日下部保雄の悠悠閑閑

ラリージャパン2024

名古屋グランパスの本拠地でもある豊田スタジアム。いつもはアスリートが走り回るピッチをラリー車が駆け回る

 出張とプライベートの旅行が連続した10~11月。ラリージャパン2024の週末がやってきた。出張続きにどうしようかと迷っていたが、チャンピオンを争うヒョンデから「待ってますよー」の声に背中を押されて日曜日のDay4に行ってきた。結果、やっぱり行ってよかった!

 ドライバーズもマニュファクチャラーズもタイトルは最終戦にもつれ込み、ドライバーはヌービル選手を同じヒョンデのタナック選手が激しく追い上げ、マニュファクチャラーズもヒョンデ優勢ながらトヨタにも一縷の望みがあるというラリージャパンだ。しかもラリージャパンのコースは誰もが口をそろえて難しいと言うほど、何が起こるか分からない。

サービスパークを訪ねたとき、ラリー車はちょうどコース上。WRC2クラスにいつものシュコダで参加の新井大輝選手のテント。そう、あなたは主役です!
ヒョンデチームに帯同して世界を回るシェフ。突然訪ねてきた取材陣にこんな技を見せてくれました。サービス精神旺盛です。グラッツェ!!

 豊田スタジアムでスーパーSS(SSS)を観戦する。スタジアムは多くの観客が上から観戦できるという普通のSSとは違ったメリットがあり、距離は短いがラリーにとって重要なステージだ。アスリートが走るコースをクルマが走るのだから狭いに決まっている。その限られた条件でもドライバーはテクニックを駆使してタイムを競う。

 コースを2周しても距離は2.15km、トップタイムは1分42秒~44秒。金曜日を除いて1日1回ずつ行なわれるので3人のウィナーがいるからタイムは複数ある。

スーパーSS。手前はヌービル選手のヒョンデ・i20 N ラリー1。360度ターンに入ろうとしているのはWRC2の優勝者で「藤原とうふ店」シトロエンC3ラリー2のニコライ・グリアジン選手

 最終日のSSSウィナーとなった勝田貴元選手の360度ターンは見事だった。円柱にノーズをこすりつけるように、それこそカナードが円柱を切り裂くようにピタリと張り付いていた。

 コース幅も去年より広く、コースが交錯するジャンピングスポットも滑らかな角度でかなり走りやすかったと思う。サッカー場の芝をはがして張り替えた路面は滑りやすそうだが、その中でもリアを流しながら駆け抜ける。平均速度は74.35km/h。ストレートでは140~50km/hは優に出ていそうだ。最終コーナーはテールアウトのゼロカウンターで直線に入ってくる姿はラリー車らしい。

 2日目にトラブルから大きく順位を落としたヒョンデのヌービル選手はこのSSSでも全開。1コーナーで左リアをバリアにぶつけて、タイヤから煙を上げながら2秒遅れの1分46秒で走り切った。

1コーナー。ラリー1とラリー2の違いは歴然。ヒョンデのヌービル選手はこの直前ウォールに左後ろをヒットした

 豊田スタジアムでのSSSは残念ながら今年で終了。来年からは岡崎に場所を移し、初のナイトステージが設けられることになりそうだ。

 さて今シーズン終盤から調子を上げ、Day1から絶好調のタナック選手はDay4が始まった直後のSS17でコースアウトしてリタイア。びっくりだ。

 ヌービル選手は順当に完走すればタイトルが取れそうだが、マニファクチャラーズタイトルは3台が堅調に走っているトヨタに対してヒョンデ優位の状況は逆転。現在のWRCは最終日もコンペティターにしっかり走ってもらうためにポイント比重が高くなっておりヌービル選手も気が抜けない。

 結果、最終SSを終了した時点でドライバーズタイトルはヌービル選手が確定。そしてマニュファクチャラーズタイトルは今シーズン不運が続いたオジエ選手がベストタイムを出し、エバンス選手、勝田選手も走り切って僅差でトヨタが逆転した。なんとドラマチックな幕切れだったことか!

 ヌービル選手、念願のドライバーズタイトル! そしてマニュファクチャラーズの激闘を彼ららしい勝ち方で制したTOYOTA GAZOO Racing、おめでとうございます!

2024WRCチャンピオンとなったティエリー・ヌービル選手。誰からも好かれる好漢です
ラリージャパン2024閉幕翌朝の日経に掲載されたのは、マニュファクチャラーズタイトル勝ち取ったTOYOTA GAZOO Racingの1面広告。ライバルをリスペクトした豊田章男会長のコメントが添えられていた

 WRC2クラスではシトロエンの「藤原とうふ店」カラーのシトロエンC3ラリー2のグリアジン選手が優勝。来年TGRでラリー1に乗る若手のパヤリ選手がGRヤリスラリー2で2位。新井大樹選手は9年落ちのシュコダ・ファビアR5で3位に入ったのは素晴らしい。

 2024年最終戦はいろいろな意味で印象に残るラリーだった。ラストとなるトヨタスタジアム、ピレリ、ラリー1のハイブリッドシステム、そしてミシェル・ムートンさんもFIAセーフティデレゲートを引退する。女性でチャンピオン争いをした名ドライバーの最後の任務が日本だった。感慨深いラリージャパンでした。

WRCでドライバータイトルを争った初の女性ドライバー、ミシェル・ムートンさん。長らくFIAセーフティデレゲートを務めてラリーの安全を守ってきたが、今年で退任する
豊田スタジアムの入場口には今年亡くなった篠塚建次郎さんに哀悼を示すコーナーが主催者により設けられていた。ラリーアートブースにも設置され、アイボリーコースト優勝車(ギャラン VR-4)とともにライトニング・ケンジローの功績をたたえていた
豊田市の粋なマンホール。写真のヒョンデだけでなくトヨタ、フォードもあり、行きも帰りもラリーファンを癒やしてくれる
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。