日下部保雄の悠悠閑閑

日野21世紀センター

TGE-Aトラック

 日野自動車の21世紀センターをご存じだろうか。日野の歴史が分かる日野オートプラザを持つ研修施設で、日野自動車設立50周年を記念して1992年に企画され、1996年に完成した施設だ。その規模の大きさでも驚いたが、緑豊かな敷地に建設された環境の素晴らしさにも心打たれた。

 そもそもこの企画は、初代「ヴィッツ」のチーフエンジニアだった市橋さんが日野の会長をやられているご縁で見学が実現した。しかも、市橋さんをはじめ、日野OBの久保田さんに解説していただけるという、この上のない贅沢な見学会になった。

 日野の前身は1910年にまで遡る東京瓦斯工業に辿り着く。1913年に東京瓦斯電気工業と改称し、1917年には最初のトラック「TGE-A型」を開発した。国産初の量産トラックである。オートプラザのエントランスに展示してあり、現在に至るトラックの基本レイアウトがよく分かる。ここに至るまでの先人の努力は計り知れないものがあったに違いない。積載量2tと言えば今でこそ大したことないが、当時は馬や牛が動力源だったから、大荷物を積んで疲れないで走るガソリントラックは画期的なものだったに違いない。4気筒4.4リッターから30PSを出すのがやっとだったので、今の軽自動車の方がよほどパワフルで速いが、100年の時間は内燃機関をここまで進化させたことは感慨深い。

 速度はせいぜい25km/h程度で、荷物を積むと20km/hがやっとだったと言われる。ちなみにヘッドライトは瓦斯灯だ。久保田さんの説明通り、20km/hで走る程度ならこれで充分。速くなってライトも進化するのは当然か。

 展示してあるTGE-A型は実際に年1回程度走行しているそうで、見れば見るほど味わい深いので、ぜひしげしげと見てほしい。タイヤはソリッドタイヤ、ホイールは木製で馬車の名残を残している。

 メイン展示フロアのフレンドリーギャラリーには、日野の歴史を黎明期の頃から分かりやすく展示されている。入り口には垂涎のミニカータワーがあり、実際に発売もされているので興味のある方はぜひ。日野ではトラックのベースを販売しているので、架装は各架装メーカーで行なう。つまり全てがオーダーメイドなので、実際の荷台は変幻自在だ。ミニカーではいろんなトラックを一気に見ることができるのも面白い。そして日野の歴史の1ページを飾った乗用車のミニカーも手に入れることができるのもマニアにはたまらない。

 東京瓦斯電気工業は、1933年ごろから国策に則って各社が統合されていく中で、トラック製造を行なう共同国産自動車→東京自動車工業になり、これが戦争中に日野重工業といすゞの前身のジーゼル自動車に分かれていく。東京瓦斯電気は戦争のために日立航空機になり、現在の小松ゼノアに変わっていった。

 GHQの統制下に置かれた戦後は乗用車製造は禁止されたが、戦後復興のためトラックは早期に開発が開始された。青いトレーラートラックのジオラマは積載量10tで、貨車1両分の荷物を積むことを目標に、物資のない中、戦争後の残った資材を使って開発された。排気量10.85リッターの空冷ディーゼルで120PSを出している。当時の法規からするとオーバーサイズだったが、これをベースにその後の法規が改正されたという因縁のあるトラックだ。ジオラマからもスピードを求める活気が感じられる。

日野 T10+T20トラック

 スロープギャラリーでは貴重な写真を見ながら下を見ると、ボンネットバスからEVバスまで歴史を感じさせる展示がされており、最新のトラックエンジンも一望に見ることができる。ただ、ついなじみのある乗用車に目が行ってしまうのは仕方がないだろう。ルノーからの技術供与を受けてルノー「4CV」を国産化し、それを参考にしてリアエンジンの「コンテッサ」乗用車を作り上げ、一世を風靡した。コンテッサは2代で中止し、1960年代半ばで日野は乗用車から撤退してしまうが、心に残るクルマだった。

 日野ルノーは小さなクルマだったが、タクシーにも多くが使われていた。ルノーの乗り心地は多くのお客さんに好まれ、当時多かった路面電車の石畳でも国産車とは比べ物にならない乗り心地を示し、タクシー運転手にも好まれていた。

 日野はイタリアのデザイン工房、ミケロッティとの関係が深かったが、2代目コンテッサのベースとなった「コンテッサ900スプリント」も見学することができる。今でも十分にエレガントで美しいクーペである。

 資料館には大戦中に東京瓦斯電気工業が関係した多くの航空機用エンジンが展示されている。低空で飛んでいる時、敵弾に当たっても落ちにくい空冷エンジン、高射砲の届かない高空を飛ぶのが得意な液冷エンジンという説明は妙に納得できた。昔、航空機のエンジン設計に携わった先生が、「空冷エンジンのシリンダーが落ちてきたが、その飛行機はすぐには落ちなかった」と言っていたのを思い出したからだ。

液冷V12航研機

 写真の液冷V12はBMWのエンジンをベースに川崎で製作したもので、希薄燃焼(!)で燃料消費を抑止し、瓦斯電気と東大で共同研究した航研機に搭載されていたものだ。航研機は1938年に製作が開始され、非公認ながら当時の長距離飛行の世界記録を実現したと記憶している。この機体の模型がスロープギャラリーにぶら下げられている。

航研機

 もっと面白いものがたくさんあるが、話は尽きない。ちなみに内燃機関と電気のハイブリットはバスが最初で1991年、プリウスに先立つこと6年(だったかな)で日野が開発して、1994年に発売している。

 商用車の歴史もとても面白い。さまざまな技術も商用車から実用化されているものも多い。ここ、ぜひ見てください。見学無料です。ちょっと遠いけど。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。