日下部保雄の悠悠閑閑

彩雲とひと月だけの邂逅

艦上偵察機「彩雲」。1944年の就役と遅かったため、艦隊の航空母艦から発艦することはなく、基地航空隊の眼として活動した

 8月15日をピークに、メディアから太平洋戦争の番組が流される。僕は団塊の世代にぶら下がっているので子供のころはまだまだ戦争が間近にあった。

 神田駅付近には白い入院着を着た傷痍軍人が杖を突きながら寄付を募ってハーモニカやアコーディオンを弾いていたのも珍しくなかったし、包帯を顔中に巻いた学生服の人に出くわしたこともある。正直怖かったが、戦争というものをおぼろげながら理解しつつあった子供にもその怖さが強烈に伝わった。

 防空壕もそこいら中にあって、さすがに入り口は封鎖されていたが、板の間から見える奥は底知れない深さがあるように見え、さすがのやんちゃ坊主もここには近寄らなかった。

 自衛隊のM4中戦車が昼間堂々と部隊ごと神田橋の交差点をドリフトしていたのもこのころで、日本が高度成長期めがけて走り出した時代だった。

 そんなことを思い出す8月15日が過ぎていった。

 その8月にひと月だけオープンする河口湖自動車博物館・飛行舘に今年も行ってきた。旧海軍の艦上偵察機「彩雲」を最初に見たのが2021年。コクピットまわりだけのボロボロの状態で、素人目にはレストアできるのか危ぶんだが、年を追うごとに少しずつ当時の工業技術の粋を見ることができている。

2021年の彩雲。程度がよいと聞いていたが、素人にはジェラルミンの塊にしか見えなかった。辛うじて風防の形から彩雲と分かっただけだ
形になりつつある2023年の彩雲。少しずつだがレストアは進む。まだ誉エンジンは取り付けられていない

 今年は駆け足で展示を見ることになったが、エンジン架に取り付けられた空冷星形18気筒35.8リッターの誉エンジンも補機が追加された。垂直尾翼のまわりも整形されて彩雲らしいスリムな姿が形になっていく。

 誉エンジンはゼロ戦や隼などに搭載された14気筒27.9リッターの栄エンジンとほぼ同じ外径の中に18気筒分をギッシリ詰め込み6000mの高空で1750PSを出す高出力エンジン。シリンダー間にある植え込みフィンに代表される精密さは、逆に言えば整備性はあまりよくなさそうだ。整備員の苦労が外見からでも感じられる。

誉エンジン。精密で職人技のようなコンパクトな空冷星形18気筒、2段スーパーチャジャー。制空権を失ってからの就役で偵察は危険が多く、犠牲も増えていった

 3座の彩雲は航空母艦のエレベータに積めるよう切り詰められ、サイズは全長11.12m、全幅12.5m。これで自重2700kgに収まっている。現在のLLクラスのSUVやBEVには3t以上あるクルマも少なくない。直接比較はできないものの、速度を追求した飛行機はやはり軽いなぁと思う。

 来年はどんな姿になっているのだろう?

 週末は地方選手権のラリーでヤリスCVTのハンドルを握る。しかも本格的なペースノートラリーは初めてだ。苦手のターマックでもあり頭を悩ます材料に事欠かない。

 事の始まりはエムリットの友田さんが「ラリーに出ましょう」と声をかけてくれたこと。最初は「さすがに無理です」とお断りしていたが、その後家族の後押しもあり「ハイ」と返事をしていた。さらに多くの人がチームを組んでくれたことも心強さになった。

 週明けもラリーが好きだとうれしい。

ヘルメットとグローブ。本当に久々にラリーに参加する。全くの初心者です。インカム付きのヘルメットはチームが用意してくれるのでこれはウチで留守番だ
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。