RE-71R」は、連続周回してもタイヤのタレが少ないが、やはり1周目にオイシイところがあることは紛れもない事実。そこを使えば2周目、3周目とタイムダウンして行くのは間違いない。そこで、1周目をとことん攻め込むのではなく、いうなれば耐久レースのように8割くらいの感覚で走ろうと決めたのだ。

 予選はできるだけ長い時間を走れるように、事前準備をシッカリと行った上で最前列近くに陣取ることに成功。僕の数台後ろには前回のレースで優勝した松原選手と、シリーズランキングトップの遠藤選手が連なっている。そこで次なる作戦を思いついた。それは、松原選手と遠藤選手の後ろに位置づけ、2台のスリップストリームを使ってタイムを出そうと考えたのだ。タイヤの負担がかかるコーナーリングはできるだけ控え目にして、ストレートで引っ張ってもらおうというわけだ。

 すると、その作戦は割と成功。2台の後ろでそこそこのタイムをマークした後に、一回タイヤを休ませ、さらにもう2周のアタックを行うことで、タイムのバラつきをコンマ3秒以内に留めることができたのだ。もちろん、一発の飛び抜けたタイムを記録することはできなかったが、結果的にセカンドベストタイムまで削られても順位を落とすことなく、総合で9番グリッドを獲得することに成功した。

フルウェットの決勝

 これならばまだまだ望みがありそうだと意気込んだ決勝日。天候は予想通りの雨で、コース上はフルウェットといっていい状況だった。パドックではウェットに合わせるようにまわりのチームはプリロードを抜いたり、減衰力を調整し直したりと準備に余念がないように見えていた。だが、こちらは雨宿りをするテントを立てるのが精一杯の状況であり、クルマのセッティングを1人で行うまでの元気も時間もなかった。「まあ、何とかなるさ」。これが応援にきてくれた家族や友人との合言葉のようなものだった。ウチのクルマには深溝のRE-71Rがあるのだから……。ドライ路面ならエア圧を冷間で1.7kg/cm2くらいからスタートするが、ウェットならば高めがいいだろうと、冷間2.5kg/cm2に高めるだけのちょっとしたセッティングを最後に行い、いよいよグリッドにつく。

 フォーメーションラップで入念にタイヤに熱を入れて、いよいよスタートの時を迎える。これまで走ってきた感触は上々。これならザブザブウェットだって、怖い思いをすることなく、ガンガン行けそうだ。待ってろトップグループ! 9番グリッドだってちっとも諦めていない自分がそこにいた。

 レースがスタートすると、真横にいたクルマがかなりの勢いでけん制してくるから厄介。コース上に留まるギリギリのところまで避けたが、結果的にはミラーとミラーが接触! 互いのミラーは畳み込まれてしまい、右脇はまるで見えない状態に。さらには前方もウォータースクリーンが立ちはだかり、何が何だか分からない。まるで雲の中を飛んでいる飛行機のような感覚で、フワフワした不思議な空間がそこに広がっている。イカン! このままじゃ誰かと接触してしまう!

 慌てて電動ドアミラーのボタンを連打していた。それでもなかなか開くことなく、気が付けばS字コーナーの中。そんな時に“ガキンッ”という音とともにミラーがグイーンとノンビリ開き始めたのである。ようやく失っていた右側の視界は広がり、何とか戦える状況になってきた。そのころはもう逆バンクコーナーくらいまで走っていただろうか。レーススタート直後のゴタゴタした状況は、より一層高まっていた。きっと心拍数はいつもよりぶっちぎりで高かったに違いない。しかし、そのドタバタの間に2台を抜いていたらしく、そこを7位でクリア。1周目の最後にはシケインで1台パスをして、6位まで上昇していたようだ。

 けれども、2周が終了した時点で後続で大クラッシュが発生。セーフティカーが入ってしまった。これならトップとの差も詰まるし、まだまだチャンスがあるかもしれない。ただ、実際にスプーンコーナー手前の事故現場を通過してみると、そうも言っていられない状況がそこにあった。クラッシュは2台が絡むもので、コースの両側に動けなくなったクルマが放置されていたのだ。あれを回収するにはどれだけの時間がかかるだろう……。たった8周で行われるレースが、セーフティカー先導のまま、どんどん周回数を消化して行ってしまう。

 ハッキリ言えば赤旗中断で再スタートすべき案件だったと考えるが、主催者はきっとメインレースのスーパーフォーミュラのスケジュールが押してしまうことを嫌ったのだろう。レース再スタートまでにはナント4周もの時間がかかったのである。こっちも時間とお金をかけてここにきているんですが……。サポートレースのアマチュアクラスの扱いなんぞ、所詮こんなものかとガッカリするばかりだった。

 そこから再スタートが切られるものの、レースはあと2周。上位になれば相手も当然手強くなるわけで、先ほどまでのようなチャンスにはなかなか恵まれない。1回だけスプーンコーナー手前で前のクルマの真横まで並んだが、接触してさらなるペナルティを受けるかもしれないと思った瞬間、スロットルを開ける右足の力は緩んでしまった。結果は6位。やや消化不良でレースを終えた。

クラブマン決勝では松原怜史選手が優勝。2位は小野田貴俊選手、3位は遠藤浩二選手。そしてシリーズチャンピオンは遠藤選手に決定。おめでとうございます!

86レースの光と影

 なんだかスッキリしない終わり方だったが、このあとさらなる試練が待ち構えていたのだ。それは再車検である。再車検は上位6台の入賞車両が受けなければならないもので、毎回その内容は異なる。これまでの再車検は簡単にチェックをしただけで終わることもあれば、リアタイヤだけを持ち上げてリアタイヤを空転させ、コンピュータを繋げてファイナルギアを変更していないかチェックすることもあった。しかし、今回はデフケースを取り外し、それを分解してLSDを提出して欲しいというのだ。機械式LSDを組み込んでいないか、はたまたサードパーティが作る効きのよいトルセンLSDを使っていないかを入念にチェックしたいということらしい。

 実はこれまで、何台かのクルマがLSDに細工をしているという噂話がパドックで広まっていた。実は僕のクルマも疑われていたらしく、実際にウチのメカニックのところまで探りの電話が入っていたほどなのだ。きっとシーズン終わりにすべての決着をつけたいということなのだろう。ま、僕のLSDは読者の方から譲っていただいた、正真正銘の純正品なんですけれどね!

 ただ、前述した通り今回の体制は1人ぼっちレーシング。メカニックも僕がやらねばという状況なのだ。デフを降ろす? どうやって? 今回の装備はパンタジャッキと、ちょっとした工具くらいしか持ち合わせていないのだ。

 そこで再車検を辞退して失格になるしかないかと考えた。どちらにしろ6位を失ったところで痛くも痒くもない。苛立ちの中、そんな思いを周囲に話しながら途方に暮れていた。するとある先輩から諭された。「失格という意味をもう少し重く受け止めたほうがいい。このまま帰ったらお前はインチキしていたと思われるぞ! ウチのメカニックに手伝ってもらって、再車検はきちんと受けなよ」。確かに電話がかかってくるほど疑われていたんだっけか。先輩の言うことはごもっともだと、お隣のプロのメカニックさんにきちんと工賃をお支払いした上で作業をしていただいた。

 結果はもちろんシロ。他の車両もシロで、なんのお咎めもなく再車検は終了した。ただ、メカニックさんは復旧作業は勘弁して欲しいと言ってきた。今回は再車検を受けた車両に新品のLSDが提供されたが、それを再びデフケースに組み込んでクルマに搭載するとなると、かなりの時間がかかるというのだ。「スペアのデフがあるからこれを組んで帰って。あとで返してくれればいいからさ」。その時点で16時30分。レースが終わって5時間以上も経過した状況だった。早く帰りたいと思うのはみんなの意見。これまたごもっともな意見である。ただ、後にさらにデフの脱着工賃が発生したことは言うまでもない。

 再車検を終えたチームの中には、クルマを原状復帰させることなく、クルマを手押しで運んで積載車に載せて帰ったチームもある。ガレージに帰ってからゆっくり作業をしたほうが遥かに効率がよいから、それも当然のことだろう。

 一体このレースはどうしてこんな姿になってしまったのだろう。ナンバー付きの手軽に始められるレースだからといって飛びついたのが3年前。もちろん、そこからはプロとの環境の隔たりを感じたこともあった。けれども、今年に入ってからはクラブマンクラスが始まり、ようやくナンバー付きレースらしく、自走できてレースをして自走で帰るという当然の流れができるようになってきた。そう感じていた矢先だったために、今回の一件は残念でならなかった。後日、バタバタしていたために取りに行きそびれた6位のトロフィーが鈴鹿サーキットから“着払い”で送られてきた。それを見て、より悲しみに暮れたのは言うまでもない。

 これからこのレースに出場したいと考える人も読んでいただけているようなので、これだけはハッキリと記しておきたい。このレースに出るには、クラブマンクラスとはいえレーシングサービスを行えるプロのメカニックが絶対に必要。さらに、満足にレースを進めるには積載車がいることも明らかだ。これまでできる限りナンバー付きらしく自走で走ってレースに出場していたが、それは夢物語に近いということだけはご理解いただいた方がいい。

 まるで最終回120分スペシャルかと思うほど、普段の2倍の原稿量でさまざまなことを吐露してしまったが、振り返ってみれば今シーズンは決してイヤなことばかりじゃなかった。POTENZA RE-71Rで一般公道からサーキットまで安心して走れたことは、ナンバー付きレースとしてとらえている僕にとって、かなり快適な状況だった。雨のレースでも安心して攻め込めたことは、クラブマンクラスの発足と、このタイヤがあったおかげだと思っている。

一般公道からサーキットまで幅広く対応してくれたPOTENZA RE-71R。このタイヤがあったからこそ今シーズンのレースが楽しめたのは言うまでもない

 3位2回、2位2回と表彰台を獲得することができたことも本当に面白かったし、嬉しい思いもできた。優勝を手にすることができなかったことは残念でならないが、これもまた次なるオッサンへの課題。いつかはそれを攻略してやりたい気持ちもふたたび沸いてきている。

 これぞ86レースの光と影。だからこそ続けたいと考える時もあるし、だからこそ辞めてしまいたいと思う時もある。まだまだ来年の話はできないが、あらゆるイヤな思いをしたって、また走りたい、またレースに出たいという思いが自分の中にまだ残っているようだ。どういう形になるか今はまだ分からないが、ふたたびサーキットに戻ることを夢見ながら、僕の86レース・シーズン3は終了。皆さま、最後までお読みいただき本当にありがとうございました!

Photo:高橋 学

橋本洋平

学生時代は機械工学を専攻する一方、サーキットにおいてフォーミュラカーでドライビングテクニックの修業に励む。その後は自動車雑誌の編集部に就職し、2003年にフリーランスとして独立。走りのクルマからエコカー、そしてチューニングカーやタイヤまでを幅広くインプレッションしている。レースは速さを争うものからエコラン大会まで好成績を収める。また、ドライビングレッスンのインストラクターなども行っている。現在の愛車は18年落ちの日産R32スカイラインGT-R Vスペックとトヨタ86 Racing。AJAJ・日本自動車ジャーナリスト協会会員。